第2話

 川北紘一氏は2003年に独立、映像制作会社ドリーム・プラネット・ジャパン(DPJ)を設立しています。初担当作品はテレビ東京の『超星神グランセイザー』でしたが、同番組には『さよならジュピター』の宇宙船のミニチュアが堂々使用されていました。

 かくいう私(千葉和彦)は、元は東宝系興行会社の営業係、DPJ創立時には、出入りするライターでしたが、このミニチュア流用には、さすがに笑っています。


*  *   *


 『さよならジュピター』は地球に接近するミディアム・ブラックホールを、木星を爆発させることにより軌道を変更させようとするプロジェクトを軸に、さまざまな人間模様を描いています。


 ただ映画作品としての評価は非常に低く、主な観客層とあてこんでいたSF映画ファンからも「いろいろ詰め込み過ぎて破裂した」と評されました。

 原作者の小松左京氏が用意していた当初のプロットを活かしきれなかった為、ヒットさせることができず、制作費の回収も未達という興行的失敗の結果に終わったのです。

 小松氏が執筆した小説版は、初期の映画の脚本を基にしたノベライズです。登場人物や地球の未来社会も綿密に描かれており、映画よりもこちらの方が評価されました、1983年にSFファンの投票によって決定される星雲賞の日本長編部門賞を受賞しています。


 DVDスペシャル版の特典ディスクにはメイキングビデオやテレビ特番、撮影現場やプロップ制作風景のスナップ、デザイン画や小説版連載挿絵などが収録されています。

 このメイキングビデオを構成したのは澤田芳郎氏です。澤田氏は小樽商科大学ビジネス創造センター教授であった時期もあり、小樽を郷里とする私(千葉和彦)と縁があります。

 そして、澤田氏と私が話す共通の話題といえば、『さよならジュピター』のことになります。

 共通の知人は、橋本幸治監督、川北紘一特技監督、手塚昌明監督(フォース助監督から昇進)、そして日本映画大学理事長に転じた富山省吾氏ですから、話も決まっています。


 澤田氏は『さよならジュピター』のパソコンCG制作に参画し、その過程で小松氏が作品の結末に関連してシナリオにないシーンの撮影をスタッフに強く要請する場面を撮影所で目撃しました。

 それが悔しがった私は、澤田氏が唱える『ドキュメント・さよならジュピター』企画にも賛同しました。小松氏の謦咳にも接することができると思ったのです。


 ただ、2020年夏に準備が進められた『ドキュメント・さよならジュピター』の企画(この文書の巻末参照)は上手くいきませんでした。

 興行的失敗に終わった映画の跡を追っても仕方がないという声が、(小松氏のブレーンの間でも)大勢を占めていたのです。

 『ドキュメント・さよならジュピター』を実現に移すことは、あきらめざるをえませんでした。



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