最初の再配線

朝の光が窓から差し込む。貴之は早くから起きて、ミカから借りた羊皮紙に図面を描いていた。


「貴之さん、一晩中起きてたの?」


ミカが小さな声で尋ねた。彼女は入り口で躊躇っている。昨日の「アース」の体験以来、彼女は貴之に近づく恐怖が少しだけ薄れたが、それでも用心深かった。


「いや、ちゃんと寝たよ。ただ、朝早く目が覚めちゃって」貴之は笑いながら羊皮紙を広げた。「君の『回路図』を考えてた」


「かいろ……ず?」


「ああ、つまり君の体の中で魔力がどう流れてるかの地図さ」


貴之が描いた図には、複雑な線と記号が並んでいる。ミカにはほとんど理解できないが、彼女の体の輪郭が描かれ、そこから幾筋もの線が伸びているのはわかった。


「見てくれ」貴之は説明を始めた。「昨日の観察でわかったんだけど、君の魔力──つまり電気は、ここで乱流している」


彼は図の胸のあたりを指さした。


「私の世界では、電気がスムーズに流れるために『抵抗』『コンデンサー』『コイル』っていう部品を使う。でも君の体には、それが自然に備わってない。だから魔力が暴走する」


ミカは真剣な表情で聞いていた。「それで……どうすればいいの?」


「人工的に制御装置を作る」貴之は目を輝かせた。「幸い、この世界には魔法素材があるらしい。ミカ、『雷石』って知ってるか?」


「知ってる」ミカはうなずいた。「雷の魔力を蓄える石よ。でも高価だし、危険だって言われてる」


「それを使おう。ただし、私の方法で」


貴之は立ち上がり、作業に必要な物をリスト化し始めた。ミカが村で手に入るものを教えてくれた。


「まずは雷石の小片。それから銅線……あ、この世界には銅あるか?」


「銅なら、錬金術師さんが持ってると思う」


「よし。それと絶縁体……樹脂か、なんかの魔法素材で電気を通さないもの」


準備は整った。しかし、問題があった。貴之には資金がほとんどない。


「私、少し貯めてるお金がある」ミカが申し出た。「今まで人に近づけなくて、出費が少なかったから」


「いいのかい? 君のお金で」


ミカは小さくうなずいた。「私が普通に暮らせるようになるための投資だよ」


彼女の目には、固い決意が宿っていた。


---


村の雑貨屋で、必要品を買い揃える。雷石は小指の先ほどの大きさで、青白く光っている。触ると微かな痺れを感じる。


「これが電荷を帯びた鉱物か……」貴之は興味深そうに観察した。「純度は低いけど、十分使える」


銅線は錬金術師から分けてもらった。少し不純物が多いが、導体として機能する。絶縁体には、樹液から作られた魔法樹脂を使用した。


作業場はミカの小屋の裏手。貴之は机を用意し、工具類を並べた。プラモデル製作用の精密工具はもちろんないが、ミカが持っていた魔法道具が代用になった。


「さて、実験開始だ」


貴之はまず雷石を慎重に削り、小さな球状にした。次に銅線を巻きつけ、コイルを作る。プラモデルで培った繊細な手先の動きがここで活きる。


「貴之さん、すごく慣れてるね」


「趣味でプラモデルを作ってたからな」貴之は笑いながら作業を続けた。「小さな部品を扱うのはお手のものさ」


三時間後、最初の試作品が完成した。それは雷石のコアに銅線を巻き、魔法樹脂でコーティングした小さな装置だった。


「これが……制御装置?」ミカは不安そうに見つめた。


「『抵抗器』の試作品だ」貴之は説明した。「君の体から漏れる余分な魔力を、ここで熱に変換して放出する。まずはこれを身に着けて、効果を確かめよう」


装置には革ひもが付けられ、首から下げられるようになっている。


ミカはためらった。「つけて……大丈夫?」


「理論上は安全だ。でも、心配ならまず私が試すよ」


「ダメ!」ミカが強く言った。「貴之さんに危険は冒させない。私がやる」


彼女は覚悟を決めた表情で装置を受け取った。ゆっくりと首にかける──


パチパチ!


装置が青白く光り、微かな音を立てた。ミカは目を閉じ、身構えた。


しかし、何も起きない。少なくとも、悪いことは何も起きない。


「わあ……」ミカが小さな声を上げた。


彼女の周囲に常にあった静電気の音が、消えている。指先から無意識に漏れていた小さな火花もない。


「どうだ?」貴之が尋ねた。


「静か……だ」ミカの声には驚きが溢れていた。「初めて……こんなに静か」


彼女はゆっくりと手を上げ、指を広げた。意識的に魔力を込めようとする。小さな雷の火花が指先に現れたが、昨日までのような乱暴な飛び散り方はしない。制御された、安定した光だ。


「できる……制御できる!」ミカの目に涙が浮かんだ。


「まだ最初の一歩に過ぎない」貴之は冷静に言った。「これはあくまで緊急用の安全装置だ。本当の解決には、君の体内の『配線』そのものを直す必要がある」


「それでも……これだけで」ミカは震える手で装置を握った。「私、初めて人に近づけるかもしれない」


その時、小屋の入り口で物音がした。村人の老夫婦が立っていた。彼らはミカを恐れて、普段は近づかない。


「ミカ様……大丈夫ですか?」老婦人が心配そうに声をかけた。


「はい、大丈夫です」ミカは自然に笑顔を返した。


老夫婦は驚いた様子だった。いつもは距離を置いていたミカが、今日は違う。


「実は……」老翁が言った。「家の魔力灯がまたちらついてて。直せませんかね?」


魔力灯──天井から吊るされる光る石。貴之は昨日から気になっていた。


「見てみましょうか?」貴之が申し出た。


老夫婦の家はこじんまりとした石造りだ。天井には確かに魔力灯が吊るされ、明かりは不安定にちらついている。


貴之は椅子に登り、慎重に観察する。魔力灯は内部で魔法陣が刻まれた石だ。その魔法陣から、魔力が漏れ出している。まるで絶縁不良の電線のようだ。


「ミカ、ちょっと手伝ってくれるか?」


ミカが近づく。老夫婦は少し引いたが、ミカが制御装置をつけているのを見て、安心した様子だ。


「この魔法陣、ここが磨耗してる」貴之は指さした。「魔力が漏れて、安定した光を出せなくなってる」


「どうすれば直せるの?」ミカが尋ねた。


「私の世界では、絶縁テープで巻くけど……ここにはないな」貴之は考え込んだ。「代わりになるものは……」


「魔法樹脂は?」ミカが提案した。


「そうだな。それで一時的に修復できる」


貴之は持参した魔法樹脂を少量取り出し、魔力灯の磨耗部分に丁寧に塗り込んだ。プラモデルの塗装技術がここでも活きる。


「これで……どうかな」


魔法樹脂が固まるのを待ち、魔力灯を再び吊るす。


ぱっと、安定した明るい光が部屋を照らした。ちらつきは完全に消えている。


「おお!」老翁は驚嘆した。「今まで何人かの魔術師に頼んでも直らなかったのに!」


「これはただの応急処置です」貴之は釘を刺した。「本来なら魔法陣そのものを書き直す必要があります」


「それでも十分です」老婦人が感謝の言葉を述べた。「お礼に、晩ご飯をごちそうしましょう」


その晩、貴之とミカは久しぶりに人と食卓を囲んだ。ミカは初めて、他人と同じテーブルで食事をした。今までは、自分の雷が食器を壊すのを恐れて、一人で食べていた。


「おいしい……」ミカの声には感動が込められていた。


それは特別な料理ではなかった。普通の野菜スープとパンだ。でも、人と分かち合う食事は、彼女にとっては宝物のような体験だった。


食後、村を歩きながら帰る道で、ミカが言った。


「貴之さん、ありがとう」


「まだ何もしてないよ」


「してくれた」ミカは真剣な表情で貴之を見つめた。「私に希望をくれた。これからは……他の人も助けられるかもしれない」


「そうだな」貴之は空の三つの月を見上げた。「君の力は、制御さえできれば、とんでもない可能性を秘めてる」


彼は考え込んだ。


「まずは君の完全な制御装置を完成させる。それから……この村の魔力システム全体を診てみよう。どうやら、この世界の『魔法技術』には根本的な問題があるみたいだ」


「根本的な問題?」


「効率が悪すぎる」貴之は説明した。「魔力灯一つとっても、魔力の八割は熱として無駄に放出されてる。私の世界のLEDなら、同じ明るさで十分の一のエネルギーで済む」


ミカはほとんど理解できなかったが、貴之の情熱は伝わった。


小屋に戻り、貴之は再び図面を広げた。今日の成功は小さな一歩に過ぎない。だが、確実な一歩だった。


「次は電圧安定化装置だ」彼は独り言のように言った。「交流から直流への変換……魔法陣をパルス幅変調に適用できないか……」


ミカはそんな貴之を温かい目で見つめた。彼女は初めて、自分が「普通」になれる未来が見えた気がした。


そして、もう一つの変化も起きていた。貴之の噂は村中に広まり始めていた。魔力灯を直した不思議な異世界人。聖雷の巫女を従えているという。


噂はやがて村を超え、町へ、そして王都へと伝わっていく。


そのことに、二人はまだ気づいていなかった。


---


翌朝、貴之は新しい計画を立てていた。


「ミカ、今日は君の魔力の『波形』を測定したい」


「は……波形?」


「魔力がどういうリズムで流れてるかを調べるんだ。そうすれば、もっと精密な制御装置が設計できる」


彼は夜の間に考えた測定方法を説明する。雷石と銅線で作った簡単な検出器だ。魔法陣に記録用のインクをつけ、魔力の流れを可視化する。


その準備をしていると、小屋の扉をノックする音がした。


開けると、見知らぬ青年が立っていた。旅装束で、腰には剣を下げている。


「すみません、南雲貴之様でしょうか?」


「そうだが……」


「王都から参りました」青年は丁寧にお辞儀した。「騎士団第三部隊所属、見習い騎士のコトリ・フォルティアより、お招きにあがりました」


「騎士団? 私を?」


「はい。貴方の魔法技術──いえ、『電気技術』に関する噂が王都に届き、騎士団長が興味を持たれたのです」


青年は懐から封印された手紙を取り出した。


「特に、魔力の効率化と、新たな防御魔法陣の可能性について、ご意見を伺いたいとのことです」


貴之は手紙を受け取り、ミカと視線を交わした。


王都の騎士団が、たった一日で噂を聞きつけるはずがない。これは何か別の理由があるに違いない。


「了解した」貴之は慎重に答えた。「準備が整い次第、伺わせていただく」


青年は再び礼を述べ、去っていった。


「どうしよう、貴之さん」ミカの声には不安が滲んでいた。「騎士団って……私みたいな危険な存在を排除するために動くこともあるんだよ」


「心配するな」貴之はミカの肩を軽く叩いた。「君はもはや『危険な存在』じゃない。制御された、強力な味方だ」


彼は手紙を開き、目を通した。文章は丁寧だが、内容は明らかに探りを入れている。電気技術の詳細を求めながら、同時に貴之の素性を確認しようとしている。


「面白い」貴之は笑った。「ちょうどよかった。騎士団の協力が得られれば、もっと大規模な実験ができる」


「でも危険だよ」ミカは必死に訴えた。「私みたいに、力を恐れられるかもしれない」


「ならば、見せつけてやろう」貴之の目に決意が燃えた。「君の力を、破壊のためじゃなく、創造のための力だと。守るための力だと」


彼は装置作りに戻りながら、言った。


「王都に行く前に、完璧な制御装置を完成させよう。そして、この村に最初の『再配線』を見せつけよう」


貴之の計画は加速していく。異世界での電気革命は、思った以上に早く訪れようとしていた。


そして、彼はまだ知らない。騎士団の見習い騎士・コトリ・フォルティアが、どれほど頑固で規律に厳しい人物かを。


【次回予告】

王都騎士団からの招集に応じ、貴之とミカは初めて村を出る。道中で待ち受けるのは、魔力暴走する魔獣の群れ。そして、彼らを迎えに来たのは、鉄壁の規律を重んじる見習い騎士・コトリ・フォルティアだった。

「規則違反ばかりの貴方に、魔力制御ができるはずがない!」

不信の眼差しを向けるコトリに対し、貴之はある提案をする。

「それでは実験しましょう。私の『電気魔法』と、騎士団の『伝統魔法』、どちらが効率的か」

異世界初の魔法対決が始まる──!

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転生電気工事士の異世界再配線 ~聖雷の巫女と始める電気革命~ ラズベリーパイ大好きおじさん @Rikka_nozomi

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