第1話 花坂弓削之介の追想(はなさかゆげのすけのついそう)
これが「走馬灯」というやつか、脳裏を、過ぎし日々が
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
生まれは江戸・飯田橋の花坂家江戸屋敷で、三歳まで江戸で育ち、花坂の国元に送られて暮らす事になった時、父である民部大夫からは言われたのであった。
「これは、
と。
「織田信長・信忠父子を見よ!
明智光秀が
と言うので、弓削之介は、自分が、甲州武田を攻め滅ぼした若き猛将・織田信忠になった気分でいたものだった。
「よし! 明智の
と。
しかし、少し考えれば判る事だが、信忠は、兄である嫡男・
次男の弓削之介は、ポンコツの呼び名が高い織田
とにかく、兄には敵わなかった。
九歳年上の兄は、藩世子として、常に風格があった。
弓削之介は、学問をやっても、剣術を習っても、ポンコツであった。
まず、書き文字からして違った。
江戸の兄は、国元で暮らす歳の離れた弟に、こまめに手紙を寄越してくれた。
その兄の書を、国元の家臣らは、
「風格ある
と誉めそやしたものであった。
一方、弓削之介の書き文字は、
「読みやすうはござるな!」
という評価であった。
そこで、ひと頃、弓削之介は、
「それならば!」
という事で、
ところが、秀吉の書は、
「さすが、覇者の風格!」
と評する教師らが、弓削之介の文字については、深く深くため息をついて、
「若君は、まじめにお勉強なされば出来るお方でございまするがなあ……」
と、困った顔で言うのであるから、段々と、真面目にやるのが嫌になってしまった。
剣術も同様であった。
頑張ってみても、周囲は、年上の家臣らばかりである。
型を学び、打ち込んでも、
「そらそら! 弱おうござる!」
と弾き返されてしまう。
次第に、弓削之介は、家臣の家の自分と同じ次男三男らと、山野や海辺で遊び暮らす様になってしまった。
そんなであるから、江戸の話し言葉なども、あっという間に忘れ果て、花坂の国元衆と同じ訛りになってしまった。
何よりも、兄と自分の違いは、義姉上様のおられる事であった。
義姉上様は、弓削之介より4つ年上、幕府重鎮・堀田家の姫君・鈴香様であった。
鈴香姫が初めて花坂を訪れられたのは、弓削之介が九歳の年。十三歳であった鈴香姫は、兄との見合いのために、領地の陸奥福島から、南国海浜の花坂を訪れて来られたのであった。
そうして、その後、常には江戸にいる兄の国戻りの度に花坂を再訪される様になった。
雪国から来られた鈴香姫は、白百合の様にお美しく、また、お優しく、立ち居も
(あの様なお美しいお方を、わしが
義姉上様を思えば胸が苦しい十代の頃であった。
と言って、兄が
むしろ、江戸からまめに手紙をくれる兄は、誰よりも敬愛する方であった。
であるから、兄の手紙への返信だけは、精魂込めて
例えば、自分が花坂で暮らす事について、弓削之介は、長ずるにつれて、
(要は、江戸で暮らすのは
と思う様になった。
花坂の米は、大半は大坂に送られて藩の財源となり、国元の衆は、大体、玄米や割れた米に麦や
江戸屋敷では白米が食されたが、それは、江戸の商人から買い入れられた。
米は、全国から大坂に参集され、江戸の商人も大坂で米を仕入れる。
そんな手間をかけた江戸の米が高いのは当然であった。
花坂は、国元から江戸へ米を送れるほどには、石高が高くない。
正面には外海の荒波が洗い、背後には山が迫る小さき国である。米よりも海産物の取れ高が多いのが、花坂であった。
と言って、魚介類では、藩の財政を潤すのは難しい。
(米ならば、十分に乾かして大坂に送り、採算よく金子に変える事が出来るが、魚介では、日干しにしても、せいぜい江戸までじゃのお!)
などと考える。
そんな事を手紙に書いて兄に送ると、兄からは、
「弓削之介、妙味あり。ゆくゆくは藩を支える柱とならん」
などと返事が来た。
(よし! わしは、兄が天下で存分にお働きなされるために、国元を固めてみせるぞ!)
などと思い、父と交渉して、城の道場に自分と同じ年頃の次男三男仲間を入れてもらえる様にして、そうした者らを練習相手に、ようやく、鍛錬の手応えが得られる様になった。
四年が過ぎて、弓削之介が十三歳の年、十七歳になられた鈴香姫は、公儀より正式に縁組の裁可が
そして、翌々年に、兄と義姉上様の間に嫡男の幸松丸が生まれて、その祝い言上のために、弓削之介は十数年ぶりに江戸に出府した。
母となられた義姉上様は、前にも増して、神々しいほどのお美しさであった。
と同時に、憧れの鈴香姫は、弓削之介の手の届かぬ遠くへ行ってしまったと実感した。
(この想いは、永遠に、胸の内に隠さねばならぬ)
と誓い花坂に戻る、弓削之介、十六の春であった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ところが、父の「権現流兵法」は、
皆の嘱望を集めた兄が、にわかな病で、二十七歳で亡くなってしまったのである。
(なんと、人の命の
茫然とした。
弓削之介がそれであるから、藩世子の急逝に藩内も愕然であった。
しかし、弓削之介の懸念は、それよりも、
(義姉上様はどうなされておられるか!?)
であった。
藩世子の地位は、普通に考えれば、兄の
当時、幸松丸は二歳であったが、父上もまだまだご壮健である。父が藩主の地位を退く頃には、幸松丸も立派に成人しておるであろう。
しかし、兄の国戻りのたびに花坂を訪れて来られていたあの幸せそうな鈴香姫様が、今、どうなされておられるか、弓削之介が思うのはそれであった。
であるから、兄の喪が明けた翌年の五月、父に御殿の奥書院に呼ばれた時にも、おのれについて深くは考えておらなかった。
ところが、父の言葉は、
「鈴香を娶り、世子として、幸松丸の養い親になれ!」
であった。
理由は、幸松丸が世子には幼少に過ぎるというご公儀の内々ながらの示唆からであるという。
「お待ちくだされ!」
さすがに弓削之介は声を上げた。
「兄上と義姉上様がご婚約の整いましたる折、それがしは九歳の
しかし、父は動じなかった。
「そなたは、既に十九、鈴香は二十三、やや歳は勝るが、似合いの年頃であろう!」
ムチャクチャである。
「義姉上様以外であれば、いかようなる
「弓削之介、その
父が言葉を厳しくした。
しかし、弓削之介には、そこは越えてはならぬ一線であった。
「愛する夫を失いし女性を、一年で、その弟に娶せるなど、鬼神も憐れみ涙しましょう!」
「そなたがその様に申すであろうと
打てば響く様に父が言い、襖がカラリと開かれた。
やられた! と思った。
隣室には、いかにも若やいだ黄色い地に白や紅の花模様を散らした着物姿の小柄な姫が、平伏して控えていた。
「お待たせいたしましたな」
父が、どこから出すのかという優しげな声で言う。
しかし、その父の言葉に身を起こした姫の相貌に、弓削之介は、目を見張った。
小柄な体に、清々しさをたたえた小麦色の顔が、弓削之介を見て、目を丸くした。
「我が花坂藩の分家、先島の花坂家の二の姫、駒姫殿じゃ。姫、こちらが当家のポンコツ、弓削之介じゃ。よろしくお見知りおき下され」
「どう、なされますか?」
駒姫は、クスクス笑いながら弓削之介に尋ねた。
表情がコロコロと変わる、南の島から来た明るい姫に、弓削之介は、一発で
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
弓削之介は、江戸に出府し、将軍に謁見して、藩世子として公認された。
そうして、駒姫との縁組の裁可を、公儀より取り付けた。
次いで目指すは、南隣の鴨川藩との藩境の
江戸家老との対立を乗り越え、江戸屋敷をまとめ上げた弓削之介であった。
だが、鴨川藩の幼年の藩主・鴨川
弓削之介の二藩共同での山林火災防止案に、鴨川から対立案を提出され、弓削之介は、義兄である堀田正弘候の後援を受けつつ、老中裁定に臨む事となった。
しかし、将軍が病に伏し、年明けに
駒姫との婚儀も、鴨川への対策も無に帰してしまった。
「義姉上様、申し訳ござりませぬ」
弓削之介が言うと、
「弓削之介どのが、何を謝られまする?」
義姉上様の ―― 白百合の様にお美しかった鈴香様の、清らかな声がした。
「この弓削之介、世子となりてより、兄上の万分の一でも代わりになり申そう、義姉上様の支えになり申そうと思うて参りました。
しかし、わしなど、何の役にも立ちませぬ! 所詮は、兄上の代わりなど務まらぬポンコツにござりまする!」
「お疲れなのですよ」
間近に暖かみが感じられた。
「江戸ご出府以来、お心を砕きお勤めなされて参られたではござりませぬか。今宵は、お休みなされませ」
ふわっと、
義姉上様の香りに、包み込まれていた。
~ 第2話に続く ~
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