一夜限りの

染井雪乃

一夜限りの

 瑛莉えりだ。

 気づいたそのときに帰ればよかったのに、小綺麗にメイクした姿が珍しく、ぼうっと眺めている間に母に見つかり、瑛莉だけでなく閉店後の片付けまで押し付けられてしまった。小さな店のカウンターの内側と外側で、まなかと瑛莉は再会を果たした。

 さすがの瑛莉もまなかのことは思い出せたようだった。まなかと瑛莉は保育園から中学卒業まで友達をやらされていたのだ。最後まで友情とやらが生まれることはなかったが、一緒にいたくなかったという本音だけは共有できるだろう。


「おばさん亡くなったんだってね。……ご愁傷様」

「どうも。まあ、長引かなかったし割といい終わりなんじゃない」

 実の母親の死を淡々と語り、瑛莉はまなかの出した緑茶ハイを受け取る。

 変わってない。まなかは苛立ちと安心を同時に抱く。何一つ言葉の届かなかった女が他の誰かに変えられていたらきっと許せなかった。

 カウンターのなかでいすを出して腰掛け、まなかはビールを開けた。


 沈黙が満ちる。そもそも、まなかと瑛莉の間に懐かしむべき過去などない。衝突、悪意、無関心。そういうものの不毛な応酬だけが二人の時間だった。意外にも瑛莉は口を開いた。

「まいちゃん、だったっけ、上の子」

 まなかの長女の名だ。麻衣まいは小学校に入学して半年になる。そして今のまなかの悩みの種だった。

「何、母さんに聞いたの?」

 眉をひそめる。母のやりそうなことだった。

「聞いたどころか、相談に乗ってくれって頼まれた。相談料は今夜のごはん代」

 そういえば、瑛莉は受けた仕事だけはきちんとやっていた。嫌なものは最初から受けないが、やると言った以上はやる。嫌々やらされたものは渋々やったり仮病でサボったりする。

「子どもいない私が役に立つとは思えないんだけど」

 SNSでもつながっていないから知らなかったが、瑛莉に子どもがいないのは予想通りだった。瑛莉はまなか達がかくれんぼの最中に置き去りにしたのに、「一人でたくさん本が読めて楽しかった」と言うような子どもだった。人を邪魔だとしか思っていないのだ。

「……麻衣は昔の瑛莉に似てる」

 愛しいはずの我が子が得体のしれない生き物に見えるのは、その挙動が瑛莉に似ているからだった。昔のまなかが気味悪がって衝突し、悪意を向け、無関心と冷たい対応で返された相手である瑛莉と、かわいい娘がよく似ているなんて、受け入れがたかった。

「えっ、娘にも『喋らなければ綺麗なのにもったいない』って思われてるの?」

「はあ?」

 話の飛びようとひどい言われようについ素が出た。酒の席だし瑛莉とはどうせ今夜限りなのだから、別にどうでもいい。

「……アンタ、私のことずっとそう思ってたわけ? 喋らなければいいのにって?」

 怒気をはらんだまなかの声に平然と瑛莉は答える。

「美人は喋ったり動いたりしない方が鑑賞しやすいじゃない」

 瑛莉がまなかを褒める要素は今も昔も美しさしかないらしい。

「はあ……。相変わらず理解したくない感性してるわね。似てるってのはそういうんじゃなくて」

「頭が空っぽで理解できないの間違いでしょう?」

 腹の立つ物言いに睨みつけると瑛莉は薄く笑った。


「君の頭が空っぽなのは今に始まったことじゃないんだから、本題」

 小学生の頃だったら怒っていたけど、中学入学辺りから怒る気力もなくなった。瑛莉以外からも似たようなことを言われていたから。

 それに、まなかにはもうあてがなかった。支援センターの人は麻衣のためになることを考えてくれるが、まなかの苛立ちを見せていい相手ではない。悪い母親と見られたくなかった。

 まなかの母が作ったまかないごはんを口に運びながら、瑛莉は長く続いたまなかの話を遮らずに聞いていた。

「聞いてた?」

 頷いて、瑛莉は言葉にする。

「……娘が名実ともに変わってるって認めたくないし、ふつうの子にしたいってこと?」

「誰でもそうじゃん。子どもにはふつうの幸せな人生を歩んでほしいっていうか」

 責められているようで、何だか落ちつかない。

「私子どもいないから子どもにどうなってほしいとか思わないけど。ふつうって曖昧すぎる。例えばなんだけど、私の職場では君はふつうじゃないよ。大学院出てる人しかいないから」

「アンタの職場、大企業の研究部門でしょう。まずそこがふつうじゃないんだけど」

「君に就職先伝えた覚えはないんだが……親か」

 隠しもしないで嫌だと伝えてくる瑛莉にこういうところ、と苛立ちがつのる。

「こっちだって知りたくなかったわ」

「……とにかく。答えは簡単だ。君の望みは叶わない。目標変更をおすすめする。まいちゃん自身が幸せになれるように、とかそういう」

 そうして瑛莉は箸をおいた。空っぽの皿とグラスを残して秋の終わりの夜に消えていく。


 店の外まで走っていって、まなかは瑛莉を呼び止めた。言葉が出ないまなかに瑛莉がぽつりと呟く。

「君、やっぱり黙っている方がいいよ」

 言い返す間も与えず、瑛莉は歩き出す。清々しく笑って、もうまなかなど視界に入れていない。

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一夜限りの 染井雪乃 @yukino_somei

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