魔法少女、やめたいですか?

なすみ

第1話 提案?

まほやめ 2


 街にいても、スーパーで買い物をしていても、今こうして電車に乗っていても。

 常に人の視線が、肌に刺さる。

 露骨なものは少ない。

 ほとんどは、こちらを一瞥した後、誤魔化すようにそらされる視線。だからわたしも、それに気付いていない振りをする。

 車椅子。そして、若いと言える年齢でもないが、それでも老人というには若い年齢のわたし。その情報を処理しきれなかった、その残滓のような視線。昔はそれを一つ一つ感じては、思い悩んだりもしたけれど。

 一人。二人。三人。

 こちらを見ている人を数えるのが、わたしにとって平静を保つためのルーティンと化していた。

 わたしは太ももの上で手を合わせながら、車窓を見る。流れていく景色に意識を向け、電車内から目を逸らす。

 秋の午後は空が遠く、茶色が景色の端々に混じる。線路外のビル影を長く伸ばして、夏が終わり、冬の冷たい風を吹き込む準備をしているようだった。

 そして、その流れる視界へ紛れ込む、一つの黒い影。


 わたしの足は、今日も頼りない。

 手先はそれほど冷え込まない。きっと、常にハンドリムを握って、忙しなく前へ送り込んでいるからだろう。

 感覚は、それなりに残っている。それがそもそも、一般の健常者にしてみれば理解出来ない感覚ではあるだろうが、わたしにはその感覚が常だった。

 立ち続けるほどの力は残されていない。そして、いくらリハビリに励もうと、それはある種の消耗戦、籠城責めをされているかのような感覚でもあった。

 何かを掴まりながら立つ。それだって、1分と保たない。だからわたしは無理をしない。立たない。追いかけない。

 出来ないことは、結局どこまで行っても、どれほど望んでも出来ないのだ。

 そして、それは諦めじゃない。ただ、現実と折り合いをつけただけに過ぎない。少なくとも、自分ではそう信じている。

 胸の辺りまで伸びた髪を、秋風に流されながら押さえる。鎖骨のあたりで結んだそれを右肩に流すようにして、一つ結び。シュシュでまとめている。

 服装はいつも、前でボタンを止めるものか、胸元のゆったりとした服。下はロングスカートか、ベルトを必要としないズボン。

 髪は背中に回すと邪魔になるし、ヘアゴムを使うと解く時に絡まる。服装も、常に着脱やお手洗いの時に、妨げないようなもの。どれを取っても、ファッションよりも先に合理性。

 目的の駅に着くと、あらかじめ待ってくれていた駅員が、帽子のブリムを摘んで整えながら、こちらに目配せをする。

 わたしは頭を深く下げながら、他の乗客が先に降りるのを待った。時々、わたしが先に降りるのを待ってくれる乗客もいるが、それが却って妨げになると思いながら、わたしはそれを伝えない。きっとそれをしてくれる人も、善意からわたしを"優先"してくれていると知っているから。

「すみません、ありがとうございます」

 何度も頭を下げながら、ゆっくりと車椅子を前に進める。わずかに車体が揺れ、ゆっくりと後ろ向きで電車を降りる。

 手早くステップを片付けた駅員は、愛想の良い笑みを浮かべながら、先に階段を駆け上がっていく。

 その後ろ姿を眺めながら、そばにあるエレベーターへ向かう時。

 またしても、視界の端に黒い影が横切った。

 気のせいだと思った。

 きっと、疲れていて、寝不足で、だから秋のせいだと思った。

 それでも、その日を境に、世界は少し、わたしと噛み合わなくなっていった。


 図書館の帰り、駅前の広場で外の空気に当たっていた時のことだった。

 すっかり枯れた、使われていない花壇の縁に、一匹の黒猫が居た。まるで、わたしと同じように日向ぼっこをしているようで。

 けれど、その金色の瞳は、真っ直ぐにわたしを見つめていた。

 首輪はない。けれど、毛並みは揃っていて、艶がある。光の反射が無ければ、暗闇がそこに猫の形を成しているかのようだった。

 こちらを真っ直ぐに見つめてくる。わたしは、思わず肩にかけたストールの端を摘んだ。

 その人慣れしていると言うよりも、むしろ品定めをするかのような瞳に、ゆっくりと、身なりを整える。

 視線が交錯しても、黒猫は逃げない。

 わたしは車椅子のブレーキがかかっていることを、目線を逸らさないまま手で確かめ、その場に留まった。逃げるでも、追いかけるでもない。

 それがわたしのやり方だ。

「……こんにちは」

 声をかけてみる。

 黒猫は、返事をするかのように尻尾をゆったりと揺らした。

 この様子だけ第三者が見れば、秋の寒空の中、ストールを肩にかけた車椅子の女性が、人慣れした黒猫に話しかける、なんとも抒情的なワンシーンに見えただろうか。

 だが、わたしの胸中は穏やかではなかった。むしろ、これから起こり得るリスクに思考を巡らせずにはいられなかった。

 猫とは思えないほど余裕を感じさせるその様子に、息が詰まりそうだった。

「そんなに警戒しなくても、別に君を取って食おうとはしないさ」

 声がした。

 見た目通り。少し高く、中性的な声。

 幻聴か、あるいは空耳であるかと思うより先に、わたしは納得していた。

 ああ、確かに喋るなら、こう言う声だろうな、と。

「喋れるんですね、あなた」

「うん、必要があればね」

 舌で濡らした前足で顔を洗いながら、猫は続ける。

 明日は雨だろうか。

「名前は? ……何とお呼びすれば?」

「ミネット。ミミ=ミネットとでも呼んでもらえたら」

 即答だった。準備されていたかのような返答であり、それはやけにしっくりと来るような名だった。

「君、随分と前からぼくに気付いてたね」

 ミネット。そう語った黒猫は、黒いヒゲを丁寧に前足で毛繕いしながら続ける。

「気付いてたのに、なぜぼくを追わなかったんだい?」

「こんな身体……いえ、足ですからね」

「それだけ?」

「ええ」

 わたしは答えながら、違和感を覚えて周囲を見渡す。

 本当なら、こんな風に野良猫と会話をするなんて、周囲の目が気になるものだ。けれど、周りから人はすでに、ただの一人もいなくなっていた。

「大丈夫、人払いは済ませたから」

 ミネットの尻尾が、再び揺れる。

「君に提案があるんだ」

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが音を立てた。

 警戒もしているし、恐怖もしている。ただ、それ以上にこれから聞く話は軽くない。そんな予感が、強く感じられた。

「提案、ですか?」

 風に遊ばれながら、わたしはスカートの裾を直すように太ももへ手を置く。感覚の鈍くなったそれは、やっぱり何度触っても自分の足、という感じはしなかった。

 だから、いつの間にか足元へ近付いていたミネットが、小さく身を屈めた次の瞬間、器用にわたしの膝へ乗ってきた時も、大した重さは感じられなかった。

 ただ、猫がそこへ居座ったにしては、いくら麻痺した足とはいえ、あまりにも体温を感じなさすぎる、その違和感だけは現実のものとして感じられた。

「そう、分かりやすく言うならスカウトかな」

 だったらいきなり人の上に土足で上がるのは良くないのでは。

 わたしはそんな文句を飲み込んだ。

「ぼくは君を魔法少女……もとい、魔女にしてあげられる。大それた願いじゃなかったら、叶えてあげられるんだよ」

 まるでそれが当たり前のことであるかのような口調。

 人の願いを、叶えてあげる。

 これが仮にスカウト、そのための営業トークであるとしたら、これほど下手なものはない。

 しかし、嘘とも思えない。

「魔法……」

 わたしはその言葉を、口の中で転がした。

 魔法少女、と言ってやめたのは、わたしの年齢を考えてだろうか。確かに、少女というには27歳は若くない。

 だがそれ以上に、魔法を信じられるほどの年齢ではない。

「奇跡とか、救済とか。わたしの境遇に対する……そういうものではないんでしょうね」

「勿論」

 あっさりと、ミネットは告げた。

「君の足は、君が人生の中で負った怪我だろ。それに対して奇跡も救済も、無いに決まってる」

 分かっている。言われなくても。

 わたしのこの怪我、障害は別に誰かのせいじゃ無い。ただ、強いていうなら運が無かっただけ。

 だから、自分の中で整理のついていることを無遠慮に踏み荒らされても、大した苛立ちは覚えない。

 そういう風に、自分を納得させて、そして納得させ終わったのだ。

「魔法はあくまで"便利な道具"だ。それをミラクルだ、ファンタジーだと表現するのは、ぼくに言わせるならナンセンスだね」

 道具。

 わたしは黙って首を縦に振る。

「そして、願いを叶えるためには対価が必要になる」

「例えば?」

 わたしは魔法や願いを叶えてくれるという、魅力的な言葉よりも、そのことに意識が向いた。

 対価。それは代償と言っても良いだろう。

 ミネットは、そこで少し驚いたように目を見開いた。だが、すぐに元の調子に戻る。

「例えば、か。じゃあ、少し昔話をしようか」

 そういうと、ミネットはわたしの膝上で座り直した。今やすっかり、人の足を都合の良いクッションとでも思っているかのような振る舞いである。

「以前、奈野舞華という少女がいた」

 当然、聞いたことのない名前だった。

 わたしは相槌を打たず、その代わりに話を頭の中で整理することに努めた。丁度、ややこしい約款を説明されながら、何とか頭で理解しようと努める時の様に。

「君たちの世界でいう高校生の彼女は、魔法少女になって数ヶ月だった。けれど、願いによって与えられた固有魔法の使い方に長けていた。……というより、応用が利いたのかな。戦闘面でも頭ひとつ抜けていたし、ドロップの管理も慎重だった」

「……だった、というのは?」

 嫌な予感。というより嫌な確信を持って、わたしは続きを確認した。

 その言い方では、まるで。

「魔物に不意を突かれた。今はもういない」

 死んだ。

 その言い方は、淡々としていた。

 残酷さを紛らわせるための配慮も、感情的な演出もなく。ただただ、事実を述べるように。

「彼女のミスでもあり、そして、彼女に新人魔法少女……というにはちょっと年齢がいきすぎてはいたけれど、その教育を任せた僕のミスでもある。全く、勿体無いことをした」

 それはパートナーを失った悲しみというよりも、道具を誤って壊してしまったことへの後悔、というような言い方だった。

「彼女が願ったのは、不仲な両親の仲を良くして欲しい、ということだった。そして、その願いは聞き届けられた。実際、彼女がドロップを焚べ続けている間は、両親の仲は嘘のように良くなったらしくてね。いつも嬉しそうに言っていた」

 ふ。と、冷たい風が足元を吹き抜けた。日も気が付けば落ち始めている。夕焼けが建物の隙間へ潜ろうとして、ミネットの影がわたしの身体へ這い上っていた。

「だが対価として、今度は彼女自身が両親から嫌われた。娘が邪魔になった、というような生易しいものじゃない。蛇蝎の如く嫌われたし、虐待も受け始めた」

 それでも彼女は良かったんだろうね。

 ミネットは金色の目を細める。

 わたしは、ただ黙ってその話を聞き続けた。

 両親が愛し合って欲しい。そう願うことの代償が、自分を愛してくれないなどとは、随分と本末転倒である。それでは意味がないような気がする。

 だから、魔法は道具、なのだろう。

 生活を楽にするために家電を買う、電気の消費量が増え、結果としてそれを支払うために仕事をしなければならない。

 等価交換とでも言うのだろうか。

「次に、黒川あかり、ひまり」

「……姉妹ですか?」

「ああ、双子のね」

 彼女たちも確か、高校生だった。ミネットは思い出すように目を少し閉じた。

「彼女たちも、自分の願いを叶えるために魔法少女へとなった。奈野舞華ほどの才能はなかったけれど、二人で力を合わせることで、何とかやっていた」

 防御。固定。

 それが彼女たち、黒川あかり、そして黒川ひまりの固有魔法というものらしい。

「ただ、結局は魔法少女を辞めてしまった。その新人魔法少女の説得によって、ね」

「辞めることもできるんですね」

 重要な点だと思い、わたしは聞いた。

「てっきり、死ぬまで戦い続けないといけないとか、ドロップ? でしたっけ。それを支払わないと死ぬとか」

「そんなことはない。辞めるのも簡単だ。ただ、自分の願いにドロップを焚べなければ良い。誰が言ったか、願いとは焚き火のようなものでね」

 それは言い得て妙な例えだった。だとすると、ドロップとやらは薪で、ミネットのような存在は、あくまで着火をするための火種、だろうか。

「無名の魔法少女もいた」

「それも何かの対価によるものですか?」

「いや、単にぼくが記憶に留めておくほどの価値もないと判断しただけだよ」

 その言い方に、少し背筋に冷たいものが走った。

「彼女の願いは、いじめられないようになりたい。だった」

「対価は?」

「他の魔法少女が苦労して手に入れたドロップでしか、願いを継続することが出来ない。だから、誰かから結局は奪うしかなくなる。結果、彼女は魔物よりも他の魔法少女と戦うことの方が多かったみたいだよ」

 わたしは、息を止めていたことに気付き、慌てて深呼吸をする。

「と、まあ」

 ここでミネットは昔話を区切った。

「ぼくはこれまで、こうやって詳しい話をすることをしなかった。願いに対価がついて回ることなんて、どう考えても常識だと思っていたし、それよりも契約をすぐにしてくれそうな中学生や高校生、そのくらいの歳の子を狙う方が効率的だと思ったから」

「違ったんですか?」

 倫理観や道徳。この生物にそれらが備わっているとは思えないが、それを無視するなら、1番効率的だろう。

 耳障りの良い言葉で取り繕い、願いを叶えるとの甘言で釣る。

「それだと契約はしてもらえても、結局すぐにリタイアしてしまう子が多くてね」

 だから、方針を変えた。

「まず、ぼくが出せる情報は全て伝える。聞かれたことにも正直にね。それと、年齢層を引き上げてみようと思ってね」

 ミネットは、そこで言葉を切った。

「だから質問があるならどうぞ? ぼくも成人した女性を当たるのは、さっき言った新人魔法少女の彼女を含めて二人目だからね」

「そう、ですか。……では」

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