音楽の救い或いは祈りの音楽

@K_rice

第1話 或る中年男の救い

 ゲリラ豪雨の夜だった。

建設現場の作業員、剛田源ごうだげんはグッショリと濡れた作業着をまとい、いかにも不機嫌そうな顔で帰宅した。ガラガラと、若干建付けの悪い引き戸を開ける。


 ただいまを言う家族はいない。

源は両親が遺したこの平屋で、三十路も半ばすぎて独居だった。


 作業服を洗濯機に投げ捨てるように放り込み、冷水のシャワーを浴びた。

季節は真夏。豪雨も相まって、不快な湿度が益々彼を苛立たせた。


 タンクトップとトランクス姿で、リビングにある2人掛けのソファーにどっしりと腰かける。缶ビールを開け、スーパーの総菜をつまみに晩酌を始めた。


 TVはつけない。スマホも、殆ど使うことは無い。

そもそも源は無意味な騒がしさが嫌いだった。彼は静寂を好んだ。

雨の音だけがする中、部屋の隅を見つめ淡々とビールを飲んだ。


 その視線の先には、スタンドにかけられた一艇いっていのチェロが鎮座していた。

無骨な男の家には、とてもそぐわない。


 ほろ酔い加減になると、源はおもむろにチェロを調弦し、弓を張って松脂を付けた。

瀧廉太郎の『荒城の月』が豪雨の音の中、静かに奏でられた。


 チェロは亡き祖父の遺品で、源はそれを奏でることがいつしか習慣となっていた。

独学で弾くそれはお世辞にも上手くはなく、時折キーキーと耳障りに鳴り響いた。


 仕事に情熱はない。只々生活のためだけに毎日現場仕事に従事する毎日。

この時間だけは、孤独な中年男の唯一の安らぎだった。


 別に、祖父に特別な思い入れがあるわけではない。

ただ純粋に、この無味乾燥な生活の中でチェロを弾くことが、源を救ってくれた。


 カーテンの向こう側、平屋の庭には、手入れのされていない雑草が生い茂っていた。

そこに隠れる人影に、源はその時気付きもしなかった。

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