マルボロのキスの味

彼方夢(性別男)

マルボロ

 ベッドに押し倒された涼宮。彼女は反射的に自身を押し倒した大村友樹から目線を反らし、気分が高まってくるのを徐々に感じる。

 友樹の息からは先ほど彼が吸った煙草の匂いが、涼宮の鼻腔をくすぐる。

「ねえ、そろそろ。いいかな?」

 いよいよ、自分たちの関係が一線を越えるのだと感じると、緊張から身体が固まる。興奮と期待感が混じった不思議な体感。そんな体験を今までしてこなかったことにつくづく自分は青いな、と思ってしまう。

 

 学生時代に自然と関係が終わった。

 だけど、涼宮はずっと待ち続けていた。

 彼から託された、マルボロを片手に――


 学生のときほど、明るく、そして青く若々しいものは無い。

 将来の不安とは時に無縁で、そんなぬるま湯に浸かり自然と堕落していく。

 そして高校2年生のとき、涼宮に恋人が出来た。

 目鼻立ちが整い、背丈が高く、クラスの人気者。

 涼宮はあまり良く分からなかった。

 どうして自分のような人間を選んだのだろう、と。

 涼宮は根暗でコミュ障で友人なんて一人もいなかった。

 だから、告白をされたとき彼は誰かから脅されていたり罰ゲームを受けていたのではないかと思った。


 電車の車内で彼は熱心に涼宮に話を振ってくれた。だがそれにも「うん」とか「えっと…」で言い濁るだけで碌な返事は出来なかった。

 しびれを切らされるだろうか。そう思ったが彼はずっと笑っていた。

 なんて優しい人なんだろう。

 彼が乗った電車を見送って胸をなで下ろした。

「はあ。緊張する……」

 涼宮のどういうところが気に入ったのだろうか。

 未だに分からない。


 翌日。高校の下駄箱で上履きに履き替えようとすると激痛が走った。

 痛みから歯ぎしりをする。

 恐る恐る上履きを見てみると中に画鋲が貼り付けられていた。

 ゾクッと鳥肌が立った。

 どうして私が? 

 虐められるようなことは何もしていないはず。

 けらけらけら。すぐ側で笑い声が聞こえた。その方向に目線を遣るも誰も笑ってはいなかった。

 複雑な気持ちになる。

 疑心暗鬼になってしまい、とても気分が悪い。

 足が震えてうまく立てない。

「涼宮? どうした?」

 友樹が声をかけてくれた。すると怪我をしたのを察してくれたのか背中に涼宮を背負って保健室へと目指してくれる。

 あえて、だろうか。何があったのかは聞いてこなかった。

 代わりに「俺が付いているからな」と言ってくれた。

 保健室には誰もいなかった。

 友樹が涼宮をベッドに横にならせる。

「付いてやりたいけど、俺、授業あるから。ワリィ」

「ううん。いいの」

 すると扉が開いた。調子の良い男子生徒の声が聞こえた。

「よぉ。先生いる? って、友樹じゃん」

 友樹は自然にカーテンを閉めて結城を見えないようにした。

「どうした?」

 友樹の言葉に男子生徒は笑う。

「そりゃあこっちの台詞だって」

「……ちょっと風邪でさ」

「気を付けろよ。最近風邪流行っているからな 」

「おう。ありがと」

「あ、あとさ。お前、最近恋人出来たんだって?」

「うん。嬉しいことにな」


「あいつ、辞めといた方がいいぜ」

「は?」


「ほら。バスケ部の明堂先輩いるだろ。そいつのセフレなんだってさ。変わっているよな。明堂先輩」

「…………どういうことだよ」

「他にも悪い噂がたんまりあるんだよ。悪いことは言わねぇ。あの女は辞めておけ」

 もう耐えられなかった。言われもない悪口を吐かれて。それを恋人に聞かされて。涙が止まらなかった。

 するとチャイムが鳴った。

「じゃあ、考えておけよ」

 男子生徒が去っていったのだろうか。友樹は溜息をついて、カーテンを開けた。

「閉めて」

「なんで」

「こんな姿、好きな人に見られたくないから。察してよ!」

「ごめん」

 彼は立ち去ろうとしたとき一言残した。

「君の変な噂を更々信じるつもりはないから」

 扉が再び閉まった。

 涼宮は号泣してしまった。


 翌日。高校に登校したとき今度は上履きが無くなっていた。

 その上履きの代わりに一通の手紙が入っていた。

『あんたに友樹くんは不釣り合い。消えろ』

 そんな誹謗中傷に為す術が無かった。


 そして、不登校になった。


 朝、カーテンを開けることすらせず、布団でずっと横になっていた。

 そうしたらノックが鳴った。

「お友達が来ているわよ」

 母の声だ。そんな母の声が今は鬱陶しく感じた。

 玄関から外に出ると友樹がいた。

「学校休んでるよな」

「うん……」

「もう学校来ないのか?」

「分からない。もう、どうしたらいいのか」

「……実はさ、俺再来月転校するんだ」

「は、へ?」

「その前にお前にプレゼントを渡したいって思ってる。だからこれは俺の勝手な希望なんだがな、学校に行ってくれないか?」

「どうして?」

「お前が虐められていることは分かってる。だけど、お前と一緒に楽しい学園生活を送りたいんだ」

「……」

「これは俺のただの我が儘だ。無視してくれてもいい」

 涼宮は俯いた。

 一体何が正解なんだろうか。

 でも、分かった。やるだけやってみたい。頑張れるだけ頑張りたい。


「分かった」


 それから彼と毎日高校に登校した。

 陰口や惡口をずっと我慢した。

 その果てに、訪れてほしくない日が訪れた。

 彼の転校日だ。


 友樹は親の都合で東京から九州の高校に編入するらしい。

 成田空港で、彼から一つの赤い箱を渡された。

「大人になったらまた再会しよう。その時はこの煙草を俺に返してくれ」

「どうやって煙草を?」

 彼はいたずらが成功した子供のような無邪気な笑みを浮かべた。

「親父からくすねたんだよ」


 そして彼と別れた――


 十年後。とある商社で部署異動があった。そして何名か中途も入ってくるらしい。

 営業部はそのせいで朝から忙しかった。

 そしたら朝礼の際、五人の社員が前に立った。

 涼宮は目を見開いた。

 そこにいたのは大村友樹だった。


 夜。親睦会終わり。二次会をやるかやらないか決めかねている社員を遠巻きに見ていた涼宮。

 足元はふらつき酔いが回っている。


 すると肩を優しくたたかれた。

 叩いた人物は友樹だった。

「すみません。ちょっと酔ってきたのでここで失礼します!」

「あっ、私も。失礼します」

 友樹と共に歩いた。

「お前。涼宮だよな?」

「うん。友樹くん」

「……ちょっと寄りたいところがあるんだけど、いいかな?」


 ホテルに入る。

 涼宮が友樹にあの時渡してくれたマルボロの煙草を渡す。

「持っていてくれたんだ」

「う、うん」

 彼はそれに火を点け、紫煙を吐き出した。

 そして、涼宮にキスをした。


 そのキスはマルボロの味がした。

 

 

 

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マルボロのキスの味 彼方夢(性別男) @oonisi0615

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