トレード・シン

虹雷

第1話

「お兄さん…。湖に沈む跳ねない石ころのような顔をしているねぇ。」

 彼は、意味不明だがなんとなく馬鹿にされている事だけは分かる例えを、遠慮なく初対面の私に向けてきた。

「…そんな顔してますか。私。」

 たしかに、今日は会社で酷い目に遭った。出来ない約束をした。それが、そんなに顔に出ているだろうか。…ただ、行動に出ている自覚はある。普通、こんな怪しい男に相談しようとは思わない。

「ああ…。もしくは、車の灰皿の奥底に眠る1円玉か…。あるいは…便器のシミ。」

「最後だけ直接的に酷くないですか。」

 眼の前に座る占い師…と思われる人物は、深々と魔法使いのようにフードを被り、時代錯誤の装飾がなされたマスクをして、二重のぱっちりと開いた眼だけをギョロギョロと動かし、私のことを観察しているようだった。足元には、『占い・めっちゃ当たる』と書かれてる手作り感のある立て看板がかろうじて自立している。

「ワタシが言いたいのはね…。キミは自ら、救われない状況になっているという事だよ。」

 男は、いきなり芯を食ったような言葉を放った。それは私の心にズン、と響いた。

「…そういうの、適当に誰にでも当てはまるような事をそれっぽく言ってるだけでしょ。知っていますよ、そんな手口。」

 私は、今日起こったことのフラッシュバックと動揺を抑えつつ、反撃を試みた。

「ははは。そう思う?わずかに揺らいだ身体、泳ぐ目線、ワタシが見逃すと思うかい?」

 お見通しか…。我ながら、感情が表に出やすいタチに自己嫌悪になる。

「まあ、そう警戒なさんな。取引をしよう。あんたの悩み、全て吹っ飛んじまう画期的な取引さ。」

「元々ヤバかったうさん臭さが天元突破しましたね…。」

 なんだろう。この人は、わざとこちらを警戒させているのだろうか。そんな怪しい取引に引っ掛かるほど、私はやられてしまっている訳じゃない。彼はそんな内心を見透かし、楽しむような眼で私を真正面から見据えている。

 そして、ゆったりとした動きで、勿体つけたように足元の看板の背後に隠してあった『それ』を机の上に置いた。


「あんたの『しん』、売っておくれよ。」



 眠い。春の陽気に乗じてひたすらに眠気が襲ってくる、昼の事だった。

 私は、徹夜して作った資料を上司の山本に提出し、そのフィードバックを待っていた。手持ち無沙汰になった私は、スマホでなんとなくニュースを見る。手軽に世間と繋がれるそれは、もはや手癖になってしまっていた。

(相も変わらず、誰が炎上だの、日本の未来が不安だの…毎日飽きないな、こいつら。)

 そして、そんな記事に群がる野次馬たち。何故、見ず知らずの人に対して平気で暴言を吐けるのかが不思議でたまらない。そんなことを考えつつ、指を動かしていると。

「原くぅ~ん。ちょっと。」

 スマホの中で騒ぐこいつらと、デスクの向こうで手招きする山本が重なった。


「原くんさぁ~。そんな企画じゃ全くバズらないよ。本当に使えないね。キミ。」

 山本のデスクに到着したら、開口一番これであった。私は申し訳ございません、と言いながら頭を下げ、機械的に身体を90度に折り曲げた。もう何度も繰り返した工程。慣れたくなくても、慣れてしまう。そんな私を横目に、山本はわざとらしくため息をつく。

「はぁ…。まぁ謝る姿勢だけはご立派だけどね。仕事に対する姿勢も、無駄に。」

 私は顔を上げられないまま、上司が乱雑に机に放った資料を、わずかに震える指先で拾い集めた。昨日、徹夜で作った資料。弊社に所属しているタレントの営業先の候補と、企画内容についての提案。頭と精神を絞って出た、その残滓。

「原くん。例えばこの企画。カリンちゃんがA県に行って農業体験…。うん。良いよ?良いけど、普通過ぎるの!何遍もテレビや動画サイトで擦られてきた企画!」

「…でも、この企画のウリは真剣に農業に向き合って、土づくりから種まき、収穫まで体験するというところであって…。」

「何か月かかると思ってるんじゃ!いくら底辺アイドルでもそんな暇じゃないわ、ったく…。」

 以前、テレビで多忙な売れっ子アイドルが大規模な農業の企画をやり遂げていたところから着想を得たのだが、伝わらなかったのだろうか。もっと丁寧に説明を…。そう思って口を開きかけたところだった。

「あのね。何度も言ってるんだけど。今の時代、パッと一目で面白さが分かりやすいものを、ガッと量産しなきゃ駄目なの。パッ!ガッ!よ。分かる?」

 これは、山本が企画について指導する時の口癖であった。パッ、ガッ。

 確かに、それは正しい。利益を上げるうえでは。だけど、やり方が気に食わない。

 この山本の企画は、タレントの意思を全く考えていないダーティなものばかりである。地下ライブでの過剰なサービス。過激なチェキの高額販売。貸し切り個室での密談できる権利。今の時代、炎上してもおかしくないのだが、タレントもなりふり構っていられないレベルなので、内部告発などもない状態だ。「本当にさぁ…。なんでこんなに使えねー企画ばかり思いつくかなあ。逆にすげーよ。大体…。」

 山本は、ここぞとばかりに罵倒の言葉を並べ続けている。私は、それを必死に耐えていたが…。心の奥底から、マグマのように沸々と熱いものが煮えたぎる感覚が生まれていた。

「ほら。このクソ資料、シュレッダーかけてこい。」

 ぱさ。

 宙を舞う資料がただの紙になった瞬間、私の中の譲れないものが火を吐いた。

「何がクソだよ…。」

「あ?」

 山本と、今日初めて目が合う。絵に描いたような陰湿そうな顔つき。

「クソなのは、お前の腐れ外道企画の方じゃねえかあああああああ!!」



「ククク。どっちも赤ちゃんじゃん。それで?」

 占い師が、大きな眼で笑いの表情を作りながら話の先を促す。机の上に置かれた『それ』は美しい曲線のシルエットに淡く怪しい光を反射していた。

「…取っ組み合いの喧嘩になって…。部長が仲裁に入ってくれました。そして、一つの提案をしてくれたんです。」

 私は、メタボ体系をたぷたぷ揺らしながら慌てて走ってきた部長の姿を思い出した。

(原くんと山本くんの言い分はよく分かった!うん。どっちも言いたいことはよ~く分かる。そこで!)

「企画の話は、企画で決着をつけよう、と。明日、企画コンペを行い、そこで各々の魂の籠った企画をぶつけ合って、より優れた企画を出した方の勝ち。以後、やり方に文句を言わない。って。」

「アハハハ!部長もやり手だね。それで、丸め込まれた訳だ。」

 占い師は、他人事だと思ってケラケラ笑いながら私の話を聞いていた。ただ、不思議と不快な感じはせず、私の出来事を笑いごとにしてくれて、気持ちがすっとするのであった。

「…で、どうすんの。勝てる企画。あるの?」

 痛いところをついてくる。精神的に負荷がかかった時に、心にズシンと来るようになったのはいつからだろう。

「ぶっちゃけ、無いですけど…。そろそろ、良いでしょ。説明して下さいよ、それ。」

 私は、テーブルの上に置かれた『それ』…壺のような物体を指さした。闇を研ぎ澄ませて器にしたような黒い陶器は、中を覗き込むと吸い込まれてしまいそうな迫力があった。

「ああ、すまんすまん。そこまで深く聞くつもりは無かったんだけど、お兄さんの話が面白くてな…。よし、説明しよう。こいつは『しん』を吸い取る壺。『しんきゅう』だ。」

 占い師は、どうだ、と言わんばかりの表情だが…。

 いやいやいや。

「全く意味が分からないんですけど?」

「ククク。まあ聞け。『しん』というのは、一言で言えばその人の『核』だ。と言っても、心臓のような物理的なものじゃあない。人格を形成している、核となっている『概念や記憶』…。と言ったら分かりやすいかな。」

 概念や記憶…。しんきゅうは、それ吸い取る?

「だから、『しん』が吸い取るものは、人によって違うんだ。これまでに吸い取った例を挙げるとだな。子持ち一家のお父さんからは、家族の記憶。お寺の和尚さんからは、仏教の信仰。」

「ちょ、全部無くしちゃいけないものじゃないですか!」

「いやいや。実は悪い例ばかりじゃない。元いじめられっ子は、いじめの経験を吸い取って、良い方に人生を持ち直したこともあるよ。」

 なるほど、と思った。核となっているモノは、人によって違う。そして、それが良いモノばかりではない。悪い経験や思い出がその人にとっての人格形成の核になってしまう事がある。しんきゅうは、それを吸い取ってしまうという事か。

 システムが理解できたところで、当然の疑問が湧いてくる。

「あなたは、私の『しん』を売ってくれ、と言いましたね。これはどういう…?」

「ククク。結論。ワタシは『しん』を集めている。どうしようも無く厄介で、輝きを秘めた…質の良い『しん』をね。」

「…私が、それを持っていると?質が良いとは…?」

「まあ、実のところそれは分からない。ワタシはこいつが導いてくれる人の『しん』を吸い取るだけ。良いかどうかは、こいつが判断するのさ。」

 占い師は、夜の闇に溶ける漆黒のソレをポンポンと叩く。

「…大体、分かったような気がします。あなたは、お金と引き換えに『しん』が欲しい。私は、私の何か大事な物を失う代わりに、お金が貰える。そういう取引ですね?」

「話が早くてイイネ。」

 …ばかげている。

 人格形成の核となった何かを失う?とんでもない。それが愛する両親や兄弟、友達との思い出だったらどうなる。残りの一生を後悔して過ごすことになる。大体、しんきゅうとかいうこの壺の効果が本当にあるのかも怪しい所だ。

「ククク。今、疑っているね?」

「…当然でしょう。」

「そこで、だ。あんたにはしんきゅうを使う大きな動機がある。仕事のことだよ。」

 仕事。そのワードを聴いた瞬間、ドクンと心が跳ねる。

「…仕事が何だっていうんです。」

「明日のコンペ、勝つまではいかなくても、周りを見返すくらいの実力を示さなきゃダメでしょ?ああ、ダメっていうのは本当の意味で『ダメ』。人生ごと狂っちまうでしょ?」

 …確かに、占い師の言う通りだ。部長を巻き込んでの騒動になってしまった手前、良い企画が出来なかった場合はすみませんで済む問題じゃない。その後、山本にいびられ続けてみじめな生活を送るか、それに耐えきれなくなって自主退職か…。どちらにせよ、暗い未来しか見えない。

 かといって、このままの自分で良い企画を生み出せる自信は全くない。冷静に思い返してみると、アイドルが農業をするとかいうパクリ企画を残業してまで考えた自分が嫌になってくる。

 待てよ。このままの自分…。

「気づいたようだね。」

 私は、ハッと顔を上げた。いつの間にか壺とにらめっこしながら深い思考に陥っていたらしい。

「良くも悪くも、こいつを使えば自分を変えられるよ。あんたの思考を邪魔している何かを、消し去ってくれるかもよってこと。」

 私が丁度考えていたことを、占い師が言語化した。全く、人の心の中にずかずかと入ってくる奴だ…。

 気が付けば、夜は更けていた。大きな決断をしようという時に、晩飯はどこで食べよう、終電は大丈夫か、という思考がノイズのように遮ってくる。

「ほら。決断は早い方がいいよ?コンペの時間は待ってくれない。」

 いつだって、私はそうだ。集中しなければならない時に限って…。どうでもいい事を考えて、逃避する。その方が楽だから。

「自分を変えたいだろう?」

 そして…結局、何となく口から吐いてきた、その時々の正しい言葉に身を任せてしまうのだ。

「あー…金額は?」



(原一木、新規芸能プロダクションを旗揚げ、か。いやあ…。ここまで上手くやるとはねぇ。)

 占い師は、都会の喧騒から離れた路地裏で、一人ほくそ笑む。

(まさか。彼が大切に抱いていた『しん』は、『正義の人間であること』だったとはね。)

 彼から聞いた話を思い返してみる。彼の行動基準は、改めて分析してみると『正しさ』であると言えた。その正しさは、彼自身の勝手な物差しだったように感じる。

 立派に謝る姿勢を見せ。真っ当な企画を考えて。クソ上司と戦って。

 見方を変えてみると、原くんは、謝り方だけお上手な使えない部下なんじゃないか?上司は、どうしても稼ぎたいタレントたちに、ギリギリ倫理観の許せる範囲の仕事を与えてあげていたんじゃないか?…まあ、言葉遣いは褒められたものじゃないが。

 そして、原くんはしんきゅうに、彼の『しん』である『正義』を吸い取ってもらった。これによって残ったのは、彼の『狡猾さ』であった。それは意外な事では無かった。正義であり続けられる才能を持っているという事は、常に有利なポジションを見極め、位置し続けられるということだ。それは『狡猾』以外の何物でもない。そして、正義から解き放たれた原くんは、持ち前の狡猾さを存分に生かすことができ、成功を収めることができた。

 まあ、いくら狡猾でも企画の才能が無ければ意味が無いのだが…。ダガが外れて面白い企画を考えることが出来たのか?それとも…。

 これ以上は、考えるのはよそう。ワタシにとっては終わった事だ。ククク。


 …さて、次の仕事の時間だ。


「お兄さん。石ころに躓いちゃったようだねえ。人生を変える『しん』、買っていかないかい?」 

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