第27話

 プロポーズから半年後。

 ついに、その日はやってきた。


 王都は早朝から、お祭り騒ぎだった。

 空には祝砲が鳴り響き、大通りには花びらが舞い、国民たちは「宰相閣下、万歳!」「シャロ様、万歳!」と熱狂している。


 ……そう、今日は私の結婚式だ。


「……ねえ、マリー。私、一つだけ確認したいことがあるの」


 王城の特別控室で、私は純白のドレスに埋もれながら、虚ろな目で呟いた。


「はい、何でしょうお嬢様。リップの色がお気に召しませんか?」


「違うわ。……私は確か、『結婚式は身内だけで、地味に、静かに行いたい』と要望を出したはずよね?」


「はい。確かに伺いました」


「じゃあ、外の『建国記念日レベルの大騒ぎ』は何? 記念硬貨まで発行されてるって聞いたんだけど」


 マリーはにっこりと笑い、仕上げのパウダーを叩いた。


「諦めてください。新郎が『国家権力のすべてを使って、君を世界一幸せな花嫁にする』と張り切ってしまった結果です」


 私はガックリと項垂れた。

 頭に乗ったティアラ(国宝級)がズシリと重い。


 あのアレクセイ様は、私の「地味婚」の希望を、「分かった。では『宇宙規模で見れば地味』なレベルに抑えよう」という謎の解釈でねじ伏せたのだ。


 招待客は千人。

 料理は大陸中の有名シェフを招集。

 ウエディングケーキは高さ五メートル(倒壊防止の魔法付き)。

 そして新婚旅行は、公務を全て放り出しての一ヶ月間の豪華クルーズ。


「……胃が痛い。逃げたい」


「ダメです。外には近衛騎士団が『新婦護衛(逃走防止)』のために鉄壁の布陣を敷いています」


「私の旦那様、権力の使い方が間違ってない?」


 その時、控室の扉が開いた。


「準備はできたか、私の女神」


 現れたのは、純白のタキシードに身を包んだアレクセイ様だ。

 普段の黒衣も似合うが、白もまた破壊的に似合う。

 後光が差しているようだ。


 彼は私を見るなり、感嘆のため息をついた。


「……美しい。やはり、このドレスにして正解だった」


「閣下。……このドレス、重すぎます。生地に真珠とダイヤモンドを練り込むなんて、正気ですか? 歩くたびに筋トレをしている気分です」


「君の美しさに釣り合う素材が、それしかなかったんだ。我慢してくれ」


 アレクセイ様は私の手を取り、跪いて甲にキスをした。


「それに、重ければ私が支える。……いや、いっそ抱えて歩こうか?」


「お断りします! これ以上目立つことをしないでください!」


 私が抗議すると、彼は楽しそうに笑った。


「さあ、行こうか。国民が、この国の『真の支配者』の誕生を待ちわびている」


「支配者になった覚えはありません!」


 文句を言いながらも、私は彼にエスコートされて立ち上がった。


 大聖堂への回廊。

 ステンドグラスから差し込む光の中を、私たちはゆっくりと歩く。


 パイプオルガンの荘厳な音色が響き渡る。

 扉が開くと、そこには溢れんばかりの人、人、人。

 国王陛下も、私の両親も、そして……。


「師匠ぉぉぉ!! おめでとうございますぅぅ!!」


 最前列で、ハンカチを振り回して号泣しているミナ様の姿があった。

 彼女は今や、王都で大人気の「恋愛トラブル相談所」の所長だ。

 今日のドレスも自前で、洗練された大人の女性の雰囲気を漂わせている(中身は変わっていないが)。


「……ふふっ」


 緊張していたけれど、ミナ様の顔を見たら力が抜けた。

 私はアレクセイ様を見上げた。

 彼もまた、私を見て優しく微笑んでいた。


「シャロ。誓いの言葉は練習したか?」


「いいえ。アドリブでいきます」


「私もだ。マニュアル通りの言葉なんて、君には似合わないからな」


 祭壇の前。

 司祭様が咳払いをする。


「新郎、アレクセイ・フォン・クロイツ。汝、健やかなる時も、病める時も……」


「誓います。彼女の安眠と食欲を、生涯かけて守り抜くことを」


 アレクセイ様が食い気味に答えた。

 会場から笑いが漏れる。

 司祭様も苦笑いだ。


「えー、では新婦、シャロ・フォン・ベルグ。汝……」


「誓います。彼の暴走を適度に止め、美味しい紅茶を淹れ続けることを」


 私も負けじと答えた。

 これは、私たちなりの「愛の契約」だ。


 指輪の交換。

 アレクセイ様が、あの「多機能ダイヤモンドリング」の上から、さらにシンプルな結婚指輪を重ね付けする。


「これで、もう誰にも文句は言わせない」


「ええ。観念しました」


 誓いのキス。

 ベールが上げられ、アレクセイ様の顔が近づく。

 触れるだけの、優しいキス。

 でも、離れ際に彼が小声で囁いた言葉は、決して優しくなかった。


「……今夜は、覚悟しておけよ?」


 ボッ。

 顔から火が出るかと思った。

 この人、聖なる場所で何を言っているんだ。


 式が終わり、私たちは大聖堂の外へ出た。

 そこには、王城のバルコニーから広場を見下ろす大群衆が待っていた。


 ワァァァァッ!!

 地響きのような歓声。


「シャロ様ー! こっち向いてー!」

「宰相閣下、末長く爆発してください!」

「今日の祝日は最高だー!」


 私は圧倒されながらも、引きつった笑顔で手を振った。


「すごい景色だろう? これら全てが、私たちを祝福している」


 アレクセイ様が私の腰を抱き寄せる。


「……やりすぎです。でも」


 私は彼にもたれかかった。


「……悪くない気分ですね」


「そうか。なら、私の勝ちだな」


 空には、数千の風船が舞い上がっていく。

 その中の一つに、こっそりと「ジェラ」と書かれた紙が結び付けられて、遥か彼方へ飛んでいくのが見えた気がした。


(さようなら、私の波乱万丈な婚約時代。そして、こんにちは)


 これからの、もっと騒がしくて、もっと甘い、溺愛の日々よ。


 私は隣で満足げに笑う「氷の宰相」改め「愛妻家(予定)」の夫を見上げ、覚悟を決めたように笑い返した。


「さて、閣下。パレードの後は披露宴です。体力が持ちますか?」


「君のためなら、あと百時間は余裕だ」


「……そうですか。では、付き合って差し上げますわ」


 私たちの結婚式は、この国の歴史上、最も盛大で、最も型破りな式として、長く語り継がれることになるのだった。

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