第2話

再び結界の裂け目の回廊に戻り、魔物を斬り伏せながら、周囲の兵士たちは愚痴をこぼしていた。

「聖女様は何してんだよ。いつまで岩鉄を働かせるんだ」

「本当だよ。結界修復、まだかよ」

そのとき。

「……申し訳ございませんでした」

結界守備の現場に、澄んだ声が響く。

白いローブをまとい、黒髪を肩で揺らす少女が現れた。

北裏日陰(きたうら ひかげ)。

十代後半ほどの年齢で、透き通るような白い肌と、静かな瞳を持つ、日本の結界の聖女だった。

「関東周辺の都市を解放するため、各地を転戦しておりました。ようやく、結界修復のために戻ってまいりました」

兵士たちは歓声を上げた。

守人も声を上げていた。

これで、戦いだけの、地獄の日々は終わる。

心の底から喜んだが、日陰の次の言葉が、その希望を打ち砕いた。

「結界修復には、強力な魔物のエネルギーコア、もしくは、大量の魔物の波動を浴び続けた人間の心臓に形成されるエネルギーコアが必要です」

日陰は守人を見つめた。

「岩鉄守人さんの心臓には……すでにエネルギーコアが形成されています」

前線の兵士たちの視線が、守人に集まった。

「それを取り出せば、岩鉄さんは死にます。ですが、結界は修復され、その範囲も広がり、東北・北陸・中部まで一気に魔物から解放できます」

北裏日陰の静かな声が、前線の空気を凍らせた。

次の瞬間、兵士たちの間にざわめきが走る。

「ま、待ってくれよ……守人を犠牲にするなんて、そんな……!」

最初に声を上げたのは、若い守備兵だった。

彼は顔を真っ赤にし、拳を握りしめていた。

「そうだ! 二年間も戦ってきたんだぞ! ここで死なせるなんて、あんまりだ!」

別の兵士も続く。

その声には怒りと動揺が混じっていた。

しかし――その反対側で、別の声が静かに漏れた。

「……でもよ。結界が修復されて……関東だけじゃなく、東北も北陸も中部も一気に解放されるって、とんでもないことじゃねえか?」

その言葉に、周囲の兵士たちが息を呑む。

「俺たちも、この湾岸の守備から解放されるってことか?」

「家族のいる地域も、救われるかもしれない」

「魔物の侵攻が止まれば、避難民も戻れる」

希望の言葉が、ぽつりぽつりと漏れ始めた。

だが、それは全て、守人の死を前提とした希望だった。

若い兵士が震える声で言った。

「守人の家族は、知ってるのか?」

「はい。納得してくださっています」

「でも、守人を犠牲にするなんて、そんなの……」

「犠牲にするんじゃない。本人が選ぶんだよ」

中年兵士が低く言った。

その目は、守人を見ていない。

遠く、結界の光を見つめていた。

「どうするべきかは、守人が決める。国のために、人々のために、二年間不眠不休で戦ってきたんだ。俺達には何が正しいかはわからないが、守人なら正しい選択ができるはずだ」

その言葉に、周囲の兵士たちが静かに頷いた。

「守人なら、国のために……」

「二年間も戦ってきた英雄だ。最後まで……」

いつの間にか、兵士たちの視線は守人に集まっていた。

「死んでくれ」とは誰も言わない。

だがその目は、明確にそれを期待していた。

(戦友だと思ってたのは、俺だけだったか……)

先ほど見た、友人カップルの写真が頭によぎる。

(親も友人も……初めから、どこにも味方なんていなかったんだな。馬鹿だな、俺は。終わりまで気付かなかったなんて……)

日陰が何か言おうとしたが、守人は静かに首を振った。

「……わかりました。殺してください」

兵士たちは誰も声を上げなかった。

ただ、安堵とも罪悪感ともつかない、複雑な沈黙が前線を包んだ。

日陰は、かすかに眉を寄せた。

「嫌です。殺すなんて、汚いですし」

「……は?」

「どうせなら、徹底的に魔物を殺して、疲れ果てて、魔物に殺されてください」

守人は呆れたが、日陰は真剣だった。

「行きましょう。裂け目の外へ」

結界の外は、黒い霧が渦巻く荒野だった。

日陰は守人に手をかざし、淡い光をまとわせる。

「最近覚えたスキルです。ホーリーウェポン……効果が持続している間は、武器が絶対に壊れず、聖属性の追加ダメージが付与されます。直接攻撃だけに効果があるので、前線ではあまり役立つことはなかったのですが、岩鉄さんの戦闘スタイルなら効果がありますよね」

守人は二連撃必殺のスキルを使うために、剣で直接攻撃をしているが、守人以外の人間はわざわざ魔物に直接攻撃は加えず、安全圏から遠距離攻撃をする。

「魔物が出現したばかりの時とは違って、今は色んな対魔物兵器が出てきたからな。高いらしいけど。この剣一本で戦ってきた俺には、ぴったりの補助だ。ありがとう」

「お役に立てて何よりです」

「ここまでやってくれれば十分だ。危ないから聖女様は結界の中に戻ってくれ」

「日陰です。聖女も体育会系なので、年下の自分は名前で呼んでください」

「えーと、日陰さん、戻ってくれ。危ない」

「嫌です。戻りません。あそこの皆様の、岩鉄さんに犠牲を強いる言い方には虫唾が走りました」

「みんな自分の大切な人のために戦ってるんだ。仕方ないだろ」

言いながら、早速現れた半魚人を、守人が剣で切りつける。

半魚人は素早い動きで上体を逸らし、切っ先が掠る程度になったが、次の瞬間半魚人は不気味な声を上げて絶命し、塵となって消えた。

「やっぱり! このスキルを授かった時に思ったんです。岩鉄さんの二連撃必殺のスキルと相性がいいんじゃないかって。是非試してみたかったんです!」

「なるほど。一撃ダメージを与えれば、同じ部位に聖属性のダメージが入るから、俺の必殺の条件を満たすことになるのか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る