第24話
24、追悼
八木が調査報告書に大心のことを掲載したことは意外に大きな反応があり、死んでいると思い込んでいた大心がまだ生きていたことがわかり、会えたことは大きな収穫だった。線刻磨崖仏に大きな人間ドラマがあったことを知ることが出来たのである。ただまだ生きていることがわかったからには、これ以上彼の人生について公にすることは控えなくてはいけないと感じていた。
今日は発掘作業もないし、庁内の部屋で調査した記録の整理でもしながらゆっくりしようと考え、福井新聞という地方紙を広げた。1面には北朝鮮のミサイル発射実験のことが掲載されている。2面、3面と眺めていき、途中のお悔やみ欄で目が点になった。
「坂本大心さん(さかもと・だいしん)102歳 若狭町常神2-5 15日死去 通夜17日午後6時 葬儀18日午前10時 場所 若狭町常神2-5自宅天現寺にて 喪主 常神区長」
と書いてある。つい先日訪問した坂本大心さんが死んだのだ。車いすに乗ってデーサービスを利用していたが、まだまだお元気で意識もしっかりしていた。しかし年齢が102歳だから何があってもおかしくはない。とりあえず杉下に連絡をしてから考えようと携帯電話を持った。杉下もお悔やみ欄を見ていたようで
「先生、大心さんがお悔やみ欄に載ってましたね。」
と言うと杉下は
「ああ、そうだね。僕も今新聞を見て驚いていたところだよ。それにしても急だったね。ついこの間訪ねて話を聞いたところだったからね。」
驚きを隠せない話しぶりだった。
「お葬式、行ってみませんか。天涯孤独だと思われていた大心さんに身内がいたなんてこともあるかもしれませんよ。」
と探偵になったような気分で八木君が話すと
「ここまで調べたんだから最後まで調査を遂行することにしよう。」
と杉下も同意した。
今日の夕方の通夜よりも明日の葬儀の方が関係者からいろいろ話が聞けるかもしれないと思い、翌日の朝早くに車で行くことになった。
翌日は朝から快晴。2人は7時に役場前に集まり杉下の車で常神まで出発した。杉下のステーションワゴンは紺色で高速道路の路面に吸い付くように滑らかに加速していく。しかし車内には白黒の喪服スーツを着た男2人が沈黙を保ったまま前方を眺めている。
北陸自動車道から舞若道へ、さらには若狭インターからは三方五湖の湖畔を走り、最後は日本海に沿った断崖絶壁の道を進んで常神の集落についた。お寺の前の広場は葬儀で込み合っていると思い、港の岸壁近くの大きく空いた広場に車を停めて歩いて寺まで行くことにした。しかしまだ8時半なのでしばらく外の景色を楽しんだ。快晴の空はどこまでも青く、目の前の港の海は穏やかで濃い紺碧が自然の豊かさを教えてくれる。穏やかな波は太陽に照らされきらきらと白く光っている。
「僕もこんな天気の日に死にたいな。天に召される記念すべき日をお祝いしてくれているみたいだと思わないかい。」
杉下の言葉に八木は返答に困っていたが
「早く死にたいとは思いませんが、雨や雪のお葬式よりはこんな晴れやかなお葬式の方がいいですね。櫻なんかが満開の4月の初めもいいかもしれません。」
と返した。今日は7月の初めだったので櫻は終わっていたが、山には青葉が茂り生き生きとしている。
開式1時間前になったので寺に向かって歩き始めた。途中参列者と思われる喪服姿の男女が歩いているところに遭遇した。彼らの方から
「お葬式に参列ですか。大心さんとはどのようなお付き合いだったんですか。」
と聞かれた。八木くんは少し驚いたが
「私たちは特に友達とか親戚とかではないんですが、先日調査で大心さんにお会いして、お話をお聞きした縁があったんです。」
と言うと女性の方が
「大心さんが刑務所にいたことを暴露したのはあなた方なんですか。」
と問い詰めてきた。責められそうだったのでどぎまぎしていると先ほどの女性が
「大丈夫よ、大心さんは自分から前科者だって言ってたからこのあたりの人はみんな知ってたわよ。戦争の時に苦し紛れに上官を撃ってしまったのよね。でもとってもいい人だったからみんな彼には感謝しているわ。」
と教えてくれた。杉下は
「大心さんはこの村ではどんな人だったんですか。
と聞いてみた。本人の話は2か月前に聞いたけど、周りの人の評価は聞いていなかったので興味がわいた。今度は男性の方が
「おれは彼といっしょに船に乗って漁に出ていたけど、彼はまじめだし頭がいいし、仲間のことを大切にしてくれた。はじめこの村に現れた時は俺はまだ子供だったから親父から聞いたんだけど、親父も彼がどんな奴かわからなかったからなじめなかったらしいんだ。だけど事件があったんだ。船の上で船員同士がけんかになっちまって、1人が海に落ちてしまったんだ。真冬だったから早く引き上げないと死んじまうんだけど、潮の流れは速いし怖くて誰も助けに入れなかったんだ。その時下っ端だった大心さんが飛び込んだらしい。自分の命を顧みず仲間を救ったんだ。それ以来彼は本当の仲間になったと親父は言ってたよ。」
歩きながらその彼は大心さんについて語ってくれた。2人は命知らずな大心が飛び込む姿が目に浮かんだが、戦争で、あるいは軍法会議で一度は死んだ身であるという思いが思い切った行動に駆り立てたのかもしれないと思えた。
話しながら歩いているとすぐに寺についてしまった。葬儀開始まではまだ1時間くらいあるが、田舎のお葬式は集まりが早い。本堂の外には関係者と思われる喪服姿の人たちが立ち話をしながら煙草をふかしていた。杉下と八木も一緒に上がって来た2人と共に彼らの輪の中に加わった。すると先ほどの男性が
「この人たちは大心さんの昔のことを調べて調査書に書いた人たちだってさ。大心さんが100過ぎても生きているなんて思っていなかったらしいな。」
と言うと一同が大笑いになった。杉下は
「僕たちは永良寺町から来ました。永良寺のお寺の近くに岩に仏様が彫られているところがあり、その片隅に「大心」と彫られていたんです。その大心という名前を頼りに岩に仏様を彫った作者は誰なのか、なぜここに彫ったのかを調べていたんです。最終的には当然死んでいると思った大心さんはこの常神で生きていたんですけどね。ところでみなさん、大心さんはここ常神ではどんな存在だったんですか。」
と問いかけた。すると一人の老人が
「70年ちかくこの村にいたけど、素晴らしいお坊さんでした。自分の事より人のことを優先する人だったよ。俺が子供の頃、この寺の境内で遊んでいて、そこの木に登っていたら落ちてけがをしてしまったんだ。そう大した怪我ではなかったんだけど、『今度から遊ぶときは俺も一緒に遊ぶ。』って言ってそれからは子供と一緒に遊んでくれたんだ。もうおじいさんになってたけど鬼ごっこも一緒に走り回ってくれたし、俺たちが知らない遊びもたくさん教えてくれた。子供たちにとって大心さんはガキ大将のおじいさんだったんだ。」
と昔の話をしてくれた。2人は大心さんの新たな一面を見つけた思いがしていた。子供と遊ぶ姿に江戸時代の良寛さんのような姿を思い浮かべた。関東軍の警備兵の時に中国人の無垢な子供を銃で撃ち殺せと言われた時のことをどうしても忘れられないのかもしれないとも感じていた。
続いて顔を出した女性は60過ぎのおばあさんだった。彼女はしみじみと語り始めた。
「あれはまだ私が20歳の頃だから40年以上前のことだわ。大心さんもこの地に来てまだ日が浅かったかな。今では過疎の村だけど、あの頃はもっと人が多くて、港は活気にあふれていたのよ。若い男女が大勢いて楽しかったわ。でも若いからトラブルもいろいろあった。私には小さいころから恋焦がれていた男がいたのよ。でも昔だから自分の気持ちを素直に相手に伝えるなんて出来なかった。村には他にもたくさん若い男女がいて、青年団ではいろいろな活動をしていたの。そんな時、夜中までお酒を飲む機会があって酔ってしまった私は別の男の人から迫られて、無理やり裸にされて抱かれてしまったの。次の日から好きだった男の人に顔を合わせることが出来なくなってしまって避けるようになってしまったわ。あの時代、まだ女性の性の解放なんてなかったから操を守りきって結婚するのが大切なことだったのよ。だから私は彼に対して裏切り行為を犯してしまったような気がしていたの。だから海に飛び込んで死ぬことも考えたわ。悩んだ挙句に私はお寺の本堂で仏様に手を合わせて相談していたら、大心さんが御本尊の裏側から出て来たの。びっくりしたわ。仏様が現れたのかと思ったのよ。でも大心さんは『何かお困りの事でもあるのかな。』と話しかけてくれて、私の話に耳を傾けてくださったの。私は恥ずかしかったけど思い切ってお話ししたわ。すると大心さんは『仏様はどんな悪行もお許しくださる。毎日手を合わせて疑いを持たず念仏を唱える心を持つならば、どんな人も救ってくださるんじゃ。一度くらい他の男と情を交わしたくらいで死ぬことはないさ。そんなことで愛想をつかすような男ならこっちから願い下げじゃ。堂々と生きてやれ。』と励ましてくださった。好きだったその男に正直に話すと、ちゃんとわかってくれたさ。去年死んだ私の亭主だけどね。大心さんがいなかったら私たちは結婚してなかったし、私は20歳で自殺してたかもしれない。大心さんは命の恩人だし、仲人みたいなもんさ。」
とのろけた話を聞かせてくれた。2人は村人から聞く話がことごとく大心さんを称える話ばかりで、大心さんがこの村でいかに好かれていたのか、大事にされていたのか。また彼がこの村で果たしてきた役割が大きかったのかをまざまざと思い知らされていた。
定刻になり葬儀が始まった。三方五湖近くの半島の根本付近の寺から来た僧侶が浄土真宗様式のお経を読み始めた。僧侶のお葬式なので剃髪の儀式はない。初めは出棺勤行として仏説阿弥陀経を詠み、続いて葬場勤行で正信念仏偈が詠まれた。途中から参列者の焼香があり、参列者の名前が読み上げられ順に前に行って焼香をする。参列した2人は会場の端で正座して焼香順に呼び出される名前を聞いていた。普通ならば喪主は息子など家族が務めることが多く、その家族、兄弟、親戚などの順で進み、各種団体の長などへと進むが、大心さんの場合、天涯孤独で家族はいない。親戚関係も探せばいるのかもしれないが、音信不通で誰も来ていない。1人目は喪主としてデーサービスセンターの所長が祭壇に向かって焼香をした。続いて漁協の組合長、老人会会長、寺の門信徒会会長などが続き、個人の名前が呼ばれれた。本堂に座っている人たちがだいたい呼ばれたころに気が付いたが、後から後から本堂の外で待機していた人たちが入ってくる。漁師仲間でやってきた男性たち。お寺のお説教で念仏を教えてもらっていたご婦人たち。寺の前の広場で遊んでもらった子供たち。村じゅうの人たちが全員集まって来たのではないかと思われた。さらにデーサービスセンターで一緒に過ごしていた老人たちと職員の人たち。2人も名前は呼ばれなかったが途中で『ご焼香がまだの方は随時お焼香に出てください。』と言われて前に出て焼香をした。焼香者の列は延々と続く気配があったが、正信念仏偈が終わるところでようやく止め焼香で村の区長さんが最後にゆっくりと時間をかけて丁寧に焼香をし終えた。
静寂の中、僧侶の皆さんが退場し司会の人が「弔辞 友人代表 黒島達夫様 代読は息子さんの黒島哲也様です。」
と紹介があった。隣で座っていた女性が
「達夫さん、寝たきりだから代わりに息子さんが詠むのね。」
と言っている。代読の息子さんも70歳は過ぎていそうだ。
「大心さん、あなたがこの村に来た時、私は定置網の船の船長でした。小浜の野中さんから照会を受けた時、正直言うと受け入れることをやめようと思っていたんだ。だから初めて事務所に来た時、真面目そうな感じだったけど油断は出来ないと思っていたよ。でもあなたと私は年が近かったから漁を終えて港で火を焚いてイカをさかなに酒を飲んでみると、あなたの人の良さがわかって来た。野中さんからあなたが刑務所から出て来たばかりだという事を聞いていたけど、きっと何か特別な事情があって罪を犯してしまったんだと思ったよ。2人きりで飲んでるときにあなたが京都帝国大学出身の秀才だと聞いたけど、絶対に村の人に言わないでという事だったからその秘密を60年間隠してきた。でも今日初めてみんなに言うよ。哲学を学んだ曹洞宗のお坊さんが教義の解釈の違いから破門になってしまったけど、あなたは自分の信念を曲げなかったんだね。軍隊でも上官の命令は絶対だったかもしれないけど、あなたは倫理的に間違っている命令には従えなかったんだよね。この村に来てからはいろいろあったけど、私が一番印象に残っているのは台風が来て海がしけて、定置網が流されそうになった時、私は無理をしてでも船を出して網を上げて縛っておこうとしたけど、結局、舟が転覆して3人の船員を死なせてしまった。あなたは船を出す前に強く反対してくれたね。事故が起きてしまった後には、私に強く叱責してくれましたね。命を軽視してしまった私にお金なんかよりも命の方がどれだけ大事かを教えてくれました。また死んでしまった船員たちの供養にはあなたは力を尽くしてくれました。私が毎月の月命日にお墓にお参りするときにはあなたのほうが毎回先に来てくれていましたね。あなたは根っからのお坊さんでした。永良寺を破門されたらしいけど、そんなことは関係なくあなたはこの村の大切なお坊さんでした。これからも空の上から私たちの村を見守ってください。 黒島達夫代読」
会場は静まり返り、涙を拭う人たちの姿が目に付いた。本堂の外は青空でさわやかな風が吹いている。お寺の中は重苦しい雰囲気に包まれていたが弔辞が終わりご遺体との最後のお別れをして外に用意された輿(こし)で海の見える村の墓場で焼かれることになっている。この時代に村の墓場で遺体を焼くのはほとんど皆無である。大体は霊柩車に乗せて公営の近代的な火葬場でガスで焼かれるのが通常だが、大心さんの場合は本人の意思で村の墓場で焼いて灰は海に散骨して欲しいという事だったらしいし、村の有志達も是非自分たちの力で焼いてあげたいという事だった。昭和30年代まではどの村でも取られていた姿だが、令和の時代に村の墓場で木材を使って焼くのは時間がかかるし人の体を焼いた経験がある人もほとんどいない。しかし大心さんがこの村で果たしてきた役割と存在価値が村人たちの心を動かしたのだろう。
本堂から男性たち6人で担がれた棺は丁寧に運び出され、輿(こし)に乗せられ墓場の火葬場に向けて出発した。葬列は路念仏(じねんぶつ)を唱えながらゆっくりと進んでいく。墓場までの道端には竹の棒に紙垂(しで)が付けられ先端に小さな蝋燭が刺されたものがいくつも立てられている。これは老人たちの話では死者を極楽浄土へ導く道しるべだという。古来日本で行われてきた葬列の形がここには残っていた。
2人は墓場への葬列には加わらず、お寺に残り葬列を見送ると村の人たちに挨拶をして車に乗り込んだ。帰りの道を車で走りながら大心さんについて話し合った。
「大心さんは数奇な運命をたどって不幸なうちに人生を終えたと思っていましたが、私たちの見方が浅はかだった感じですね。」
と八木君が助手席で言うと
「そうだね。彼の人生のメインステージはこの常神に来てからだったのかもしれないね。」
杉下がハンドルを握りながらしみじみと語った。
「彼がこの村で漁師や僧侶として受け入れられ、村の大切な人物として役割を得ることが出来たのはなぜなんですかね。いくらいい人でも前科のある人は苦労することが多いと聞きますけどね。」
八木君の問いに杉下はしばらく考え込んで
「そうだね。やっぱりこの村が一般社会から隔絶された半島の先っちょで、昔の古き良き日本の姿が残っているところだったからだと思うね。今ではこの村も道路が通じて内地の村と変わらなくなっているけど、彼がここに来た当時の70年前は船でしか常神へは行けなかったんだ。島と同じでよそ者に対する風当たりはきついけど、一度受け入れると大昔からの知り合いの様に深い付き合いをする地域だったんだね。」
と話した。
八木君は不意に思い出したように
「大心さんが線刻磨崖仏を彫ったことはその後の人生にどんな影響を与えたんですかね。線刻磨崖仏を彫ったことが彼の人生の大きなターニングポイントだったように思えるんです。」
と運転する杉下を見ながら話した。まだ断崖絶壁の海沿いの道だったので、杉下は前方から目を離すわけにはいかなかったが、
「そうだね。あの仏様を彫ってから裁判を受けて大阪刑務所に入り、岡山の国吉小隊長の墓参りをして常神に入ったんだったね。僕は大心さんは命の大切さについて深く考えたと思うんだ。彼が軍隊で経験した事件は、僧侶として軍隊の規律よりも命の大切さを優先したから上官の命令に従えなかったんだろうけど、結局あの中国人の子供たちは小隊長によって撃ち殺されたんだ。だから大心さんはその子たちを救うことは出来なかった。それどころか国吉小隊長を撃ち殺してしまったわけだから、罪の意識は大きかっただろうね。それだからこそ日本に戻ってどうしても仏にすがって罪滅ぼしをしたかっただろうし、命について深く考えたんだろうね。考えながら線刻磨崖仏を彫り続けたんだろうね。そこから常神に入り、常神の人たちと一緒に大切な命を尊重する活動の実践を続けてきたんだろう。だからこそ常神の皆さんに信頼されたんだ。本当の意味で僧侶になったという事だろうね。明全由来の名刹の寺に生まれ、善と禅の研究をしてきたエリートだったけど、そのころはまだ本当の僧侶ではなかったけど、その後の事件を経て大成したという事だね。」
車は三方五湖を経由して舞若道に入り美しい若狭路の景色を背景にスムーズに北へと向かって走って行った。
線刻磨崖仏 @eijiro2011
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