第8話
8、新京の防衛
1944年、昭和19年6月、舞鶴の港から輸送船「丹後」が大心たち50人ほどを乗せて出港した。このころは西太平洋の国防ラインが破られ、制空権も制海権もアメリカ側に奪われかけていたころで、輸送船が無事に目的地に着くかどうかも分からない状況だった。乗り込んでいた兵士たちにも情報統制で行く先が知らされていなかった。不安な中、大心たちは薄暗く湿った船底の部屋で息をのんで目的地に無事につけることを願っていた。空を飛ぶアメリカの偵察機に見つからないように、夜は明かりをつけることを許されなかったので、船倉の大心たちは暗闇の中で息をひそめていたが、大心が小さな声で般若心経を唱えると周りの新兵たちが手を合わせて合掌しながら南無阿弥陀仏というものや南無妙法蓮華経というものやらいろいろいた。いろいろなところから来た集まりだったので、いろんな宗派の人が混じっていた。暗い船倉で心の支えは念仏を唱える事しかなかったのだ。
2晩祈りをささげると船は港に到着した。そこでようやく到着地点を聞かされた。乗組員の兵士が
「ここは清津だ」
と教えてくれた。清津というのは日本海に面した朝鮮北部の港だった。舞鶴から日本海を横断してきたことになる。満州国に派遣されたようだ。
船を下船するとそのまま軍用列車に乗せられた。行先はまた聞かされていない。乗車前にわずかな握り飯とお茶が配布されたがそれが配布されたすべてだった。丸1日近く乗っていただろうか。空腹は限界近くまで達し、夏の暑さで脱水症状を起こして辛そうな兵士もでてきた。朦朧とした意識で外を眺めていると大きな駅に到着した。看板を見ると「新京」とある。満州国首都の町である。かつてのハルピン(長春)で清国最後の皇帝だった愛新覚羅溥儀が満州国初代皇帝の戴冠式を行った町である。満州国の首都であると共に満州国を事実上支配する関東軍の拠点でもある。
軍用列車を降りた大心たちは駅を出たところでいくつかの隊列を組み行進を始めた。大心たちの隊列は10人ほどだったが、指揮する教官の号令で
「関東軍第3方面隊第30軍132師団駐屯地まで前進」
と言われたのでようやく配属先がわかった。歩いていくということは駐屯地はこの新京なので少し安心した。
30分ほど行進すると駅から2キロほど離れた広大な土地に兵舎が立ち並んだところに到着した。全員が整列すると隊列を指揮してきた軍曹が
「全員敬礼、師団長のあいさつである。」
と号令をかけた。指揮官の師団長は
「君たちが配属された132師団は満州国首都であるこの新京の町を守ることが主な任務だ。この町には満州国皇帝の愛新覚羅溥儀様がいらっしゃるし関東軍の指令本部もある。だから満州国を快く思わない中国人にとっては攻撃目標になっている。多くの中国軍閥や地下に潜むゲリラ、各国のスパイなど気を許せない相手が多数いる。それらからこの町を守り秩序を維持することが求められている。しっかり任務を遂行するように。」
と訓示を述べ下っていった。
10人の新兵は師団の中の小隊に分かれて配属になった。大心は野中守という新兵と一緒に第8小隊に配属になった。2人を連れて小隊長の国吉健太が小隊の先輩たちがいる兵舎に入っていった。その日から野中と大心にとって本当の地獄が始まった。
小隊には小隊長の国吉曹長を頭に副小隊長が渡辺軍曹、先輩の2等兵が8人、新兵の1等兵が2人である。最下層の大心たちはありとあらゆる雑務を受け持つことになった。日常的に雑務を言いつけるのは渡辺軍曹だったが、先輩2等兵も食事や清掃といった日常業務で命令してくることがあった。大心にとってはお寺で経験していることが多かったので苦にならなかったが、野中2等兵は苦しんでいた。
軍役として日常的に行うのは市内の巡回だが、非常時に備えて常に5人態勢だった。5人の兵士に小隊長か副小隊長がつく形をとった。憲兵隊は警察業務なので携行する武器は拳銃程度だが、軍隊の巡回は全員が小銃を携行し、中には自動小銃を持っているものもいた。中国軍閥のゲリラ部隊は大型の武器を持って街中に潜んでいることもあるので、毎日が緊張の連続だった。新京市は日本からの移民も多いが元々はハルピン(長春)市で中国の東北部の大都会だった。中国系住民が多いのは当然だが、満州族(女真族)が一番多い。朝鮮系の住民も多くモンゴル族も含めて5族統一をスローガンにする満州国の考えも頷ける。
この地域の安全と秩序を保つ132師団は民族間の争いに常に脅かされていた。入隊から1月を過ぎた大心は仲間と警邏活動に郊外の農村部を歩いていた。このあたりの畑ではトウモロコシのような葉っぱのコウリャンが栽培されている。トウモロコシよりも背丈が高く3メートル近くになるし、実も大きい。広大な畑の横に村があり、大心たちの部隊が村に差し掛かった時、一軒の家の倉庫の扉が急にバタンと閉じられた。不審に思った渡辺軍曹は野中と大心に
「あの小屋、念のため見てこい。」
と命令した。大心たちは野中軍曹がまた面倒なことを自分たちに命令してくると思い、少し嫌な感じがしたが、グループの司令官からの命令なので安全に気をつけながら、銃を構えて小屋の方向に進んだ。野中が小屋の扉に手をかけ、大心が援護にため銃を構えて野中の横から小屋の中を覗き込む体制を取った。野中がゆっくりと戸を開けると人が裏口から逃げる音がした。大心は軍曹に大声で
「不審者発見、小屋の裏口から逃げた模様です。」
と報告すると軍曹は仲間に
「全員、小屋の裏へ向かい、不審者をとらえよ。」
と命じた。緊迫した瞬間だったが、小屋の裏窓から畑を走り去る男が見えた。その後ろを師団の小隊の兵士たち3人が畑の中を走って追いかける様子が見えた。しかしコウリャンの畑は一旦中に入ってしまうと見えなくなるくらい背丈が高い。必死に追っているが見つかりそうもなかった。しばらくすると家に残った中国人の住民を取り調べた。家にいた住民は女性が2人、子供が3人、女性のうち一人は高齢者。おばあちゃんだろうと推測が出来た。しかし軍曹も大心も野坂も中国語が出来ない。走り去った男性が誰なのか聞いても、何を言っているのかわからなかった。子供たちは1歳くらいの子と3歳くらいの女の子と7歳くらいの男の子だった。言葉は通じないが大心は1歳くらいの子にいないいないばーをしてあやそうとした。軍曹は
「やめろ。油断するな。」
と言ったが大心は小さな子供と女性だけなので安心して小さな子に関わっていた。すると突然軍曹が
「危ない。」
と言ってその瞬間、小銃を発砲して7歳くらいの男の子を撃った。男の子は手に持っていたナイフを落としてその場に倒れ、頭からは大量の血を吹き出している。大心は一瞬何が起こったのか理解が出来なかった。しかし男の子が持っていたナイフが床に落ちて金属音を発したことで、自分が男の子に殺されようとしていて、それを軍曹が防いでくれたのだと理解した。女性たちは男の子に駆けよって、何かを叫びながら泣いている。きっとこんな小さい子を撃ち殺すなんて、日本人は鬼だとか言っているんだろうと思う。大心ははじめてここが戦場なんだと理解した。軍曹が打った小銃の玉は大心のすぐ近くを通って少年の頭にあたっている。恐ろしいと同時に自分の軽率な行動がこの少年を死に至らしめてしまったことへの責任感と罪悪感も感じた。しかし日本の軍隊が発砲して中国人少年が死んだ事件は報告書1枚で終了してしまった。大心はやりきれない気持ちになったが、徐々にその意識も薄れていくほど、この手の事件は頻発するのである。戦争とはそういうものだ。自分で自分を守らなければ殺されてしまう。殺される前に殺さなければならない。それが正義なのだ。
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