第7話

7、召集 

 舞鶴は海軍が港を構える東舞鶴と民間の港として利用される西舞鶴がある。日本海に面しているが、奥まった入り江がさらに二つに分かれて西舞鶴と東舞鶴の港になっていて、地形的に天然の良港になっている。大心の実家である明全寺は西舞鶴の町に近い場所にある。小浜線から舞鶴線に延伸し、東舞鶴では眼下の港に大型の軍艦が停泊しているのが見えた。東舞鶴駅では多くの軍人さんが乗り降りする。日本海側有数の海軍の町である。軍需産業で成り立っていると言っても過言ではない。東舞鶴を過ぎると次が西舞鶴、終点だ。軍人さんたちはここで乗り換えて京都方面に行く人が多い。しかし大心はこの駅を降りると実家まで歩いて10分以内だ。ホームは汽車を降りた乗客でいっぱいだ。改札を抜け街に出ると西舞鶴の町は活気にあふれていた。軍人と軍関係の仕事をする人、さらには基地の町につきものの歓楽街が幅を利かせ、駅前の通りは人の行き来が激しかった。大心は7年前の昭和12年、中学校卒業まではこの町にいたが、その頃よりも人が多いような気もしていた。駅前の通りをわずかな荷物を入れた手提げ袋を肩にかけて実家への道を歩いて行った。歓楽街の入口にはポン引きの男たちがたむろしていたが僧侶の姿をした大心には声をかけてこない。

 駅前の繁華街から住宅街を抜けた山際に明全寺はあった。鎌倉時代からの由緒ある寺は静かな佇まいで大心を迎えてくれた。こじんまりとした山門を抜けると苔むした中庭があり、正面には本堂、右手には寺坊と私邸がある。私邸の玄関を開けて

「ただいま」

と言うと奥から母の

「はい、どちら様ですか。」

という声がした。母が廊下に出てくると

「大心じゃないの。どうしたの、何かあったの。」

と突然の帰宅を心配している。曹洞宗の寺の住職になるために1年間の修行に行っているはずの息子が半年もたたないのに帰って来たので、病気でもしたのかと心配したようだ。玄関では詳しい話も出来ないので、とりあえず中に入れと言われ居間に入ると父も出てきた。法衣姿の父は頭は禅宗の僧侶らしく剃り上げて、夕方の法要を終えたばかりなのか、黒衣に輪袈裟をしている。

「大心、永良寺にいるはずだがどうしたんだ。」

と聞いてきた。3人分のお茶を入れてお盆に乗せて運んできた母も、お茶をそれぞれの場所に並べるといっしょに座った。かしこまった感じで正座をし直した大心が詳しい話をし始めた。

「お父さん、お母さん、最初に謝らなくてはいけません。息子の親不孝をお許しください。実は今日、永良寺で破門され追放になって帰って来ました。これからの身の振り方はしばらく考えて、大学に戻るか就職するかと考えています。」

と説明すると間髪を入れず父が

「破門されるというのは相当だな。何かやらかしたのか?」

と聞いてきた。父も若いころに永良寺での修行を経験しているので破門という処分が、先輩に隠れて酒を飲んだとかタバコを吸ったとか、古参役僧の頂き物のお菓子を勝手に食べたとか言うレベルの行為ではならないことを知っていた。相当なこととは何なのか、父もいろいろ想像していた。

「実は禅問答で明全のことを質問したんだ。うちの寺は明全に由来しているだろ。鎌倉時代や室町時代は臨済宗の寺だったとお父さんが教えてくれたんだよ。それがいろいろあって曹洞宗の寺に代わったけど、明全由来には間違いないわけだし、臨済宗と曹洞宗は関係が深いよね。お寺で書物を借りて研究したんだけど、道元は栄西の後を継いだ明全に師事して中国に渡り、途中で明全が病気に倒れ、明全の遺骨を持ち歩いているときに、中国禅の一派である曹洞に出会って感化され、日本に只管打坐の座禅を持ち帰ったんだよね。道元は持ち帰った遺骨を永良寺で供養しているんだ。しかし今の永良寺では明全のことを特別には扱っていないので、それはどうかと思って禅問答で質問したら、自分の修行に専念しなさいと言われてしまったんだ。それでもしつこく質問したので、貫主様の怒りに触れて破門追放という処分におなってしまったんで、僕としては間違ったことはしてないつもりなんだ。もし大学に戻れたなら、もう少し中国での道元や明全について研究したいとも思っている。」

と一気に話した。父も母もしっかりと話を聞いてくれた。息子が修行をさぼって破門になったのではないとわかり一安心してくれたが、お寺の跡継ぎが資格を取れずに帰って来たのは大問題だ。しかも追放だけなら、また来年チャレンジすることも考えられたが、破門は再チャレンジの道も閉ざされた格好だった。

「それじゃ、しばらくは家にいるんだね。仕方ないから寺でゆっくりしなさい。」

母は意外と冷静に対応してくれた。父は頭を抱えている。明全寺の明全のことを思ってした行為ではあるが、住職の資格を今後も取れないという事になると、この寺の住職を赤の他人に明け渡すことになるからだ。坂本家の場合も何代か前の先祖が跡継ぎがいなくなったこの寺の住職になるために兵庫県から入っている。曹洞宗のお寺は寺の建物も敷地も固定資産は大本山永良寺の所有物になっている。父から息子へと代替わりが出来ない場合には借りていた寺も土地も返却して出ていかなくてはならないのだ。

「おれは知り合いを通じて貫主様に破門を解いていただけるように働きかけてみるよ。何年かたったら許してもらえるかもしれないからな。」

と言ってはいるが苦しい胸のうちが手にとるように分かった。

「さっき、汽車の中から海を見ていて東舞鶴で軍艦を見たんだ。大学院に戻るにしてもしばらく軍隊で自分を鍛えるのもいいなとも思うんだ。自己を見つめるには寺では修行、軍隊では訓練。破門されても自分を見つめなおす事は出来るんじゃないかと思うんだ。志願すればすぐに召集されるんじゃないかな。」

と大心は心のうちを明かした。父は黙って聞いていたが母は目頭を押さえながら泣いていた。


 結果はすぐに表れた。市役所を通じて志願する旨を提出したので2週間ほどで召集令状が来た。召集場所は舞鶴の鎮守府にある陸軍訓練所とあった。海軍施設の多い舞鶴港で舞鶴の港を守るために陸軍が要塞を作ってから教育施設も設立されていた。昭和19年3月10日午後1時集合と書いてあった。朝早くないのは遠くから来る人たちのことを考慮してだと思うが、大心にとっては朝ゆっくりできる時間だった。実家の寺を10時に出た。父や母だけでなく近所の人も寺の門に集まってくれて、出征を祝ってくれた。舞鶴駅まで行列を成して行進し、西舞鶴駅から列車で見送られた。すぐ近くの訓練所であったが戦況が悪化していたことからか、みんな今生の別れと言った感じだった。

 わずか1駅で東舞鶴駅に着くと様相が一変して、召集された若者たちが列車を降り、係の軍隊の人たちの罵声におどおどしながら言われるがままにホームをあとにした。降りてきたのは50人ほどだろうか。すでに入隊されたかのように整然と並んで歩いている。大心はこれから始まる軍隊生活を想像すると恐ろしい気持ちにもなったが、永良寺での修行生活に耐えたことを考えると同じようなものかもという安堵感もあった。

 歩き始めて10分ほどで訓練所についたようだった。よくわからなかったが

「ぐずぐずするな、ここをどこだと思ってるんだ。もう娑婆の世界とは違うんだ。陸軍はお前たちを甘やかしてはくれないぞ。敵は待ってはくれないんだ。とっとと走れ。」

と騒々しい声で叫んでいる教育兵が彼らを急かしている。その声に合わせて小走りで走って門の中に入っていく。何処へ行くのか見当もつかないが、群れとなってとりあえず兵舎前に並んだ。

兵舎前では人員の点呼が行われ1人1人に装備品が渡され、並んだ順に兵舎に入っていく。どうみても名簿順ではなく来たもの順である。誰が隣のベッドになるのかなんて関係ないようだ。

 大心も周りの同僚に習って両手に毛布と陸軍服、軍靴、ベルト、帽子などを抱えて兵舎内に入り先輩兵士の誘導に従って自分のベッドになる場所に荷物を置き、すぐに軍服に着替え軍靴を履き、ベルトをして帽子をかぶり陸軍軍人に早変わりして外へ飛び出した。

 その日からにわか仕立ての兵士の訓練は過酷を極めた。ゆっくり育て上げる時間はなかったのだろう。戦況は詳しくは知らされていなかったが東南アジア各地で苦戦を強いられていたようだ。後に明らかになるが玉砕型の戦闘が増え、兵士が不足していたので未熟な訓練生でも早々に仕上げて戦場に送っていたようだ。

 大心たちの訓練も出来れば一人前の日本陸軍兵士に育て上げて戦場に送りたいのだろうが、通り一遍の団体行動とサバイバル術、そして簡単な射撃術を身に着けるとわずか3か月で戦場に送られていった。


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