覗き見カフェ
一齣 其日
人の悪い趣味
人の悪い趣味だとは思う。
適当なカフェに入り、頼むのはブラックコーヒー。
豆の香りを楽しみながら、自分の腹の中のように真っ黒な液体を啜る。
耳を立てるのは、誰とも知らない人の会話。
一人のんびりカフェを楽しむふりをして、人の人生を覗き見る。
人の物語を綴る人間として、やはり人の人生には興味がそそる。
しかし、こんな性格の悪い自分だ。様々な人と交流は無く、かといって人の輪に入るほどの勇気もない。
だから、人知れず、覗き魔にでもなったような気持ちで、ひっそりと他人の人生を覗くのだ。
「飛ぶんだ、俺。明日くらいに」
今日も興味深い言葉が耳に入る。
あえて、声の方には振り向かない。
下手にキョロキョロするのは目立ってしまうからだ。
顔や表情は、声で想像するしかない。
それもまた、楽しみの一つであるが。
「だから、今日で君と会うのも最後になる」
「どこ行くの」
「さあ……それは教えられない」
男女の別れ話だろうか。
女の声が震えて、少し濡れているように思えた。
「悪いことって、するもんじゃあないね」
「──アタシ、何度も止めたよね」
「うん」
「やめてって、言ったよね」
「うん」
「いつか、こうなるんじゃないかって、思ってた」
不穏な話だ。
いや、『飛ぶ』という話の時点で、すでにどこか後ろ暗さはあった。
それにしたって、男の話ぶりがいやに淡々だった。
「……いつ?」
「いつって?」
「いつ戻ってくるの」
「……そんなこと聞く?」
「アタシは嫌だよ」
女の声が、芯の入ったものになっていた。
「アンタと、このままずっと離れ離れなのは嫌」
「わがままだなあ」
「わがままだよ。というか、それくらいじゃないとアンタの彼女なんて務まらないじゃない」
「じゃあどうするのさ。このままだったとしても、俺は終わりだ」
「そうね……明後日にはどっかの海にでも浮かんでそう」
「それだけのこと、しちゃったからね」
「だったら、もう少し焦りなさいよ」
「今更」
ふふ、と男が笑った。
一体、どんな顔で笑っているのだろうか。
顔を見れないのが、ここにきて悔しくなってくる。
ただ、明日もわからない男の声とは思えないくらい──軽かった。
「俺はね──やっと、華を咲かせられたような気がするんだ」
「華?」
「うん、そう。華」
「なんのさ」
「人生の」
「──くっだらない。あんなことが華だって言えるの?」
「ああ。くだらない半グレになって、そのまま使いっ走りで終わりになると思っていたからね」
「……よかったじゃない、それでも。それでなんとか生きてさ、楽しい思い出作れたら、それでよかったじゃない」
「──君は、本当に俺のこと好きなんだね」
ガタン、と音がした。
女の静止する声がカフェに響く。
足音は止まらない。
人の気配が、すぐそこにした。
目が、思わず向いてしまった。
男の横顔が見えた。
能面のような顔をした男だった。
感情一つも覗くことの出来ない、無機質な表情だった。
素直に、お近づきになりたくない人種だと思った。
男はそのまま支払いを終えると、引き留めようとする女を意にも返さずカフェを出て行った。
女も続けて、その背中を追いかけた。
ガタンとドアが閉まる。
静寂が帰ってきたようだった。
コーヒーを啜る。
半分くらいまで飲んだコーヒーは、すっかり冷めてしまっていた。
一気に飲み干しても、もう舌を火傷することはないだろう。
カップを傾け、ぐいと喉に流し込んだ。
──世の中、本当にあんな男もいるんだな
能面男は、結局何者だったのだろう。
何をして、どんな華を咲かせたのだろう。
女は、あんな得体の知れない男の、どこに一体惹かれたのだろう。
覗き見じゃ、そう深いところまで見ることはできやしない。
いや、あれは見なくて正解だ。
深淵を除く者は、自身もまた深淵に覗かれている。
深く、より深く覗こうとすれば、きっと痛い目を見るのは自分の方だ。
下手に首を突っ込んで、面倒ごとに巻き込まれるのは二度と御免だった。
あの女は──もう手遅れかも知れない。
いや、たった中数分覗き見た人間の心配なんてする方が野暮か。
空になったカップを置いて、自分も立ち上がる。
お代は540円──またお邪魔してもいいと思えるカフェだった。
──後日。
ネットニュースで、男女二人の遺体が海に上がっているという話を聞いた。
遺体の損傷具合から、警察からは心中と見られているらしい。
身元写真には、あの男の顔が写っていた。
一体あの流れから、どうして心中に至ったのだろう。
結局覗き見では、結末まで追うことはできない。
だから適当に妄想して、頭の中で物語を膨らませて、筆を走らせる。
趣味の悪い物書きは、そうして今日も仕事に勤しむ。
ご馳走様でした。
覗き見カフェ 一齣 其日 @kizitufood
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