まもり様の叶えごと

雨々降々

まもり様の叶えごと

 ぼくには、いろんな名前がある。

 まもり様。よすが様。まよわず様……正式な名前は別にあるけど、みーんな好きな名前で呼ぶ。

 でもぼくは、それでも全然いい。

 だってどの名前も、みんなが親しみをこめて、ずっと昔につけてくれた名前だから。

 それを、子供たちが受け継いで、今でも呼んでくれるなんて幸せだなぁって思う。

 それもこれも、みんなの願いをぼくが叶えたからなんだ。

 昔、まだぼくも小さかったときに、ぼくのお社に毎晩やってくる子供がいたんだ。

 その子は何度も頭を下げては、「お母さんがいなくなりませんように」って祈ってた。

 ぼくは「お母さん」っていうものが、この子にとって失いたくないものなんだとわかって、願いを叶えてあげた。

 お母さんとの縁を、きつく結んであげたんだ。この子と、お母さんの寿命がくるまで、決して離れないように。

 それからしばらくして、ぼくのことを「まもり様」と呼んでくれる人が増えていったんだ。

 でも最近は、ちょっと悲しいんだけど……ぼくのところに訪れてくれる人が減っちゃったんだよなぁ。

 少し離れた場所に、武器を納めている神社があるんだけど。

 そこがここ数年ですごく人気が出ちゃったみたいなんだよね。そのせいなのか、ぼくのお社は、ちょっと静かになった。

 でもそれでもいいんだ。

 毎朝顔を出してくれるおばあさんがいて、それにたまに付き添ってくる子供がいる。あとは、犬の散歩に来る人とか。

 ……あ、でもこの間、カメラを持ってきた人たちは、ちょっと騒がしかったから嫌だったかな。

 もう来ないでよってちょっと声をあげたら、木の上から毛虫たちが落ちてきてくれたんだ。

 悲鳴あげて逃げていったよ。

 まったく、夜に騒がないでほしいよね——あれ? 誰か来た。

 ……なんだかすごく疲れた顔をしている人だな。大人の男の人だ。

 ぼくのお社を、じっと見てる。

「——……まもり様かぁ」

 うん、ぼくの名前を知ってる人だ。

「……本当に、願いを叶えてくれるのかなぁ」

 それは、おじさん次第だよねぇ。

 ぼくだって、祈りに来た人全員の願いを叶えるわけじゃない。

 祈りの強さや、真剣さ。どれぐらい困っているのか……ぼくは祈ってくれる人の助けになりたいけど、あんまり力を使いすぎると疲れちゃうから……ちゃんと人は選ぶんだよ。

 あぁでもこの人は……本当に困ってそうだなぁ。

 さて、何を叶えてほしいんだろう?

 ——……あれ?

 手を合わせたけど、何も願わずに帰ってっちゃった……。

 どうしたんだろう。困ってるみたいだったのにな。また来るかな、あの人——。






 あれから、何回か太陽とバイバイして、月とバイバイして——そしてあの人はまたやってきた。

 顔を見たとき、「あ、前来た人だ」ってすぐに思い出せた。

 あのときの疲れた顔は、今でも同じだった。それどころか、ちょっと顔色が悪い気がした。

 その人は、ふらふらとした足取りでお社の目の前にやってくると、賽銭を投げ入れた。

 あ、今日は祈るんだ。

 そう思って、ぼくは慌ててその人に近づく。

 願い事を聞かないと。

「——お願いします……! もうこれ以上、何も失わせないでください……!」

 大きな柏手が鳴った。

 ぼくは、そんな願い事は初めて聞いたんだ。

 男の人の声は、すごく真剣で。眉毛の間に寄ったシワが、とても濃くて深い。

 この人の願いを、叶えてあげたい——ぼくは、そう思った。

 それからぼくは、この人のことを、よく観察するようになった。

 お社と一度縁ができたから、おじさんのことを遠くまで追いかけることは簡単だ。

 おじさんは子供のとき、お母さんをなくしたらしい。

 しばらくしてから、お父さんをなくした。そして、大人になってから、もう少し若いときに付き合っていた人をなくした。

 そのあと、一緒に暮らしていた弟さんをなくして……。

 人の人生、この一回の間に、若いときから大切な人を立て続けになくすなんて。

 ぼくは、ただただ、不運な人なんだと思った。

 そんな経験を積み重ねてきたこの人が、「何も失わせないでください」なんて願いを口にしていたんだ。

 この人を守らなきゃ。

 この人の願いを叶えてあげなきゃ。

 もう少し探ってみたら、おじさんは自分の子供がもしかしたら死んでしまうかもしれなくて、ぼくのところに来たらしい。

 家族運がない、なんて話じゃない気がする。

 おじさんはもしかしたら、もっと深いところで、家族との縁を切られてしまう運命なのかもしれない。

 でも大丈夫!

 ぼくが、その縁を結び直してあげるよ。






 それからぼくは、おじさんの子供が失われてしまわないように、その子の寿命を伸ばしてあげた。

 ちょっとがんばって、せいぜい二十年ぐらいしか伸ばせなかったんだけど、今、失っちゃうよりいいよね。

 おじさんはそれ以来、ほぼ毎日、お社前に顔を見せるようになった。

 にこにこ顔で、ありがとうございました、これからもよろしくお願いしますと、毎日同じ言葉で頭を下ろす。

 ぼくは嬉しかった。

 おじさんが嬉しそうだったし、何より毎日来てくれる人がまたひとり増えたから。

 ——そしてしばらく経ったときのことだった。

 今日も、あのおじさん来るかなーって待ってたんだ。

 そしたらおじさんは、いつも通り来たんだけど……なんだか様子がおかしい。

 青白い顔をして、暑い季節でもないのに汗をかいている。

 ぼくは、おじさんが初めてここを訪れた日のことを思い出していた。

 おじさんはやってくるなり、力が入らなさそうな震えた腕でお賽銭を投げ入れて、柏手を打った。

「助けて……! 助けて、ください……!! まもり様……!!」

 おじさんは今にも、その場に崩れて泣き出しそうなほどだった。

 おじさんは続けた。

「妻が、私の妻が……車に撥ねられて……! もう目を覚まさないかもしれないと……! 彼女がいなくなったら、私は、もう生きていく希望がありません……!」

 大変だ。

 おじさんが生きていく希望がない、なんて……そんなこと、絶対ダメだ。

 なんとかしてあげないと……でも、この人の家族との縁が、思った以上に薄くて脆くて——今助けられたとしても、また同じことが起こって、そのたびにおじさんが辛い目に遭っちゃうかもしれない。

 一体どうしたらいいんだろう。

 もうこれ以上、おじさんが辛い目に遭わなくなる方法——。

 ぼくはそのとき、おじさんが初めて手を合わせたときに口にした言葉を思い出した。

 ——そうだ。簡単なことじゃん。

 おじさん、もう大丈夫だよ。

 ぼくはそう呟きながら、祈り続けるおじさんの背中を抱きしめてあげた。






 おじさんは今日もやってきた。

 あの柏手が鳴る。

「まもり様! いつもありがとうございます! 妻に続いて、息子の葬式も大変でしたが、なんとか終わりました!」

 おじさんの顔は晴れやかだ。

 すっごく嬉しそうだし、生きていることが楽しそうな顔をしている。

 ぼくはその顔を毎日見るのがとても嬉しかった。

「仕事も、どうやら私のミスのせいで、大損害を被ったとのことでクビになりましたが、かえってスッキリしています!」

 失うことを恐れて、人生を幸せに送れないなら、失っても何も感じなくなればいいじゃんって思いついたんだけど、おじさんにはテキメンだったみたい。その代わり、おじさんのために結び直した縁が、またほどけちゃう、までは想像してなかったなぁ。

 でも……何かを失うことを、ずっと怖がっていたんだもんね、おじさんは。

 ただちょっと気になってるのが、最近痩せてきたし、髪もボサボサだけど……お風呂、入れてるのかな?

 相変わらず、毎日来てはお賽銭を少しだけ入れてくれる。おじさんは優しいんだなぁ。

 ——そうしておじさんは、ある日、ぱたりと来なくなった。

 最後に見たとき、歩くのもやっとな感じだったけど、表情は曇っていなかった。

 そしてお賽銭を入れて、柏手を打って、いつもありがとうございますと言っていたんだけど。

 今日は久々に、近所のおばあさんが杖をついてやってきた。お友達の別のおばあさんも一緒にいて、お散歩かな?

「……ほんとに気の毒にねぇ」

「奥さんとお子さん、立て続けに亡くして……」

「その後、会社もクビになったって……見つかったとき、家の中、何もなかったんでしょ?」

「えぇ。ほんとに、なんにもなかったんですって」

 なんの話してるんだろう?

 おばあさんたちは、珍しくお賽銭を入れると、少し長い時間祈って、帰っていった。

 それにしても、おじさんが来なくなってしばらく経つし……また寂しくなっちゃったな。

 また、おじさんみたいに困ってる人、来てくれないかなぁ。

 なんでも、叶えてあげちゃうのに。

 だってぼくは——「まもり様」だからね。

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