サイバーキラーの兄妹

岩井喬

第1話【第一章】

【第一章】


 その日のフィールドは、湾岸区画だった。随分前にタンカーの座礁事故が起きて、未だに海洋汚染の激しいところだ。


「ねえ兄ちゃん、この海に落っこちたらどうなんの?」

《まあ、皮膚くらいは一瞬で溶け落ちてしまうだろうな》


 ヘッドセット越しに聞こえてくる兄の言葉に、妹――緑野紗月は顔を顰めた。


「撃ち合う前に、足滑らせて落っこちたらお終いじゃん……」

《だろうな。だから落ちないように立ち回ってくれ》


 言うのは簡単だろうけど、前線で身体を張っている自分の身にもなってみろ。

 そう思いながら、紗月は手にした自動小銃に弾倉を叩き込み、初弾を装填した。腰元には、紗月お気に入りのコンバットナイフ。武装はこれだけだ。


 戦闘体勢を整えながら、紗月は空を見上げる。濛々と立ち昇る光化学スモッグに隠されて、太陽も月も見えやしない。今は真夏のはずだが、海沿いであること、そして今が夜間であることから、なんだか暑さを感じない。


 地球温暖化を進めてきたスモッグのせいで、太陽光が遮られて地表の温度は下がったのだという。皮肉なものだ。と、兄――緑野修哉がよく言っている。

 分厚いスモッグの層が、工業地帯のネオンが反射している。その時の紗月には、見上げるだけでも不吉な光景に見えた。


 紗月はふっと息をつき、この沿岸廃棄区画に捨て置かれたコンテナに背を当てた。

 自動小銃のセーフティを外す。これで、引き金を引けばすぐに弾が出る。加えて、予備弾倉を三つは持ち込んでいる。

 どんな武器を持ち込み、どんな惨い殺し方をしても構わない。自分が最後まで生き残れば、高価なモノ――麻薬や高性能爆弾、あるいは一般的な現金など――を得ることができる。


 これが一般的なFPSと違うのは、この世界が現実であることだ。飛び交うのが実弾であり、被弾した時の痛みが本物であり、失われるのが自分の身体、はたまた命なのだということ。


《試合開始まで、残り三十秒を切った。大丈夫か、紗月?》

「大丈夫も何も、生き残った人間にしか言えないことだよ。そんじゃ、誘導よろしく」

《ああ、任せてくれ》


 すると、紗月の足元から銀色の光が上方へと広がってきた。身体にフィットするタイプのボディスーツ。色は銀色で目立つのだが、あと十秒もあれば光学迷彩の機能を果たし、敵の目を眩ませてくれる。


「あんまりこのスーツ、好きじゃないんだけどなあ……」

《どうしたんだ? 何かあったのか?》

「べっつに~。ただ――」


 紗月は自分の胸のあたりを一瞥し、なんでもない、と仏頂面で答えた。


《今回のフィールドの地図、頭に入ってるな?》

「まあね。でも古いコンテナばっかりで、どこに何が置かれているかは多少ズレてるかも」

《それでもお前は戦ってきたんだ。自分の勘と、僕の腕前を信じてくれ》


 やれやれと肩を竦める紗月。言われてみればその通りなのだけれど。


《よし、試合開始まであと十秒だ。気張らずに行けよ》

「へいへい」

《三、二、一、開始!》


 緊張感を帯びた修哉の声に、紗月もようやく試合の緊張感を思い起こした。とはいうものの、実際に頭を使い、文字通り手指で紗月の身体を『操縦』するのは修哉の務めだ。

 紗月はできる限りリラックスし、自分の身体が修哉の手によって敵を駆逐していくさまを眺めていればいい。

 反射的な挙動をとる時は、自分で動くしかないのだが。


 修哉が対人戦のオンラインサバゲーに嵌っていて、その賞金で二人が満足に生活できていた時のことを思い出す。

 紗月は毎回その光景や感覚、すなわちまともな食事にありつけていた時のことを思い出す。


(兄貴があんな大怪我しなければ……)


 それは後から考えようと自らに命じ、紗月はボディスーツに全身の神経を預ける。

 すると、ちょうど同じコンテナの反対側にいた敵と鉢合わせした。


「おっと」


 ぱらららら、という軽妙な銃声と共に、一人目の敵がダウン。撃ち漏らしがないように、紗月はコンバットナイフを取り出し、倒れた敵の首を掻き切った。バックステップをすることで、血の噴水から逃れる。


「このスーツ、血で汚れると性能落ちちゃうんだよな……」

《愚痴は後から聞くさ。一応、敵の展開状況を確認した。今、ディスプレイの情報を共有する》

「了解」


 と言いながらも、紗月は二人目の敵に向かって駆け出していた。上半身を折って、地面すれすれの体勢で突っ走る。

 敵は異変を察したようだが、その時には紗月の身体は敵の正面にあった。透明化できない銃器、すなわち自動小銃が、ふっと空中に浮かび上がったように見える。


「一丁上がり」


 流石にこれ以上、こいつに銃弾や斬撃を喰らわせる必要はないだろう。上顎から上は完全に消し飛んでいるし。


《一旦弾倉を確認してくれ。どうだ?》

「今使ったので半分、くらいかな」

《よし、念のため弾倉を交換しよう。敵は残り三名、どうやらお前に的を絞ったらしい》

「ふうん? ああそうかい!」


 紗月は今度こそ自分で動いた。コンテナの上部から銃撃を受けたのだ。左肩に僅かな灼熱感が走る。

 上方を取られているのは癪だが……。すると、視界に別な人物、すなわち四人目の敵が入ってきた。及び腰である様子だ。

 コンテナの上から弾丸をばら撒く野郎は一旦放置。紗月は四人目に向けて、コンバットナイフを投擲した。


 がぁん、とくぐもった金属音が響く。慌てて四人目が顔を出したが、眉間に一発、命中弾を喰らった。一人目と同様、紗月は四人目の敵の喉を裂き、続けざまに振り返ることなく後方に弾幕を展開。そこにいたのが五人目だ。


 振り返って確認すると、やはりそこには死体があった。


「面倒だな……」


 そう呟いた紗月は、わざわざ接近することなしに、五人目の死体を足先から頭頂部まで蜂の巣にした。


「あと一人だな」

《ああ。弾倉は交換しておくといい》

「兄貴もマメだねえ……」


 さて、残るは一人。

 コンテナの上に陣取った敵は、今の銃声から自分の位置を割り出すだろう。紗月はそう考えた。案の定、狙いはこのコンテナに集中している。


《背後に回り込むぞ》

「ん。ああ、ちょっと待って」


 すると紗月は、三人目の死体に近づき、血の海にびちゃびちゃと足を踏み入れた。

 ここまで来たら、多少汚れても構うまい。肉塊から引きちぎって持ち上げたのは閃光弾だ。


「兄貴、精密射撃よろしく」

《任せろ》


 修哉の言葉を聞くや否や、紗月は思いっきり閃光弾を投げ上げた。敵が慌てて目を覆う。

 そして紗月の自動小銃が唸りを上げた。最大効果域で爆発した閃光弾は、一時的に敵の目を麻痺させる。


「おおっと、あたしも目つぶし喰らうところだった……。はい、おしまいっと」


 紗月は顔を覆っている敵に、情け容赦なくナイフを投擲。刃は腕を斬り落とし、勢いそのままに敵の眉間を貫通した。


《大丈夫か? 念のためまた死体の確認を――》

「大丈夫なんじゃない? ほら、ドローンが飛んできたし」


 この殺人遊戯サイバネティック・ゴーストの参加者にとって、小型消音式ドローンの微かな唸りは福音だ。これを聞いたということは、自分が生きていることの証になるし、敵をきちんと殲滅したということでもある。

 

 敵が強すぎるから試合中断、ということも不可能ではないが、凄まじい額の違約金を収める羽目になる。

 そんな中で、敗北を気にせずに戦える緑野兄妹の実力とメンタルは、賞賛や嫉妬の対象にもなりやすかった。


「よっし、じゃあ帰るとしますか!」

《ああ。こちらからの接続を終わる。気をつけろよ》

「了解」

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