綺麗な花には毒がある――No.1ラウンジ嬢の私は、家族を殺した男を愛で破滅させる
栖川 葵依
第1話 標的は私の家族を殺した男
この店で私を知らない人はいない。
名前じゃなく、どう扱われるか、どう扱うか――その位置で記憶されている。
フロアに出ると、照明の下で自分の輪郭がどこまで見えるかを確かめる。
視線が滑って、止まって、また流れていく。その速度を測る。
私は選ばれる側で居続ける。
売り込まない、焦らない。
けれど、この店に来る男たちの目の奥に何があるかはもう全部わかっている。
触れてほしい。
肯定されたい。
自分がまだ価値のある人間だと信じたい。
それだけだ。
だから、全部私が与えてあげる。
欲しいと錯覚させて、決して触れさせない距離。
それが私の商品価値。
「最近さ、ほんと疲れてて」
私は一拍置く。
男が続きを探す時間を奪わない。
「仕事が多すぎるんだよ」
「そうなんですね」
声は一定。
感情の抑揚はわざと作らない。
同情もしないし、突き放しもしない。
どちらも男の自尊心を削るから。
「まあ、俺がやらなきゃ回らないんだけどさ」
「任されているんでしょうね」
男は口角を上げる。
自分が必要とされていると再確認する顔。
この瞬間のために、男は金を払う。
沈黙を埋めない。
グラスの水滴が落ちる音が、男の内側を浮き彫りにする。
「はなちゃんって、不思議だよな」
「そうですか」
「距離が近くならないのに嫌じゃない」
それは褒め言葉でも告白でもない。
安全に支配できる範囲を見つけた人間の安堵の声。
「そう感じていただけるなら」
私は微笑む。
この笑みは次も来る理由になる。
私は自意識過剰ではなく、顔やスタイルが整っている。身だしなみのことは幼いときから努力しているから謙遜はしない。
でも、今の私を構成しているのはとある目的のためで、そのためならどんなことでさえも躊躇いなく実行する。
脚線も姿勢。
視線の角度も間の取り方や己の体でさえも。
全部、計算の延長線上で。
この仕事は生きるためじゃない。
ある男を社会的にも、存在ごと抹消するための下準備。
二十歳でこの店に入り、数か月で一番上に立った。
本気で笑ったことも、心から酔ったこともない。
それでも男たちは「理解者が見つかった」と言って、私の前に座る。
スタッフが控室のドアをノックする。
「一ノ瀬さん、VIPから指名入ってます」
その一言で体の温度が一段落ちる。
そのお客さんの名前を聞く必要はない。
だって、やっと念願が叶えられそうなんだから。
「分かりました」
鏡を見る。
いつも通りメイクは完璧で、服装も髪も乱れは無い。
そこに隙は1ミリもない。
VIPルームに足を踏み入れると、空気が重く沈んでいた。
静けさが男の支配を演出している。
ここでは音を立てないこと自体が力になる。
「初めてだな」
「はい。はじめまして」
正面には座らない。
視線がぶつからない角度。
この距離だと相手は落ち着く。
自分が場を掌握していると錯覚できる。
「噂は聞いてる」
「ありがとうございます」
「No.1なんだろ」
「そう呼ばれることはあります」
「謙遜しないんだな」
「必要がありませんから」
「緊張しないんだな」
私は微かに息を整える。
「必要でしたか」
一瞬、彼は笑う。
余裕のある笑い方。
相手を測る癖が染みついた人間の笑い。
その奥に嘘が沈んでいる。
「評価しない女か」
「ここではそういうことはしません」
「楽だな」
「そう感じていただけるなら」
沈黙を一つ。
この沈黙は彼にとって都合がいい。
否定されない。
裁かれない。
何も奪われない。
「君は本当に楽だな」
「そう言われることは多いです」
それから指名は続いた。
回数が増えるごとに確認が減る。
説明が省かれる。
言葉が雑になる。
代わりに断定が増える。
「昔はもっと荒れててな」
「そうなんですね」
「今なら問題になることも当時は通った」
「時代も違いますから」
「正義なんて立場次第だ」
「そうかもしれません」
「とある男に罪を被せてやったんだぜ」
その言葉が落ちた瞬間、内側のどこかが静かにひび割れて、戻れない場所まで一歩踏み込んだ感覚だけが残った。
「疑われやすい条件が揃っててな。都合がよかった」
「判断が早かったんですね」
「俺はそういう場面で間違えない」
「頼りにされる理由かもしれません」
怒りじゃない。
荒井和弥という男がどこまで最低かという確認。
でも良かった。反省なんかしていないようで嬉しいよ。
これで躊躇いなく私はこの男を……荒井和弥とその家族に復讐ができる。
「なあ」
「はい」
「君みたいな人は他にいない」
「ありがとうございます」
「家のやつより君といるほうが落ち着く」
「そう言っていただけるのは光栄です」
「好きなんだと思う」
私は笑う。
角度も秒数も全部決まっている。
「大切に思っていただけるのは嬉しいです」
それ以上は言わない。
否定しない。
肯定もしない。
期待だけをほんの少し残しておく。
終わり際、彼は声を落とした。
今日はこのあと予定がないと言った。
確認するように私を見る。
「まだ話せるか」
「お店の外でしたら」
「静かなところがいい」
「落ち着ける場所ですね」
私は条件だけを置く。
越えるかどうかは相手に委ねる。
選ばせる。
そのほうがあとで効く。
理解者という場所は感情じゃなくて武器だ。
私はそれを間違えたことがない。
そして今夜もまた仮面の下で誰にも見せない笑いをひとつ息に溶かした。
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