ハッピーエンドバター
深海かや
第1話
スライムみたいに奇抜な色のちいさなマカロンが三つに、ティーカップが二つ。アンティーク調のおしゃれなこのお店には、落ち着いた色合いの木目が美しいテーブルがあって、仕上げたばかりのネイルをみせつけるようにわたしはカップの横に手を添える。重要なのはべたっと乗せずに少し浮かせること。そしたら指先が綺麗にみえるから。律儀に整列している白い歯は、45度の角度で唇を引き見せつけてやる。一応本番前に最後に練習しておこう。携帯を手にしたまま、にって笑みを浮かべる。にっ、て。髪の毛は枝毛一本すら許されないから念入りに手入れした。昨夜はその為に一時間もかけて櫛をといた。今流行りの、お風呂場で髪の毛にトリートメントを塗ってから超音波式のアイロンで挟んでまっすぐにするやつ。メイクは大丈夫。わたしのこれまでの経験からして恐らく寸分違わぬ顔を再現出来ているはず。重要なのはアイラインを少し強めにひくこと。あくまで綺麗系。それ重要。ここまで仕上げてようやく最終段階に入れる。
「お母さん、お待たせ。今から写真撮るからね」
「……やっと? 莉子、もういい加減にしてよ。お母さん疲れちゃった」
母は露骨にうなだれてみせている。
「はいはい、すぐ終わるから。顔は写さないけど背筋だけはぴしっとしてね」
携帯を手にし、インカメラで自分に向ける。わたしの隣に座る母が画面の中で姿勢を正している。机の上にあるもの、マカロンのみえかた、食器の種類、同席している母親の服装、そしてわたし。全部ばっちりだ。あっそうそう、最後は顔の傍でピースサインを作ることは忘れずに。はい、チーズ。
シャッター音が鼓膜に触れて、すぐさま撮ったばかりの写真をチェックする。細部まで念入りに見回したあと、母に携帯を借りた。わたしの携帯ではさっき撮ったばかりの写真を開き、母の方では
「はいっおっけー! お母さん、マカロン食べていいよ」
わたしの心は気分爽快で、溌剌とした声でそう呟くと、母は不思議な生き物をみるような目でわたしをみつめ「ほんとに変な子ね。誰に似たのかしら」と呟いた。
家に帰ってからインスタを開き、撮ったばかりの写真を眺める。携帯に指を滑らせそこに文字を書き入れた。属性:きらきら女子。画面に映る女の子は見るからに葉山美鈴だ。だけど、ほんとはわたし。その確固たる事実をみつめていると途端に気分が高揚してきて、ハッピーハッピーって奇妙なダンスを踊りたくなる。無属性なわたしが、きらきら女子という属性を得た瞬間だ。天まで昇りそうな程の快感が、つま先から頭の先へと突き抜けていく。これがあるからやめられないのだ。誰かに成り切るという事は。
翌日の学校は、前日と同じメイクと服装で登校した。そう、今の私は葉山美鈴だ。三澄莉子じゃない。上から下まで同じ制服を着た生徒たちが、まるで小魚みたいに群れをなし校門に吸い込まれていく。バカ笑いをしながら歩く男子たち。甲高い声で押しのアイドルの話をする女子達。私は彼らに囲まれながらも群れの一部として歩みを進めていく。でも、そのなかで私は特別。私は一番目立ってる。空から降り注ぐ太陽のひかりだって皆に平等にあたっているようにみえるが実際は違う。輝くべき人のところにだけ光量が多く降り注いでいる。そう、私みたいな。だって、私は学年のアイドルの葉山美鈴だから。
「おい、君」
振り返ると、校門の傍に立っていた男性教諭がじっと私をみつめていた。すぐに駆け寄る。
「なに?」
いつもの私ならば、ですかと付けるが私は私じゃないからここはタメ口で。
「なんだよその格好は。ちょっと派手すぎないか? 爪もなんだそれ、化粧までしてるじゃないか」
「じゃーん」
両腕を持ち上げ、仕上げたばかりのネイルをみせつけてやる。男性教諭は何故か顔をしかめた。
「いいでしょこれ」
顔の前に腕を突き出すと男性教諭がついには眉間に皺を寄せ「君、学年とクラスは?」と低い声が渇いた唇から漏れた。おっと、と私は踵を返し校舎のなかへと一目散に駆け出した。待ちなさい!と背中に声が突き刺さったが振り返らなかった。急いで靴を履き替え階段を昇っていた時だった。「おい、三澄」と背中を叩かれ振り返ると、三人の男子が笑いに満ちた表情で私をみつめていた。一瞬男性教諭かと思って心臓が止まりそうになったが、クラスメイトだった。ほっと胸を撫で降ろす。
「さっきの、なんだよあれ」
「さっきの?」
問いかけると、一人の男子がぷっと吹き出すようにして笑った。
「そのとぼけた感じまじでやばいって。お前さっき校門のところで須藤に喧嘩売ってたろ」
あー、と頷く。あの男性教諭はどうやら須藤という名前らしい。私は喧嘩を売ったつもりはないけれど。
「ネイルが可愛く出来たからみせてあげたの」
本心でそう思っていた為に真顔で呟くと、更に二人がぷっと吹き出す。
「お前まじでいかれてんな。須藤って、一年の柔道の教師だぞ? 皆あいつが怖くて授業の前から腹痛くなってるくらいなのに、喧嘩売るのはやばすぎるわ」
「売ってないけど」
「いやいや、じゃーんって言ってたじゃん。お前の爪をみせつけて」
「だからあれは可愛く出来たからみせてあげただけ」
三人が浮かべていた少年みたいないたずらな笑みがゆっくりと引いていくのが分かった。センター分けの男の子が「お前、まじでどうした?」と問いかけてくる。
「一年の時、そんな感じじゃなかったじゃん」
横の二人が「えっそうなの」と訴えかけるると、ご丁寧に私の一年の時の生態を簡潔にまとめてくれた。陰キャラでほとんど学校にも来ず、不登校寸前。
「なのにこいつさ、二年になってからまるで人が変わったみたいに」
「やめて」
「えっ」
「それ、私でしょ? 今の私は私じゃないから。葉山美鈴なの。分かる? 隣のクラスの葉山美鈴」
ついに三人の顔から完全に笑みがひいた。「……え、葉山」と消え入りそうな声で呟く三人の傍を「じゃあね」と笑顔で手を振って通り過ぎた。
母はわたしのことを変な子と言ったが、子供の頃からわたしは常に真ん中をいくふつうの子供だった。ひとつのクラスが25人だとしたら、わたしの成績はだいたい12位から13位の位置に必ず収まる。どれかの科目が秀でることもなく、各科目事にクラスの平均的を叩き出すのがわたしの常だった。運動もそう。徒競走のタイムは下から数えても上から数えてもだいたい同じ位置だった。好きな科目は? 数え切れないくらいに聞かれたこの質問。わたしは毎回「ありません」と答えた。嫌いな科目は? ありません。だって全部横並びだから。
三者面談の時、担任教師は母にこう言った。
「よく頑張っていると思います」
小学校の時も、中学の時も、それから高校に入ってからだって、学年が変わる度に担任は変わるのに毎回似たようなことを口にした。裏を返せばそれ以外に大して言うことがないのだろう。わたしが、あまりにも真ん中過ぎるから。担任はそんな時、慈悲に満ちた笑みを浮かべた。花丸はあげれないけど、まあ丸はあげてもいいかっていう教師の情けが、返却された答案用紙にインクと一緒に混じってる感じだ。容姿もそうだった。可もなく不可もなく。絶世の美女って訳ではないけれど、まるでモテなかった訳じゃない。男の子と付き合った事だってある。でも、長くは続かなかった。それは、わたしがあまりにふつう過ぎて長く一緒にいると、同じ面しかみえなくなって飽きるかららしい。全員が全員にそう言われた訳ではないけれど、結局フラれてしまうという事は何かしらの問題がわたしにあるのだろう。たとえば、ふつう過ぎるとか。でも、そんなわたしにも、中学三年の時の担任から一度だけ褒められたことがあった。
──誰とでも仲よく出来る人当たりのいい子だと思います。
通知表に書かれその言葉は、海辺でみつけた綺麗な貝殻や手紙が入ったガラス瓶みたいに輝いてみえた。思い当たる節は確かにあった。たとえば休み時間の間にひとりで小説を読んでいる子、たとえば授業中などお構いなしにくだらない冗談を吐いてクラスメイトを笑わせるお調子者、たとえば推し活に夢中な女の子。わたしは、どんな人でも、どんなグループでも何かしらの会話の糸口をみつけ、その子の、あるいはグループの空気感に同調し溶け込んでいくことが出来た。常に真ん中をいっていたわたしが、唯一他の人よりも秀でている部分なのかもしれなかった。
だが、高校の入学式で、真新しい制服を着たクラスメイト達の前で自分の長所を述べる機会があり、わたしは自信たっぷりに「どんなタイプの人とでも仲よく出来るところです」と言うと、どこからか「それってさ、人にあるはずの好き嫌いがないってことじゃん。逆に言えば自分を持ってないってことだよね?」と声が聴こえ、追いかけるようにひかえめな笑いが起き、「無属性ってやつ?」と続いた。わたしはその瞬間身体の震えがまらなくなり、ついには泣き出してしまった。唯一わたしが人より優れていると思っていたところをまるでアリを踏み潰すみたいにいとも簡単に否定されたのだ。それも、高校生活で最も大事と言っても過言ではない初日で。自分を持ってない。無属性。真ん中。平均。プラスでもマイナスでもない、ゼロの位置。もう、いい。わたしなんて、とそれから一年間学年が変わる少し手前まで塞ぎ混んでしまった。
毎日家と学校を往復し、家に帰ってからは携帯を開いて動画投稿サイトをみる日々が続いた。芸能人の日常、大好きなインフルエンサーのメイク動画、人類未到達の深海の神秘や、都市伝説などとジャンルなどお構いなしに動画漬けの日々を送っていた。
ある日、一つの広告が流れてきたのはそんな時だった。画面の中央にはスーツ姿の男性が立っていて、背景には風に揺れる木々と陽の光を弾く平原が映っていた。動画の再生中によく流れてくる、いつものどうでもいい広告だと画面右下のボタンを押そうとした時、「人生は、バターです!」と男性にしてはいやに甲高い声が鼓膜に触れた。いや、バターって何? とスキップボタンを押せずにいると、どうやら人生はバターのように時間と共に溶けていくが、その溶け方はその人がこれから先どう人生を送っていくかによって決まるという旨を話していた。
「だから、今人生に悩んでる人はよく聞いて! 悩んでもいいんです! 足を止めてもいいんです! でも、それから先の日々が大事。これ本当ね? 誰にでもその人にしかない良さがあります。この世に生まれ落ちた瞬間、生きている意味がない人なんていません! 他の誰でもない、あなただけはあなたの良さを信じてあげて! 幸せは思ってもいなかった日常の欠片に溶け込んでいるものです。それを自分から掴みにいくのです。そしたら、ハッピーエンドは自ずと引き寄せられます。さあ、僕と一緒に頑張りましょう! 人生を、あなた自身の手で輝かせましょう! 皆さん、いいですか? 合言葉は、ハッピーエンドバターです! 気になった方は動画の概要欄に──」
見終わった瞬間、これだと思った。彼が何者なのかは分からない。でも、その時のわたしにとっては救いのような言葉だった。合言葉は。
「ハッピーエンドバター!!」
気付いたら部屋の中でひとり叫んでいた。わたしにしか出来ないこと。わたしが生きる意味。それは、どんなタイプの人とでも仲よく出来る事だ。もしかしたらそれが、回り回って世界平和に繋がるかもしれない。
「ハッピーエンドバター!!」
両腕を突き上げ、わたしは唯一人より優れている部分を更に伸ばすことに決めた。まず、計画を立てた。今までは成り行きで誰彼構わず仲よくしていたが、それでは今までと変わらない。だから観察対象となる人物、あるいはグループを一つ決め、ありとあらゆる情報を仕入れてからターゲットに接近することに決めた。それから先は簡単だ。無属性のわたしに唯一出来る事。相手の属性に自分の属性を同化させる。
最初の観察対象に置いたのは、同じクラスの図書委員の女の子だった。休み時間はいつも一人で小説を読んでいる物静かな子だ。まずは性格、その子の友人関係、どんなジャンルのタイプの本を好んでいるか。わたしは教室にいる間ずっとその子のことを観察していたが、やはり彼女のようなタイプは自身の情報を無闇には出さない。だから、SNSから仕入れることにした。彼女のインスタアカウントには幾つかの本の写真と、手のひらを本に載せている写真ばかりあった。これでは好きな本のジャンルはわかっても、彼女の中身まではみえない。どうしよう、と試行錯誤した結果、わたしはついに打開策をみつけた。彼女が投稿している写真と寸分違わない写真を撮影するのだ。同じ場所、同じ状況で、彼女がそのときどんな気持ちで撮影していたのか。それらに意識を向けながら細部まで拘り何枚も何枚も撮影すると、わたしはいつのまにか彼女になりきっていた。本に添えている手のひらの角度によって当時の心境まで予測できた。本を読むことは好き。一人でいることも好き。でも、ずっと一人でいたいわけじゃない。これが、彼女の中身だった。それから一ヶ月でわたしは彼女と仲よくなった。彼女の求めている空気感を身に纏い、彼女が求めている適度な距離感を保ちながら、わたしはゆっくりと彼女の心へ手を伸ばしていった。今では大切な本を貸し借りする仲にまでなっている。成功したのだ。その時のわたしは、やったー!って飛び跳ねたと思う。やっぱりわたしは誰とでも仲よく出来る。そう確信した瞬間でもあった。それからわたしは、何人もの女の子になりきった。そのおかげで今では友達も沢山増え、メイクで対象の顔に寄せることで相手により入り込めることも分かった。メイクの技術は一年間ずっとインフルエンサーのメイク動画をみていたことが功を奏した。
今回のターゲット、葉山美鈴を次の観察対象に決めたのは今から数週間前のことだ。彼女はわたしと同じ高校に通う、学年一、二を争うような綺麗な女の子で、尚且つ相手が誰であろうと物怖じせずにはっきりと意見を言う意思の強さも垣間見える為、彼女は学年という大きなピラミッドにおいてもカーストトップの位置に君臨していた。類は友を呼ぶというが、彼女の周りにいる女の子たちも皆綺麗で、男子たちはいつも遠巻きに彼女達に視線を送っていた。凛とした姿勢に鈴のような高い声で溢す綺麗な笑み。今までわたしの周りにはいなかったタイプだ。わたしは何がなんでも彼女たちのグループに入りたいと決意した。その為には、リーダーに取り入るのが一番手っ取り早い。そう、葉山美鈴だ。
数日後、登校してからわたしはすぐに鞄を置き、隣のクラスをひっそりと覗きにいった。いよいよ計画の最終段階に入る準備が整ったのだ。ちょうど葉山美鈴が教室から出ようとしていた。恐らくトイレ。すぐに声をかける。
「あの、葉山さんだよね?」
葉山美鈴は目を丸くする。どこか萎れた花のような弱さが一瞬垣間見えたのは彼女に以前のような凛とした力強さが無くなってしまっているからだ。
「ごめんね、いきなり引き止めて。わたし葉山さんに凄く憧れてて」
「え」
「勝手にインスタとかも毎日みててさ。ごめんね気持ち悪いよね」
ここであえて自分をさげる。そうではないと、相手に否定させる為だ。
「そんな風に思わないよ。嬉しい、ありがとう」
予想通りだ。
「もし良かったらね、これから仲よくしてくれたら嬉しい」
葉山美鈴を観察していて分かったことがある。彼女は、一日に十枚も二十枚も自撮りを撮る程に自分が大好きだということ。だから今回は彼女の求める友達像になるのではなく、彼女自身として前に立つことにした。まるで映し鏡のように。雰囲気も話し方も全てが彼女。葉山美鈴はきっと、自分を愛するようにわたしのことも好きになってくれる。そう信じていた。
「そんな風に言って貰えて嬉しいよ。なんか元気でた。最近あんまりいいことなかったから」
葉山美鈴の瞳の奥に悲しみの色がみえた。わたしは、うん知ってるよ、と胸の中で呟いた。あれから何枚も彼女になりきって写真を撮っているうちに、以前よりも彼女の影が濃くなってる気がした。メイクの、のりも悪い。わたしのメイクの技術が落ちたのではなく、恐らくそれは彼女自身に問題があるからだ。たぶん男関係。普段は明るく取り繕ってはいるが、彼女はきっと周りにいる女の子たちには話せてない。プライドが高く、自分の美しさを誰よりも理解しているのは彼女自身だからだ。そんな自分が男に遊ばれている、あるいは浮気されてるなんてとても口には出来ないのだろう。「ねえ」と手を取った。
「私たちってさ、お互いのことなにも知らないじゃん」
嘘をついた。私は一方的にあなたの全てを知っているけれど、ここでの嘘は後の展開に必要になる。
「そんな関係性だから話せることってあると思うの。だからさ、良かったら今日カフェとかいかない? 二人きりで」
笑みを向けると、葉山美鈴は鏡を映すように笑った。結局彼女は私を完全に信用することは出来なかったのか全てをその日に話してくれた訳じゃなかったけれど、ゆっくりゆっくりと心を手繰り寄せている内に全てを話してくれた。結果、年上彼氏の浮気に気付いてしまったが切り出せないというありきたりな悩みだった。相談に乗っている内に私はいつからか彼女のことを美鈴と呼ぶようになり、関係性はどんどん深くなっていた。休み時間になれば廊下で、あるいは美鈴の教室でくだらない話をして盛り上がる。そんな日々が数週間続いたある日だった。いつも美鈴の周りにいる女の子たちがトイレで私の悪口を言ってるのを耳にしてしまった。
──私さ、いい加減あの媚売り女無理になってきたんだけど。
──分かる。いっつも美鈴の真似してるよね。メイクとか服とかまるっきりそのままじゃん。最近口調とかもそっくりだし耳障りでしかないよね? どれだけ真似したってさ、そもそも原型が違うから美鈴にはなれないからね。分かってんのかな、あいつ。
あっ、と声が漏れ、後退りしてしまった。原型が違う。どれだけ真似をしたって美鈴にはなれない。それらの言葉が私のなかをずたずたに引き裂きながら、錨みたいに沈んでいった。これまで積み上げてきた私の自信が、私の存在価値が音もなく崩れ去っていくのが分かった。私は、私じゃない。私は、なろうとした私にもなれない。やっぱり無理だった。結局、結局私は、と溢れた涙を拭い去りながら廊下を走り抜けた。それから、また私は学校に行けなくなった。貝殻に引きこもる怯えたやどかりみたいに部屋に閉じこもり、ついには何度も心配のLINEをくれていた美鈴に〈みてこれ、気持ち悪いでしょ〉と鍵垢のインスタのURLを送った。そこにはこれまで私が作り上げてきた美鈴の投稿した写真そっくりの私が写っている。終わった。私は、終わった。布団を被ってしゃくり声をあげながら泣いていた時だった。携帯が振動した。画面には美鈴と表示されている。
「も、しもし」
私の声は、掠れていた。
『今なにしてんの』
「家」
『そっか、じゃあ今から出てきてよ。莉子の家の前にいるから』
えっ、と布団を引き剥がし、カーテンの隙間から外を覗くと、確かに制服姿の美鈴が家の前にいた。私に気付くと笑みを浮かべ手を振っている。
「美鈴、学校は?」
『抜け出してきた。だから、出てきてよ。ほら、早く』
促され、私は寝間着姿のまま家を出た。すぐに美鈴が「こっち」と指を差し、私はその後をとぼとぼと追いかけた。顔を見れなかった。美鈴の投稿した写真を、場所も構図もメイクや服装まで丸っきり模した写真を投稿している私のアカウントを自ら送ったのだ。いくら同性でも気持ち悪いに決まってる。ストーカーとか、イタズラ半分でも私に近付いてきたの、と罵られても仕方がないと思っていた。
けれど、美鈴は近くの公園でベンチに座るなり、「莉子ってさ、私のファン過ぎない?」と砕けたような笑みを浮かべ背中を擦ってくれたのだ。
「ご、めん。ごめんなさい」
私は、もう随分前から泣いていた。悪ふざけが過ぎたのだ。誰かの真似をして、誰かに成り切り、そこから人間関係を構築することが出来る私の能力に勝手に悦に浸っていた。相手の気持ちなんてこれっぽっちも考えていなかった。
「私、気持ち悪いよね。ほんとにごめんなさい」
再度頭を下げる。すると、美鈴が「ねえ、ちょっと」と肩に手を添えてきた。
「謝って欲しくて来たんじゃないんだけど。っていうか、私怒ってるようにみえる?」
「え」
「莉子はさ、真似るのが好きなんでしょ? しかもあそこまで完璧に真似られるのってさ特技の域じゃん」
「え、私」
顔をあげると、美鈴が笑っていた。春の陽だまりみたいな暖かい笑みだった。
「っていうかさ、真似してなにが悪いの? そんなこと言い始めたら皆そうでしょ。私だってそうだよ」
それから美鈴は自身の過去を話してくれた。小学校から中学の終わりまで丸々とした体形だった為に美鈴は女子からも男子からもいじめられていたらしく、もう二度とあんな目に会いたくないと高校に入学するまでの期間は必死にダイエットに勤しんだらしかった。更には、もう二度といじめられたくないとこれまでドラマや映画でみてきた強い女性像を身に纏い葉山美鈴というキャラクターを作り上げたらしかった。
「なんかさ、私ももう疲れてたんだよね。男子からは遠目にみられるし女子には気を使われるし、でも今更キャラ変出来ないでしょ? だから友達といる時とか学校にいる時は常に気を張ってたね。私は、私でいなきゃって。そうしなくちゃ、またいじめられるかもって」
「そう、だったんだ」
「でもさ、それっておかしくない? 他人の顔を気にして、他人の意見を気にして、なんで私が好きなように生きれないの? そんなこと前から思ってたけどさ、今回の莉子の件で尚更思ったの。いじめる側が悪いんじゃん」
手を取られた。
「だから、あんたは好きなように生きなよ。私もそうするから」
「美鈴を、真似しててもいいの」
問いかけると、美鈴が大きく頷き、私の目からはより涙が溢れた。
「その代わり、また相談乗ってよ」
私は泣きながら何度も頷いた。顔をあげると、触れてしまっただけで割れてしまいそうな程に綺麗な空があり無意識に手を伸ばしていた。
一月後、美鈴を何度も泣かせた彼氏とはわたしが別れさせた。
「もしその彼とわたしが付き合っているとして、美鈴にされたことをそのままわたしがされていると想像してみて」
鏡をみて欲しくて、わたしはそう言った。
「その先、わたしが幸せでいれると思う?」
「思わない。思え、ない」
「今は辛くても、先を考えようよ。美鈴は誰よりもかわいいよ。わたしが保証する」
今のわたしは、葉山美鈴だ。イコール、わたしもかわいい。
「うん、また新しい恋をするよ。私さ、絶対幸せになるから!」
美鈴が幸せなら、わたしも幸せだ。それから半年後、美鈴に新しい彼氏が出来た。行く気すら無かったサッカー部の応援で、他校に出向いたのが出会いだった。
幸せは、ふとしたところに落ちている。たとえ今は闇のなかにいても、何でもない日常の欠片が途端に輝き始めたりするものなのだろう。人生なんてそんなもの。バターみたいなもの。ゆっくりゆっくり溶けるから、決断を急がなくていい。私なんて不幸だと決めつけるのは、八十年先でいい。幸せは自分から掴みにいくものだ。そう信じ続けてさえいれば、いつかきっと訪れる。あの男性だって言っていた。そう、合言葉はハッピーエンドバター。
ハッピーエンドバター 深海かや @kaya_hukami
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます