最底辺探索者キース  第三部:時間経過編「語られない伝説」

塩塚 和人

第1話 「名を呼ばれない者」

朝は、少しだけ遅くなった。


目を覚ますのに時間がかかる。

身体の節々が、理由もなく重い。


「……年、だな」


キースはそう呟いてから、誰に聞かせるでもなく笑った。

小さな焚き火の前、湯を沸かし、簡素な食事を整える。

それだけで、一日の始まりとしては十分だった。


ミィは白い毛が増え、動きは落ち着いた。

黒猫は相変わらず静かだが、以前より眠る時間が長い。

シャオは成長し、すっかり大きくなったが、キースのそばを離れない。


「今日も、行くか」


返事は、鳴き声ひとつ。


街道を歩くと、若い探索者たちとすれ違う。

装備は新しく、目は鋭く、背負う覚悟も重そうだ。


「聞いたか?

 昔、この辺りを一人と三匹で歩いた探索者がいたらしい」


そんな声が、風に混じる。


「最底辺だったとか」

「名前は……なんだったかな」


キースは、何も言わずに通り過ぎる。

訂正もしない。

名乗る理由も、もうなかった。


【スキル〈まねきねこ〉:微弱反応】

【状態:老化/不可逆】


力は、ほとんど残っていない。

だが、困ることもない。


世界は、もう探索者を必要としていないわけじゃない。

ただ――キースである必要が、なくなっただけだ。


丘の上で、立ち止まる。

遠くに、街が見える。

その周囲には、道が張り巡らされている。


「……ちゃんと、残ったな」


ダンジョンは管理され、

歪みは共有され、

探索者という役割は、世界に溶け込んでいる。


それでいい。


伝説は、語られなくなる。

名前は、削られていく。


だが――

歩いた痕跡は、消えない。


ミィが足を止め、キースを見上げる。

黒猫が静かに頷き、シャオが尻尾を振る。


「まだ、歩けるな」


キースは、杖代わりの木枝を握り直した。


英雄ではない。

伝説でもない。

ただの、名もない旅人。


それでも――

この世界のどこかに、

確かに“いた”という事実だけは残る。


語られない伝説は、

今日もまた、静かに道を進む。

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