痛覚・共有 激痛・残存

女神なウサギ

第1話 どうして?ねぇ、どうして?



プロローグ

とあるクマの日記/0

 その時、私は初めて捨てられたことに

気付いたのです。

でも私は悲しくなんかありませんでした。

大好きなあの子と一緒になれたから。

だから私は喜んでいたのです。

あの子と同じ時間を過ごせるこれからを。

―ええ、本当は悲しかった。

戸惑いと疑問でいっぱいでした。

なんで捨てたの?

なんで置いていくの?

あれほど一緒に過ごしたのにー

でも、ダメでした

どんなに悲しくても黒いボタンでできたこの目からは涙の一粒もこぼれませんでした。

「うっ」

私は心臓が圧迫されるような苦しみに襲われ目を覚ました。体を起こし胸のあたりを軽くさすってみる。別に異常はない。深いため息をつき、枕元のランプを点けると、部屋はほのかな光に包まれた。このまま再び眠りにつこうかとも思ったが、それもつまらない気がして、ベッドから出て窓のカーテンを開けた。

ここは騒然と立ち並ぶ高層マンションの一つ。階数は二十五階でこのビルでは最上階だ。だが景色はあまり良くない。この部屋から見えるものと言えば、下にある近所の子供たちが遊ぶために設けられた小さな公園と、このビルと同じように立ち並ぶ高層マンションくらい。見方によってはこの景色を称賛する人もいるのだろうけど、私からしてみればつまらない風景だ。日々移り行く自然の景色に比べれば、老朽化が進んでも外見がさほど変わらないこの景色は静止画にすぎない。

ふと、時間が気になった。今は何時なのだろう?

家の時計はリビングにしか無い。歩くのは面倒なので公園の時計を見る。時刻は深夜0時を僅かに回ったところだった。道理で暗いわけだと一人、納得する。やがて景色を見る事にも飽きてベッドに腰をかけた。

すっかり目は覚めていた。眠れない夜は長く、何か退屈しのぎをしなければならなかった。そこで私はあのについて考えることにした。

そっと手を当ててみる。ドクン・ドクン、と心臓の鼓動がはっきりと聞こえる。ただそれだけだ。何の異常もない。発作が起きるようになったのはつい最近のことではない。あれは私が六歳の時。

今日の様におぼろ月が高く昇り、二つの上下に並んだ雲が僅かに月にかかった幻想的な夜だった。

寝室のベッドで寝ていると突然、圧迫されるような苦しみに襲われた。思わず飛び起きて周りを見回すが誰もいない。泥棒だろうかと思い窓の鍵を確認してみるが、寝る前と同じようにしっかりと閉まっていた。念のため下を確認してみるがはしごのような部屋へ侵入できる物は何もない。考えてみれば足音など全く聞いていなかった。私はぐるぐると部屋の中を歩き回った。そしてしゃがみこみ、訳も分からないまま泣いた。母親が来て慰めてくれたが怪奇な出来事によってつけられた心の傷は簡単には塞がらなかった。

それが十六年前。以来、不規則に繰り返される発作に悩まされてきたー。悩まされていたのは中学1年生までの話だ。2年生になる頃には不思議と発作に馴れ、成人する頃には完全に受け入れていた。それでも原因が気になっていることに変わりはないのだけれど。

ああ、この発作は何なのだ?悪い病気か?答えは出ない。

それでも答えを出そうとしていつもの逃避的な回答にたどり着く。

“受け入れているのだから気にしなければいい”

事実、この答えにより救われているところもあり、この答えが出た後は考えるのをやめる。

今夜もそうだった。私の頭の中からは未知への好奇心などきれいに消えていた。少しカーテンを開けて公園の時計を見る。時刻は12時20分。

闇は深い。

 学校の帰りに通ったゴミ捨て場で僕は茶色いクマのぬいぐるみを拾った。大きさは15センチくらいで、黒いボタンの目が可愛らしい。

別に、ぬいぐるみが特別好きなわけではない。夜に抱きしめて寝たいわけでもない。だけどそのぬいぐるみは、なぜだか無性に欲しくなった。おかしな話だけど、このクマのぬいぐるみからは母親のような温もりを見た瞬間に感じた。だから僕はゴミ捨て場のネットをどかして、ぬいぐるみを引っ張り出した。そうしてバックにいれて家に持って帰った。

 「ただいま」

一応、言ってみる。返事は無い。

僕はいつものように落胆しのスクールバックを無造作に床に置いた。

両親は僕が高校へ上がるのを待たずに離婚してしまった。犯罪に手を染めたわけではない。だけど、酔っぱらって母親に手をあげることはよくあった。ただ、それだけだ。子供からみればそれだけでも当人たちには重要な問題だったらしい。幾度かに渡る夫婦げんかの末に去年、離婚した。僕が中学3年生の時だ。当時、受験の真っただ中だった僕はパニックになっていた。受験と夫婦げんかの板ばさみに合い、他の受験生と比べて倍のストレスを感じていたと思う。幸い、受験料を払ってから離婚したので、無事に入学できた。合格とともに両親が離婚することを知っていた僕は、一人だけ合格を素直に喜べなかったことを覚えているー

「バカみたい」

本当にバカみたいだ。なんだって僕は過去の傷を自分で掘り返しているのだろう。

スクールバックからさっき拾ったクマのぬいぐるみを取り出して眺める。

やっぱり、可愛らしい。といっても、これといって特徴のある外見ではない。むしろ、ぱっとしない茶色のクマのぬいぐるみといった方がしっくりくる。しいて言えば余分な縫い目が一つもない外見と、黒い目はきれいだが、そんなことは何の特徴でもない。ふと、ぬいぐるみの顔がほこっていることに気づいた。

「拭かなくちゃね」

ズボンのポケットからハンカチを取り出し丁寧に拭く。拭き終ると心なしクマも喜んでいる気がした。ぬいぐるみを持って二階へ上がる。

寝室はそれこそ殺風景で特徴がない。ノートパソコンが置かれた机と散乱した漫画本、ベッドがあるだけだ。典型的な高校生の部屋だと思う。ぬいぐるみをベッドに置きパソコンに向かう。立ち上げたのは自分で作ったソフト。両親が離婚する以前から家庭内で孤立していた僕は、専らパソコンに向かい自作のゲームの開発に熱中していた。今立ち上げたソフトもその中の一つ。ピコン、と響きの良い音がしてソフトが起動する。画面に映っていたのは自分の家のリビングと犬だった。

「ロベルト・・」

ロベルトは僕の愛犬だ。種類はシェパード。自衛隊が災害時の救助に連れていくやつ。全体的に狐色で顔と背中だけ黒い。ロベルトと僕は親友だった。辛い時には一緒に悲しみ嬉しい時には思いきり喜ぶ。毎日のロベルトと遊ぶ時間だけが楽しい時間だった。シェパードは元々、飼い主に忠実な犬種だと言うけれどロベルトは犬種と言うより、家族として僕に接してくれた。

だけど、もういない・・

彼もまた、僕が高校に入学して間もなくこの世を去った。もちろん、寿命で。十二才だった。あの時ほど絶望した時は、無かったよ。

だけどもう平気。彼はこのソフトの中にいるから。

これは恐竜とかの絶滅した生き物をデータで再現するためのソフト。つまり、コンピュータの中に生き物を生み出すことができる。このロベルトはまさに本物。食事もすればトイレもする。僕が名前を呼んだらちゃんと応えてくれる。このロベルトと遊ぶことが僕の生きがいだ。

「あっそうだ」

クマのぬいぐるみをパソコンの横に置き、専用の装置を取り付ける。このソフトはおもちゃのデータを転送することで、中の生き物に与えることもできる。ピコン、と音がして転送完了。うり二つのクマのぬいぐるみが画面に現れる。

「ロベルト、お土産だよ」

言うより早くロベルトはぬいぐるみにじゃれつく。シェパードも遊ぶ時は思いきりはしゃぐのだ。

「良かった、気に入ってくれて」

無邪気に遊ぶ愛犬の姿を僕は、この上ない幸せを感じながら眺めていた。


とあるクマの日記/1

痛い、痛いよう

何という事でしょう

よりにもよってこんな悲劇に遭うなんて

体中がずきずきと痛む

これは人を呪った罰なのでしょうか?

でも、反省なんかしません

私は悪くない。悪いのは私を捨てたあの子―

ううっ。でもやっぱり痛い

困ったなあ・・気持ちなんて伝わらないのに

涙の一滴もこぼれないのに

だけど、私は一人じゃない

私の痛みはあの子の痛み

私の心はあの子の心

私は鏡

映ったものをまっすぐあの子に伝える鏡

あの子は私ではない。だけど私はあの子

蝉がやかましく鳴いている。

休日の午後。私は快晴の空の下、道路を散歩していた。理由は単純。こうして歩けばあの発作の原因が分かるかもしれないから。

昨日も発作に襲われた。それ自体はもはや日常生活の一部となったことでなんの恐怖もない。だが、昨日の発作は異常だった。熊にでも襲われたかのような激しい痛みだった。息が苦しくて本当に怖かった。あんな事、初めてだ。どうして急に痛みが激しくなったのかは分からない。だけど気にしないわけにはいかなくなった。この先、発作がこれ以上ひどくならない保証はないのだ。あと40年近く生きる身としては原因を突き止めないわけにはいかない。なのに、一向に手掛かりはつかめない。いや、手掛かりなど必要ないのかもしれない。本当に悪い病気なのかもしれない。なら、病院へ行けば解決する。その案は意外にしっくりきて私は病院へ行くことにした。

私が訪れた病院はこの地区で一番の大病院だった。ここなら何か分かるかもしれない。

病院の外見はいかにもそれらしく白で塗られ、中央に赤の十字架がついている。大きさは大学病院くらい。入口の自動ドアを抜けて中に入る。

複数ある受付のうち内科を受診する。本当にこれで解決できればいいのだけれど。

待合席で小さくため息をつく。自分が重病を患っていないことは知っているのだ。初めて発作が起きた次の日に私は親と病院へ行き、そこで指摘されたことは精神的な疲労だった。だけどそれは確実に誤診だ。私はあの当時、何のストレスも感じてはいなかった。平凡な幼児としての生活を送っていただけなのだ。だとすればこの発作は一体―

いや、いい。それもすぐに分かる。

程なくして番号を呼ばれ診察室の中へ。

診察室はそれ程広くは無く、のどを見るためのライトや注射器などが置いてあった。担当は髪を灰色に染めた年配の男性だった。

「今日はどうされましたか?」

年齢には似つかないしっかりとした優しい声だった。その台詞に少し安心する。

「何年も前から不規則に発作が起きるんです。もう馴れてしまったけれど理由が知りたくて」

「そうですか。大変ですねえ。じゃあ、調べてみましょう」

そう言って首から下げている聴診器を当てる。顔色を変えないところを見るとどうやら異常はないようだ。のども診たがやはり顔色は変わらない。それは職業柄というより本当に異常がない事の表れだろう。

「うん。異常はないね。だけどまた発作が起きるといけないから、発作を抑える薬を出しておきますね」

私は頷いて挨拶をして部屋を出る。正直、がっかりしていた。結局は何の解決にもならなかった。

医者には以上が無いと言われた。いつもならそれで安心するが今回はそうはいかない。なにしろ異常は確実にあるのだ。なければ発作など起きるはずがない。だとすれば今回は問題が無かったのではなく、問題が見つからなかっただけだ。薬をもらったがこれも期待できない。体に異常がない事は自分が一番よく分かっている。なら、効かないと分かっている薬なんて意味がない。厄除けのお守りの方がよほど価値がある。そんなことを考えながら待合室に座っていた時だった。

「はは、お姉さん病んでいるね」

驚いて声をした方を見ると隣の列の椅子に怪しげな男性が座っていた。年齢はー分からない。20代だろうか?上下黒の服を着ている。それだけでも病院には合わないがさらにどきついドクロのネックレスをつけている。明らかに場違いだ。お坊さんが仕事の格好で受診しにきている、と言うならまだ分かる。だが、どう見てもお坊さんとはかけ離れている。第一、お坊さんなら坊主頭のはずだがこの男の髪は異様に長い。そのせいで目が見えにくく不気味さが増している。

「あなたは?」

本来なら関わるべきでは無いのかもしれないが好奇心に負けてしまった。

「なに。ただの占い師だよ」

素っ気なく答える。

ああ、その道もあったのだ。私はてっきり危ない人かと思っていたがそれなら納得だ。黒い服装も長い髪も雰囲気を作るためなのだろう。

「それより、あなた、ついているよ」

ついている?それって運が良いってこと?

早合点しようとした私を見透かしたように男が説明する。

「違う、違う。悪い物に取りつかれているってこと。お姉さん、何かした?お祓いは早い方がいいよ。あ、俺なら格安で見てあげるけど」

訂正だ。こいつ、詐欺師だろ。典型的な霊感商法をやる詐欺師。言う事が全て怪しすぎる。いきなり人に霊がとりついている、なんていう占い師がこのご時世にいるものか。仮にそこまではいたとしても、早くするように勧めたあげく、格安でき受けるなんて言うか!絶対に詐欺だ。

「なんか信用されてないなあ。占い師にはきつい世の中だ。まあ、本人の自由だから仕方ないけど」

そう言ってポケットから何か取り出す

「はいこれ。渡しておく」

投げて渡された物はテレホンカードだった。

「それ、あげるよ。裏に俺が開いている店の住所が書いてあるから気が向いたら来てみて。ついでに残金200円もサービス」

「えっ」

「いいから、いいから。持っておいて損は無いよ」

本当はもっと言いたいことや聞きたいことがあったのだが、受付に呼ばれてしまった。それに詐欺師と会話してろくなことは無い。

受付を済ませて男のいた席に目をやるとすでに姿が消えていた。探すのも面倒なので家に帰ることにした。


とあるクマの日記/2

イモリが、うらやましいです

皆さん知っていましたか?

イモリって生命力がとても強くて一部の種類はかすり傷が、見る間に治ってしまうのです!

―でも、私はイモリではないのです。ただのクマです。

だから、この地獄に耐えなければいけないのです。

治ることのない傷を負い続ける地獄を

ああ、いつまで続くのだろうな、これ・・

あの子を呪った罰にしても釣り合わないよ

でも、神様は私の味方です

だって私の呪いの力は消えていないもの

この力がある限り、一人じゃない

あの子は私から逃げられない

影のようにあの子に呪いはまとわりつく

だから、もう少し意地を張ります

ごめんなさいは言わないよ

いった、いった、痛いってば!

 うす暗い部屋の中で僕はマウスをいじっていた。このマウスは自作したゲームに適応できるようになっていて、入れたソフトによってコントローラになったりカメラのシャッターになったりする。だけど今はそのどちらでもない。マウスは今僕の手になっていた。画面にはロベルトが映り気持ちよさそうに寝転んでいる。普通ならこの姿を見るだけで終わりになるが僕はそうじゃない。

ロベルトにマウスポインタを合わせるとポインタが白い手のアイコンになる。それをそのままロベルトの背中に当てマウスを撫でる。そうするとまるで実際に犬を撫でているかのような感触が伝わってくる。これが、このソフトに合わせたマウスの機能。撫でれば実際の感触が伝わり、おもちゃの画像を選べば掴んで投げることだってできる。色々なゲームやソフトを作ったが実際には、ほとんどこのソフトしか使っていない。だって、こうしてロベルトを撫でている時が一番幸せだもの。

立ちあがりクマのぬいぐるみを眺める。

やはり何の特徴もない。どこにでもあるような普通のクマのぬいぐるみだ。

「いや、もしかしたら」

もしかしたらそれが特徴なのかもしれない。どこにでもあるようなぬいぐるみ、それはつまり人間に例えると個性がない事と同じだ。何の特徴もない人間―そんなものあるわけがない。個性がないと言う事は存在していないのと同じだから。そうか、それが特徴だったんだ。個性がない事自体がこのぬいぐるみの特徴だったのだ。そう思うと何か肩の荷が降りたような軽い気持ちになった。ベッドに寝転がりぬいぐるみを上に投げてキャッチ。しばらくこれで遊んでいたがやがて飽きてパソコンに向かう。ロベルトは起きていてこのぬいぐるみと同じものを噛んで遊んでいる。どうやら最近のお気に入りらしい。僕はマウスをおもちゃに合わせて引っ張った。それをロベルトが引っ張り返す。犬の好きな引っ張り合い、力比べだ。

しばらくの綱引きの末に僕が勝利。おもちゃを空中に放り投げるとロベルトが華麗にキャッチ。さすがは警察犬だ。逃げるロベルトを追いかける。飼っている人なら分かるかもしれないが、猟犬の特にオスは気性が荒い傾向にある。ロベルトもそうだった。画面の中のリビングを勢いよく走り回る。これだけでも十分に大変だがロベルトの場合は犬種としての高い身体能力がある。なので、他の犬の倍の破壊力がある。

「待ってロベルト」

尻尾を振りながら逃げるロベルト。

これだけ破壊力があっておもちゃが壊れないはずがない。おもちゃはもうボロボロだ。そろそろ本気で取ろうと思ったその時だった。ブチっと音がしておもちゃが壊れた。といってもほんの僅かに綿が見える程度なのだが。

「あーあ、壊れちゃったね」

本当ならここで叱ったほうがいいのだろうけど今回は事故なので許す。

すまなそうにおもちゃを置くロベルト。

さすがに察しがいい。

「ああ、いいよ、気にしなくて。直しておくから」

この画面に現れるおもちゃの修理は簡単だ。データを送信した時に元になる画像も贈られるのでそれをクリックすれば修正できる。

「にしても、元気だね、お前は」

このソフトを作った時は正直、成功するなんて思わなかった。データから生命を生み出すなんて無理だと思ったし、仮にできたとしてもどこかに不具合が生じると思っていた。だけど結果は成功。ロベルトは生き返り不具合もない。こうしてまた元気に走り回ってくれる。それが何よりもうれしかった。

「ロベルト、大好きだよ」

尻尾を振って返事をする。

もう一度マウスをそっと撫でた。


とあるクマの日記/3

―ついに私はやられてしまった

痛みからは解放されたけどもうお終りだ

能力を制御できない

次次に力が湧いてくる

まるで噴水のようだ

そうだ。私は噴水だ

汚れた水を噴き上げる壊れた噴水

だけど、気の毒だな

あの子まで巻き添えになるなんて

確かにわたしの望んだことだけど

助けてあげたい。でも助からない

心は黒くなるばかりだ

もう、眠たくなってきた

眠ってしまおうか?

眠ってしまおう

それではみなさんお休みなさい・・



 「!」

突然、強烈な痛みに襲われた。

今までとは明らかに違う激しい痛みだった。しばらく何が起きたのか理解できずにぼう然として、発作だと気付いたのは5分後のことだった。

分かってからもしばらく動けず金縛りのような状態が続いた。さらに5分が過ぎようやく起き上がることが出来た。

「何で、今日に限って」

このところ発作は毎日のように起きていた。今までと比べるとかなり激しく、激痛に襲われた。だが今回の発作は異常だった。まるで刃物で襲われたかのような痛みだった。何で今日に限ってこんなにも強烈な痛みに襲われたのか。それは彼女には理解できなかった。代わりに不安がよぎった。何か知らないうちに危険なことに巻き込まれているのではないかと。そう思うと居ても立っても居られなくなった。大急ぎで出かける支度をする。

行くあてはある。あの占い師の所だ。今はもう彼が本物かどうかなどどうでも良かった。この発作の原因を知りたい。その一心だった。

一通りの身支度を終えてテレフォンカードを持つ。そしてそのまま家を飛び出した。カードに書かれている住所はここからそう遠くない。それが不幸中の幸いだった。まだ日が昇っていない夜の道を駆け抜ける。夜の道は怖いほど静かだった。人の話し声どころか風の音さえない本当の無音の世界だ。唯一聞こえるのは自分の心臓の鼓動。走り続けてようやく目的地である街灯下の店に着いた。

「今晩は、お姉さん。ずいぶん息を切らしてどうしたの?」

病院で聞いたあの声だ。顔をあげると占い師が不敵に笑っていた

「見て欲しいんです。発作の原因を教えて下さい」

今まで言ったようで言っていなかった心からの言葉

「うん、いいよ。そういう約束だから。じゃあそこの椅子に座って」

古ぼけた小さな丸椅子を指す

椅子に座り手の平を見せる

「お願いします」

その行動に占い師は微かに笑う

「大丈夫。俺は相手を見ただけで分かるから」

そう言ってしばらく私を眺める

「うん。やっぱりついているね。いや、呪われていると言う方が正しいか。どす黒い影が君にまとわりついている。古く強力なまじないだ。君、まじない師の知り合いとかいる?」

「いません、そんな人」

「そう。じゃあ元凶を探ってみようー」

目をつむって何かを念じている

「分かったよ、元凶が」

「何だったのですか?」

「世に言うつくもがみだな。古い道具に命が宿るってやつ」

「なんでそんなものが・・」

「化けているのはクマのぬいぐるみだな」

「クマのぬいぐるみ?」

「そう。そいつが発作の元凶だ。身に覚えは?」

「無いです」

「そっか。まあ、居場所も分かったから行ってみると良い」

「―分かりました。ありがとうございます」

「うん。また何かあったら相談に来てね」

お辞儀をしてその場を去った。

 翌日。早速、教えられた場所に行くことにした。

そこは住んでいるマンションとは別のマンションの二階にある一室。深呼吸をしてインターホンを押す。

“ピンポーン”

「どちら様ですか・・」

言い終らないうちに室内に侵入。完全に違法だけれどこの際仕方がない。室内に侵入できるまともな言い訳など有りはしないのだ。

「はっ?えっ?ちょっと」

動揺してまごつく住人を無視してリビングへ入る。私は一心に目的の物を探した。

あるはずだ。クマのぬいぐるみがー

程なくしてそれは見つかった。ベッドの上にクマのぬいぐるみが置かれている。私は安心すると同時に、ある一つの記憶を思い出した。それは私が6歳の時のゴミ捨て場での記憶だった。

 *

私は学校の帰り道にあるゴミ捨て場の前でお気に入りだったクマのぬいぐるみを眺めた

―このぬいぐるみだいぶ汚れちゃったなあ

そろそろ新しいやつ買おう。

それから私は何のためらいもなくゴミ捨て場のネットを上げてぬいぐるみを放り込んだ。

そして私は何事も無かったかのように家へと帰ったー

 *

全部、思い出した。あれほど大事にしていたのに。辛い時も嬉しい時もずっと一緒だった。一番近くにあった本当の宝物。なのに私はあんなにも無造作に捨てた。

「ごめんね・・」

自然と涙が出てほおを伝ってぬいぐるみに落ちる。

「寂しかったよね。もう、放さないから・・」

ぼう然とする住人をよそに私はクマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。

 あれから3か月が経った。今では発作は無くなり私はごく普通の生活を送っている。

問題のクマのぬいぐるみは現在、私の手元にある。

あの部屋の住人でありぬいぐるみの拾い主でもあるお兄さんはかなり困惑していたけれど、元の持ち主が私であることを説明して何とか返してもらえた。まあ、その代わりに犬のおもちゃをあげる約束をしたのだけれど。

今でも時々、恐くなるときはある。怨念というものを実際に体験したからだ。あれ以来、私は幽霊を信じるようになった。友達と怪談の話をしていても完全には笑い飛ばせなくなった。そんな私を見て友人は幽霊を信じているのかと聞いてくる。

もちろん私は、信じていると答える。そうすると必ず驚かれる。幽霊を信じる様には見えないのかもしれない。でも、事実だ。実際に心霊体験みたいな事をしたのだから信じないわけにはいかない。そのことに不自由はない。実際に体験している分、人よりもリアルな話をすることができる。おかげで今まで以上に友人たちと仲が良くなった。とにかく、私の今の生活は平和だ。ベッドの枕元に置いてあるクマのぬいぐるみを眺める。こうして眺めると思い出が次次に浮かんでくる。私は本当に一番大事な事を忘れていたのかもしれない。本当に大切だと思うものなら汚れていても大事に取っておくべきなのにー

私はクマのぬいぐるみにほほえんだ。


エピローグ

とあるクマの日記/4

温かい

いつ以来だろうこんな温もり

雨風に去らされ続ける心配はもう無い

だけど、このままでは終わらないことは分かっています

私はあの子に呪いをかけた。自分が受けた痛みをその日の夜に呪いをかけた人に反射する呪いを

だから、このままでは終わらない

きっと私は罰を受ける

犯した罪と等しい罰を

でも、平気です

あの子と一緒にいられるなら

いつか刑期を終えて本当にあの子と一緒になれた時

その時こそが私の幸せの瞬間だ

だから私はその日を待ち続けます

いつまでもー 






 








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