復讐くじで国民が殺す——ジャスティス・キラー  2030年、正義は500円で買える

ソコニ

第1話 聖者の仮面


プロローグ

2030年12月。


東京湾岸エリアの国営スタジオから、今夜も「審判の刻」が全国へ生配信される。


スマートフォンの画面を覗き込む無数の瞳。課金ボタンに指を添える無数の手。そして、真っ白なスーツに身を包んだ男——灰音零は、いつものように透明なホログラム・マスクを装着した。


マスク表面に浮かぶのは、リアルタイムで変動する「国民の怒り指数」。今夜は63%。まあまあだ。


零は左腕の袖を捲る。そこには黒いタトゥーの数字。


「44」


また一つ、減らさなければならない。


「さて、始めましょうか」


零の左目に映るスマート・コンタクトの表示が、ターゲットの心拍数を刻み始める。


これは復讐でも、正義でもない。


2030年の日本が選んだ、エンターテインメントだ。


第一章:聖者への告発

「この人が、私の娘を殺したんです」


車椅子の女性——園田美咲は、震える声でそう訴えた。


厚生労働省特別執行室。応接用の白い椅子に座る彼女の膝には、額縁に入った少女の遺影が置かれている。七歳。まだランドセルが似合う年頃だった。


零は無表情で資料に目を通す。


「交通事故、ですね。加害者は医師の立花誠。飲酒運転の疑いがあったが、証拠不十分で不起訴処分。そして三ヶ月前、あなたが『復讐くじ』の第一次抽選で当選した」


「はい……」


復讐くじ——正式名称「被害者救済執行制度」。


2028年の刑法改正により導入された、この国の新しい「正義」の形。重大事件で加害者が無罪または軽微な処罰に終わった場合、被害者遺族に抽選で「合法的復讐権」が付与される。ただし、遺族自身に執行能力がない場合は、国家公務員である「執行補佐官」が代行する。


零のような、存在が。


「立花医師は現在、都内で小児医療クリニックを経営しています。地域の慈善活動にも熱心で、SNSのフォロワーは280万人。『現代の聖者』とまで呼ばれている」


零は淡々と続ける。


「あなたへの誹謗中傷も相当なものです。『金目当ての狂った母親』『娘の死を利用している』……アカウントの停止申請は出しましたか?」


「出しました。でも……」美咲は唇を噛む。「私は、狂ってなんかいません。あの人が、本当に娘を殺したんです。私には分かるんです」


零の左目のスマート・コンタクトが、彼女の数値を表示する。


心拍数:152。異常に高い。


そして——


「これまでの嘘の回数:2,653回」


零は内心で眉を上げる。一般人の平均が200回程度であることを考えると、異常だ。だが、悲しみで混乱している人間は、些細な嘘を重ねることもある。今は、まだ何も言わない。


「分かりました。では、三日後の金曜日、午後8時。『審判の刻』枠で執行します」


「あの……」美咲が震える手を伸ばす。「灰音さん。あの人は、本当に悪い人なんでしょうか」


零は資料を閉じた。


「それを決めるのは、私ではありません」


零は立ち上がり、白い手袋を嵌め直す。


「国民の、指先が決めるんです」


第二章:聖者の告白

執行前日。


零は立花誠のクリニックを訪れた。事前調査は執行補佐官の義務だ。


「ああ、あなたが」


立花は穏やかな笑みで零を迎えた。40代半ば。温厚そうな丸顔に、優しげな目元。白衣姿が実に似合う男だった。


「明日、僕を殺しに来るんですよね」


「……ええ」


「構いませんよ」立花は本当に構わなさそうに言った。「園田さんの悲しみが、僕の死で少しでも癒えるなら」


零は診察室を見回す。壁には子どもたちからの感謝の寄せ書き。「ありがとう先生」「また来るね」。無邪気な文字が並んでいる。


「あなたは本当に、飲酒運転をしていなかったんですか」


「していません」立花は即答した。「僕はあの日、確かに車で園田さんのお嬢さんを轢いてしまった。でも、飛び出してきたんです。ブレーキは間に合わなかった。酒は飲んでいなかった。それが真実です」


零のスマート・コンタクトが、立花の数値を表示する。


心拍数:74。平常値。


「これまでの嘘の回数:1,847回」


零は静かに尋ねる。


「1,847回。嘘が多いですね」


立花は少し驚いた顔をしたが、すぐに苦笑した。


「ああ……その『嘘』には、『大丈夫だよ、すぐ治るよ』と言った回数も入っているんでしょうね」


「……どういう意味ですか」


「小児科医の仕事には、優しい嘘が必要なんです」立花は遠い目をした。「余命わずかな子供に『もうすぐ元気になれるよ』と言う。治らない病気の子に『頑張れば良くなる』と励ます。それは、嘘かもしれない。でも、希望なんです」


零は何も言わなかった。


スマート・コンタクトは、善意の嘘と悪意の嘘を区別しない。それは設計上の欠陥か、それとも——。


「でも」立花は続けた。「真実がどうであれ、園田さんの娘さんが亡くなったことに変わりはない。僕の車が、あの子の命を奪った。だから僕は、罰を受ける覚悟ができています」


零は無言で立ち上がった。


調査は終わりだ。明日、この男は——


左腕のタトゥーが、微かに熱を持つ。


零は小さく顔をしかめた。


第三章:真実の層

執行当日。午後8時。


国営スタジオのセンターステージに、立花誠が立っている。


周囲を囲むのは透明な強化ガラスの壁。その向こうには無数のカメラ。そして、日本全国1億2000万人のスマートフォン。


零はステージの端で、手首のデバイスを起動した。


「センチメント・テザー、展開」


目に見えないほど細いナノワイヤーが、立花の首に巻き付く。


画面の向こうで、視聴者たちが息を呑む。


「これより、立花誠の執行を開始します」


零の声が、全国に響く。


「視聴者の皆さん。投票を開始してください。『執行賛成』に100円以上の課金をするごとに、ワイヤーの張力が増します。『執行反対』なら緩みます。判断は、あなた方に委ねられています」


立花は静かに目を閉じた。


カウントが始まる。


賛成課金額:2億8,000万円(280万人) 反対課金額:5億2,000万円(520万人)


反対が多い。SNSには「立花先生を殺すな!」「園田が狂ってる」の投稿が溢れる。


零は表情を変えない。


「立花誠。最後に言いたいことは?」


「園田さん」立花がカメラに向かって語りかける。「本当に、申し訳ありませんでした。あなたの悲しみが癒えることを、心から祈っています」


賛成:2億5,000万円 反対:6億5,000万円


さらに反対が増えた。


零の左目が、立花の心拍数を読み取る。82。やや上昇しているが、恐怖というより緊張だ。


そして——


零は静かに口を開いた。


「立花医師。あなたの『嘘の回数』は1,847回。一般人の平均200回を大きく上回ります」


スタジオが静まり返る。


「それは……」立花が言いかけるが、零は続ける。


「その多くは、患者への『優しい嘘』でしょう。『大丈夫』『すぐ治る』『心配ない』——そういった、希望を与えるための嘘」


観客がざわめく。


「しかし」零の声が冷たくなる。「その中には、17件の医療ミスを隠蔽するための嘘も含まれている。違いますか?」


立花の顔が、みるみる青ざめていく。


「な、何を……」


「あなたは過去10年間、自分や病院のミスで患者を死なせた記録を改ざんし、遺族に嘘をついてきた」


賛成:8億5,000万円 反対:1億8,000万円


数字が逆転した。


「やっぱり悪党だったのか!」「殺せ!」SNSが炎上する。


「違う……」立花が叫ぶ。「それは僕だけじゃない。病院のシステムが……医療訴訟を避けるために……」


零の手首のデバイスが光る。


ワイヤーが熱を帯び始める。


「ああああああッ!」


立花が首を押さえて悲鳴を上げる。


賛成:12億円


カウントは上がり続ける。


零は冷たく見下ろす。


「さあ、告白してください。あなたの本当の罪を」


「分かった……分かったから……!」


立花が膝をつく。


「僕は……医療ミスを隠した。17件。患者を死なせた。記録を改ざんして、遺族に嘘をついた。でも……」


涙が頬を伝う。


「でも、園田さんの娘は違う! あれだけは本当に事故だった! 僕は飲んでいなかった! 本当なんだ!」


零のコンタクトが、数値を表示する。


心拍数:165。


嘘の兆候:なし。


「……なるほど」


零は少しの間、黙った。


そして、手首のデバイスに触れる。


ワイヤーの張力が緩む。


「え……?」


立花が顔を上げる。


零は全国の視聴者に向かって言った。


「立花誠は、17件の医療ミス隠蔽の罪を認めました。しかし、園田さんの娘さんの件については、無実を主張しています。私の判定では、この主張に嘘の兆候はありません」


賛成:15億円 反対:20億円


カウントが拮抗する。


「どっちだよ!」「殺すべきか?」SNSが混乱する。


その時。


「待って!」


スタジオに、別の声が響いた。


車椅子を押しながら入ってきたのは、園田美咲。


だが。


彼女は、立ち上がった。


車椅子を蹴り倒し、すたすたとステージに歩いてくる。


零の左目が、再び彼女の数値を表示する。


「これまでの嘘の回数:2,653回」


第四章:本当の悪魔

「もう、いいわ」


美咲——いや、もう演技を捨てた彼女は、にっこりと笑った。


全国の視聴者が、凍りつく。


「園田さん……?」


立花が信じられないという顔で呟く。


「あなた、歩けるじゃないか……」


「当たり前でしょ。私、元陸上選手よ」美咲は軽やかにステージを歩き回る。「車椅子なんて、ただの小道具。同情を集めるための」


零は無表情で尋ねる。


「娘さんは?」


「ああ、娘は死んだわよ。本当に」美咲はあっけらかんと言った。「でも、立花先生が轢いたんじゃないの。私が殺したの」


スタジオが、完全な静寂に包まれる。


「毎日毎日、泣いて、喚いて、うるさくて。だから階段から突き落としたの。でも、それじゃ捕まっちゃうでしょ?」


美咲は楽しそうに続ける。


「だからね、瀕死の娘を抱えて近くの大通りに行ったの。そしてたまたま通りかかった立花先生の車の前に、娘を投げ出したの」


「なん……だと……」


立花が膝から崩れ落ちる。


「娘はその場で死んだわ。便利でしょ? 虐待死の証拠は車に轢かれたことで消える。そして私は『可哀想な母親』になれる」


美咲は零を見上げる。


「それから、飲酒運転の証拠を偽造して、厚労省のシステムをハッキングして『復讐くじ』の抽選を不正に通過した。計画通り、国が立花先生を殺してくれるはずだったのよ」


零は静かに答える。


「最初から、分かっていました」


「え?」


「あなたの最初の面談時、心拍数が152。異常に高かった。悲しみではなく、興奮でした。そして、娘の遺影を見つめる視線に、愛情が一切なかった」


零は続ける。


「それに、嘘の回数が2,653回。あまりにも多い。そこで調べました。娘さんの遺体には、事故前から複数の古い骨折痕があった。立花医師の車に轢かれる前から、娘さんは瀕死だった」


美咲は肩をすくめる。


「まあ、バレても良かったのよ。どうせ立花先生はもう死ぬんだから」


「いいえ」


零は手首のデバイスを操作する。


ワイヤーが立花から外れる。


「え……?」


「刑法改正第88条。『執行中に新たな重大犯罪が発覚した場合、国民の課金投票によって執行対象の変更が可能』」


零の声が、全国に響く。


「園田美咲。あなたは虐待殺人の容疑者であり、『復讐くじ』制度の不正利用者です。ここに、ターゲット変更の投票を開始します」


画面に、新しいボタンが出現する。


【特別課金:ターゲット変更(500円)】


「待って、待ってよ!」美咲が叫ぶ。「これ、立花の執行でしょ!? 私じゃないでしょ!?」


だが、画面は容赦なくカウントを始める。


ターゲット変更賛成:10億円(2,000万人)


わずか10秒で、必要額を超えた。


「ふざけないで! 私には、まだやりたいことが……!」


零はワイヤーを美咲の首に巻き付ける。


「最後に、一つ質問です」


「な、何よ……」


「あなたの娘さんの、最後の言葉は何でしたか」


美咲は震える唇で、答えた。


「『ママ……ごめんなさい……』って……言ったわ……」


零の左目が、数値を表示する。


嘘の兆候:なし。


零は数秒、黙った。


そして——


「……そうですか」


零は手首のデバイスのボタンを、押した。


ワイヤーが瞬時に収縮する。


ターゲット変更賛成:50億円(1億人)


美咲の悲鳴が、全国に響く。


そして——


静寂。


立花は呆然とステージに座り込んでいる。


零は彼に背を向け、静かに呟いた。


「立花医師。あなたの17件の医療ミス隠蔽については、別途、司法取引の対象となります。ただし今夜、あなたは生き延びた」


立花は震える声で答える。


「ありが、とう……ございます……」


零は振り返らない。


「感謝は不要です。国民の指先が、あなたを生かしただけですから」


エピローグ

執行終了後。


零は一人、スタジオの控え室でコーヒーを飲んでいた。


手元のスマートフォンには、執行の録音データ。美咲の最後の言葉。


『ママ……ごめんなさい……』


娘の声を真似た、母親の告白。


零はイヤホンでそれを聴きながら、別の録音も再生する。


立花の声。


『大丈夫だよ、すぐ治るよ』


優しい嘘。希望を与えるための嘘。


そして、医療ミスを隠蔽するための嘘。


零のスマート・コンタクトは、それらを区別しない。


「……どちらも、嘘だ」


零は小さく呟き、両方の録音を保存する。


ドアがノックされる。


「灰音補佐官。お疲れ様でした」


入ってきたのは、厚生労働省の上司——執行監督官の霧島だ。


「今回の課金総額、87億円。過去最高記録です。おめでとう。あなたの報酬は8,700万円になります」


「どうも」


零は無感動に答える。


「ところで」霧島が書類を差し出す。「次の案件です。明後日、緊急執行が入りました」


「早いですね」


「ええ。『復讐くじ』の第二次抽選当選者が出ましてね。ターゲットは——」


霧島が資料を開く。


「人気アイドルグループ『ステラ★ノヴァ』のリーダー、星川蒼。ファンによるストーカー殺人事件で、被害者の恋人を刺殺。ただし加害者は精神疾患を理由に無罪となり、被害者遺族がくじを引き当てた」


零は資料に目を通す。


そして、ふと気づく。


写真に映るアイドルの顔。


どこかで——


いや。


「灰音補佐官?」


零は資料を閉じた。


「……いえ、何でも」


左腕の袖を捲る。


黒いタトゥーの数字。


「43」


一つ、減っていた。


そしてそれは、零の余命でも、残り仕事数でもない。


それは——零が殺さなければならない、かつて大切だった人の数。


タトゥーが再び熱を持つ。


零は小さく顔をしかめ、袖を下ろす。


「次の『審判の刻』は?」


「木曜日の午後8時です」


「分かりました」


零は立ち上がり、白い手袋を嵌め直した。


窓の外には、2030年の東京の夜景。


無数の光。無数の人々。無数の指先。


零は呟く。


「この国の正義は、いつも高い方に競り落とされる」


そして——


スマートフォンの画面に、新しい通知。


【第2審『推しの代償』】 事前課金予約:82億円(予想視聴者:8,200万人)


零は、小さく、とても小さく——苦痛に顔を歪めた。


その表情は、誰にも見られることはなかった。


【ジャスティス・キラー 第1審:了】

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