第3話 『限界の兆し』 【序章・第三節】

明日香が昼寝をとる時間帯、研究室はいつもより静かだった。

加奈子は端末に向かいデータ整理を進め、アイラはベビーベッドの横で明日香の呼吸を監視している。

何度も繰り返してきた、穏やかな日常の光景。


だが——その静けさが、わずかに揺らいだ。


天井付近で、機材のランプが一つだけ瞬きを乱した。

アイラの目に映るランプの赤い光——微細な異変の兆しを示す信号だった。

アイラは即座に内部ログを照合し、小さく首をかしげる。


「……加奈子さん。いつもと違う振動パターンを検知しました。

 わずかですが、周期が不規則です」


「また? 昨日は大丈夫だったのに……」


加奈子が立ち上がり装置の状態を確認するが、外見に異常はない。

人間にはわからない微弱な揺らぎでも、アイラのセンサーは確かに“違和感”を拾っていた。


続けて、天井のあたりからかすかな「異音」が鳴った。

金属が軽くこすれるような、耳には届かない微細な音。

アイラの視線がすぐさま明日香へ向けられる。


「……明日香ちゃんの心拍、ほんの少しだけですが変動しています。

 この子、何かを感じ取ったのかもしれません」


「え……?」


加奈子は驚いてベビーベッドを覗き込む。

眠っているはずの明日香の指先が、かすかに震えている。


「大丈夫よ、大丈夫……」

加奈子は優しくその手を包み込む。

アイラは隣で静かにデータを読み取り続けた。


「加奈子さん。この揺らぎ、装置の不具合だけでは説明できません。

 原因の特定までは少し時間が必要です」


「そんな……。ただの経年劣化じゃないの?」


「可能性はあります。ただ……“何かズレている”感じがします」


アイラは言葉を選ぶように口にする。

それはデータには表せない違和感、けれど確かに“そこにある”揺らぎ。


加奈子はひとつ深く息を吐き、小さく頷いた。


「……わかった。今日は私も念入りにチェックする。

 明日香に影響するものなら、放っておけない」


「はい。私も継続監視します」


研究室は再び静寂を取り戻した。

だが、それは先ほどまでの“当たり前の静けさ”とは少し違う。


アイラが感じた微細なノイズ。

明日香の体がわずかに反応した小さな震え。

それらが、後の物語にどう関わるかは、まだ誰にもわからない。


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