Hair Cut

平 遊

Hair Cut

 俺が想いを寄せる相手は、いつだって男だ。このことは誰にも気づかれてはいない。

 今時隠すような事ではないかもしれない。

 だけど、相手も俺のような人間を受け入れてくれるとは、限らないじゃないか。

 中には、あからさまに毛嫌いする人だっている。

 俺は何度も経験してきた。

 それは仕方の無い事だとは思うけれども、俺にはもう、耐えられそうになかったから。


 彼に、拒絶されてしまうことが。


「なぁ、これなんかどうだ?」

 休日に一緒に買い物にでかけるくらいには親密な関係になれた彼との、ショッピング。

 俺とほとんど背の変わらない彼は、初めて出会った時からずっと長髪だ。

 美容師の俺でも惚れ惚れしてしまうくらいに、彼の髪の毛は健康的に輝いていて、端正ながらもすこしキツめの彼の顔立ちを、柔らかく彩っている。

 その、彼の髪が。

 彼が顔を動かしたとたんに、いい香りを漂わせながら俺の頬をくすぐる。

 思わず笑みを零していると、彼が怪訝そうな顔を向けた。

「ん? どうした?」

「いや、なんでも……」

「おかしな奴。あっ、あれもいいな、あそこ見に行くぞっ!」

 突然、彼が俺の腕をつかんで走り出す。

「ちょっ、ちょっと待て、待てってば、二千翔にちかっ!」

「待たないよっ、朔矢さくや、早くっ!」

 彼といると、いつもこうだ。俺は朔矢にいつでも振り回されてしまう。

 それでも、俺を振り回してくれる朔矢に、俺はどうしようもなく惹かれている自分を自覚していた。


 俺の恋は、いつだって片想いだった。想いを寄せた相手とは、親友という偽りの関係しか築けずにいた。

 俺はいつだって下心をひた隠しにしながら、想う相手と友情でしか繋がる事ができなかった。

 なんの疑いもなく無防備な笑顔や心の内を晒してくる相手に、罪悪感を抱く事も多かった。そんな自分がたまらなく惨めで嫌いだった。それでも、相手との関係が壊れる事が怖くて、俺には想いを告げる事なんて、一度もできなかったんだ。

 だから、二千翔とも。

 きっとずっと、親友という偽りの関係を続けていくんだろうなと思っていた。

 だって、二千翔が俺の勤める美容室に来るのは、いつも可愛らしい女性の付き添いとして来る時だから。

 卯月うづき早苗さなえ。俺の担当するお客さんだ。苗字が二千翔と同じだから、きっと二千翔の奥さんなんだろう。

 早苗さんのカットが終わるまで雑誌を読みながら待っている二千翔の左手の薬指には、銀色に光る指輪が嵌められていた。


「なぁ、朔矢」

「ん? わっ! 近いっ、近いって二千翔」

 二千翔はたまに、距離感がおかしい時がある。

 早苗さんともいつも顔をくっつけて話をしているけれども、早苗さんは奥さんだからいいとして……俺はただの親友だぞ?

 暴走する下心を抑えながらわざと二千翔と距離を取ろうとするけれども、全く気にした素振りもなく、二千翔は俺にぐいっと体を近づけてくる。

 今いる場所はショッピングモールど真ん中のカフェテラスで、周りにはたくさんの人がいるというのに。

「ここ、今度行ってみないか?」

 言いながら二千翔は、顔を近づけて自分のスマホを俺に見せてくる。そこには二千翔の好きそうなショップが表示されている。

 けれども俺は、それどころではなかった。風にもてあそばれる二千翔の髪が、俺の視界を遮っていたからだ。

 スマホを見るためにそっと触れた二千翔の髪の柔らかさに、俺は驚いた。少し強引な所がある二千翔だから、髪の毛も固めだと勝手に思い込んでいたからだ。

(そう言えば、二千翔の髪、ちゃんと触ったこと無かったな)

「……朔矢? いてっ」

 黙ってしまった俺を不思議に思ったのか、二千翔が俺の方を振り返ろうとした。だけど俺は、触れていた二千翔の髪を強めに引っ張って、それを阻止した。……きっと顔に、下心が出てしまっていると思ったから。こんな顔、二千翔には絶対に見られたくなかったからだ。

「なんだよ、朔矢っ」

「なぁ二千翔、お前、この中途半端な髪、どうにかしたらどうだ?」

 それは俺なりの、精一杯の誤魔化しから出た言葉だった。


「あ~、楽しかった! さすが朔矢、センスいいよな。朔矢と一緒なら安心して買い物できるよ」

 歩き疲れたからと言って、二千翔はそのまま俺の家へとやってきた。確かに、自分の家に帰るよりは俺の家の方が近いけれども、まさか二千翔が自分の家に来る日が今日だとは思っていなかったから、家の中は少し散らかっている。

 表面上は親友と言えど、想い人を家へ招き入れると分かっていれば、少しは綺麗にしておいたのにな。

「ごめん、少し片づけるから、ちょっとそこ座っててくれ」

 独り暮らしの狭い部屋。それでも自分の城だからと、少し背伸びをして購入した座り心地の良いソファに二千翔を座らせて、急いで片づけを始める。

 ほんのちょっとのつもりだった。だけど、疲れた二千翔が眠りに落ちるには十分な時間だったようで……

「お待たせ、二千翔。何飲む……あれっ?」

 気付けば二千翔は、ソファに座ったまま気持ちよさそうに寝息を立てていた。


 夢じゃないかと思った。

 想いを寄せる人が今、自分の目の前で無防備に寝顔を晒している。

 ただ。

 そこに、たまたま仕事で使っているハサミがあったから。

 ただ。

 頬に降りかかる長い髪の毛が邪魔そうだったから。

 ……ただ。

 思いの外柔らかかった髪に、思う存分触れてみたかったから……

『あ~、そうだな。俺もそろそろ切ってみてもいいかなって、思ってはいるんだけど』

 二千翔の言葉が頭の中に響く。

(じゃあ……俺が切ってやるよ、二千翔。いいよな?)

 静かにハサミを手に取ると、俺はゆっくりと二千翔に近づき、顔を覗き込んだ。

 よほど疲れているのか、二千翔は微動だにせず眠ったまま。

 そっと頬に指を滑らせ、降りかかる髪をひと房取ると、俺はハサミを入れた。


「男前に切ってくれよな?」」

 ふいに聞こえた二千翔の声に、俺は驚いてハサミを取り落としそうになった。

「やっと朔矢に切ってもらえる……夢みたいだよ。髪弄られるのも、気持ちいいしなぁ」

 二千翔は目を閉じたままで、完全に俺に全てを委ねているように見えた。

(なんだよ、それ)

 抑えつけていた二千翔への恋心が暴れ始める。俺は黙ったまま二千翔の髪を切り続ける。

「ずっと羨ましかったんだ、早苗が。俺もいつか、朔矢に切ってもらいたいって、ずっと思ってた。俺の髪、朔矢に……朔矢に触ってもらいたいって」

 二千翔の声に熱がこもっているようにも感じた。だけど気のせいだと、湧き上がる期待を無理やり抑えつける。

 いつだってそうだ。

 期待なんて、しちゃダメなんだ。したとたんに裏切られる。あんな思いをするくらいなら、恋なんて叶わなくていい。ただ、想い続ける事さえ許してもらえるのなら。

「朔矢も、同じだよな?」

 心臓が、跳ねた気がした。思わず二千翔の顔を見ると、まっすぐな目が俺を見ている。

「なぁ……朔矢もずっと、俺に触りたいって、思ってくれてたよな?」

 懇願するような二千翔の目。

 知ってる。この目。この目の奥に隠された、苦しい程の痛み。

(あぁ、二千翔も同じだったんだな……)

 安堵と共に、突き刺すような痛みが胸を襲う。

 この言葉を、二千翔はどんな想いで今口にしたんだろうか。

 それに比べて俺は、傷つくことが怖くて、ただ想いを抑えつけるばかりで。

 ちゃんと見ていれば、二千翔の想いにだってもっと早くに気付けたはずだ。だけどそれさえも俺は、拒んでいたのかもしれない。

 二千翔を傷つけて、不安にさせていたのかも、しれない。

「ふざけんな」

 思わず怒りが声に出てしまった。怒りの矛先はもちろん、俺自身。

 けれども二千翔の目に絶望の色が見えて、俺は慌てて続けた。

「触れたいどころじゃない。どうしてくれんだ、二千翔。責任、取れよ?」

 一瞬ポカンとした後で、二千翔がようやく笑顔を見せる。

「うん。わかった」

(わかったとか、簡単に言うなよな……)

 じわじわと、体の中から湧きおこった悦びは、俺が今までに感じた事のない未知の感覚で。

 今までに一度も見た事のないような、満たされた微笑みで目を閉じる二千翔の髪を、俺は全身を満たす悦びに浸りながら黙って切り続けた。

 ひと房。またひと房。

 切り離された髪の束が、ソファを彩る。

(しまった……どうすんだよ、これ)


「サンキュ、朔矢」

 鏡を前に、二千翔はご満悦の様子だ。

 少しキツめだと感じていた二千翔の顔は、短髪もよく似合っていてキリッとして見える。

 直視できずに散らばった二千翔の髪をハンディ掃除機で片付ける俺の横で、二千翔が言った。

「さすが朔矢。俺に似合う髪型よく分かってくれてるな」

「いいからお前も手伝え」

「あ、そうだよな、ごめん」

 二千翔も、俺が押し付けた粘着テープのローラーで、床の上の掃除を始めた。

 初めて見る短髪の二千翔は気のせいではなくより一層男らしさが増していて、なんだか居心地が悪い。

 柔らかな長髪で隠されていた精悍さが、前面に出てきたかのように。

(髪切ったの、間違いだったかもしれないな……かっこよすぎてまともに見れやしない)

「ん? どうした、朔矢?」

 目を合わせようとしない俺を不審に思ったのか、朔矢が手を止めて俺を見る。その手に窓からの光が差し込み、左手の薬指が光った。

(そうだよ、お前には早苗さんがいるじゃないか)

 ズキリとした痛みが胸を突き刺す。

 だが、俺の視線の行方に気付いたのだろう二千翔の言葉に、今度は俺がポカンとする番だった。

「あぁ、これ? ダミーだよ、ダミー」

「……は?」

「ほら、お年頃の男には、周りが結構うるさいだろ? 俺みたいな男前には特に。だから、ね? そうだ、今度お揃いの指輪買いに行こうな、朔矢」

「え、じゃあ早苗さんはお前の奥さんじゃ」

「はぁっ? 早苗は俺の妹!」

 爆笑する二千翔は、なかなか笑いを収めようとしない。ホッとしながらも頭にきた俺は、二千翔から粘着テープのローラーを奪い取る。

「俺さ、あの美容室の窓越しに初めて朔矢を見た時、一目惚れしたんだ。それで、早苗に頼んで美容室に一緒に行って貰ったんだよ。どうしても、朔矢に近づきたくて。……自分でいきなり朔矢を指名する勇気は、さすがに出せなかったけど」

 すっかり空いた二千翔の両手が、両手が塞がった俺の顔を包み込む。俺の目をまっすぐに見つめる二千翔の目は熱を帯びてより一層魅力的で、有無を言わさずに引きずり込まれるような感覚に、俺は眩暈がしそうだった。

「俺、ずっと好きだったんだよ、朔矢のこと。朔矢のこと好きになってから、髪伸ばし始めたんだ。いつか朔矢に切って貰えるようにって、願掛けしてさ」

「じゃあ、また髪伸ばせ」

「えっ?」

 驚いて力の抜けた二千翔の手から逃れて、俺は掃除機と粘着テープローラーを片付ける。

「俺に髪切られただけで満足してる訳じゃないだろ?」

 そして、ようやく空いた両手で、二千翔の体を思い切り抱きしめた。

「俺だって同じだ。お前の髪切っただけじゃ、満足なんてできねぇよ」

「まぁ、いいけど」

 俺の体を抱きしめ返しながら、二千翔がクスッと笑って言った。

「でも、そうしたらまた俺の髪切ってくれるよな? 朔矢」

「気が向いたらな」

「あっ、そうだ。カット代」

 こんな甘い雰囲気を作りながらも、二千翔は雰囲気ぶち壊しの事を平気で言うと、俺から離れようとする。そんな二千翔を、俺は力づくで押さえた。

「いらん、そんなもの」

「でも」

「それよりも……」

 二千翔の後頭部の髪を掴み、軽く引いて二千翔の顔を上向ける。

 薄く開かれた二千翔の唇に、俺は初めて、唇を重ね合わせた。

 まだ見ぬ二千翔との未来に思いを馳せながら。


 end

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