#1「寛容になりすぎた世の中」

 日本中の経済を停止させた「自粛期間」が過ぎてからだろうか。世の中は、寛容になってきた。

 スーパーで、20代前半な店員とポイントカードのことで揉めている客がいた。盗み聞きすると、明らかに、ポイントカードのことをよく分かっていない店員が悪い。しかし、ベテラン店員が助太刀した時、その店員は、20代の店員に「ごめんね」と言った。

 おそらく、教育が足りてなかったことに謝ったのだろう。が、普通は、客に、「私の教育がなっていなくて、申し訳ありません」と謝るのが筋だ。

 最近は、客の行き過ぎた行為が罰せられるようになった。ハラスメントの事例は、そこら中にある貼り紙で紹介されているが、結局は、当人の感じ方次第。

 私は、買い物かごを片手に、あの場面を見て、「こんな時代か」と肩を下げた。




 拍子抜けしているのは、おばさんおじさんのように、「我々は、頑張って来たのに、今の世代は・・・」という思いだけではない。理不尽さを感じたからだ。


 職場で、3人1組を組んで、仕事をすることがあった。私が組んだ2人は、やる気なし、期待なしで知られているお荷物職員だった。私は、リーダーとなって、指示をした。しかし、彼らは、無視をし、フンずり返って座り、スマホをいじる。怒りが頂点に達し、𠮟りつけると、「じゃあ、あなたがやりなよ」と言われる羽目に。

 上司に報告はするも、「ここは、我慢してさ・・・」と、作業を私一人に丸投げされた。その間、「頑張れ」とお荷物たちに扇がれる。終わった時には、「ありがとう」の一言もなし。結局、彼らも、私と同じ評価で、下がることがなかった。


 そんな理不尽を経験したからこそ、私は、この寛容すぎる世の中に怒りを覚える。

 それに、テレビだって、つまらない。浅はかなメッセージ性のドラマが増えたり、爆発といったド迫力な企画も急減し、座って遊ぶだけの大人しいバラエティばかりになったり。

 一人一人を大事することは伝わるけど、その分、昔の行き過ぎた要素は、アニメや漫画に注がれている気がする。クリエイターたちは、私のように、「現実じゃできないことを、存分にしよう」と言っているようで。

 何かしら、メッセージを表わしたいのだろうが、中には、むやみに人を殴ったり、殺したりする作品もある。

 私は、そんな連中とは違う。過激な作品を書くこともあるが、人間の愚かさや人情味を表わしている。

 カクヨムの投稿サイトに載せた作品「カラフル」では、様々な人に自分を変えられ、本当の自分を見失っていく主人公を描いている。これは、インターネットの二次創作が元ネタにしている。もし、二次創作を描かれているキャラクターが、私たちと同じ現実の人だったら・・・。

 インターネットの世界を舞台にしたつもりだったが、よく考えると、学校生活にも照らし合わせることもできる。学生時代、周りにナメられないために、「キャラ」という偽りの見栄を張った。そういう経験をした人は、いるだろう。

 それが頭に浮かぶと、自分の作品は、あらゆるメッセージを与えているのだと、自信を持てた。


 私の話はさておき、人々は、単純だ。「これをしたら、罰せられる」といわれれば、余計なことまで気を遣ってしまう。そうして、あのお荷物社員みたいな悪い連中にも甘やかすようになってしまうのだ。それに、いじめみたいに、精神を病んで自死した人の名前は出て、精神不調にさせた加害者の名前は出ない。そんな悪人に寛容な報道にも。

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