望郷のエルフ
沙伊
プロローグ
第1話
アヴァロン王国。それは、大陸屈指の領土を持つ、広大な国である。
不滅の王と呼ばれる国王アルトゥール・アヴァロンの統治の元、国民は平和な日々を過ごしていた──
───
アヴァロン王国辺境、ルフェ領。古来より竜が住まう土地とされるニーベル山を臨む形で広がるこの領は、山から降りてくる魔物を討伐し、押し留める役目を担っていた。
現領主であるゴロワント・ルフェ辺境伯は、山から降りてくる魔物から土地と人々を守りつつ、山そのものに対する信仰を忘れない、敬虔な人物だった。
彼のひとり娘も、また──
ルフェ領にある広い森。ニーベル山に面したその森には、自然と妖精達を司るフローディア女神の祠がある。
石と木材でできたその祠は、こじんまりとしているが造りそのものは立派なもので、古くより信者達に親しまれたものだ。
その祠に祈りを捧げるエルフがひとり。
輝くプラチナブロンドを白い花とリボンでできた髪飾りでまとめ上げ、華奢な身体に白いドレスローブをまとった、浮世離れした絶世の美女だった。
初雪のごとく白い肌、ほんのり色付いたまろい頬、唇は艶やかな薔薇の花弁のようで、髪と同色の長いまつ毛はゆったりと影を落としている。
目を閉じ、熱心に祈りを捧げる姿は一種侵しがたい神聖さがあり、森の中の祠という情景も相まって、彼女の人ならざる美貌をよりいっそう惹き立てている。
エルフはしばし時間を忘れ、ひたすら祈りを捧げていたが、ふと目を開き、顔を上げた。まぶたの下から、春の花を思わせる淡い紫の瞳が現れる。
「お嬢様ー? ミカエルシュナお嬢様ー!」
視線をさまよませたエルフ──ミカエルシュナ・ルフェは、自身を呼ぶ声にふと表情を緩ませた。
「わたくしはこっちよ、ミーネ」
そう声を張り上げながら、ミカエルシュナは足元に置いた剣と盾を手に取った。
白銀の細身の剣と、同じく白銀製の円形盾である。それぞれ鍔と中心部分に大振りの紫の宝石がはめ込まれており、儀礼用かと思うほど美麗な造りだった。
「ああ、お嬢様。またここにいらっしゃったんですね」
現れたのは、人間の侍女だった。栗色の髪と瞳の平凡な顔立ちの少女だが、笑う顔には愛嬌がある。非凡な美しさを持つミカエルシュナにも臆した様子は無く、小走りに近寄ってきた。
「まさか今日も、朝のお祈りをなさっているとは思いませんでした」
「フローディア様の信徒として当然でしょう? むしろ今日だからこそ、お祈りをしなくては」
ミカエルシュナは祠を振り返り、笑みを深めた。
「今日はわたくしの、成人の誕生日なのだから」
───
ミカエルシュナは領館の自室で、侍女達によって美しく着飾られていた。
銀糸で刺繍を施した瞳と同じ淡い紫色のドレスに、銀細工の装飾品、薄っすらとした化粧で身を飾ったミカエルシュナは、絵画から抜け出たかのように美しい。
それでも森の中での幻想的な美と比べれば、幾分か現実的なそれに落ち着いていた。
「お客様はもういらっしゃっているのかしら」
「ええ。今は旦那様が応対しております」
ミーネの言葉に頷き、鏡で自分の姿を確認したミカエルシュナは、足早に舞踏場に向かった。
頭の中で招待客の名前を反芻しながら、意識して優雅な微笑を浮かべる。それだけで、近くにいた使用人がほう、と熱のこもったため息をついた。
自分の容姿が人並み外れている自覚を持つミカエルシュナは、自分の魅せ方を知っている。自分の誕生会は、それを存分に生かす場だった。
そうして現れたミカエルシュナに、招待客は目を奪われた。美しいが派手さは無いドレスをまとっているにもかかわらず、誰よりも目を惹く姿にそれまでの会話も忘れ、彼女に見入ってしまう。
「お父様」
そんな招待客達の視線をものともせず、ミカエルシュナは父であるゴロワントに歩み寄った。
唯一ミカエルシュナに魅了されることは無いゴロワントは、代わりにに愛おしげに娘の手を取った。
「綺麗だ。イグレシュナのドレスが、よく似合っている」
「ありがとございます⋯⋯お母様にも、この姿を見せたかったですわ」
ミカエルシュナの母であるイグレシュナは、十年前に亡くなっている。今日という日を見せられなかったことに、ミカエルシュナもゴロワントも物哀しい気持ちになった。
そんな気持ちを胸に秘めつつ、ゴロワントとミカエルシュナは招待客達を見回した。
「今宵は、我が娘ミカエルシュナ・ルフェの成人の誕生日を祝いに来てくれて、嬉しく思う」
ミカエルシュナとゴロワント、そして亡き母イグレシュナはエルフだ。そしてエルフの成人年齢は百歳である。
百歳を超えて、ようやくミカエルシュナは大人の仲間入りをするのだ。
「ミカエルシュナは我が後継者として、今後ルフェ家を盛り立ててくれるだろう。どうか、見守っていてほしい」
ゴロワントの言葉に、招待客達は我に返った。それまでミカエルシュナに見惚れていた気まずさに、まばらな返事になってしまう。だが慣れたものなので、ミカエルシュナ本人は気にしない。
そのままふたりで挨拶回りをする頃には、招待客達の間に流れていた気まずさも消え去っていた。それでもミカエルシュナに目を奪われる者は多く、時には夫人連れの貴族が不必要に近付こうとしたりしたが、ミカエルシュナの冷たい笑顔で黙り込む者がほとんどである。
そんな風に招待客の相手をして、時折食事を摘まんでいた時、侍従長が小走りで近寄ってきた。それに気が付いたゴロワントが、片眉を上げる。
「どうした?」
「お、お客様が⋯⋯」
「何? 招待客は全員来ているぞ」
眉をひそめたゴロワントに、侍従長は客の名前を告げた。
「トリストラム公爵閣下が、お嬢様の誕生日を祝いたいと⋯⋯」
「は?」
ゴロワントはミカエルシュナと顔を見合わせた。
トリストラム公爵は、アヴァロンで国王に次いで権力を持つ存在である。
アヴァロン王国は貴族のほとんどがエルフなのだが、トリストラムも例によってエルフである。そして建国以来頂点に君臨し続けている国王アルトゥールに次いで、長い年月を生きる古老だ。それゆえにアルトゥールの最側近とも言われており、更に国軍を束ねる将軍でもあるため、非常に多忙な男である。
そんな貴人が、なぜ辺境伯令嬢の誕生会に現れるのか。
「すぐご案内しろ!」
「は、はい!」
ゴロワントは動揺しつつそう指示を出し、侍従長はそれに従う。一方ミカエルシュナは、呆然としながらもトリストラムのことを思い出していた。
──会ったことがあったかしら? いえ、この前の王都の夜会でちらっとお見かけした程度のはずよ。
その夜会だって、挨拶回りが終われば父と共に辞した。目立つ容姿だと自認するミカエルシュナだが、その程度で事前連絡も無く訪おとなわれるようなことになるわけがない。
わけが解らないまま、父娘は格上の貴族を迎えることになってしまった。
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