煽り屋のノアは今日も正しくキレる

@jamaikan

第1話

 カメラのレンズは銃口より厄介だ。撃たれて痛いのは肉じゃない。信用だ。

 都市の空には監視ドローンが当たり前みたいに浮かび、通りの角には監査塔の青い灯が点いている。誰が何をしたか——正確には、誰が何を「したことにされるか」が、この街の通貨だった。

 だから俺は、今日もカメラを見る。見ないと、殺される。社会的に。

 ノア・クロフォード。肩書きは長いが、要約すると「現場の嫌われ役」だ。揉め事が起きたとき、殴られる前にログを立て、泣く前に署名を取る。誰かの“善意”が暴走した瞬間に、手続きの刃で止血する。

 白印候補の随行なんて、嫌われ役の見本市でしかない。

 候補者育成財団の「公開実習」。聞こえはいいが、要は白印候補のパフォーマンスだ。民衆点を稼ぎ、スポンサー点を揺らし、遵法点で首輪を締める。

 舞台は下層区の臨時診療所。空調の効きが甘い。薬草と消毒の匂いに混じって、甘ったるい香料——スポンサーのロゴ入り芳香剤が鼻につく。壁面ホロには「本日の寄進企業」が流れ、寄進評議会の名前が眩しいほど輝いていた。

 エマ・ルクシアは、その真ん中に立っていた。

 白い外套、袖口の刺繍、首元の小さな紋章。装飾の一つ一つが「安心」を演出するように計算されている。けれど彼女の手だけは、演出じゃない。指先が子どもの額に触れた瞬間、熱がすっと引いていく。泣き声が止まり、母親が崩れ落ちるように頭を下げた。

「……大丈夫。もう息、しやすいよ」

 エマの声は小さくて、でも逃げない。

 拍手。フラッシュ。ドローンの羽音。

 診療所の天井に浮いた投影が一瞬だけ切り替わった。公開指数の速報。民衆点が少し上がる。誰もが「数字」を見て、安心した顔をする。安心の定義が数値化されてる街は、便利で気味が悪い。

 その外側から、マイクが突き出された。

「白印候補ルクシアさん! 今の治癒、素晴らしいですね。ですが——」

 記者の笑顔は、質問より先に結論を持ってくるタイプだ。

「あなたが受けている支援、企業スポンサー連盟の——いわゆる“首輪”だと批判されています。実際、財団はあなたを広告塔に——」

 エマの肩がほんの少しだけ硬くなる。彼女は今、治癒した。次の瞬間からは、治癒した事実が“誰の利益”になるかの戦場だ。

 俺は半歩前に出て、マイクとエマの間に腕を差し込んだ。同時に、記者の肩に付いた小型カメラを指で示す。レンズの脇で、認証ランプが緑に点滅していた。認証付き映像。逃げられない証拠。好きだ。

「いいカメラだ。嘘が映ったら君の責任でいいな?」

 笑って言う。笑ってる方が、相手は余計に焦る。

 記者の眉がぴくりと動く。

「え……? 公共の利益として——」

「公共の利益ならなおさら、録れ。誘導じゃなく確認で来い」

 俺はレンズに視線を合わせたまま続ける。

「“首輪”って単語、今ここで定義できる? できないなら撤回しろ」

 エマが俺の横に立つ。俺の毒を、公的言語に薄める係だ。

「記録は残ります。発言と行動に責任をお願いします。質問は、事実確認に限定してください」

 周りの人間が、こちらを見る。見られるのは嫌いじゃない。観衆がいる限り、相手は手続きを踏むしかない。だから俺は、観衆の前でしか戦わない。裏に連れ込まれたら負けだ。

 記者は笑顔を貼り直し、視線を泳がせた。

「……分かりました。では、もう少し落ち着いた場所で。オフレコで——」

「オフレコ?」

 俺が聞き返すと、記者は声を落とした。

「そのカメラ、外せば済む話です。あなたも、彼女のために——」

 スタッフが手招きした。控室へどうぞ、という顔。財団の制服に、メディア局の腕章。役者が揃いすぎている。

 背中側のドアが閉まる音がした。やけに、重い音だった。

 控室はスポンサーの香りで満ちていた。壁一面のホログラムに、寄進評議会のロゴが踊る。椅子は柔らかいが、座った瞬間に背中が冷える。ここは休む場所じゃない。囲う場所だ。

 エマは黙って座り、膝の上で指を組んだ。治癒の手は優しいのに、制度の中ではいつも「待て」を強いられる。俺はその“待て”が嫌いだ。待ってる間に、証拠が消える。

 記者——いや、メディア局の腕章を隠していた女が、紙束を机に置いた。

「正式な撮影利用同意です。こちらに署名を。編集権は当局に——」

 当局。出た。言葉で権限を作るやつだ。

 俺は紙を一枚だけ引き寄せ、指で条項をなぞった。

「“元データの提出義務なし”。へぇ」

 顔を上げる。

「元データはいらないって、今言ったな」

「編集の自由です。視聴者に分かりやすく——」

「分かりやすく、ね。切り抜きのことだろ」

 俺は自分の端末を机に置き、録音を開始した。わざと見えるように。録音開始音は、この世界だと拳銃のコッキングに近い。

 エマが息を吸って、丁寧な声に変換する。

「誘導ではなく、事実確認として伺います。編集方針と、元データの扱いを明確にしてください」

 女の口角が引きつった。強く出るしかないと判断した顔だ。

「……あなた、態度が不適切です。白印候補の付き人として、視聴者が嫌いますよ?」

 脅しに“視聴者”を使う。これがメディア局の暴力だ。

「嫌われて結構。規約違反よりマシだ」

 俺が言い切ると、控室の隅にいた“警備員”が一歩前に出た。財団の制服。つまり敵は二枚だ。

「端末とカメラを預かります。施設規約です」

 警備員が手を伸ばす。俺の胸元、ボディカムの封印タグへ。

 俺はその手を、指一本で止めた。力じゃない。言葉でだ。

「触るな。触った瞬間に“証拠保全妨害”だ。規約の条文番号、言える?」

「……え?」

「言えないなら、君のそれは越権だ。越権のログは、君のキャリアに残る」

 エマが横から差し込む。

「証拠保全のため、関係者以外は触れないでください。規約の根拠条文があるなら、提示をお願いします」

 観衆がいない? 違う。控室の天井にもドローンがいる。監査塔の視線も、壁の向こうにある。

 見られている状況は作れる。作ったら、相手は“やった事実”から逃げられない。だから俺は、相手の手が伸びた瞬間に言葉で止める。

 女が舌打ちを噛み殺し、別のカードを出した。

「では、こちらが預かります。メディア局です。あなたの所属より——」

 カードの端に、寄進評議会の紋が見えた気がした。いや、見えた。だから気持ち悪い。

「所属で殴るの、好きだな」

 俺は立ち上がり、エマの肩を軽く押して背後に下げる。彼女は一瞬だけ俺を見て、頷いた。信頼じゃない。合意だ。今はそれで十分だ。

「じゃあ俺も手続きで殴る。——仮封緘する」

 ポケットから小さな封緘パックを取り出す。透明の袋に、一次封印用の魔導タグ。これは現場用だ。触った痕跡が残る。誰が触ったか、どこで触ったか。後から“正しく殺す”ための道具。

 俺はボディカムのメモリーモジュールを抜き、袋に落とした。タグが淡く光り、番号が浮かぶ。

「封緘番号、読み上げ。九—七—二—……」

 女の顔色が変わる。記録の名前を出されるのが一番嫌いだ。

 エマが即座に追う。

「封緘番号を記録しました。異議は今この場でお願いします。以後は監査受付に提出します」

 警備員が手を引っ込めた。女も一歩引く。勝った、ように見えた。

 俺は端末で封緘タグの認証を確認し、ほっと息を吐く——吐きかけて、止まった。

 表示が、空白だった。

 胃が沈む。控室のドアの電子錠が“カチ”と鳴り、外の喧騒が遠くなる。天井のドローンの認証ランプが、緑から赤へ切り替わった。——監査塔じゃない。誰かのカメラだ。

 封緘パックの中のモジュール。シリアル欄が、削れている。いや、削られたんじゃない。最初から違う。誰かが、いつの間にか差し替えた。

 端末が震えた。通知は財団名義。短い文面が、白い光で浮かぶ。

『本日取得した全映像ログは、施設内規約により外部提出を禁ず。違反は遵法点の再評価対象とする。——候補者育成財団・実習管理室』

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