いい年したエルフの公子は、ひとりでカフェに入れない

森原ヘキイ

第1章

第1話 ここを出て、ぼくは魔女のカフェに行きたいぞ!

 チョコレートケーキみたいだなあと思った。

 ここは光源がひとつもない空間なので、目の前にいるはすっかり暗闇に溶け込んでしまっている。こんな状況のなかで、こんな状態のものを捧げるって、いったいエルフたちはどういう神経をしているんだろう。自分の夜目が利かなかったらなにも見えなかったんだぞと、声を大にして抗議したい。


 の全身が真っ黒なのは間違いないが、よくよく見れば同じ黒でも部位によって質感が異なっていた。黒い髪はつやつやだし、黒いローブはつるつるだ。頭の上には黒い花で編まれた王冠のようなものが載せられ、首回りも同じようなものでごてごてと飾りつけられている。

 確かにこの装飾は目を引くだろう。けれどチョコレートケーキならチョコレートケーキらしく、シンプルでいいのにと思った。余計なデコレーションなんかいらない。そのままの姿で堂々としていてほしい。そもそも自分は甘いものは好きではない。


 それなのに、それなのに。

 目の前のチョコレートケーキは、自分と同じ赤い瞳を輝かせながら、こんなことを言ってくれちゃうのだ。


「どうかわたしを、おいしくいただいてください」






「——ペル! ペル、ペル!」


 自分の名前を呼ぶ声をキャッチした両耳が、ぴこんと反射的に立ち上がった。いつものことだが、目覚ましのアラームにしては騒がしすぎる。そのまま無視して昼寝を続行する気にもなれなかったので、しかたなく大きなあくびをした。


「……ふにゃ。ペルペルじゃないよ、ペルは一回でいいよ」


 寝ぼけながら文句を言ってみるが、何の答えも返ってこない。不思議に思って目をぱしぱしと瞬かせながら辺りを見渡しても、無駄に広すぎて無駄に豪華すぎる舞踏室には自分以外の姿はなかった。それなら、いったい声はどこから聞こえてきたのか。立ちっぱなしの耳をぴくぴくと震わせると、廊下の奥から響く足音を捉えることができた。どうやら声の主は、今まさにこちらに向かってきているようだ。それならここでゆっくり待つだけだと思いながら、後ろ脚で耳の裏をかく。


 大きな出窓を背にしたアンティークスタイルのソファベンチで昼寝をするのが、ペルの日課だ。夜まで気持ちよく眠っている日もあれば、きょうのようにあっという間に叩き起こされる日もある。昼寝前からまったく変わっていない位置から差し込む太陽の光を恨めしげに浴びながら、ふかふかのクッションの上で背伸びをした。ぎゅいーん。


 そうこうしている間にも、廊下からの足音がどんどん近づいてきた。いつもより歩幅が広い。踏み込みも強い。どうやら不測の事態が起きているようだと思いながら、その到着を待つ。さん、にい、いち――。


「ペル、いるか!? ああ、すまない! 起こしてしまったか! だが、これを見てほしい! とても大変なことが起きて、本当にとても大変なことになっているのだ!」


 どどーんと豪快に扉を開け放って室内に入ってきたのは、予想どおりの人物だった。そもそも、この城には二人しかいないので、最初から考える余地などない。


「どしたの、コレー。なんでそんなに焦ってるの……って、近い近い近いから」


 コレーという名のエルフの子どもは、ペルを発見するなり一目散に駆け寄ってきた。ものすごい勢いであっという間に距離を詰めてきたかと思えば、手に持っていた何かで目の前をびろんと塞いでくる。距離が近すぎて像が結べなかったので、ペルは半眼のままずるずると後退する羽目になった。そこでようやく、コレーが突き出してきたものが、一枚の紙であることがわかる。文字と記号とイラストがフリーダムに書かれた、羊皮紙の便せんだ。


「キミがいつも読んでる魔女の手紙じゃんか。新しいやつが届いたの? それがオレの眠りを妨げるほどの緊急事態ってことなの?」

「すまないが、そのとおりだ! ここ、ここの部分をしっかり見てほしい!」


 にょきっと、手紙の脇から白くて長い指が生えてくる。その爪の先が指し示した部分を、言われるまましっかり見た。


「えっと、『カフェ開店のお知らせ』…? え、あの魔女がカフェを開いたって? にわかには、ちょっと信じられないんだけど?」

「そうだな、本当にそうだ! とても信じられない! だが彼女は人をからかうことはあっても、こんな嘘は言わない! 絶対に!」


 コレーが両手をぴんと張りながら、興奮冷めやらぬといった様子で手紙を掲げる。「――こんな、もしバレたらぼくがちょっと残念に思ってしまうような嘘は絶対に言わない」


 シャンデリアの輝きを大きな瞳でまるっと受け止めながら、コレーは確信と希望を込めた声音で断言した。丸天井に描かれた天使や聖人が、どこか愛おしげに彼を見下ろしている。いつもこちらが心配になるほど表情のバリエーションが豊かな少年ではあるが、泣き出しそうに歪んだ顔を見ることは希だ。ペルの尻尾の先が、思わずゆらりと揺れる。


「よかったね」

「ああ、よかった! とてもうれしい! 世界各地を飛び回って食べ歩きをしていた彼女が開くカフェなら、きっとおいしい食べ物やおいしい飲み物であふれているだろう! 想像するだけで心が躍ってしまうよ! 駆け出したくてたまらないのだよ!」

「それなのに廊下は走らなかったんだね。約束を守れてえらいね」

「うむ! 『廊下を走ってはいけません』は、この城で暮らすための大切なルールだからな!」


 勢いよく手紙を下ろしてから、腰に手を当ててえっへんと胸を張る。その姿は、跳ね回りたくなる衝動を必死で抑えているようにも見えた。うずうずしているのは本当らしい。今にも走り出して、どこかに行ってしまいそうだ。行ってしまうだろうか。いっそ、行ってしまえばいいのに。


 自分のそんなぼんやりとした願いが聞こえたはずもないが、コレーの表情が一瞬にして緊張で固まった。ぐっと唇を引き結びながら、こちらへゆっくりと視線を向ける。ピジョンブラッドの瞳。偶然にも、自分とまったく同じ色。


「だから……だからな、ペル」


 コレーは、自分の感情が声に乗りやすいという自覚を持ったほうがいいかもしれない。内容を話す前から、何を言いたいのかわかってしまう。


「僕は、ここを出たい。出ようと思うのだ。――はじめて」


 はじめて。本当だろうか。本当だろうな。だからこそ、次に紡がれる言葉は信じられないほどの重さでペルの胸に落ちた。


「ここを出て、ぼくは魔女のカフェに行きたいぞ! ペル!」

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