死の中で育つ
神谷嶺心
死の中で育つ
私は90年代、家族経営の葬儀社の中で生まれ育った。
棺と造花の花輪に囲まれながら。
今も当時の幼少期を形作ったラップを聴く。
それは生々しく、荒々しく、私がブラジル人として毒のような環境で生きてきた現実を語っている。
最初の記憶は断片的だ。
事務所の近くを歩いていたとき、父が祖父の拳銃を弄んでいて、誤って空に向けて発砲した。
弾は母のすぐそばをかすめ、母は弟を抱いていた。
その後に起きた母と祖父の激しい口論は、銃声の衝撃と同じくらい強烈だった。
父は葬儀社の仕事には常に関わっていたが、家庭の中では遠い存在だった。
その不在は「父がいるとはどういうことか」という問いを私の中に刻み込んだ。
四歳のとき、祖母が癌で亡くなった。
葬儀場の礼拝堂での通夜を覚えている。
泣き崩れる家族、ホルマリンの匂い、そして私は棺の周りを歩き回っていた。
覗き窓から見た祖母の動かない顔に、何も感じなかった。
「幼すぎて理解できない」と言われたが、私はすでに死の沈黙を理解していた。
その後、祖父は葬儀社を閉じ、深い鬱に沈んだ。
私たちは別の町へ移り、新しい葬儀社を始めた。
四部屋の小さなアパートに住んだ。
入口は棺と花輪を並べた事務所。
中央は父が遺体を着せる場所。
奥は即席の「家」で、両親と弟と私が一つのベッドを共有し、隣にコンロと冷蔵庫があった。
五歳のとき、父が遺体を準備している間、私は部屋で一人だった。
カーテンを開けると、血の匂いと安物の香水が混ざった臭気が押し寄せた。
父は私を見て「ここを通ってはいけない」と言った。
日常はそういうものだった。
真夜中に鳴る呼び鈴、泣き声、思い出せない顔。
車がなく、父は自転車で十キロ走り、別の町で仕事を分け合った。
七歳になる頃には車を持ち、美容院の裏の家を借りて葬儀社の前に住んでいた。
母は遅くまで働き、私と弟は夜遅くまで二人きり。
時には同じように居場所のない友人たちと外で過ごした。
父が家にいるときは重苦しかった。酒、薬物、攻撃性。
学校ではADHDのせいで宿題をせず、父の怒りの標的になった。
暴力は葬儀社からではなく、家庭から来ていた。
十三歳になると、私と弟は父自身に恐怖を与える存在になった。
母は腰を痛め、重いものを持てなくなり、私たちは手伝わざるを得なかった。
遺体に服を着せ、詰め物をし、腐敗の匂いに耐えながら朝食を取った。
その後、昼食を食べ、学校へ行く。まるで何もなかったかのように。
二十四歳まで耐えた。家を出てもまだ手伝っていた。
だが父と働くのは不可能だった。毒のような、軽蔑すべきリーダーシップ。
二十六歳で葬儀社はもう続けられなかった。
仕入先への借金、管理の欠如、そして避けられない終わり。
そんな家庭で育ったことが、私の声を形作った。
それはメランコリックな声だ。
後悔はない。
失ったものの感覚は抱えているが、私は早くから人生の循環を受け入れることを学んだ。
死は訪れる。歩道でつまずいても、交通事故でも、予測できない形で、時に痛みなく。
人生において唯一確かなもの――それは死である。
死の中で育つ 神谷嶺心 @kamiya_reishin
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