第17話 元の世界での再会とズレ
桜の木の下で、しばらく僕たちは言葉を失っていた。
夕暮れの通学路。
アスファルトの匂い。
遠くを走る車の音。
すべてが、懐かしくて、少しだけ遠く感じた。
「……本当に、戻ってきたんだね」
ユリが、息を吐くように呟く。
「うん」
声が少し震えているのは、冷たい風のせいだけじゃない。
「時間、どれくらい経ってると思う?」
「わからない。でも、少なくとも『行方不明』にはなってるよね」
そう言いながら、ポケットを探る。
スマホが、そこにあった。
画面をつけると、見慣れたロック画面と――見慣れない日付が表示された。
「……三ヶ月」
「え?」
「僕たちがいなかったの、三ヶ月」
「三ヶ月……」
あの世界では、ほんの数時間。
この世界では、季節が一つ進んでいた。
「時間、ズレてるんだ……」
魔力のない空気の中で、その事実だけが、妙に重く響いた。
◇ ◇ ◇
「まずは家だね」
「うん」
桜の木の下で一度深呼吸をしてから、僕たちはそれぞれの家に向かって歩き出した。
「また明日、学校で」
「うん。ちゃんと、来られるといいけど」
「来るしかないよ」
そう言って笑い合ってから、途中の角で別れた。
◇ ◇ ◇
家の前まで来ると、玄関の明かりがついているのが見えた。
インターホンを押すべきかどうか、一瞬迷ってしまう。
でも、考えていても仕方がない。
ピンポーン。
数秒後、足音が近づいてきた。
ガチャ。
「はい――」
ドアを開けた母さんの顔が、そこで固まった。
「……カイト?」
「ただいま」
それだけしか言えなかった。
次の瞬間、母さんが飛び出してきて、ものすごい勢いで抱きしめてきた。
「どこ行ってたのよ……!」
涙と怒りと安心がぐちゃぐちゃになった声が、耳元で響く。
「警察にも相談したし、学校にも何度も行ったし、ビラも貼って……!」
背中に回された腕が震えている。
「ごめん。本当に、ごめん」
それだけは、素直に言えた。
「でも、無事なんだね……」
「うん」
「怪我は? どこか痛いところは?」
「大丈夫。ちょっと疲れただけ」
「そう……よかった……」
しばらくして、ようやく少し落ち着いたのか、母さんはゆっくりと腕を離した。
「さ、中に入りなさい。冷えてるでしょ」
玄関に入ると、見慣れた家の匂いがした。
この世界の匂いと、あの世界の匂いが、頭の中で少し混ざる。
「……カイト」
茶の間に座ると、母さんが真剣な目でこちらを見た。
「何があったのか、話してくれる?」
「……うん」
簡単なことではない。
異世界転移。
魔法。
魔導学院。
全部そのまま話したところで、信じてもらえるとは思えなかった。
だから、できるだけ「真実に近い嘘」を選ぶ。
「ちょっと……変なところに迷い込んで」
「変なところ?」
「山の方で、よくわからない人たちに保護されてて。場所がわからなくて、連絡も取れなくて」
本当のことと嘘を混ぜながら、三ヶ月分の「空白」を埋めるように話す。
「でも、ちゃんと食べ物もあったし、危険もなかった。帰り方がわかるまで時間がかかっただけなんだ」
「……信じられない話だけど」
母さんは、少しだけ苦笑した。
「正直、よくわからない。でも、あんたが目の前にいて、生きてるってことが一番大事だから」
「ありがとう」
「警察には、見つかったって連絡しなきゃね」
「うん」
「学校にも……」
学校。
その単語に、胸が少し重くなった。
「明日、行けそう?」
「行くよ」
「そう……」
母さんは少しだけ安心したように微笑んだ。
「お腹、空いてるでしょ。何か作るから、今日はゆっくり休みなさい」
「うん。ありがとう」
キッチンに立つ母さんの背中を見ながら、胸の奥が、じわりと熱くなった。
あの世界では、魔導学院の寮や、別館のキッチンの光景が「日常」になっていた。
ここでは、母さんの背中が日常だ。
どちらも、本物の日常なのに。
この三ヶ月のズレが、それを別々のレイヤーに押し分けている気がした。
◇ ◇ ◇
翌朝。
制服のブレザーに袖を通すと、妙な違和感があった。
「……あ、これ、前の世界の服か」
ローブでも、学院の制服でもない。
布の肌触りも、重さも、全部ちょっと違う。
「変な感じ」
そう呟きながら、ネクタイを締める。
鏡の中にいるのは、普通の日本の高校生――のはずだ。
でも、その瞳の奥には、魔法陣や二つの月の景色が焼き付いている。
「行ってきます」
玄関で靴を履きながら言うと、母さんが顔を出した。
「行ってらっしゃい。無理しないでね」
「うん」
学校までの道は、あの日と同じだった。
桜の木。
コンビニ。
信号。
踏切。
でも、決定的に違うのは――胸の奥に、魔力の灯りがほとんど感じられないこと。
「本当に、魔法のない世界なんだな……」
そんなことを考えているうちに、学校の門が見えてきた。
◇ ◇ ◇
校門をくぐると、視線を感じた。
「……あれ?」
「佐藤じゃね?」
ひそひそ声が、あちこちから聞こえる。
「三ヶ月ぶりだろ?」
「一緒に消えた黒崎も来てるのかな」
その名前を聞いて、思わず振り向く。
――いた。
昇降口の前で、こちらを見て立っているユリ。
制服姿の、見慣れた、でもどこか少し変わったユリ。
「……おはよう」
「おはよう」
たったそれだけの挨拶なのに、泣きそうになる。
「元気?」
「うん。カイトは?」
「なんとか」
短いやり取りだけで、お互いの「無事」が伝わった。
「教室、行こっか」
「うん」
二人で並んで廊下を歩く。
見慣れた教室の扉の前で、一度だけ目を合わせた。
「行くよ」
「うん」
ガラッ。
ドアを開けると、教室中の視線が一斉に集まった。
「……」
しばしの沈黙。
「お、おはよう」
とりあえず、そう言ってみる。
次の瞬間――
「おいおいおい!」
「マジで生きてたのかよ!」
「どこ行ってたんだよ!」
クラス中が一気に騒がしくなった。
「佐藤!」
「黒崎!」
何人ものクラスメイトが、一斉に詰め寄ってくる。
「心配したんだぞ!」
「警察も来てたし、ニュースにもなってたんだぞ!」
「三ヶ月も連絡なしとか、どんだけだよ!」
責めるような言葉なのに、その表情には心底ほっとしたような色が混ざっていた。
「ごめん」
頭を下げる。
「本当に、心配かけた」
「でも、生きてたから許す!」
誰かが笑いながら言って、クラス中に笑いが広がった。
先生が入ってきてからも、しばらくは落ち着かなかった。
「えー、落ち着け。とりあえず席につけ」
担任がため息混じりに言う。
「佐藤と黒崎については、放課後にきちんと話を聞く。今は授業を進めるぞ」
「はーい」
形だけの返事をしながらも、クラスの興味はまだ完全には引かれていない。
授業中、何度も視線を感じた。
――三ヶ月分の「普通の生活」をしてきたクラスメイトと。
――三ヶ月分の「異世界生活」をしてきた自分たち。
同じ教室にいながら、時間の厚みが違う。
ノートにペンを走らせながら、そのズレをどう扱えばいいのか考える。
◇ ◇ ◇
放課後。
僕とユリは、職員室横の空き教室に呼び出された。
「大変だったな」
担任と、学年主任の先生が向かい合って座っている。
「とりあえず、無事で何よりだ」
「ありがとうございます」
「で――何があった?」
警察に話したのと同じように、僕たちは「真実に近い説明」をした。
山の方で保護されていたこと。
連絡手段がなかったこと。
帰り方がわからなかったこと。
異世界や魔法の話は、当然伏せた。
「……ふむ」
先生たちは、完全には納得していないような顔をしながらも、それ以上深くは踏み込まなかった。
「詳細は警察にも共有しておく。君たちの家庭とも相談して、学校としての対応を決める」
「はい」
「勉強の遅れは、正直かなりある。だが、今すぐどうこう言うつもりはない。まずは生活のリズムを取り戻せ」
「ありがとうございます」
教室を出ると、廊下には人影があった。
「どうだった?」
クラスメイトの一人が、小声で尋ねる。
「まあ、なんとか」
「怒られた?」
「心配された、が正しいかな」
「だよな」
彼は少しだけ肩の力を抜いたように笑った。
「……本当に、よかったよ」
その一言に、胸が熱くなる。
「ありがとう」
◇ ◇ ◇
家に戻り、布団に潜り込んだ夜。
天井を見つめながら、あの世界の寮の天井を思い出す。
石造りの天井。
二つの月。
「……会いたいな」
思わず口に出てしまう。
シルヴィア。
リリアン。
ゴンド。
レイナ先生。
テオ先生。
学院長。
みんな、今頃どうしているだろう。
こっちの世界では三ヶ月。
あっちの世界では、ほんの数時間。
「向こうでは、まだ実験が終わって三時間くらいなんだよな……」
魔法のない空気の中で、ペンダントにそっと触れる。
冷たい金属の感触の奥に、ほんのかすかに、あの世界の魔力の名残がある気がした。
『三時間後に自動で戻す』
テオ先生の説明を思い出す。
「ってことは……」
ユリからのメッセージが、スマホに届いた。
『眠れない』
『同じく』
思わず笑ってしまう。
『あと何時間で戻るんだろうね』
『向こうの世界では、もうすぐ三時間のはず』
『こっちでは三ヶ月』
『ズレ、すごいね』
『うん』
しばらく、どうでもいい話をメッセージで続けた。
元の世界のクラスメイトのこと。
先生たちの反応。
この世界のご飯の味。
あの世界のパンの匂い。
二つの世界を、画面の上で行ったり来たりしながら、少しずつ気持ちを整理していく。
『戻ること、後悔してる?』
ユリからの問い。
少しだけ考えてから、答える。
『してない』
『僕は、二つの世界にちゃんと「ただいま」って言えるようになりたいから』
少し間をおいて、返事が来た。
『私も』
『どっちの世界も、大事だもんね』
『うん』
画面を消し、再びペンダントに触れる。
――三時間が過ぎたとき。
――魔力の世界の装置が、僕たちを引き戻す。
どんな顔で、あの世界に戻るのか。
どんな顔で、「ただいま」と言うのか。
その時になってみないとわからない。
それでも、一つだけはっきりしている。
「どっちの世界も、捨てない」
小さく呟いて、目を閉じた。
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クラスごと異世界転移したので、ゲート時代の学院で生きます もとこう @motokou0629
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