第9話 学院祭と絆の深まり

学院祭当日の朝、学院はいつもとまったく違う空気に包まれていた。


廊下には色とりどりの旗や飾りが揺れ、教室の扉には、それぞれのクラスの出し物を描いたポスターが貼られている。

焼きたてのパンや甘いお菓子の匂い、どこかで誰かが魔法のデモンストレーションをする音、笑い声とざわめき――全部混ざり合って、胸が高鳴る。


「いよいよだね」


北の別館へ向かう途中、ユリが隣で小さく呟いた。


「うん。準備は……」


「万端、のはず」


ユリは自分に言い聞かせるように微笑む。


「不安?」


「少しだけ。でも、それ以上に楽しみだよ」


北の別館の前には、すでに行列ができていた。


「わあ、もうこんなに……」


シルヴィアが目を丸くする。


「『異世界祭り』って名前、かなりインパクトあったみたいだね」


リリアンが手にしたチラシを見ながら言う。

そこには「転移者の世界の祭りを再現!」というキャッチコピーが大きく書かれていた。


「じゃあ、そろそろ開場しようか」


ユリが深呼吸を一つし、扉の鍵を回した。


◇ ◇ ◇


扉を開けると、そこはもう「日本の夏祭り」……の、この世界版だった。


天井からは色とりどりの提灯を模した魔導ランプが吊るされ、暖かい光を放っている。

通路の両側には屋台が並び、奥にはステージ兼プレゼンエリア。

左手には浴衣の試着コーナー、右手にはゲームコーナー。

中央付近には、ゴンドたちの料理屋台が鎮座していた。


「いらっしゃいませー!」


シルヴィアが元気よく声を張り上げる。


「こちらは異世界・日本の祭りを再現した『異世界祭り』だよ!」


最初のお客さんたちは、興味津々といった様子で中を見回していた。


「浴衣が綺麗!」


「これが異世界の衣装なのか……」


浴衣コーナーには、すぐに人だかりができた。


「順番にご案内しますね」


リリアンが柔らかく微笑む。


シルヴィアが一人ひとりの体格に合わせて浴衣を選び、手際よく着付けていく。

魔法で補助しながらとはいえ、その指の動きは見事なものだった。


「わあ……私、こんなに変わるんだ」


「似合ってるよ。帯の色もぴったり」


リリアンの幻影魔法が、鏡の中の姿に花の模様や光の演出を加える。

エルフの繊細な感性が融合した浴衣は、もはや「本場以上」と言ってもいい仕上がりだった。


◇ ◇ ◇


一方、料理コーナーからは、食欲をそそる匂いが漂っていた。


「焼きそば、一丁!」


ゴンドが大きな鉄板の上で麺を炒める。

油が弾ける音と、ソースに似せて作った特製ソースの香りが広がる。


「この『やきそば』ってやつ、美味いな……!」


「『たこやき』も不思議な食感だ」


「『かきごおり』が涼しくてたまらない」


客たちは次々と感想を口にする。


「素材はこの世界のものだが、味のバランスは悪くないな」


ゴンドは腕を組んで満足そうに頷いた。


「ゴンド、さっきからずっと行列途切れてないよ」


「当たり前だ。俺が作ってるんだからな」


照れ隠しのようにそっぽを向くが、耳が少し赤くなっている。


◇ ◇ ◇


ゲームコーナーも大盛況だった。


「金魚すくい、難しい!」


「でも楽しい!」


薄暗くした一角で、グロウフィッシュたちが水槽の中をふわふわと泳いでいる。

その光を、客たちがポイで追いかける。


「ポイは水に濡れると少しずつ弱くなります。破れる前に何匹すくえるか、挑戦してみてください」


僕はルール説明をしながら、客たちの様子を見守る。


「おお、二匹同時にすくった!」


「すごい! そんなテクニック初めて見た!」


成功するたびに、周りから歓声が上がる。

失敗しても、笑いが生まれる。


射的コーナーでは、小さな木の人形たちが左右に動いていた。


「動く的はやりがいあるだろ?」


ユリが少し得意げに言う。


「『ムーヴパターンβ』って名前の魔術刻印なんだって」


「なんか、必殺技っぽい名前だよね」


客たちは魔道具の銃を構え、動く的を狙って真剣な顔をしていた。

当たるたびに人形が小さく光って倒れ、そのたびに小物の景品が渡される。


「おめでとうございます。グロウフィッシュ型のペンダントです」


「やった!」


景品を受け取る子どもたちの顔は、どれもきらきらと輝いていた。


◇ ◇ ◇


ユリは、別館全体を見渡しながら、タイムスケジュールや人員配置を微調整していた。


「今、浴衣コーナーが混み始めてるね。シルヴィアのサポートに一人回そうか」


「わかった。ゲームコーナーから交代要員出すよ」


僕は班のメンバーと手短に話をし、素早く人を回す。


こういう「裏方仕事」は、日本の文化祭で何度も見てきた光景だった。

まさか異世界でも似たようなことをやることになるとは思わなかったけれど、妙な懐かしさがあった。


「カイト、ありがとね」


忙しそうな合間を縫って、ユリが小さく礼を言う。


「ユリこそ、全体の采配ばっちりだよ」


「そうかな?」


「うん。みんなの動きがスムーズだし、お客さんも楽しそうだ」


僕がそう言うと、ユリは少しだけ頬を緩めた。


◇ ◇ ◇


昼を少し過ぎた頃、ひときわ静かな空気が流れた。


学院長オルデンを先頭に、数人の教師たちが別館に入ってきたのだ。


「審査員団だ……!」


シルヴィアが小声でささやく。


「落ち着いて。普段通りで大丈夫」


ユリが全員に目配せをする。


学院長たちは、浴衣コーナーから順に見て回り、時折頷いたり、何かメモを取ったりしていた。


「ふむ、なかなか本格的だ」


浴衣コーナーで、オルデンが感心したように言う。


「布の質感も悪くない。魔法と裁縫のバランスが見事だ」


「ありがとうございます」


シルヴィアとリリアンが同時に頭を下げる。


料理コーナーでは、ゴンドが直々に焼きそばを一皿差し出した。


「ぜひ、味見を」


「ほう」


オルデンが一口食べる。

他の先生たちも続いた。


「……面白い味だな」


「このソースとやら、どのように作った?」


「スパイスと蜜と醸造液を混ぜて、何度も調整しました」


ゴンドが簡潔に答える。


「試行錯誤の跡がうかがえる。悪くない」


ゲームコーナーでは、射的の動く的に教師陣が挑戦していた。


「なかなか当たらないな」


「動く的は、予測して撃たないと」


僕が少しだけコツを説明する。


「ほう、今度は当たった」


ハーゲン先生が的を倒し、珍しく満足げな顔をした。


ひと通り見終わった後、学院長たちは静かに別館を後にした。


「どうだったと思う?」


シルヴィアが駆け寄ってくる。


「さあ……でも、悪くはなさそうだったね」


ユリが息をつきながら言った。


◇ ◇ ◇


夕方、別館の一角が少し模様替えされた。


ステージエリアに椅子が並び、簡易スクリーン用の布が張られる。

これから、学院祭の締めとなる「他世界の文化プレゼンテーション」が行われるのだ。


「皆さん、本日は『異世界祭り』にお越しいただき、ありがとうございます」


ステージに立つユリの声が、魔法で柔らかく拡声される。


「私たちSクラスは、転移者である佐藤カイトと黒崎ユリの故郷、『日本』の文化を紹介することを目的に、この企画を行いました」


スクリーンに、桜の並木道の幻影が映し出される。

満開の桜が風に揺れ、花びらがひらひらと舞い落ちる。


「日本には四つの季節があります。春、夏、秋、冬。それぞれの季節に、自然とともに楽しむ祭りが存在します」


春――花見。

夏――花火大会や夏祭り。

秋――紅葉狩り。

冬――雪祭り。


僕たちの記憶を元にした映像が、次々とスクリーンに映し出される。


「日本の祭りでは、人々は自然の移ろいに感謝し、神や自然と共にあることを祝います」


ユリは淡々と、しかし丁寧に言葉を紡いでいく。


「また、日本の文化には『和』という考え方があります。人と人の調和、人と自然の調和を大切にする考え方です」


庭園の映像が映し出される。

静かな池、石灯籠、丁寧に手入れされた苔と砂利の模様。


「茶道や華道などの伝統文化にも、その精神が込められています」


茶室での静かなひととき、花を生ける手元――そうした光景が短く映される。


「私たちは、この世界に突然転移しました。最初は戸惑い、不安もありました」


そこで一度言葉を区切り、ユリは客席を見渡した。


「でも、この世界でも、人と人が支え合い、自然と共に生きようとしている姿を見て、私たちは少し安心しました」


客席には、クラスメイトたちの顔も見える。

シルヴィア、リリアン、ゴンド、バルド、レイナ先生、ハーゲン先生……。


「私たちの故郷と、この世界は違うところもたくさんあります。でも、似ているところもあります」


スクリーンには、魔導学院と日本の学校の幻影が並んで映し出された。


「どちらの世界でも、人は笑い、悩み、成長しようとします。だから、私たちはこの世界で生きていこうと思いました」


ユリは、ほんの少しだけ照れくさそうに笑う。


「異世界祭りが、皆さんにとって、私たちの故郷を知るきっかけになれば嬉しいです。そして、私たち自身にとっても、この世界と故郷の両方を大切に思えるきっかけになりました」


最後に、客席へ向かって深く一礼する。


「ご清聴、ありがとうございました」


しばしの静寂の後、割れんばかりの拍手が会場を包んだ。


◇ ◇ ◇


学院祭の閉会式は、夜の中庭で行われた。


空には二つの月が昇り、その光が噴水とステージを柔らかく照らしている。


「それでは、学院祭コンテストの結果を発表します」


学院長オルデンが壇上に立ち、声を響かせる。


「第三位、Cクラス『魔法生物ふれあい広場』」


Cクラスから歓声が上がる。


「第二位、Aクラス『古代魔法再現ショー』」


Aクラスも盛り上がる。


――そして、少し間をおいて。


「そして、今年の優勝は……」


オルデンはニヤリと笑ってから、はっきりと言った。


「Sクラス『異世界祭り』だ」


「やったーー!!」


Sクラスのメンバーは一斉に立ち上がり、歓声を上げた。


「Sクラスの出し物は、創造性、完成度、そして異文化理解という観点から、非常に高い評価を得ました」


オルデンが続ける。


「異世界の文化を、ただ見せるだけでなく、自分たちなりに解釈し、この世界の人々にも楽しめる形に落とし込んだ点が素晴らしい」


盛大な拍手の中、ユリが代表で壇上に上がる。


「この賞は、クラス全員の努力の結果です。準備から当日まで、みんなで協力して作り上げました。本当にありがとうございました」


短いスピーチだったが、彼女の言葉には確かな重みがあった。


◇ ◇ ◇


閉会式が終わると、Sクラスは北の別館に戻って、ささやかな打ち上げパーティを開いた。


「優勝できて嬉しい!」


「みんな、ほんとお疲れ!」


「ゴンドの料理が一番人気だったよ」


「リリアンの浴衣、感動してる人多かったね」


「シルヴィアのゲームコーナー、ずっと満員だったよ」


テーブルの上には、余った焼きそばやたこ焼き、かき氷などが並び、みんなでわいわいと食べながら、今日一日のことを振り返る。


「でも、一番はやっぱり……」


誰かが言いかけて、自然と視線が僕とユリに集まった。


「転移者の二人がいなかったら、『異世界祭り』なんて企画自体生まれなかったからね」


リリアンが穏やかに微笑む。


「そうだ。お前らが日本のことを教えてくれたからだ」


ゴンドも頷く。


「それに、プレゼンもすごくよかったよ」


シルヴィアが言う。


「ユリさん、めちゃくちゃかっこよかった!」


「カイトも裏方すごく頑張ってた。人の配置とか、時間管理とか、ああいうのって目立たないけどすごく大事だよ」


みんなの言葉に、胸の奥が熱くなる。


「ありがとう、みんな」


自然とそんな言葉が口から漏れた。


「さあ、次は何をやろうか」


バルドが、空になったカップを机に置いて言う。


「もう次の話?」


「目標があった方が燃えるだろ」


彼らしい言葉に、クラス全員が笑った。


◇ ◇ ◇


しばらくして、別館の扉が静かに開いた。


「おっと、宴の最中かな」


学院長オルデンが顔を出した。


「学院長!」


「優勝おめでとう。少しだけ顔を出しに来たよ」


オルデンは部屋に入り、懐から小さな箱を取り出した。


「これは、優勝クラスへの賞品だ」


ふたを開けると、中には二つの小さなペンダントが入っていた。

銀色のチェーンに、青く輝く宝石が埋め込まれている。


「『魔力共有のペンダント』と呼ばれる魔道具だ」


オルデンは説明を続ける。


「二人で身につけることで、互いの魔力を一時的に共有し、魔法の効力を高めることができる」


「二人で……?」


「ペアで使う前提の魔道具ということですか?」


ユリが尋ねる。


「その通り。発動には、互いの信頼関係が必要だ。心がバラバラだと、魔力がうまく共鳴しない」


オルデンは一瞬だけ意味ありげに僕たちを見た。


「これは、Sクラス全員への賞品だが……特に適性が高そうなのは、やはりこの二人だろう」


「えっ」


「学院長……」


クラスメイトたちからも「だよねー」という空気が流れてくる。


「というわけで、これは黒崎と佐藤に預けよう。クラスの代表として、今後の訓練や実戦で役立ててほしい」


「ありがとうございます」


ユリが一つを手に取り、残りの一つを僕に差し出した。


「カイト」


「……うん」


ペンダントを受け取ると、ひんやりとした感触が手のひらに広がった。

青い宝石の中には、かすかに光が揺らめいている。


「大切に使おうね」


「そうだね」


オルデンは満足そうに頷き、静かに部屋を後にした。


◇ ◇ ◇


その夜、寮の部屋で、僕はペンダントを手のひらにのせて眺めていた。


銀色のチェーン。

青い宝石。

そこに込められた意味。


――魔力を共有するペンダント。


これまでだって、ユリとは何度も「連携」をしてきた。

バルドとの戦い。ゴブリンとの訓練。ウィスプの群れに襲われた時の協力。


それが、今度は形のある「絆」として与えられたような気がした。


窓の外を見ると、二つの月が並んで夜空に浮かんでいる。

青い月と、少し赤みを帯びた月。


この世界に来て、もう三ヶ月が経とうとしていた。


最初は何もかもが怖くて、不安で。

元の世界に戻ることばかり考えていた。


でも今は――


「……悪くないな」


思わず、そんな言葉が口から漏れる。


クラスメイトたち。

先生たち。

そしてユリ。


この世界は、いつの間にか「第二の故郷」のようになりつつあった。


コンコン、とドアがノックされる。


「カイト、まだ起きてる?」


聞き慣れた声だ。


「ああ、起きてるよ。どうぞ」


ドアが開き、ユリが入ってくる。

彼女の首にも、もう一つのペンダントが光っていた。


「私も眠れなくて……今日のこと、いろいろ考えてた」


彼女はそう言いながら、窓際に歩いていく。

月明かりが、彼女の黒髪と深紅のローブを優しく照らした。


「すごい一日だったね」


「うん。本当に」


しばらく、言葉が途切れた。

静寂は不思議と居心地が良く、気まずさはなかった。


「カイト」


ユリが、窓の外から視線を戻してこちらを見る。


「私、この世界に来てよかったって、心から思ってる」


「……うん」


「最初は怖かったし、不安もたくさんあった。でも、今は違う。ここで学べて、みんなと一緒にいられて……そして」


彼女は少しだけ恥ずかしそうに笑った。


「カイトと、ちゃんと話せるようになったから」


胸の鼓動が、少しだけ早くなる。


「元の世界では、ほとんど話したことなかったもんね」


「そうだね。クラスは同じだったのに」


「でも、ここでは……」


ユリは、自分のペンダントを指で軽く触れた。


「こうして、同じペンダントをつけて、同じクラスで、同じ目標に向かって動いてる」


「うん」


「この世界は、良いことばかりじゃないと思う。きっと、これからもっと大変なことが起こる」


彼女の瞳には、学院が襲撃されたあの日の光景が映っているようだった。


「でも、カイトとなら、きっと乗り越えられる気がする」


真っ直ぐな目でそう言われて、逃げるわけにはいかないと思った。


「僕もだよ、ユリ」


言葉を選ぶのではなく、素直に口にする。


「この世界に来て、一番良かったことは?」


ユリが少し悪戯っぽく尋ねる。


少しだけ考えてから、僕は答えた。


「ユリと、ちゃんと友達になれたことかな」


「……友達、か」


ユリは一瞬だけ複雑そうな顔をしたが、すぐに柔らかく微笑んだ。


「うん。まずは、それでいいかな」


「まずは?」


「そのうち、もっと先の言葉を聞かせてね」


何気なく放った一言のはずなのに、妙に心臓に響いた。


「とりあえず、これからも――」


ユリが右手を差し出す。


「一緒に頑張ろうね」


ペンダントが月明かりに輝く。


僕も右手を伸ばして、その手をしっかりと握った。


「ああ。約束する」


二つのペンダントの青い光が、ほんの一瞬だけ強く輝いた気がした。


――学院祭が終わり、日常がまた戻ってくる。


けれど、その日常はもう、以前と同じではない。


クラスの絆は、確かに深まった。

ユリとの距離も、確かに縮まった。


そして、まだ誰も知らない「次の事件」が、静かに近づいてきていることを――


この時の僕たちは、まだ知らなかった。

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