第4話 風邪と看病

 12月28日。

 仕事納めの日だっていうのに私は布団の中にいて、38.5度っていう久しぶりの高熱にうなされている。

 関節の節々が痛くて、頭の中で工事現場のドリルが回ってるみたいにガンガンするし、喉が腫れてて唾を飲み込むのも拷問だ。

 なんでこのタイミングなんだよ。

 年末年始の休み、全部寝て終わるじゃん。

 自分の間の悪さを呪うしかない。


「……大丈夫か?」

 ヨウスケが会社に行く前に寝室を覗き込んできた。

 スーツ姿だ。

 ネクタイが微妙に曲がってるのが気になったけど、直してあげる気力もない。

「……ダメかも」

 蚊の鳴くような声で答えたら、ヨウスケは困ったような顔をした。

「薬そこの机置いとくから。あと、ゼリーも冷蔵庫入ってるし」

 事務的だ。

 冷たいわけじゃないけど、熱っぽいわけでもない。

「……ん」

「じゃ、行ってくる」

「……」

 ドアが閉まる音。

 鍵がかかる音。

 その瞬間に、部屋の空気が一気に重くなった気がした。

 静寂と孤独が押し寄せてくる。

 いつもなら「早く行ってくれ」って思うのに、弱ってる時だけは妙に心細くなったりして現金なもんだ。

 汗で張り付くパジャマが気持ち悪い。

 洗ってない髪のベタつきが気になる。

 自分が腐っていくような感覚に襲われる。


 一日中、寝たり起きたりを繰り返していた。

 夢を見た。

 昔の彼氏の夢とか、仕事で大ミスする夢とか、嫌な夢のオンパレードだ。

 喉が乾いて目が覚めるけど、冷蔵庫まで行くのが億劫で我慢する。

 唇が乾燥して割れて、血の味がする。

 加湿器の水が切れてて『ピーピー』って警告音が鳴ってるのがうるさいけど、止める力もない。

 まさに踏んだり蹴ったりだ。


 午後8時。

 玄関が開く音がした。

 ヨウスケが帰ってきた。

 コンビニの袋をガサゴソさせながら入ってくる。

「……生きてるか?」

「……ギリギリ」

「おかゆ、買ってきた」

「……ありがと」

「食えそう?」

「……少しだけ」

 ヨウスケがキッチンに行く。

 電子レンジの音が聞こえる。

『ブオオオオ……』

『チン!』

 やけに大きく響いて頭に響く。

「ほら」

 ヨウスケがおかゆの入った容器と、プラスチックのスプーンを持ってきた。

 梅干しが入ってるやつだ。

「自分で食べれる」って言ったのに、「こぼすだろ」って言ってスプーンを差し出してくる。

 マジか。

 あーん、かよ。

 32歳にもなって、彼氏にコンビニのおかゆをあーんされるとか、どんなプレイだよ。

 惨めすぎる。

 でも拒否する元気もなくて、口を開けた。

「……熱っ」

「あ、わり」

「フーフーしてよ……」

「お前マジでめんどくせぇな」

 文句を言いながらも、ヨウスケは息を吹きかけて冷ましてくれた。

 その息が私の顔にかかって、ちょっとニンニク臭かったけど(昼にラーメンでも食ったのか)、文句を言う気力もなかった。

 味がしない。

 梅干しの酸味だけが微かに分かる。

「……まずい」

「文句言うな。栄養だと思って食え」

 半分くらい食べて、ギブアップした。


「まだ熱あるな」

 ヨウスケがおでこに手を当ててきた。

 外の寒さを連れて帰ってきた手が冷たくて、火照ったおでこには最高の湿布みたいに気持ちよかった。

 その手のひらの感触に、少しだけ救われた気がした。

「明日も休みだから、俺が全部やるよ。掃除も洗濯も」

「……え?」

「お前潔癖だから気になるだろ。埃とか」

「……うん」

「任せろ」

 どうせ不器用だから、皿割ったり洗剤入れすぎたり洗濯物生乾きにしたりするんだろうなって想像がつくんだけど、今の私にはその不器用な優しさが染みた。

 愛してるわけじゃないけど、この人がいてくれてよかったって、少しだけ思った。


「……ねえ、移るよ」

「バカ言え。俺は風邪引かない。バカだから」

「……自分で言うな」

 笑おうとしたけど、顔が引きつっただけだった。

 ヨウスケがリビングに行って、テレビをつけた。

 バラエティ番組の笑い声が聞こえてくる。

 換気扇がカタカタいう異音と混ざり合って、変なリズムを刻んでいる。

 その生活音が、今の私には子守唄みたいに聞こえた。

「……おやすみ」

 小さく呟いて、私はまた泥のような眠りに落ちた。

 夢の中に、ヨウスケの冷たい手のひらの感触が残っていた。


(つづく)

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