第2話 イブのスーパー

 12月24日。

 午後7時。

 クリスマスイブだというのに、私はスーパーの鮮魚コーナーにいる。

 隣にはヨウスケがいる。

 カゴを持っているのは彼だ。

 中身は、大根(98円)、長ネギ(158円)、そして豆腐(3パック88円)。

 生活感の塊だ。

 周りはクリスマス商戦真っ只中で、ローストチキンだの、オードブルセットだのが山積みになっている。

『ジングルベール、ジングルベール、鈴が鳴る~♪』

 店内に流れるBGMが、売り場のチープさと相まって哀愁を誘う。

 私たちは、その煌びやかな惣菜コーナーをスルーして、特売の野菜コーナーを巡回している。


「……今日、イブだけど」

 私がボソッと言うと、ヨウスケは「ああ、そうだな」とだけ返した。

 反応が薄い。

 こんにゃく売り場くらい薄い。

「なんか、食う?」

「……別に、なんでも」

「じゃあ、ブリ大根でいいか。ブリ安いし」

「……うん」


 ブリ大根。

 クリスマスイブにブリ大根。

 渋い。

 渋すぎる。

 ワインじゃなくて日本酒のチョイスだ。

 いや、ブリ大根は好きだよ。

 好きだけど、今日じゃなくてもよくない?

 今日くらい、もっとこう、洋食的な何かを食べてもバチは当たらないんじゃない?

 でも、「チキン食べたい」って自分から言うのは癪だった。

 なんか浮かれてるみたいで恥ずかしいし、「お前もそういうの気にするんだ」って思われるのが嫌だ。

 だから黙って従う。

 これが私たちの暗黙のルールだ。

 期待しない。

 要求しない。

 平穏を乱さない。


 惣菜コーナーの前を通る。

 半額シールを持った店員さんが現れた。

 途端に、周りの客の目の色が変わる。

 主婦たちが群がる。

 私たちも無意識に足を止めた。

 ローストチキン(骨付き)に、黄色いシールが貼られていく。

『半額』。

 その二文字が、聖なる輝きを放っている。

 ヨウスケが私の顔を見た。

 私もヨウスケの顔を見た。

 言葉はいらない。

 目配せだけで通じ合う。

「……いくか」

「……おう」


 私たちは戦場へ飛び込んだ。

 主婦たちの壁をかいくぐり、おばあちゃんのカートを避け、狙いを定めたチキンに手を伸ばす。

 ヨウスケの手がチキンのパックを掴んだ。

 と同時に、別の手が同じパックを掴んだ。

 見知らぬおじさんだ。

 ヨウスケとおじさんが睨み合う。

 火花が散る。

 私はハラハラしながら見守る。

 ヨウスケ、負けるな。

 それは私たちのささやかな祝祭だ。

 ヨウスケが、ぐっと力を込めた。

 おじさんが怯んだ隙に、ヨウスケが見事にチキンを奪取した。

「……よし」

 小さくガッツポーズをするヨウスケ。

 その横顔が、普段の死んだ魚のような目ではなく、少しだけ生き生きとして見えた。

 狩猟本能かよ。

 たかが半額チキンで。

 でも、その必死さがちょっとおかしくて、私はマスクの下で笑ってしまった。


「……やったね」

「おう。危なかった」

 戦利品をカゴに入れる。

 ブリ大根の材料の上に、無造作に置かれたローストチキン。

 和洋折衷もいいところだ。

 でも、なんかそれが私たちっぽい。

 完璧じゃない。

 オシャレじゃない。

 生活感と妥協と、少しばかりのセコさが詰まったカゴ。


 レジに並ぶ。

 前のカップルは、ワインとチーズと生ハムを買っている。

 私たちは、ブリと大根と半額チキンと、あと第3のビール(金麦)。

 格差を感じる。

 でも、不思議と羨ましくはなかった。

 あっちのカップルは、これからオシャレなディナーを作らなきゃいけないプレッシャーがあるかもしれないけど、こっちは煮込むだけだ。

 楽だ。

 気取らなくていい。

 ヨウスケが財布からポイントカードを出している。

 端がボロボロになったカード。

 それを見て、なんか安心した。

 この人といると、自分が特別な女じゃなくてもいいって思える。

 ただの生活者でいられる。

 それが心地いいのか、諦めなのかは分からないけど。


「袋、一枚でいいですか?」

 店員さんに聞かれて、「はい」と答える。

 ヨウスケがサッカー台で商品を詰め始める。

 重い大根を一番下に。

 潰れそうなチキンを一番上に。

 手際がいい。

 こういうところは頼りになる。

 スーパーの袋をぶら下げて、二人で自動ドアを出る。

 冷たい風が吹いた。

「……寒っ」

「早く帰ろうぜ」

 ヨウスケが早足になる。

 私も小走りでついていく。

 手は繋がない。

 でも、肩が少し触れる距離。

 期待してないつもりだったけど、半額チキンをゲットしたヨウスケの横顔を見て、今日の夜は少しだけ悪くないかもしれないって、そう思ってしまった自分に気づいて、わざと視線を逸らした。

 ブリ大根とチキン。

 変な組み合わせだけど、まあいっか。


(つづく)

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