【仮題:あの日、チャールズ・コンウェイだった子供たちへ】

 この試みは、人々の自由を蹂躙するかもしれません。私こそが狂人だという声も上がるでしょう。しかし私は、私たちは、『たった一人の悪意が世界を滅ぼしうる』この狂おしい時代に終止符を打たねばならないのです。

 ――二千七十八年、チャールズ・コンウェイの演説より







 1 思想なきテロリズム


 人類史を語るうえで、二千年代中期よりスリリングな時代はない。兵器技術の暴走的な発達により、人類滅亡のトリガーに誰もが指をかけられた時代は、あの時を置いて他にないのである。

 2062年、バリー・チェンが単独で行った北米連続テロ事件の傷跡は今なお残っており――



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 ささやくような吐息が聞こえて、ウィリアムは原稿から目を上げた。バスのドアに寄りかかっていた彼の網膜に、愛しい妻の顔が浮かんでいる。

「あら、ごめんなさい。もう呼ぶつもりはなかったんだけど」

 バーバラは目を細めてウィリアムをにらんだ。

「私、三回は声をかけたのよ」

 彼は集中モードを解除し、発声機能をオフにして

「なに、どうしたの」

「別に、大した用ではないんだけど」

 包丁を持ち上げたバーバラが、小首をかしげる。

「帰りは何時ごろ?」

「遅くならないようにはするよ」

「そう……」

 台所に立つ妻の曇った表情を見て、ウィリアムは話題を変えた。

「ヨルダはどうしてる?」

「元気よ。さっきまでお義父さんと遊んでいたわ」

 今年で四歳になるヨルダむすめの顔を思い浮かべた時、「ねえ」とバーバラが言った。

「もう少し、話を続けてもいい?」

「構わないよ」

「ありがとう。……あのね、私も調べてみたんだけど」

 バーバラは声を潜めた。

「やっぱり変だと思うの。だって、『チャールズ・コンウェイ』なんて人、データベースのどこにも居ないのよ」

「バービィ、その話は昨日もしただろ」

「ええ、でも私は納得していないの。存在しない誰かを追いかけるなんて、どうかしてるわ」

「どうかしているから、完成させたいと思ったんだよ。それに……」

 ウィリアムは手元の原稿をめくった。七十六ページ、第三章。そこには二千九十七年にチャールズを逮捕した警部補『ムトウ・ラーウィック』の活躍が描かれている。

「このムトウとは、連絡が取れたんだ。彼女は僕との面会にも応じてくれて――」

「だから不安なのよ」

 一瞬のためらいの後、彼女は言った。

「その人は、サンドラさんのでしょ?」

 妻の言わんとすることが、ウィリアムには痛いほどわかった。彼女はこう言いたいのだ。


『彼らはみんな、おかしな妄想をこじらせたディシデント反体制派じゃないの』



【仮題:ライティング・サンドラ:×】


 十二月二十七日、早朝の少し前。僕たちは寒風に吹かれながら廃棄された鉄塔を登っていた。空に陽の気配が現れるまで、もうしばらくかかるだろう。

「精神年齢って、聞いたことある?」

 後続するサンドラが言った。その日、自分が高所恐怖症であることを初めて知った僕は、赤さびた鉄板の上で震えながら無言で頷く。

「私の精神年齢って、まあ、ほかの人よりは幼いと思うの。たぶん、実年齢にプラス三、てあたりが妥当じゃないかな」

十八15+3歳は夜更けに――」

 こんなところを登らないだろ、と続けようとした唇が寒さと恐怖で閉ざされた。

「ウィルはまだ十歳だけど、なんていうか、いろいろ知ってるじゃない?」

 背を向けたまま頷く。

「だから、まあプラス八くらいしてもいいと思うんだよね」

 階段の踊り場に足を踏み入れたとき、強い風がゴウと吹いた。

 我慢の限界を迎えた僕は、左手で柵を握りながらその場にしゃがみこむ。鉄板の冷たさがジーンズ越しに伝わってきた。

 背後から、スナップボタンをはずす音がした。サンドラはかがみながらコートを広げると、その中に僕を抱き入れた。ちぎれそうな耳を、彼女のため息が暖めた。

「私、いま告白するつもりだったんだけど」

 長い指先が、僕の手を包んだ。


「別に、結婚しようとは言わないよ。ほら、私はアレだから」

 サンドラの手は、寒さ以外の何かで震えていた。

「いまからでもイニシエーションを受ければいい」

 そう言いかけて、やめた。その言葉は彼女を傷つけるだけだとわかっていた。


 彼女は、自分を失うリスクメモリに思考をゆだねるを何よりも恐れていたのである。



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 車が止まった場所は、サンドラのオフィスから十五キロほど離れた街路だった。

 先に下車した案内人が、遠くに見える古びたホテルを指さした。そこがムトウの隠れ家らしい。

 白い煉瓦れんがのアーチをくぐった瞬間、玄関のドアが勢いよく開いた。見ると、茶色の人工毛をなびかせた単眼のアンドロイドが立っている。鼻から下は人間と同じ造形だった。

「待たせるじゃないか」

 そう言って、彼女は建物の中に消えた。ウィリアムが玄関に足を踏み入れた時、ホールには誰の姿も見えなかった。

 ふいに奥の階段から遠ざかっていく足音が響く。彼はそれを追って走り出した。

 二階、三階と駆け上ったところで、ようやく彼女の後姿が見えた。

「そうだね」

 肩で息をするウィリアムをしり目に、彼女は言った。

「とりあえず、ヤングと呼んでくれ。その方がスマートだ」

 白い歯を見せてヤングは言った。彼女の青く光る目がウィリアムを見上げる。

「繰り返すけど、あんた、家族はいないんだね」

「いません」

 ウィリアムはそう答えた。嘘は取材の潤滑剤だ。

「ふぅん」

 ヤングはちらりとこちらに目を向けて、「ならいいけどね」と言った。老練さをまとったその横顔は、全てを承知しているように見えた。


「ここだよ」

 促されて踏み込んだ507号室の床には、幾本ものパイプがのたうっていた。その先を視線で追うと、薄いシートに覆われた車椅子に行きついた。

「ドゥルルル……」

 ヤングが安っぽいドラムロールを口ずさみながらシートを剥ぎ取る。その下から、深紅のドレスを纏った老女が現れた。意識のない虚ろな瞳が、床の向こうを見つめている。

「これがあたしの成れの果て」

 老女の頭部に群がるワイヤーを撫でながら、ヤングが言った。

「冷たい眠りから覚めきれない、半醒半睡のいばら姫ワイアヘッド。ムトウ・ラーウィック、その人よ」

 ヤングの指が、ムトウの頬を撫でた。ワイヤーの隙間から伸びた茶髪は、ヤングのそれとよく似ている。

「さあ、次はそっちの番」

 促されて、ウィリアムは懐の原稿を手渡した。

 その封を破きながら、ヤングは台所らしきスペースの大半を占めるソファに飛び込む。沈黙の中を紙束をめくる音が漂った瞬間、ウィリアムの脳がある情景を思い出した。

 人工太陽の下、ペンを揺らしながら思索にふける記憶の中の少女に、彼はそっと語り掛ける。


 ――サンドラ、どうして君はを選んでしまったんだ。


 十四歳の彼女が顔を上げた。

「嘘よ。私が自殺するなんて、ありえない!」


 ウィリアムははっとした。

 彼の記憶はいまもなお、サンドラを再現できるのだ。



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 ヤングが原稿を読み終えた時、ウィリアムは部屋に入ってきた『コービン警部』と会釈を交わしていた。

「ゴーディ、コーヒーを入れて頂戴」

 言われて、警部の中の第六人格、ゴードン・コービンがキッチンに向かう。どうやらあれが「仏のゴードン」らしい。彼を手伝うべきか悩むウィリアムに、原稿を叩きながらヤングが言った。

「ここに書いてあることは、全部真実だよ」

 ウィリアムは彼女のモノアイを見た。青い光が、彼を射抜いた。

「まさか」とウィリアムは言った。「が実在したと?」

 ヤングは頷いた。

「アメリカは『ムー大陸』じゃない。私の人生のすべてだった。全部、チャールズに壊されたけどね」

 ヤングは原稿用紙を机に投げた。

「私とコービンは、チャールズを逮捕した。ああ、逮捕したんだ!」

「けど、逃げられた」

 赤い単眼を光らせて、ゴードンが言った。

「チャールズは逮捕される直前に、冷凍睡眠に入った。うまいことを考えたよね」


 当時の冷凍睡眠技術には欠点があった。冷凍直後に解凍を行った場合、一定の確率で、深刻な脳障害や死のリスクが生じたのである。

 チャールズ・コンウェイアイスマンが逮捕された時、国民投票が行われた。

 いますぐ起こすか、ゆっくり起こすか。

 結果は、人道に則ったものだった。


「絶対に操作されてた!」

 ヤングは机をたたいた。

「あいつは、アメリカ国民のすべてを“敵”に売ったんだ! 好きな食べ物や散歩コースだけじゃない。コービンのズリネタやあたしのGスポットまで、人々が記憶しているなにもかもを取引したんだ。廃人になろうが死んでしまおうが、たたき起こして殺すべきだった!」

「乱暴なことを言わないでくれ」

 ゴードンが机の上にコーヒーカップを並べる。

「すまない、彼女にとってチャールズは、許しがたい勝者なんだ」

 ウィリアムは眉をひそめた。

 妻の言う通り、彼らは狂人だったのだ。


 ――もしも、自分はいま、途方もない真実を打ち明けられていることになる。


 彼は本題に移った。

「では、『チャールズ・インストール』は、実際に起こったことなのですか」

 青と赤のツインアイがこちらを見つめた。

 どちらともなく言葉が漏れた。

「あいつは、眠りながら世界を一つにした」

「そして、姿を消した」

 青い光が、震え、やがて消灯した。

「共産主義と民主主義、あたしたちは、そのどちらも守れなかったんだ」

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