魔女なんてどこにもいない
なつの夕凪
Episode I わかっていたさ……
青いだけの空、浮かぶのが当たり前の白い雲
降り注ぐだけの光
丘の上から手を振る君
どこにでもありふれたものだったと思う
永遠でなくても30、40年は続いていくだけの
僕らは少しずつ歳をとり
やがて腰が曲がり
どちらかが先に冷たい土に還る
それは当たり前のこと
だけど、もっと先のこと
今はただ君の柔らかなぬくもりを
この愛おしさに浸るだけ
それだけでよかった
それだけで……
――終わりは突然だった
黒は君を覆いあっという間に連れて行った
最初に忘れたのは君の声
次に匂い
やがて身を焦がす熱
気づいた時には顔も思い出せなくなった
君は何が好きだったのか?
あの丘で僕らは何を話した?
僕らはどこで出会った?
……わからない
何も思い出せない
でも、僕がやるべきことはわかっていた
始めに、時計の針を逆に回してみた
あの頃に戻れるように
考えて
考えて
考えた
――これではダメだ
何かが足りない
でも何が足りない?
針の曲がった時計を何度も壊した
北を指さない羅針盤も
生けるものを映さない顕微鏡も
何度も
何度も
何度も
一度壊れた時計はもう動かない
壊れた人間と同じだ
違う
これも違う
――そうだ
命がないからだ
銀の杯はある
でも満たすべき、赤のワインがない
――そうだ
ワインを注がなければいけない
だから、
豊潤な香りがする真っ赤なワインを手に入れなければ……
でもどうやって?
――簡単なこと、魔女がさらえばいい
よくあること
町のやつらは都合の悪いことを魔女のせいにする
魔女なんてどこにもいないのに
だけど僕には都合がいい
――そう
これは魔女の仕業だ
だから……
今日1人
明日1人
明後日も1人
まだ足りない
昨日は2人
一昨日は4人
足りない
足りない
ぜんぜん足りない
1人
5人
3人
2人
4人
8人?
子羊が鳴かないように甘いお菓子を食べさせる
しばらくすると大人しくなった
1人
1人
また1人
魔女にさらわれた子羊はワインになった
ただ赤いだけのワインに……
でも杯を満たすには足りない
全然足りない
彼女はまだ帰ってこない
まだまだ全然足りない
もっともっと杯にワインを注がなければいけない
昨日が今日の続きなのに、夜になっても月が見えない
気づけば、窓の外で何かが赤く輝いている
僕が作っているワインとは違う
別の赤……
あれは、人を焼くものだ
息を引き取った彼女を焼いたのもあの赤だった
窓が破られると次々と松明が投げ込まれ
人を焼く赤は瞬く間に散らかった部屋を包んでいく……
逃げることはできない
そもそもなぜ逃げる?
僕を燃やすだけ
それだけのこと
せっかく作ったワインが燃えてしまう
僕の大切な赤い赤いワイン
……何のために作った?
思い出せない
僕はこれまで何をしてきた?
今、どうしてここにいる?
……サンジェルマン様
誰かが僕を呼んでいる気がした
澄み渡る蒼い空、浮かぶ白い入道雲、降り注ぐ太陽の光の下
せっかく作ってくれた冷たい肉を包んだパンを食べずに
古い羊皮紙の書物に夢中なふりをする僕を
呆れ顔の君はこう告げる
サンジェルマン様は私のこと愛してますか?
あぁ……もちろんだよ
ずっとずっと愛している
初めて会った時から……
でも、そう告げるのが気恥ずかしくて
どうすれば届くかわからなくて
書物の森の奥深くに一人で逃げた
君だけに見つけて欲しくて
でも、僕は間違っていた
ただ君の手をとれば、それでよかったんだ
ただそれだけで……
――決めたよ
僕が君を探しに行く
どこまでも
どこまでも
どこまでも……
君は大きく切った硬いパンに冷えた干し肉を挟み
僕が嫌いな香草の煎じ茶を入れて待っててくれ
……シャル
その名を最後に呼んだのは幾年前だろう?
100年?
300年?
どちらでも同じこと……
壊れた時計に意味などない
燃え上がる柱が僕に向けて倒れた
もうすぐ事切れるだろう……
だけど嬉しくてたまらない僕はまるで狂ってしまったように笑う
やっと
やっと
君を見つけたよ……
魔女なんてどこにもいない なつの夕凪 @Normaland_chaoticteaparty
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