第5話 美少女とラーメン屋
第5話
「一杯のラーメン、ある店主の物語」
そのラーメン屋は、どこにでもある店だった。
東京湾岸Cランクダンジョンの近くにあり、ダンジョンハンターの利用も多い。
レンの行きつけの店でもある。
色褪せた暖簾。 カウンター七席に、テーブルが一つ。 壁には年季の入ったメニュー表。
「……ここ?」
銀髪の美少女が、興味深そうに店を見上げた。
「はい。昔からある店で……評判は、いいです」
「あなたが一番好きな物を食べさせて」
その願いに戸惑いながらも、レンが選んだのは、行きつけのラーメン屋――笑福亭だった。
この選択は、間違っていなかったのだろうか。
『おい、さすがにラーメン屋はまずいだろ』
『いや、ここ普通に美味いよね』 『〇郎系じゃなくて良かった』 『ジャパニーズラーメンサイコーデース』
少女の許可(?)も得た追尾型配信ドローンが、一行の様子を全世界に配信していた。
少女が暖簾をくぐった瞬間。
――カウンターの奥に立つ男の動きが、止まった。
「……」
店主は、四十代半ばほど。 無精ひげに白い割烹着。 寸胴鍋の火を見つめていた目が、ゆっくりとこちらを向く。 そして。 少女を見た瞬間、背中に冷たい汗が走った。
(……ああ)
覚えがある。 魔王と共に執り行った、邪神アバニエル復活の儀式。 あの時に感じた、魂を押し潰すような圧。 だが、この少女は―― それ以上の存在なのだろう。
「い、いらっしゃい……」
声が、わずかに震えた。
レンと少女がカウンターに座る。
テーブル席にいた年配の紳士が、空気を察したように動きを止めた。
「ラーメン、でいいですか?」
「うん、ラーメン 」
少女は楽しそうに頷いた。 その無邪気さが、かえって店主の喉を鳴らす。
彼はかつて、異なる世界で生きていた。 勇者に討たれた、魔王軍の元幹部。
次に目を覚ました時、 この地球という星の、日本という国で、ラーメン屋の息子として生まれていた。
記憶が戻ったのは、七つの頃。
もう一度、力を求めることはしなかった。
ただ、生きた。 父の背中を見て、 ラーメンを作り、 鍋を振り、 客の「うまい」を聞いて。
――飯島ゴン。 二度目の人生。 未だ未熟者だが、ラーメンにかける情熱だけは、本物だった。
何十年と修行を重ね、ようやく辿り着けるはずの一杯。 それを、今日。 ここで、出す。
二度とラーメンを作れなくなってもいい。
それほどの決意と覚悟でなければ、不可能な一杯。
鍋が鳴る。 湯気が立つ。 手順は、いつも通り。 材料も、特別なものじゃない。 ただ、妥協だけを、すべて削ぎ落とす。
数分後。
「……お待たせしました」
カウンターに置かれた、二つの丼。 レンの前には、いつものラーメン。 そして隣――少女の前には。 一見すれば、何の変哲もない。 平凡なラーメン。
『ふつうに美味そう』 『箸の使い方、わかるのかな?』 『人間界最初の食事がラーメンか』
テーブルの老紳士が、わざとらしく箸を取り、麺をすする。
少女は少し考えるように彼を眺めてから、箸を取った。
一口。
――二口。
「……」
店内の音が、消えた気がした。
そして。
「おいしい」
花のような笑顔を見せる少女
店主はカウンターの内側で、静かに息を吐いた。 (……オヤジ、俺は至ったぞ)
レンは何も知らずに言う。
「美味しいですね。変わらない味で」
「……ありがとよ」
少女は、満足そうに頷き目を輝かせた。
「これが、ラーメン」
「そうさ、この国の魂さ」
店主は流れそうになる涙を堪えた。
かつて魔王軍の幹部だった男は、 二度目の生で、ようやく辿り着いた。
――今日、この一杯に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます