第3話 美少女とダンジョンマスター
第3話
――状況を理解するのに、少し時間がかかった。
僕は、生きている。
目の前には、さっきまで僕を殺す気満々だったはずのロードミノタウロスがいる。
見ただけで戦意を失う風貌の、規格外の存在。
この一匹が暴れただけで都市が壊滅するであろう怪物。
そしてそのロードミノタウロスは今――
「……ド、ドウゾ、コチラデス……」
腰を九十度に折り、片手で進行方向を示していた。
「……」
いや、何かがおかしい。
理解が、まるで追いつかない。
S級モンスター。それはすなわち、個では対応できないことを意味する。
国家が出動するレベルの、災害指定個体のはずだ。
なのにその態度は、完全に―― 怒らせたら終わりな取引先を案内する、疲れた中間管理職。
「ねえ、早く行こ」
隣で、銀髪の少女が楽しそうに言う。
足取りは軽く、今にもスキップしそうな勢いだ。
僕は彼女を直視しないよう目を伏せながら、背筋に別の意味で冷たいものが走った。
――この子を、地上に連れて行ってもいいのか?
理性が警鐘を鳴らす。
だが同時に、もっと深いところで、別の感覚が囁いていた。逆らうという選択肢は、そもそも存在しない。
それは恐れじゃない。 猛獣を前にした恐怖とは違う。 もっとこう―― 信仰の対象や自然法則に向ける畏れに近い。
彼女が連れて行ってと言うのなら、 これはもう、世界が――そう定めたという事だ。
そんなことを考えているうちに、一行は進み始めた。 ロードミノタウロスが先導し、その後ろを、少女と僕が並んで歩く。
まさに異様な光景だった。
道中、何体ものモンスターと遭遇した。
……が。 全員、バンザイのように両手をあげたまま、顔を壁につけ、張り付いていた。
C級モンスターの狼男は、必死に壁と一体化しようとしている。この東京湾岸ダンジョンではそれなりに危険なモンスターなのだが。
同じC級のガーゴイルに至っては、石像のように固まり、完全にダンジョンのオブジェとしてやり過ごそうとしていた。
「……」
僕は、言葉を失った。
『モンスターが空気になってるw』
『全員、生活指導受けてるじゃん』『なんかちょっと可哀想』『ミノタウロスの社畜感やばい』
……わかる。僕も、そう思う。
心の中で視聴者に同意する。そして何か違和感を感じた。
しばらくして、少女が不意に僕を見上げた。
「ねえ、それなに?」
彼女の視線の先には、追尾型の配信ドローン。
「あ……」
そこでようやく気がついた。
「……配信、切ってない……」
「いま、世界中に……流れちゃって…」
僕が言い終わる前に、彼女はドローンに近づいた。
ほんの少し、つま先立ちして、 上目遣いで覗き込む。
「へえ……」
その瞬間。画面いっぱいに上目遣いの少女の顔が映り込む。
『あー! わたくし今死にましたー』 『目が、目がああ!!! ――癒されるよ』
『視聴者、全滅』 『美少女すぎて脳が割れる』
コメント欄は、阿鼻叫喚だった。
「これ、人間の世界につながってる?」
「は、はい……」
「へえ」
そう言って、少女は画面に向かって片目ウィンクをする。
……だめだ。 これ、危険だとか災害とか、そういう話じゃない。画面の向こうを知るのが怖かった。
………… しばらく進んだところで、空気が変わった。
通路の先。
何か、いる。今までのモンスターとは明らかに違う圧。 空間そのものが、息を潜めたように感じた。
青白い光をまとい、ローブを纏った人影。
顔は見えないが、直感的にわかる。
――ダンジョンマスター。
ダンジョンの管理者のような存在。十五年前にダンジョンが出現した際、人類の前に一度だけ姿を現したことがあるらしい。
身構えたが、少女は足を止めなかった。
「人間界に行くの」
ただ、それだけ。
次の瞬間。
ダンジョンマスターは、深く頭を下げた。
「……コチラデゴザイマス」
床が震え、隠されていた扉が開く。
中には――エレベーター。
『公式にない動線きた』 『そんなのアリ?』 『普通にマンションのやつじゃん』
ロードミノタウロスが、心底ほっとしたようにため息をつき、同情したようにちらりと僕を見た。普通に怖かった。
一行を乗せた、それなりに広いエレベーターが、静かに上昇を始める。僕の隣にはダンジョンマスター。
心なしか少し困ったような顔をしている気がする。
そして。 入口階層。
ダンジョンゲートが、目の前にあった。
ダンジョンマスターとロードミノタウロスは、そこで立ち止まり、深々と頭を下げる。
「……ワタシタチワ、デラレマセンノデ」
地上には出られない。 そのルールだけは、守られているらしい。 僕は、なぜか安堵した。
――だが。 少女は振り返り、軽く手を振って言った。
「行ってきます」
――人間界へ。
その一言で、 僕は確信してしまった。
世界は、もう後戻りできない。 ---
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