相手
麗眞くんが、拓実くんの背中越しに立っていた。
視線が落ち着かず、壁と床を行き来している。
眉間に深く刻まれた皺が、なかなか戻らない。
親指でスマホの縁をなぞっている。
画面を見るでもなく伏せたまま、短く舌を鳴らしていた。
いつもなら、人前でこんな顔は見せないのに。
だから私は、視線を合わせずに、彼の靴先だけを見ていた。
「さっきからどうした、麗眞」
拓実くんの声に、彼はそっと柱に身体をもたせて、ぽつりと呟いた。
「悔しいんだよ。
理名は俺の友達だって、ずっと言ってきたのにさ。
いざって時に、何も出来ねぇ。
いくら、俺と拓実くんが知り合いでも。
拓実くんの学校にはコネもないし」
そこまで言ったところで、病室の扉が開いて廊下から明かりが入る。
「私たちで力になれるなら、なるよ?
恋愛のカリスマと心理学の力、甘く見るな、って感じ」
そう言いながら入ってきたのは、深月と華恋だった。
「相沢さんから、連絡貰ったの。
力になってやってくれ、って」
「相手は相当、高校生にしては頭が回るみたいだし。
これは放っておけないな、って。
早めに決着をつけないと、理名をいじめてるうちの高校の奴らと結託したりしそう。
それは、とっても厄介なことになりそうだし」
病室の空気を切り替えるみたいに、華恋が一歩前に出た。
「あ!
理名の、未来の彼氏さんだ!
初めまして、美川 華恋です!」
「浅川 深月です!
母がカウンセラーなんです。
人の心を読み取ったり、行動予測なら、出来ると思います。
ただ、私一人の力じゃ限界があるので、母のサポートも借ります」
華恋と深月が自己紹介を終えたところで、拓実くんも言う。
「あ、改めて。
私立グラジオ学園高等部に通っている桐原 拓実です。
すみません!
俺が、しっかりきっぱりと元カノと縁を切らなかったから。
理名ちゃんの友達にまで迷惑を掛けてしまいました」
「ノープロブレム!
拓実くんが気に病むことじゃないから、気にしないで!
これ、犯罪心理学辞典のコピーなんだ。
ちょっと見てくれる?
『ストーカーの行為には、
未熟な心性を持ったまま大人になった人間の心理が典型的に見られると言います。
人間としての未熟さが、妄想を駆り立て、ストーカー行動へ向かわせるのです。
未熟な大人に出会う確率は男性でも女性でも同じです。
自分は男性だから、ストーカー被害には遭わないだろう。
そんな思い込みが、ストーカー側からすると付け入る隙になります。
気をつけましょう!
また、ストーカーに至る女性は、なんらかの論理的思考が欠落しています。
ある研究では、ストーカーはなんらかの人格障害を患っているというデータもあります。
自分ひとりで、円満に解決することは非常に困難であることは認識しておいてください。
それを踏まえたうえで、ストーキングの証拠を集め、警察や弁護士、あるいは探偵などの専門家に相談しましょう』
そんなこと、知らなかったでしょ?」
「全然、知らなかった……」
深月が差し出した紙束を受け取った瞬間、ずしりとした重みが掌に伝わった。
端が揃ったコピー用紙には、蛍光ペンの跡と細かな書き込みがいくつも残っている。
私は一枚めくり、思わず次のページに指を伸ばした。
「あ、この用紙。
元カノさんの情報?
宝月興信所、やるねぇ」
華恋ちゃんの声で、私と深月もようやく、その髪を覗き込んだ。
月野
茶髪のポニーテール。
化粧も濃く、つけまつげを何枚も重ねている。
スクールバッグの中身は、アニエスベーの財布に、化粧品も、高校生が買うにしては、高いラインナップのものばかり。
香水も、クロエのものだった。
写真の中の彼女と並べると、同じ年齢だとは思えなかった。
私は袖口に残った折り目を、指の腹でなぞった。
「参考になったわ」
私は、彼女の横顔を正面から見る勇気がなく、写真に視線を戻した。
深月は一度、写真の角を揃え直してから再び言った。
「ストーカー化する人の片鱗が、既に、これで二つ見えた」
深月の声は一定の高さを保ったままだった。
私はその声に合わせるように、紙束の端を指で揃え直した。
「ひとつめ、自尊心が高い、自分大好きなナルシストタイプ。
こんなリッチなものを、高校生で持てる私、すごいでしょ?って自分に酔ってるのよね。
ふたつめ、ブランドもので固めている。
外見だけを取り繕うことで、自分に自信がないことを隠しているのよ。
一見すると、魅力的で可愛い子でしょう?」
私は肯定も否定もせず、写真の端を親指で押さえた。
角がわずかに折れ、その白さだけが目に残った。
「この傾向は女性ストーカーの中でも一際多い傾向なの。
男性を過度に縛り付け、他人を批判することで自分を守ろうとしているのが特徴ね」
拓実くんは、深月の言葉を逃すまいと、手元を見ずにペンを走らせていた。
「拓実くんにも協力してもらって、もう少し彼女に関する情報を集めましょう。
今まで、ストーカーとかそれに近いことをされたことがあるのか、それを知るためよ。
携帯電話のメールとかも見せてほしいし。
一番、証拠が残っているものだから。
理名が見た悪夢の通りになんて、させない。
させてたまるか!」
「ほらほら、皆?
取り込み中に悪いけど、もう面会は終わりの時間よ」
凛先生に諭され、皆はしぶしぶ病室を出た。
彼女と一緒に来た相沢さんが、例の女性の情報を、人数分カラーコピーしたものを皆に渡した。
「大丈夫。
例の人の情報は、この病院にいる全員に注意喚起をしたわ。
この病院内にだって、絶対に入れさせないんだから」
凛さんのウインクが決まったのを見届けて、皆を見送った。
病室には、今度こそ余計な音が残らなくなった。
「大丈夫かな?」
「大丈夫よ、きっと」
ポロリと零れた私の本音。
凛さんが微笑んでそう言ってくれると、勇気が出る。
コン、コン。
乾いた音が、病室の壁に反射して残った。
私は反射的に、凛さんの横顔を見た。
「あの、もう面会時間は過ぎていますので、お引き取り願います」
凛さんがそう言った。
しかし、相手はゆずらなかった。
「理事長として、刑事として、理名ちゃんから話を聞きたいんだ」
その声に、私と凛さんが顔を見合わせた。
この病室のテレビからかつて流れていた声と同じだったから。
背広の裾が視界に入り、次に警察手帳が胸元で揺れた。
顔を上げた瞬間、麗眞くんと同じ輪郭が重なった。
似ていると理解するまでに、私の視線は一拍遅れた。
凛先生も止めなかった。
「助かります」
そう言って、ベッドの傍らの椅子に腰掛けた蓮太郎さん。
こうやってじっくり会話をするのは初めてのことだった。
「全く、自分の息子から聞いていながら、情けないな。
自分の学園の生徒を、こんな目に遭わせるなんて」
「あの。
お言葉ですが私、貴方の卑下やら懺悔を聞くためにここにいるんじゃないんですけど。
それ以上続けるなら、帰ってもらいますよ?
邪魔です」
カチャ。
またドアが開いて、見覚えのある女性が入ってきた。
確か、宿泊オリエンテーションの前に、麗眞くんの家に泊まらせてもらった時に、食堂近くで会った人だ。
わざとなのか、ファッションなのかはわからないが、髪色が晴れた青空と曇り空の中間のような髪色の女性。
「相変わらずね。
蓮太郎に物怖じせずものを言えるところ、気に入ったわ。
初めましての時もそうだったけどね」
「裁判終わったわけ?
来るなんて聞いてないけど、メイ」
「何よ、来ちゃ悪いわけ?
もうとっくに終わったわ。
あまり面識のない人がいた方が話しやすいから来たまでよ。
こういうデリケートな、話すのにも精神力を使うような話題はね」
細かい気遣いが出来るところは、さすがに麗眞くんの母親なだけはある。
「改めて、よろしくお願いします。
麗眞くんには、いつも本当にお世話になっています」
「大丈夫?
理名ちゃんに言い寄ったりはしてないよね?
八方美人すぎてチャラいって思われるんだよな、アイツ。
誰にでも優しくするんだもん。
自分で自分をこじらせ男子にしてどうするんだよ。
大事な彼女の椎菜ちゃんにだけ、とびっきり優しくしろよな。
ったく」
「仕方ないじゃない。
他でもない、蓮太郎。
貴方の遺伝子を強く引きすぎたのよ」
確かに、完全に麗眞くんは父親である蓮太郎さん似だ。
「あの、お二人とも。
そんな話をしに、ここに来たわけじゃないですよね」
「あ、そうだったわ。
全く、蓮太郎が余計な話をするからよ。
空気読みなさいな。
辛いでしょうけど、話をしてほしいの。
麗眞から全部を聞いているわけじゃないし」
「俺からも、お願いするよ。
辛い記憶を蒸し返させることになって、申し訳ないけど」
私は一度、背もたれに肩を預けてから話し始めた。
視線は誰にも合わせなかった。
この人達なら口も堅そうだ。
彼らの子供が、私の知り合いなのだ。
話が伝わったとしても何ら支障はない。
むしろ、伝わったほうがいい。
宿泊オリエンテーションの当日、電車で出会った男の子に一目惚れしたこと。
その子と仲良くなった出来事のこと。
お食事デートもしたこと。
私が体調を崩したことを知ってわざわざ、私のいる学園まで押し掛けて来たこと。
それが他の女子生徒にとってはショックだったのだろう。
この翌日からいじめが始まったということ。
「これで、全部です」
話したことで、エネルギーを使ったらしい。
脳の奥に浮かぶのは、今日の病院食のこと。
いけない。
今は、麗眞くんのご両親の話に集中しなければならない。
「勝手に申し訳ないけれど、調べさせてもらったわ。
理名ちゃん、貴女のことを。
……中学校のときも、いじめにはあった。
その時は、保健室登校をしていたのね。
いじめがなくなったきっかけ。
それは、体育の授業の最中、生徒の1人が過呼吸を起こしたこと。
そう思った貴女は、先生の携帯電話から、空で覚えている、自分の母親が勤務する病院の番号をコールした。
そして偶然、電話口で応対したのが自分の母だった。
そして、これ幸いと、指示に従わせた。
その手腕が、中学生にしてはありえないくらいの、スピーディーな対応だった。
だからこそ、逆に皆の羨望を集めた。
いじめはぱたりと止んだそうね。
まぁ、過呼吸になったのは、いじめの主犯と一番繋がりが強かった生徒。
自分を助けてくれた人をいじめることは出来ない。
その人が次のターゲットとなって、他のいじめていた人たちに働きかけたからではあるみたいだけれど」
いじめの主犯は、転校した。
そして、私も保健室登校をする必要はなくなった。
高校受験でピリピリし始めたこともあって、何とかやっていくことが出来た。
私はそんなこと、全く知らなかった。
主犯格の人間は、自主的にいじめを止めてくれたものとばかり思っていたのだ。
「ちなみに、その、当時いじめの主犯格だった生徒、同じ高校みたいなんだ。
この病室のテーブルの上に調査データが載っている、君の想い人の元カノさんとね。
詳細は、麗眞の執事の相沢さんや、彩の執事の
ここで意味深に言葉を切った麗眞くんのお父さん。
「それから、俺の知り合いのツテを使って学校のパソコンをハッキングしてもらったんだ。
厄介なことに、学校の裏サイトやら掲示板が作られていた。
理名ちゃん、君の悪口がこれでもかというほど書き連ねられていたようだよ。
万が一にも、理名ちゃんがいる高校と拓実くんがいる高校の生徒が繋がりをもったら本当に、君の身が危ないくらいになる。
そうなる前に、何とかして阻止したいんだ」
いやいや、そう言われても困る。
スマホなんて、メールと電話さえできれば用が足りると思っている私は、それ以外の機能をまともに使ったことがない。
「そこは、蓮太郎が何とかしてくれるから安心して?
理名ちゃんは、いじめをされたらその証拠として日記を書いて。
壊されたり失くされたりしたものがあれば写真に撮っておいてくれればいいの。
私立高校はこういうことがあっても教育委員会に報告したりする義務はないの。
だけど、蓮太郎が理事長のところは違う。
『公立高校っぽさをどことなく残してある私立高校』だからね。
そういうところは、ちゃんとしてるのよ。
だから、よろしくね」
それを言いたかったらしい。
「じゃあ、辛いだろうけど頑張ってね。
何かあったら、逐一、麗眞に報告してくれればいいから。
じゃあ、またね?」
蓮太郎さんとその奥さんらしき女性は病室を出て行った。
何とか、味の薄い病院食を食べ終え、携帯電話が使えるスペースに行って、携帯電話を開いてみる。
すると、未読メールが100通を超えていた。
『バカ』
『死ね』
『病院からの帰り道、気をつけてね』
『あ、家の中でも気をつけてね』
画面を下へ送る指の動きだけが、一定の速さを保っていた。
内容を読む必要はなかった。
もう高校生なんだから、もう少しマシな語彙を使うべきだと思う。
しかし、いくつかのメールの送信者欄には、碧や深月、華恋や美冬の名前があった。
目の前が真っ暗になりかけたが、未読になっているメッセージに気がつく。
差出人は深月からだった。
「理名
大丈夫?
全く、アイツら、私や華恋、美冬の名前で理名の携帯に悪口メール送ってるみたいなの!
惑わされないでね?
退院のときに、また病院行くから!
深月」
惑わされるわけがないじゃないか。
こんなに素敵な言葉を掛けてくれる人たちが、
私の親友なのだ。
あんな言葉しか語彙がない人達とは違う。
病室に戻って、携帯電話の電源を切って、ベッドの上で目を閉じた。
……。
「懲りないんだから」
「アイツだけいじめるんじゃ、効果ないよ」
掲示板の書き込みを、私以外の誰かが見たらしい。
さながら昔の連絡網みたいに、私の親友たちには連絡が回っているらしい。
「周囲に気をつけて行動すること!
なお、単独行動は狙われやすいため、避けるように」
私はもちろんだが、気を張っている私の親友たちも、少なからずストレスがかかってきているようだった。
ストレスで喘息の発作が発現しやすくなった碧。
彼女は、保健室にて休むことが多くなったらしい。
私は、必死だった。
このままだと、皆にストレスがかかる。
早く、こんな日々から解放させてやらなければいけない。
ちょうどそう思っていた時期。
ご丁寧に、全クラスの黒板に、私の電話番号とメールアドレスが書かれているのを発見した。
案の定、迷惑メールやら電話の嵐。
着信音が鳴り響くので、授業中は電源を切ることにする。
そもそも、スマホをいじる時間なんてないのだ。
『まじドンマイ』
『このいじめ止めてほしければ、身体を売れよな』
メールのほとんどが、そんなもの。
しかし、一通だけ。
『友達としても付き合うのは金輪際止めようか』
……そんな文面。
チャイムが鳴った音だけが、遅れて耳に届いた。
ノートの文字が、どこまで書いたものだったのか思い出せなかった。
その文面は、拓実くんからだったから。
そして、放課後に、一通の電話がきた。
番号は非通知。
知らない女の声。
だけど、口調は攻撃的だった。
『拓実にまとわりつくの、ウザいんだけど!
ノッポでガリ勉のくせに。
止めてくれる?
止めたら、アンタの高校の奴らに言ってあげるよ、こういうのやめようって。
あ、ほんとだから。
嘘なんて言わないしさっきのあのメール、相当応えたみたいだしね?
マジウケるわ。
元カノではあったからね、知ってるのよ。
今でも脳が番号もアドレスも覚えてるもの』
月野 纏に違いない。
嫌な女だ。
「そこまで言うなら、勝手にすれば?
こっちは拓実くんとはもう連絡取らないようにするから!」
私の大事な親友たちの戸惑う表情なんて無視して、掃除当番のことなんて忘れて教室を飛び出した。
帰り道、路地裏に引きずりこまれる。
そこには、写真でしか見たことない顔の女が立っていた。
「やっと面拝めたわ。
その眼鏡。
勉強できますアピール?
イラつくのよ」
声は、先程の電話口の主だった。
逃げなきゃ。
そう思うのに、身体が言うことをきかない。
凍り付いたように、動いてはくれなかった。
月野 纏の周りにいつの間にかいた、4人の男たち。
彼らが皆、手にはスタンガンやら、鉄パイプやら、バットやら、物騒なものを持って、不敵な面構えをしていたからだ。
足元に落ちていた小石を、踏み避けることが出来なかった。
視線だけが、男たちの手にある物を順に拾っていった。
身体をゆさゆさ、何度も強く揺さぶられる。
視界には、私の顔を覗き込む凛さんの顔がある。
また、しょうもない結末の夢を見ていたと気がついたことは、幸いだった。
起きている間に、何度も考えていた筋書きと、ほとんど違いがなかったから。
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