麗眞くんの家

「なんだよ相沢。


 碧ちゃん、気に入っちゃった?」


「何をおっしゃいます、麗眞坊ちゃま。


 私は、既に、幼少期から気に入っているご婦人がおります」


「ほんと、冗談の通じない奴」


 声にならない笑みを浮かべて、主の冗談をかわす相沢さん。


 年上の余裕、というやつだろうか。

 

 少なくとも、私たちみたいな女子高生を見る目じゃない。


 その空気を、本人も主人も、特に気にしていない。

 

 淡々と会話を進めていた。

 

 次は、椎菜ちゃんの家だろうか。

 

 そう思っていた。


 しかし、それは思い込みだということにすぐに気付くことになる。



「相沢、頼んだ」


「承知しております」


 車は、私の家なんてとっくに通り過ぎてしまった。


建物がいくつあるのかと思うくらい立派過ぎる敷地の家に停まった。

 

 敷地が、異常に広い。


日本にあるドーム球場が、いくつも入ってしまいそうだった。



 ここ、もしかして……もしかしなくても……



「ようこそ、宝月家へ。

 理名ちゃん」



 ああ、やっぱり……


 麗眞くんの家、なんだ。


 予想外すぎて、乾いた笑いしか出てこない。


 私が、あのメールを受け取った時点で、私たちを家に帰さないことまでは、何とか予想が出来た。


  でも、なんで深月ちゃんや碧ちゃんは呼ばないで、私だけ?


 一瞬そう思って、すぐに引っ込めた。


 今日、私が口にしたのはサンドイッチ二つ。

 

 それで一日が終わることも、珍しくない。

 

 そんな私を、案じてくれたのだろう。


「どうぞ、お入りくださいませ」


 麗眞くんの執事の相沢さんは、重そうなドアを深月ちゃんとは違って軽々と開けた。


 そして、家主の麗眞くんより先に私と椎菜ちゃんを招いた。



「お邪魔します」


 そう言って先に入る椎菜ちゃんにつられて私も玄関に上がる。


 広い玄関ロビーに足を踏み入れた瞬間、言葉が出なかった。


髪を後ろで束ねたお姉さんと、渋いおじさんが立っている。


見渡す限りの空間に、ただただ圧倒される。


 何かあったら、彼女たちに尋ねればいいのだろう。


 こんな家を、よくこの日本に建てたなぁ。


「皆ここに驚くんだよね。


 そんなすごい?」


 いやいや、麗眞くんにとっては普通でも、私たちパンピーには全然普通じゃないんだって!


「さぁ、麗眞坊ちゃま含め、皆さんお疲れである上に空腹でしょう。


 どうぞこちらへ。


 皆様でお食事に致しましょう」


 ええ?


 いいの?


 家にあげてもらった上に、ご飯までご馳走になるなんて!


 執事さんが漆塗りのドアを前に引いた。


 大きな長方形のテーブルに、椅子が几帳面に並べられていた。


 テーブルには、生まれてこの方食したことがないような、豪勢な料理が並べられていた。


 私と椎菜ちゃんが隣に座った。


 椎菜ちゃんの右隣に座っていた20代前半くらいの女性が、ちらと私を見やって、言った。


「あら、麗眞。


 珍しいわね。


 貴方が椎菜ちゃん以外の女の子を連れてくるなんて」


 シャンプーのCMに出てきそうなほどの、茶色いサラツヤロングヘアーの女性。


 しかも、出るところの出たスタイルの、美人さん。


 彼女が麗眞くんに目を向けてタメ口で、名前を呼び捨てで話しかけている。


「たまにはいいだろ。


 いちいちつっかかるなよ、姉さん」


 え?


 ええ?


 麗眞くんの、お姉さん?


 やっぱり、イケメンの姉は美女って相場が決まってるのね。



「こんばんは、彩さん。


 お邪魔してます」



「あら、椎菜ちゃん、ごきげんよう」



 椎菜ちゃんに彩さんと呼ばれたその女性。


彼女は自分の弟が座ったのを見届けると、ナプキンを長方形にして、膝に掛けた。


 私も、見よう見まねで掛けたが、どうやら折り目を奥側にして掛けてしまったようだ。


 そっと椎菜ちゃんが直してくれた。


 そのごたごたを気にしていない風に微笑んで、見逃した女性。


 彼女が気をきかせて私に声をかけてくれた。


「ごきげんよう。


 私の名前は宝月 ほうづき あやよ。


 貴女のお名前は?


 そういえば聞いていなかったわね」


「岩崎 理名です。


 麗眞くんと椎菜ちゃんのクラスメイト、です」


「あら、そう。


 私の愚弟をよろしくね?


 ああ見えて、友達には真面目で誠実だから」


 想像より少し高い声の、綺麗な二重まぶたの女性だった。


 彩さんは、私の拙い自己紹介を、途中で遮らずに最後まで聞いてくれた。


それから、ほんの一瞬だけ視線を伏せて、「なるほど、と小さく頷いた。


その仕草だけなのに。


私の話のどこが重要で、どこがそうでないかを、もう整理されてしまった気がした。


椎菜ちゃんが、当たり前みたいに彩さんの隣に座る理由が、少しだけ分かった気がした。


 食器を外側から使っていくことにも慣れない。


 スープを飲む際に少しだけ音を立ててしまったり、ナイフとフォークを落としてしまったり。


 散々だった。


 

 けれども、執事さんがスマートに拾ってくれた。


 相沢さんの気配りは私だけに向いていたのかと思うくらいだ。


 ここで一番場違いなのが、私だということだけは、はっきり分かった。


それなのに。


食事を終えた頃には、


「早く帰りたい」という気持ちだけが、どこかへ行ってしまっていた。


「あ、理名ちゃんもせっかく来てくれたし、泊まっていけばいいわ。


 世界中のどこのホテルよりサービスいいわよ、ウチの屋敷は」


 そこまで言われては、無下に断れない。


 断ったら、麗眞くんというただ1人の男友達を無くす恐れがある。


 それだけは、なんとしても避けたい。


「では、お言葉に甘えて、今夜だけお世話になります。


 よろしくお願いします」


 初めてだ。


 男の人の家に泊まるなんて。


 ろくに男の子の家どころか、友達の家にさえに泊まったことがないのに。


 初めてのお泊まりが、私だけ勝手が分からない場所で、いいのだろうか。



「さぁ、ゲスト様方?


 お先にどうぞ。


 来客用の浴場は、なかなかの評判なのよ? 


 私も今日は、ここを使わせてもらうことにするわ。


 ゆっくりお話ししたいし」



 私のでよければ、と麗眞くんのお姉さんから着替えを手渡された。


 渡されたそれを、躊躇しながら受け取る。


 手渡されたのは、丈の短いパイル素材のボーダーロンパースだった。


 ワンピースではなくて、つなぎなのも、ボーダーなのも私の好みだった。


 これだけ丈の短いものは、着慣れない。


 家では、普段はTシャツに中学校の時のジャージだ。


 たかが部屋着を、こんなに女の子らしいものにする意義が、到底理解できなかった。


私を見つめる彼女の瞳には、迷いがなかった。


それだけで、私とは違う世界を生きてきた人だと分かった。


 目の前にいる女性は、私とは生きてきた速度が違う人だと思った。


「お気に召さなかったらごめんなさいね?


 こういうのしかないから……」


「いいえ、とんでもないです。


 ありがとうございます」


 まさか、気を遣わせてしまった……?


 私の思い過ごしだろうか。


 本当にそうだとしても、きまりが悪くなる。


 私はうつむき加減でお礼を言った。


 隣の椎菜ちゃん。


 彼女は、バスト部分にフリルが付いたコットン素材の白ワンピース。


 それを嬉しそうに抱えながらはしゃいでいる。


「ほら、2人とも。


 早くお行きなさいな?


 お湯が冷めて、お風呂じゃなくなってしまうわよ」


 その言葉を合図に、椎菜ちゃんの腕を引っ張るようにして、浴室に向かった。


 もちろん、この家に何度か来たことがあるという、椎菜ちゃんを先頭にした。


 そうでないと、たどり着けなくなってしまいそうだったからだ。


 迷いなく、この広い廊下を曲がっていく椎菜。


 それを見ても、この家自体に「慣れている」ことが伝わってくる。


 何度か「来た」というレベルでは、ここまでにはならないことは、理解できる。


 おそらく、この家に何度も「泊まった」ことがあるのだろう。


 片手では数え切れないほどの回数を。



 脱衣所に入ると、そこらのホテルや銭湯の脱衣所に似ているが、どこか違う空間が広がっていた。


 ロッカーの数がなにぶん、多すぎる。


 100なんかでは、到底足りない。


 0がもう一つ必要なくらいは、数がある。


 よく見てみると、ロッカーは指紋認証で開けるようになっていた。


 銭湯などはただの鍵なのに。


 何でだろう。


 しかも、どんなホテルよりセキュリティーは高いだろう。


 脱衣場のセキュリティーに、ここまでこだわる理由は分からないはずなのに。


指をかざすことに、もう戸惑わなくなっている自分がいた。


 いつの間にか、隣のロッカーにいた椎菜ちゃんが、おもむろにブレザーと、白いブラウスを何の躊躇もなく脱いだ。


  椎菜ちゃんがキャミソールを脱ぐと、チュールとレースがあしらわれた下着が見えた。

 

 一目で、ちゃんとした店で選ばれたものだと分かる。


 胸の奥が、ひくりと鳴った。


羨ましいのか、悔しいのか、自分でも分からなかった。


 

 彼女は、もう経験している側の人間なのかもしれない。


 私は急いで視線を逸らし、ブラウスに手をかけた。

 

 比べるつもりなんてなかったのに。


せめて、隣に立ったときに笑われないくらいでいたい、と思ってしまった自分がいた。



 庶民向けの店で買ったスポーツブラ。

 

 見られた瞬間、きっと引かれる。

 

 そう思って、タオルを掴んだ。


 身体を隠すと、ようやく息が戻った。


 もともと2人しかいない空間を、長い静寂が包んだ気がした。


「理名ちゃん、私、お手洗い行ってくる。


 ゆっくりおいでね?


 焦らなくていいから」


 それだけを言い残して、彼女はロッカーを閉めて、ごく自然に人差し指をかざした。


 バスタオルで身体を覆った。


 そして静かに化粧室に向かった。


 引かれた。


そう思った。


せっかく、


いつもツンツンしていて素っ気ない私に、

初めてできた友達だったのに。

 何の色気もない下着とキャミソールを、隠すようにロッカーに押し込む。


 身体に、何重にもバスタオルを巻きつけた。


 そして、黒い縁の眼鏡を外して、眼鏡ケースに収めて、ロッカーの手前に入れた。


 ロッカーを閉めると、5本あるうちのいずれかの指をかざすように指示があった。


 その通りにするしかない。


「登録されました」の文字と共に一定の機械音が鳴った。


 それを合図に、椎菜ちゃんが来た。


「ほら、準備が出来たなら、早く行こう?


 宿泊オリエンテーションの練習にもなるし!


 理名ちゃんとガールズトーク、楽しみ!」


 そう言って私の腕を引っ張る彼女の顔は楽しそうだった。



けれど、椎菜ちゃんの背中を見ていると、どうしてか、目を逸らしたくなくなった。


何をしているわけでもない。


それなのに。


彼女の動き一つ一つが、「こうすればいいんだよ」と言っているみたいで。


私も、真似できるところだけでいいから、

置いていかれないように歩こう、と思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る