特別でもない夜に

すずめ

序章

時計の針は午後10時を回っている。

小さな光の下。

僕と心美さんは授業を終えた夜間学校の教室でふたりきり。

鉛筆をプリントの上に走らせながら駄弁っていた。

「ていうか暑くない?」

心美さんは長袖の黄色いカーディガンを羽織ったままエアコンのリモコンに手を伸ばした。

「前から思ってたんだけどさ、心美さんの半袖姿見たことないんだよね。」

彼女の手が止まる。

僕はただ熱帯夜の中、袖を捲くらない彼女に不信感を抱いていただけだった。

この一言が、僕の人生を変えることになるとは、考えてもみなかった。

「…じゃあ、見せたげるよ。」

心美さんは僕の前に腕を差し出して、その袖をゆっくりと捲り始める。

段々と顕になっていく。

「え。」

彼女の腕の大半は、皮膚が変色していた。

それは醜く、腐ったように。

「私、もう死んでるの。」

血が通っているとは思えないほど冷たい手のひらが僕の頬に触れた。


「ゾンビなの。」


彼女の瞳が僕の血肉を喰らうようだ。

心臓の鼓動がどくどくと速まる。

それは、人生の中で初めての、


恋だった。

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