大好きでした

遠山愛実

藤田先生

 藤田先生へ

 先生にお手紙で想いを伝えるか迷いに迷いましたが、どうかお手紙を受け取るだけでも受け取っていただければ幸いです。

 私が脳梗塞かもしれない症状で運ばれたとき、先生は主治医として真摯に私と向き合ってくださいました。とても感謝しています。

 入院中、本当はいけないと分かっていながら、なぜか親近感を抱いてしまう容姿に惹かれてしまいました。何とか先生に好かれたいと、本当はさほど頭がいいわけではないのに、自分を知性的な女性として見てもらいたくて、先生が喜びそうなギャグを考えては披露してしまいました。本来診療行為ではないのに、先生はそれに付き合ってくださいました。特定の相手がいない私は、初めて異性と仲良くなれた錯覚に陥ってしまいました。

 分かっています。私が取り乱したから、先生は治療の一貫としてそのように接してくださったのだということを。でも、どうしても先生をお慕い申し上げる気持ちに抗えません。院外で会うこともないでしょうし、会ってはいけない関係だとは重々承知ですが、この気持ちだけは伝えさせてください。大好きでした。


 引っ越しのために私物を整理していると、棚の奥から手紙の下書きのメモが見つかった。藤田先生……何とも懐かしく、切ないお名前だ。藤田先生は今もお元気にされているだろうか。連絡先も知らないし、仮に今も同じ病院で勤務されていても、押しかけて行くのは非常識だ。今は夫がいる身なので、不倫をする気はさらさらない。先生への想いは封印しなければ……手紙の下書きメモは夫に見られないよう、そっと愛読書の頁に挟んでおいた。

 更に片付けを進めると、表紙に日付と番号の書かれた大学ノートも見つかった。ノートの頁を埋め尽くす文字は十年来したためてきた日記だ。日付もバラバラに積まれているのを日付順に重ねてひもで縛ろうと思い、ノートの日付を見ながら床に並べていた。

 その時、一冊のノートを手にしたまま私は固まってしまった。

 二〇二〇年六月六日

 ノートの表紙の日付を見て、私は思わずはっと息を呑んだ。この日付は私にとって忘れたくても忘れられない。思わずノートの一ページ目を開けた。

「空に薄雲がかかっていて、薄手の半袖で過ごしやすい気候だ」

 いつもは長々と文章を綴っているが、この日はその一言で終わっていた。そう。この一言を書き込んだ何時間後かに、私は救急搬送されて日記どころの騒ぎではなかったのだから。それだけではない。入院の間に出会ったとある男性のことを思い出し、私の心が急にざわざわし始めた。今は夫もいて、将来養子を迎えることを望み、そのために広い部屋に引越ししようと決めていた。それなのに、日付とともにその男性の顔がまざまざと思い出され、胸を締め付けられた。

 黒ぶち眼鏡をかけ、眉の上で前髪をカットし、優しそうな目をした彼。

 彼の名は、藤田将……退院後は地元の鈴木神経内科クリニックに通院しているので、それ以来一度も会えていないし、病院の外で会えるような関係でも、連絡先を交換出来るような関係でもない。物理的に会えるはずがないのに、日記の頁をめくるたびに彼と過ごした三週間が現在進行形で蘇ってきた。


 今から五年前の令和二年の夏、私は青森大学病院に緊急搬送された。左腕は点滴の管につながれ、右腕には血圧計が巻かれている。露わになった胸には心電図のパットが貼られている。つながれた機械が無機質な電子音を等間隔で鳴らしている。下半身も介護用パンツ一枚にされた私は処置室のベッドに仰向けに寝かされていた。若い男性医師五名と短髪の若い女医が私を取り囲み、矢継ぎ早に意識を確認している。

「お名前は」

「木村由美です」

「生年月日は」

「平成六年十月十日です」

「今日は何月何日ですか」

「六月六日です」

「ここどこだか分かりますか」

「青森大学病院です」

 一通り私の意識がはっきりしていることを確認すると、一際若く見える男性医師が名札を私の顔の前に示し「藤田といいます」と名乗った。

「一応私が主治医ということになっていますけど、チームで対応しますので」

 不思議な言い方だなと私は思った。主治医は普通一人で患者に対応するのではないのだろうか。それに藤田先生はせいぜい私と同い年かそれよりも僅かに年上にしか見えない。チームというのは私を取り囲んでいる医師全員を指すのだろうか。それにしても命を救ってくれそうな、所謂「お爺さん先生」は見当たらない。そうか。ここは大学病院なのだ。医師の卵を育てる医学部の付属病院だから、隣の建物で学び、医師免許に合格し、研修を終えて間もない医師が最初のステップとして働いていてもおかしくはない。

 青森大学病院に運ばれる三時間前、私は遅めの昼休憩がもうすぐ終わるという時に左腕に突然の痺れを覚えた。気のせいだ。すぐに収まるだろう。ずっと同じ姿勢でいたからだろう。私は近くにいた同僚に午後少し休んだら半田の作業に戻る旨を伝え、食堂で安静にしていた。

 食堂内のアナログ時計が刻一刻と時を刻む。早く作業に復帰しないとその時間は外出扱いとなり基本給から控除される。早く立ち上がらなければ……左腕から先の痺れは収まるどころかまるで他の人の腕か義手がついているかのように感覚がない。身体に何かまずいことが起きているのではないか。上司に知らせてもう少し休ませてもらった方がいいのではないか。左腕の感覚がないのでは、自分で車を運転して帰るのも難しいだろう。私は立ち上がろうと何気なく両足に力を入れた。がくっ。左足に力が入らない。片方の手足だけ麻痺しているということは、もしや脳の血管が詰まったのではないか。前日に観たテレビの脳梗塞の特集では突然片方の手足や顔が麻痺した場合はすぐ救急車を呼ぶように呼びかけていた。もし脳梗塞ならば言語にも影響する場合があり、呂律が回らなくなったり喋れなくなったりすることもあるらしい。立てないと上司にも緊急事態を知らせることが出来ない。動けないことで心臓がハンマーのように肋骨を叩く……

 その時食堂のガラス戸に人影が近づいてくるのが見えた。瀬川課長の顔が近づいてくる。救われたと私は思った。開け放ったドアから瀬川課長が顔を出す。

「大丈夫か。なかなか戻って来ないから心配して来てみた」

「課長、私、動けません。左の手足が痺れて動かないんです」

 とりあえず言葉は無事だと私は少しばかり安堵した。

「えっ、大丈夫か。立ち上がれるか」

 動けない。やはり左足に力が入らない。瀬川課長が重りのように椅子にのしかかっている私の身体を支える。

「お父さんに迎えに来てもらおうか。これでは自力で運転出来ないだろう。木村さんはそのままここで待ってて。今、坂本さんにお願いして木村さんの荷物をまとめてもらうから」

 二十代後半にして脳梗塞なんて悲しすぎる。脳の壊死が進んで言葉が出なくなったらどうしよう。大好きな編み物が出来なくなったらどうしよう。車いす生活だったらどうしよう。仕事に復帰出来なかったらどうしよう。若い美空で介護なんて真っ平ごめんだ。

 私のリュックを片手に総務の坂本さんが上がって来た。

「木村さん、もう工具箱はロッカーに戻して荷物はまとめたので、お父さんが来たら病院に向かってください。お父さんには瀬川課長が連絡しました。三十分くらいで到着するそうです」

「ありがとうございます」

「暑くなってきたから熱中症かもしれないですね。疲れも溜まってるかもしれないので、まず無理しないでゆっくり休んでください。病院で何言われたか後で報告お願いします」

 父は三十分もかからないで会社に到着した。そして坂本さんの案内で食堂に現れた。

「由美、大丈夫か。とりあえず病院に行って安心しよう」

「木村さん、私が支えるので頑張って立ち上がりましょう」

 坂本さんが左わきに、父が右わきに立って二人がかりで私を支えた。いつもの階段が途轍もなく遠く感じる。転げ落ちないよう一歩、一歩、慎重に足を下ろす……

 何とか父の車に乗り込むと、父は必死な形相で地元の大病院に電話をかけた。

「あの、二十五歳の娘なんですが、左の手足が突然動かなくなったので、今すぐ診てもらえないでしょうか」

 相手方の声が曇ってよく聞き取れないが、父の表情からすると望ましくない回答だと私は思った。

「ああ、そうですか。分かりました。まずは個人医院を当たってみます」

 父は険しい表情で電話を切った。

「だめだ。神経内科は非常勤しかいないし、今日は先生の勤務日じゃないから診れないって」

「どうしよう」

 暑さと動悸で意識が遠のきそうになる。

「仕方ない。とりあえず、近くの脳神経内科をやっているクリニックを探そう」

 父がスマートフォンでググる。いくつかの候補が出て来た。私たちは一番近くでこの場所から二十分ほどの街中の鈴木神経内科クリニックに馳せ向かった。この時ほど赤信号がじれったいことはない。少しでも信号に引っかからないよう、父は全速力で交差点に侵入した。父のアクセルを踏む足に力がこもる。運悪く信号にひっかかると、ハンドルを激しく指で叩いた。

 信号が変わった途端、頭がぐんと後ろに引っ張られる。「頑張れ」と父が私を励ます。頭はその場に置いてきぼりで、身体だけが高速で車とともに進んでいく。周りの景色が太い線となって後ろに流れていく。

 初めて行く病院だけに、付近の建物に目移りしてしまい、クリニックを見つけるのに多少手間取った。何とか看板を頼りに建物の前に車を寄せると、父は私を介助して車から下ろし、入口のスロープに立たせて車を駐車しに戻った。

 私が動けないでいると玄関のガラス戸から看護師が車椅子を持って現れた。私は車椅子に乗せられ、受付まで駆け抜けた。

 フェイスガードで防御した看護師が近づいてくる。非接触式体温計で体温を測ると、コロナ患者と接触があったか、風邪症状などコロナの疑いがないかを手早く確認された。緊急事態であることを父が伝えると、PCR検査も抗原検査もなしに待合に車椅子をつけた。

 待合はがら空きだった。平日の午後だからだろう。保険証を提示し、問診票も記入して回収してもらったと思ったら、すぐに診察室に通された。

 奥の棚に本がずらりと並んでいるデスクには、超短髪のおじさんが座っていた。

「どうした」

 鈴木医師は初対面にもかかわらずフランクに聞いてきた。

「娘が左の手足が突然動かなくなりました」

 父の声は上ずっている。

「両腕を前に突き出して」

 私は鈴木医師に腕を支えられながら両腕を胸の前に突き出した。

「目をつぶって。そのまま真っすぐにしてて」

 瞼を閉じる。左腕だけが支えを失って弧を描くように下がっていく。

「ああ、やっぱり麻痺あるね。目を開けて。腕は下ろして。今度は右足だけ上げて」

 右足だけを座ったまま鈴木医師の前に突き出す。

「目は開けたまま。そのまま維持して」

 右足はそのまま真っすぐ伸びたままだ。

「大丈夫だね。じゃあ右足下ろして左足前に出して」

 どうにか動かそうとするが、左足はびくともしない。

「ああ、麻痺あるね。じゃあ、万歳してみて。万歳」

 右腕は何の抵抗もなく上がる。左腕が石のように動かない。

「頑張れ。もっと挙げて。ああ、ダメか。じゃあ、次顔の動きを診るから。マスク外して」

 右手でマスクを外す。

「いー、してみて。いー」

 私は精一杯「い」の口をする。

「やっぱり左が変だな。じゃあ今度声を出して『あー』って言ってみて。あー」

 私は耳鼻科の医者が喉を診てもらう時のようにだらしなく「あー」と発音した。

「娘さんはもともと歩ける人なんですよね?」

「はい」

 父が答える。

「麻痺があるということは、脳に問題があるかもしれないので、脳のMRIとCT撮るからね」

 ほどなくして検査室に通された。狭く硬いベッドに身体中固定され、大きな機械の中へと頭が入っていく。ゴー、ゴーと騒音がする中、三十分ほど回る機械の中で仰向けになった。

 MRIの画像は思いの外異常がなかった。脳の血管が詰まっているならば、右の脳の一部が黒く映るはずだ。ところが私の脳の画像はどの断面を見ても灰色のしわくちゃな物体が映っていた。

「MRIの画像では脳の血管が詰まっている所見は見られませんでした。しかし、脳の血管のCT画像では、ほら、右の中大動脈が映ってないでしょう。左はこうしてカーブしている血管が見えるのに」

 私はあっと息を呑んだ。確かに、血管が途中で途切れている。

「でも先っぽの細い血管は見えている。麻痺があるということは、何かしら脳の病気があるはず。これは入院して検査と治療をしなければなりません。今すぐ救急車呼ぶから。青森大学病院が一番近いからそこでいいかな」

「お願いします」

 父が返事をする。私は顔で嫌だと訴えたかったが、顔の筋肉がうまく動かない。

「鈴木神経内科クリニックの鈴木です。救急車一台お願いします」

「患者は二十五歳、女性。名前は木村由美さん」

「患者に脳梗塞の疑いあり……てんかんの発作はなし……大学病院へお願いします」

 電話が切れると、鈴木医師は私に向き直った。

「救急車呼んだから。処置室で待ってて。その間に点滴をするから」

 私は処置室のベッドに寝かされると、カーテンが閉められ、パンツ以外の服を脱がされ、病衣に着替えた。看護師が慣れた手つきで左右の腕を調べる。左腕に血管を見つけて一瞬で針を刺した。私はだんだん眠くなってきた。意識が遠のきかける。

 点滴が落ち始めた頃に診療を終えた鈴木医師が現れた。

「大丈夫か」

 先生の声で私は目を開けた。

「ああ、麻痺側に刺したのか。これで楽になるからね。大丈夫。もうじき救急車が来るから」

 鈴木医師が私に話しかける。

「ビカネイドを点滴しておきました」

 看護師が鈴木医師に報告する。

「ありがとう。MRIでは詰まりはなさそうだったから、虚血発作かもしれないね」

 看護師が頷く。

 五分もしないうちにけたたましいサイレンが近づいてきた。ピッチも段々高くなっている。コロナで運ばれる人が増え、救急医療がひっ迫する中、こんなにも早く救急車に来てもらえたのは不幸中の幸いだった。

 サイレンが止むと、後ろの入口から二名の救急隊員が現れた。医師と看護師、救急隊員らが慣れた手つきが私の身体を担架に移動した。私はそのまま車内に吸い込まれた。父も乗り込む。私の寝ている場所に近づこうとしたのを、シートベルトをするよう制される。私が救急車に乗るのはこれが初めてだ。中学校の時担任の先生があれだけ「パトカー」「救急車」「霊柩車」の三つには乗るなと口酸っぱく言っていたのに、そのうちの一つである救急車に乗るはめになろうとは……

「お名前を教えてください」

 私のそばにいる救急隊員が質問する。

「木村由美です」

「生年月日を教えてください」

「平成六年十月十日です」

「今どこの病院に向かっているか分かりますか」

「青森大学病院です」

 その間にもう一人の救急隊員が私の腕に血圧計を巻き、病衣を少し捲って心電図のパットを胸に貼りつけた。そして私の左隣にある機械を操作した。右腕が締まる。パットが緩むと血圧がモニターに表示される。心拍は絶えず規則的な電子音となって刻んでいる。救急隊員がまた機械を操作する。

「定期的に右腕が締まりますけども、それは自動で血圧を測るよう設定したからなので気にせずに寝ていてください」

 救急車の窓のブラインドは閉まっていて外の様子は分からない。夏とはいえ、もう外は暗いだろうか。

 救急隊員が無線で青森大学病院とやり取りをしている。

「気持ち悪くないですか」

 ぐらん、ぐらん、揺れる車内が心地いいわけはない。でも不思議と吐き気はない。

「大丈夫です」

 私は答えた。

「気持ち悪くなったらすぐ言ってください」

 救急隊員が言う。私は「はい」と返事をすると、機械の積まれたトラックの荷台のような車内の天井を眺めていた。

 救急車は一瞬速度が緩んだかと思うと、猛スピードで加速していく。

「今高速に乗ったので、後二十分くらいで着きます」

 救急隊員が説明する。右腕が締まり、緩んだと同時に機械に映し出される数字が更新された。


 看護師が薄い毛布を一枚かけ、「これから検査に行きますよ」と私に声をかけた。

 ベッドは猛スピードで病室を出ると、無機質な蛍光灯の明かりに照らされた廊下を駆け抜けた。自分の足で歩くときはそんなに速く景色が変わることはない。だから周りの景色が太い帯となって流れてゆく感覚が新鮮だった。看護師たちは余計な言葉を発せずにてきぱきとベッドを移動している。まるで歩いて移動しているその時間さえ惜しいかのようだ。廊下には洗練された靴音が響き渡る。

 あっという間にMRIの部屋へ運び込まれると、私は検査技師に引き渡された。入口で耳栓をはめられると、検査技師の声が途端に曇った。学校で耳栓をしてプールの授業を受けていた時と同じような聞こえ方だ。私は中耳炎を繰り返していたので、ドレンチューブを入れる手術を受けていた。耳に水が入るとよくないからという理由でプールに入る時は必ず耳栓をするよう医師に指示されていた。そこに音はあるけれど、音節として認識できないからもどかしい。先生の声が聞き取れないから、皆の行動に目を配り、皆がプールから上がっていれば上がるようにしていた。

 ベッドに乗せられた身体が頭の台まで滑らかに移動する。頭の位置が少し行き過ぎると、胴体を引っ張って正しい位置に戻された。

「身体を固定しますよ」

 何となくリズムで検査技師がそう言っているのではないかと推測する。身体全体がベルトでベッドに縛り付けられる。検査技師は私の頭を軽く回して角度を微調整する。

「頭を固定します」

 お棺の蓋が締まるように頭部が枠に覆われた。

 機械が動き出す。

 思いの外、騒音が酷い。耳栓を通り抜けて耳をつんざくような甲高い音や飛行機が通る時のような低い大きな音がした。何かが硬い物を打つような音もした。狭い空間の中で私は目を閉じ、出られる瞬間を待ち望んでいた。処置室から出るときに辛うじて一枚の毛布で裸体を覆ってくれたとはいえ、このまま置き去りにされたらどうしよう……不安は雨後の筍のように増殖する。

 もしここで大地震が起きたら、検査技師も看護師も医師も裸の私を放り出していなくなるのだろうか。停電したらずっと暗くて狭い機械に閉じ込められるのだろうか。津波が来たら、間違いなく私は裸のまま波に漂うだろう。機械が水に浸かって漏電でもしたら、私は感電して丸焦げの遺体に化すだろうか。災害でなくても、私は機械の中にいることを忘れられはしないだろうか。幸い青森大学病院は内陸にあり、比較的新しい建物だから耐震はしっかりしていそうだ。でも、東日本大震災のことがあるから、いつ何時人類の想定を超えるような大災害が襲ってこないとは限らない。今年に入って大騒ぎになっているコロナだってそうだ。地震や津波のように直ちに人命を奪うような即効性はないが、じわじわと経済を蝕んでいるし、感染しても治療法がないということで人々の恐怖心を煽っている。コロナ禍で震災でも起きたら、たとえこの機械から脱出出来て服を着せてもらって避難したとしても、避難生活はウイルスを持っていないとも限らない他人と隣り合わせだ。ただでさえ身体が弱っているのだ。どうか変なウイルスをもらうような事態にはならないでほしい。

 それにしても、機械にいる間はこの凄まじい騒音は続くのだ。眠って嫌な思考を封印するどころか、かえって脳を刺激しているとしか思えない。


 やっとMRIから出られたと思ったら、今度はCTの部屋に通された。

「体重はいくらですか」

 なぜ入室するや否や体重を検査技師に尋ねられるのかと訝しながら私は答えた。

「五十五キロです」

「ありがとうございます。薬の量を決めないといけないので」

 検査技師が奥で薬を調合して戻って来る。

「今から薬を入れます。熱くなりますよ」

 右腕から造影剤が入る。身体全体に熱風をあてられたように熱くなった。一瞬の後、熱は冷めた。

 処置室に戻ると、血を採られ、ブドウ糖の点滴も追加になった。一通りの検査と処置が終わり、暫くして医師たちが戻って来た。

「先生、私、脳梗塞なのでしょうか」

 私はおずおずと取り囲む医師たちに尋ねた。

「まだ脳梗塞とは決まったわけではないですが、木村さんはもやもや病の疑いがあります」

 藤田先生が答える。

 もやもや病? 音だけでは精神の病に聞こえるが、今回の麻痺とどう関係があるのだろうかと私は思った。

「脳の異常血管の周りに細い血管がまとわりついてもやもやと見えるからそういう名前がついています。木村さんの場合、こちらのMRIの画像でも所見は見られなかったのですが、やはり鈴木クリニックさんでの画像と同じようにCTでは血管の一部が細くなっていました。これから何で細くなったのか詳しく調べないといけないので、入院して検査をします」

 父が看護師に連れられて処置室に顔を出す。

「由美、心配いらないよ。先生に画像を見せてもらいながら説明を受けたところ。入院の説明も受けたから、しばらくしたら母さんに迎えに来てもらうか、雄平の所に泊まるかして帰るからね」

 その時父のスマホが鳴った。あまりにも動転し過ぎてマナーモードにするのを忘れたのだろう。

「もしもし、今病院にいるから大きな声を出せない」

 父が声をひそめて電話に出る。

「雄平の所に泊めてもらおうかと思ったけど、母さんが迎えに来てくれるって。うん、心配してくれてありがとうね」

 電話を切ると、「雄平からだよ」と教えてくれた。兄は青森大学病院のある市町村に住んでいる。父はもし時間が遅くなったら兄のアパートに泊めてもらおうかと思っていたらしいが、たとえ夜中でも母が病院まで迎えに来てくれることになったらしい。部屋が空くまで私は処置室で待機していた。尿意を催したが、動けない以上トイレにも行けない。看護師さんがここにいる間は瓶に用を足すしかないと言った。瓶に用を足す? 男性ならまだしも、女である私はどうやって……仕方なしに多少の尿意は我慢しようと決めた。

 いつ部屋が空くのか、私は中を見つめながら待ち続けた。

「大丈夫。部屋に行くまで父さんもそばにいるから……」

 機械だけは規則的に電子音を刻み、右腕を締め付ける。数字が変わるたびに父がおおと声を漏らす。永遠に時が止まるのではないかという不安が重しのように私の頭にのしかかる。

 向かいのベッドから苦しそうな声がする。きっと痛みか何かの苦しみにあえいでいる患者なのだろう。寝ている姿勢では患者の姿は見えないが、私はその声がうるさいというより、苦しみへの同情の方が大きかった。一刻も早く苦しみから解放してあげて欲しいと願わずにはいられなかった。

「今この瞬間痛みや苦痛に耐えている人もいるんだ」

 父が私を落ち着かせようとして言う。痛みがないだけ私は苦しみが少ないだろう。

 ベッドに寝てばかりいると、ふと、とある日本在住の脱北者の伝記が本の表紙とともに頭をよぎった。もし今私が某北の国にいたら、救急車なんて来なかっただろう。病院は常に感染と隣り合わせで、安全に注射や点滴をしてもらえなかっただろう。入院しても寝具は持ち込みだとも書いてあった。電気もないに等しいから、血圧計や心電図などもないに違いない。障害があるというだけで、都市部には住めないし、十年前の技術の恩恵すら受けられないだろう。否、都市部であっても最新技術の恩恵どころか、三代目の将軍になり、コロナ禍で貿易が途絶え、食うや食わずの状態らしい。障害年金などというセーフティーネットも、その発想すらないだろう。そもそも働けなくなることすら許されない。保険制度もなく、診療報酬は固定ではなく賄賂を渡さないと診てもらえないとか……私は脱北者の伝記の内容を頭の中で反芻した。「あなたは日本人に生まれて幸いです」の意味が今更ながら分かった気になった。自由はどこにも売っていないけれど、日本だと北と違って一万キロも歩かなくても四方一センチにも満たない距離に常に存在している。

「父さんそばにいるから。由美が部屋に移動するまでずっといるから」

 父は私の右腕を握った。

「ありがとう……」

「もうじき母さんも到着するよ」

「あと何分」

 父がスマホの画面を点灯させて時刻を確認する。

「あと五分くらい。一時間前に家を出たってメール来たから」

 頭の中で一秒ごとに一、二、三、と数える。三百を数える頃には母も来る。

 百五十……百六十……二百……

「木村さん、部屋が空きました。今から移動します」

 二百九十を数えたとき、看護師の声で頭の中のカウンターが中断した。


 部屋が空いたのは、夜中の十時を回るころだった。私が運ばれたのは、SCUという部屋だった。脳卒中の集中治療室だと看護師から説明を受けた。

「勝手に動かないで、ベッドから出たいときは必ずナースを呼んでください。ここにナースコールがあるので」

「分かりました」

「入院の説明が終わり次第、ご両親が面会にいらっしゃいます」

「その前にトイレに行きたいです」

 私はようやく膀胱を解放できることに安堵を覚えた。

「じゃあ、ケーブルと酸素を測る機械を外して行きましょう」

 私は看護師に介助されながら車椅子にやっとの思いで乗り込み、お手洗いまで導かれた。看護師が戸を開ける。つづいて車椅子が中に入り、戸が閉まる。便器のそばで麻痺のない右足で踏ん張るのを補助されながら便器へと腰掛ける。看護師が介護用のパンツを下ろそうとするのを制して右手でゆっくり下ろした。

「用を足している間にトイレットペーパーを丸めておきますね」

 女性同士とはいえ、誰かに見られている状況で用を足すのは落ち着かない。当然尿の出は悪くなるから、時間がかかる。

 排尿が終わったところで看護師から丸めたトイレットペーパーを受け取る。とりあえず麻痺のない右手で拭き取る。看護師の補助で病衣を整え車椅子に乗る。シンクまで連れて行ってもらい、蛇口のレバーを上げて水を出す。左手が思うように動かないから何とか動く右手を駆使して水に濡らし、石鹸を泡立てる。流水ですすいでペーパータオルで拭きとると、看護師はドアを開けてから車椅子をお手洗いの外に出した。心電図のモニターにつなぎ、酸素濃度計を巻いた後、

「水を飲んでみてむせたりしなければ明日から普通の食事が出来るので、今チャレンジしますか」

 と看護師が聞いた。消化器の病気ではあるまいし、水を飲むくらい出来るでしょうと思いながら、「飲みます」と即答した。

 看護師はすぐにメモリ付きのスポイトとコップ、プラスチックの容器に入った水を用意して戻って来た。看護師がメモリ付きのコップに水を注ぎ、スポイトに水を吸い上げた。

「まずはスポイトから飲んでください」

 人間が小鳥の赤ちゃんに水を飲ませる要領で看護師がスポイトの先を私の口の前に差し出した。私は一息で水を吸い上げた。

「いいですね。では、今度はコップの水を飲めるか試します」

 看護師はスポイトを回収すると、五十ミリリットルの水が入ったコップを私に差し出した。余裕だと思いながら水を飲み干した。

「大丈夫そうですね。では明日から常食にします」

 看護師はコップも回収していなくなった。

 すぐに別の看護師が両親を連れて現れた。

「由美」

 両親が僅かにずらして私に呼びかけた。

「お父さん、お母さん……」

「心配したよ」

 薄暗いが、母が心配そうな目で私を見ているのは分かった。

「そっか。ご飯は明日から常食だって」

「よかったね」

 父が頷く。

「入院に必要な荷物は明日お母さんが病院に届けるからね」

「ありがとう」

「私、大丈夫かなあ」

「大丈夫。先生や看護師の言うことを聞いていれば治るから」

 両親にいくら不安をぶつけても無駄だと私は思った。

「とりあえず話せる状態でよかったよ。もう帰るからね」

 両親は私に手を振ってベッドから離れた。看護師が後ろから両親について行く。

 私は両親の姿が闇に消えて見えなくなるまで後姿を見送った。

 病室は看護師の詰め所以外は照明が消えている。しかしベッドに取り付けられているモニターは煌々と光り、患者の心拍と同じ速さで電子音が鳴っているので、とてもじゃないが寝られたものではない。ただでさえいつもの就寝時刻を二時間も過ぎているのに、非常事態で脳が興奮しきっている。点滴が両腕につながれていてうまく寝返りも打てそうにない。向かいのベッドから大きな鼾が始終聞こえる。

 ベッドの周りのカーテンが閉められた。

 酸素濃度計につながれた右手の人差し指が不気味に赤く光っている。モニターに映し出される心電図は急に電圧が上がって下がり、その後に僅かに電圧の上がった波形が合同な形で等間隔に並び、右から左に流れている。下は単音の音叉を鳴らした時のオシロスコープの波形のような心拍が流れている。上部にある緑のライトが電子音と同じ間隔で点滅している。血圧は上が百十五、下が六十。いたって正常だ。

 点滴スタンドには機械が二台ついている。それぞれの機械の液晶には上下二段に数字が表示されている。下段は今点滴が流れている量の分かる「流量」で、上段は点滴をセットしてから今までに流れた量を計算する「積算量」だ。点滴のパックに何リットル入っているか分かれば後何時間で点滴が終わるか分かるのだが、生憎寝ている姿勢ではパックの文字が見えない。

 そういえば、最後に生理が来たのは一か月くらい前だった気がする。まずい。病室にナプキンを持ち込むことを忘れていた。ポーチには辛うじて一日分くらいのストックはあると思うが、入院は一日では済まないだろう。入院中に生理が来たらどうするのか。否、今日明日に来てもおかしくない。明日入院に必要なものを母親が届けてくれると言ったが、気を効かせてナプキンを袋丸ごと持ってきてもらえるだろうか。もし明日の朝にでも来てしまったら、女性看護師から借りるしかないだろう。売店はもう閉まっている。でも、もしナースコールを押して対応しに来たのが男性看護師だったら……

 頭がホッカイロのように熱くなっている。このままでは昼夜逆転してしまう。いつもの睡眠薬を所望したかったが、いくら眠れないからといってナースコールを押すのは気が引けた。


 目が覚めた。後ろのブラインダーから薄明りが漏れている。もう朝かと思って病室のアナログ時計を確認すると、午前五時前をさしていた。入院前はこの時間にベッドから起き上がって身支度をしているのだが、今はベッドから動くことが許されない。下腹部に違和感はない。生理はまだ来ていないようだ。とりあえず今朝起きるまで乗り切った。

 時の立つのが嘘のように遅い。モニターを眺めていると看護師がカーテンの中に入って来た。

「今血圧と体温を測ってもいいですか」

 看護師が右腕に血圧計を巻き、上の病衣を少し開けて左脇に体温計を挟んだ。

 体温計が鳴る。看護師が体温計を取り出す。六度九部、正常。右腕のパットが緩む。モニターの数字が更新される。血圧は百二十の六十五。正常。

「いいですね」

 看護師は記録を取ってカーテンの外に出ようとした。

「すみません、トイレ行きたいです」

 私が用便を訴えると、看護師は手際よくモニターから電極と酸素濃度計を外し、点滴を車椅子の点滴スタンドにかけなおして私を車椅子に乗せた。

 昨晩と同じように看護師に六割以上介助され、便器に座る。紙パンツは自分で下ろし、看護師がトイレットペーパーを丸めている間に私は用を足した。

「普通のパンツでも脱ぎ着出来そうなので、明日からご自分のパンツを履きましょうか」

 ベッドに戻る途中で看護師が言った。

 朝食は何時なのだろう。入院前は起きて一時間もしないうちに母の用意したほかほかの食事を家族で囲んで食べていた。時刻は六時を回っている。

 ベッドに横たわったまま、特にすることもないので、私は再び繋がれた機械のモニターを眺めた。積算量、予定量、流量。何となく、それぞれの数字が何を意味するか分かった。積算量は、今までに注入された点滴の量で、二百四十八と出ている。予定量は合計何ミリリットル点滴するかを表すに違いない。モニターには数字が出ていない。流量は一時間あたりに注入する量で、四十二と出ている。点滴のパックに何ミリリットル入っているかが分かれば、点滴が後何時間で終わるのかが計算できるのに、寝ている姿勢ではパックもよく見えない。

 いつもはもう朝食を食べ終わっている時間なのに、なかなか食事が来ない。それどころか、私以外の患者さんたちはまだ寝ているようだ。

「木村さん、おはようございます」

 カーテンの向こうから男性の声がして、藤田先生が顔を出した。

「どうですか? 痺れは少し良くなりましたか? 」

 まだ左の手足を動かせないんですけど……でも、感覚は戻って来た気がした。少なくとも、自分の手、足ではないという違和感はなくなった。

 藤田先生は、手を握らせたり、膝をトンカチで叩いて反射を見たりした。

「まだ麻痺は残ってますね……でも昨日の夜水は飲めたようなので、普通の食事で大丈夫そうですね」

 藤田先生の顔が近くなった時、ふとハンサムだけど親しみがあると感じた。何なのだろうか。この親しみ易さは……こんな親近感は医者に対して抱いたことがない。医者でなくとも、他の男性に対して抱いたことがない。

 藤田先生が去った後も、お顔が残像として残った。不思議だ。どこにでもいる、格好いいお兄さんという印象が刻まれた。あまりにも人間離れした美しい顔だと親しみを感じない。反対にあまりにも生理的に受け付けない顔でも積極的に会話しようとは思わない。でも、藤田先生とはもう少し個人的な話をしたいと思ってしまった。

 個人的は話……例えば今まさに生理が来てしまうのではないかという切迫感。医者だから、ひょっとして抵抗がないのではないか、という変な想像をしてしまう。専門の科は違えど、産婦人科系の勉強もしているはずだから。

 生理の話題がタブーかのように無意識に抑圧されていたのを解放してみたい、そんな欲望が顔を出した。でもタブーかどうかは社会が決めることであり、私一個人が逆らえることではない。でももし、生理の苦しみを分かち合える人がパートナーになってくれたら、どれほど生きやすいだろうかと思う。どれだけ生理痛が辛くても婦人科に相談したこともない私だが、辛いときは辛いと言い、さりげなく家事分担をお願いできるパートナーが欲しいと思っていた。

 藤田先生のことをあまり知らないくせに、私は勝手に藤田先生としたい会話を想像していた。個人的なことは誰にでも気軽に話せるものではない。イケメン過ぎても、ブ男過ぎても、大事な情報を渡そうとは思えない。

 生理どころか、私は今まで男性と個人的なことを話せる仲になったことはなかった。好きだと思う人はいても、たいてい既に相手がいて、表面的な挨拶で終わり、塩対応される。今どきセクハラに男女関係ない時代だ。下手に私が男性にアプローチでもしたら嫌われる。若い頃は無鉄砲に好きな男性にアタックしたこともあったが、好意を滲ませれば滲ませるほど離れていった。その時の記憶があるから、私は好意を内に秘めるようになった。

 藤田先生に関しては、出会って二日目だ。医師と患者の関係でしかなく、相手について知っている情報はほとんどない。もう少し観察したり、悟られないように周りに聞いたり、もし先生本人と診察以外の会話が出来たなら、少しずつ情報を集められるかもしれない。それまでは、アクションが表に見えないようにしようと思った。


 朝食は少し柔らかめに調理されていたものの、家で食べていた料理とさほど変わらないか、品数が多いくらいだ。白米やたんぱく質の量は少ないものの、食べてみたら意外とお腹が満たされた。

 歯磨きは看護師が持ってきてくれた細長い容器にうがいをした。歯ブラシも届けられていないからだ。口を漱げただけでもありがたいと私は思った。

 水は薬を飲むのにも飲み水もうがいに使う水も看護師がメモリ付きのコップで何ミリリットルとか計ってボトルから注いでいる。患者の摂取する水分量までコントロールしているようだ。病院内はやや温度が低めに設定されているといはいえ、季節は夏だ。水分不足で血液がドロドロになったら脳の血管も詰まってしまうリスクがある。

 左半身がうまく動かせない以上、立ってシャワーを浴びるのは難しい。女性看護師が来て、ローブの紐を解いて私を全裸にするとお湯をかけながら身体を拭いていく。まるで介護施設の高齢者のようだ。介護施設では、女性利用者も男性が風呂に入れることがあると聞いたことがあるから、それよりは同性に介助されているだけでまだましだ。

 身体を拭かれている間、もし生理が来ていたら、ナプキンも看護師の手伝いがないと替えられないのだろうかと思った。女性としての最低限の自立さえも保てていないことに今更ながら気が付いた。

 このまま麻痺が残って車椅子生活とかになったらどうしよう。家もリフォームしないといけないのだろうか。望んでいる独り暮らしも難しくなるだろう。今の職場は車椅子での労働を想定していない。仕事も変えないといけないのだろうか。最悪お風呂やトイレくらいは一人で出来るようになりたい。左半身不随となったら、車椅子、左手不自由を想定してリハビリをしなければならないだろう。右腕と右足の力だけで車椅子から乗り降りし、浴槽から出たり入ったりしないといけない。

 看護師や医者と言葉のやり取りは成り立っているから、言語の方は問題ないだろう。脳梗塞なら悪くすると言葉も奪われる。とりあえず言葉だけは無事なのは幸いだった。


「木村さん」

 昼食を終えた後、明るい青の上下に身を包んだ女性が私のベッドを訪れた。

「リハビリ担当の内村といいます」

 内村さんはそう言って首から下げた名札を示した。

「リハビリを始めるにあたり、木村さんがどの程度動けるか確認に来ました。不自由なのは左手と左足って伺いました」

「はい、そうです」

「ちょっと立ってみましょうか」

 私は内村さんに支えられ、恐る恐るベッドから立ち上がった。

「おお、いいですね。そのまま足踏みしてみましょうか」

 私は動くことが分かっている右足から踏み出した。大丈夫。例え転びそうになっても、腕を支えられている。左も踏み出してみよう。私は右足を下ろし、そっと左足を上げた。

「お、いいですね」

 私は左足を下ろし、右足を上げ、右足を下ろすと同時に左足を上げる動作を繰り返した。

「おお、車椅子なくても歩けそうですね」

 歩けそうと言われるだけで希望が湧いてきた。頑張れば元の生活に戻れるかもしれない。今まで歩けることが当たり前過ぎたけれど、乳児の頃覚束ない足取りで歩き始めたとき、両親は今の自分と同じように嬉しかったに違いない。

 一、二、一、二……内村さんの号令で点滴のスタンドを押しながら、一歩一歩、トイレに向かって歩みを進めた。車椅子で連れて行ってもらっていたときは飛ぶように速く感じたが、自分の足で歩いているとトイレまでの距離が長く感じた。

「角を曲がりますよ」

 内村さんが声をかける。身体の向きを九十度変えると、目の前に「SCU」という文字の書かれたドアが現れた。へえ、こんなドアがあったのか。車椅子で連れて行かれていたときには気づかなかった景色が目に入って来る。それにしても、SCUのSはストロークのSだ。ストローク、脳卒中。改めて自分は脳卒中の患者さんたちと同じ部屋に入れられたのだと実感した。

「いいですね。Uターンしてベッドに戻りましょう」

 私はくるりと向き直り、ベッドに横たわる患者さんたちを横目にベッドへと向かった。


 機械ばかり見ているのに飽きると、私はSCUにいる看護師たちの容姿を観察した。看護師たちは全体的に年齢が若く、下手したら私と同じ年かそれよりも下かもしれない。男性看護師も女性看護師も、意図的に集めたのではないかと思うほど美しい。男性看護師は、まあまあその辺にいそうなお兄さんという感じがするが、女性看護師は、どう見てもドラマの中で女優さんが演じているのではないかと錯覚するほどの美貌だ。

 イメージどおり、患者のほどんどは高齢者のようだから、看護師と患者との間で何かが起きるとかはないだろう。しかし、二十代後半の私からしてみると、同性でさえドキッとしてしまう。しかし、男性看護師に関しては格好いいとは思えども、親しみは感じない。男性看護師も数人勤務しているが、踏み込んだ会話をしたいと思えなかった。藤田先生だけが何故か頭を離れず、診察以外の会話をしたいと思った。なぜだろう。藤田先生は俳優やモデルのような整った容姿とはまた違う。それは男性看護師にも言えることだ。自分に手が届く相手なのではないか。自分が背伸びせず付き合えるのではないか。そう思わせる容姿は人に親近感を抱かせる。会話も自分の知らない高度な内容ばかりだと自然と敬遠してしまうだろう。容姿をクリアすれば、後はどれだけ会話したいと思うか、にかかってくる。私が女性ということもあり、お世話に来るのは大抵女性看護師であり、男性看護師とはあまり会話していない。たいした会話をしていないという点に於いては、藤田先生も同じだ。診療に関わる会話しかしていない。にも拘らず、藤田先生だけが印象に残り、深い会話をしたいと思ってしまうのだ。藤田先生のことをよく知りもしないのに、この気持ちを異性への好意だと形容してよいものだろうか。一目ぼれなどはあまり信じたくない。でも、何かがおかしいと私は思った。

 人は見た目だけでこうも異性に惚れられるものなのだろうか。本来相手のことをよく知ったうえで相手の人柄に惹かれるのではないか。なぜ藤田先生のことがこんなにも気になるのだろうか。私は藤田先生に医者としての役割以外に何を求めているのだろうか。まさか、よく知りもしない藤田先生に、個人的な重荷を下ろしたいと思っているのか。でも、藤田先生にはそう思わせるだけの力がある。では、私が抱えている重荷を藤田先生に預けることで、何を得たいというのか。それは、藤田先生に関する情報ではないか。自分が先に情報を開示することで、藤田先生に心を開いてもらいたいと思っているのではないか。相手が心を開いてくれる保障もないのに自分から情報を与えたいと思うのは、そういう算段が働いているからだろう。


 男女の看護師がペアになって荷物チェックをしに来た。

「パンツ五枚」

 男性看護師が言うと、女性看護師が棚から袋を取り出し、枚数を数えた。

「あります」

 男性看護師がリストに丸を付ける。

「シャンプー、ボディーソープ」

 女性看護師が棚を探し、ボトル二本を見つけ出した。

「あります」

「生理用ナプキン」

 男性看護師が淡々とした口調でリストを読み上げたとき、私は胸を抉られるような気持ち悪さを感じた。確かにそれはコロナ対策で面会出来なくても母親が看護師に預けてくれたものだ。毎月お世話になる品物だ。でも、なぜかこの看護師にだけは口にしてほしくなかった。男性だからなのか。そうかもしれない。藤田先生でも気恥ずかしいかもしれない。でも、抑圧されたものを解放したいという矛盾する感情もあった。この看護師に、ではなく。

 私がさっと身体から血の気が引いたように感じていると、荷物チェックはどんどん進んでいて、看護師のペアは

「ご協力ありがとうございました」

 と言ってカーテンの外に出た。

 閉じられた空間にいると、思考だけが暴走する。生理が来たらどうしようという切羽詰まった感情は、十六で初潮を迎えた時の悲惨な記憶を呼び起こした。

 私は十歳でターナー症候群だと告げられた。簡単に言えば、治療なしでは二次性徴が起きない。それで私は自分には生理が来ないと思い込んでいた。女子だけ保健室に集められてナプキンの使い方を教わっても、自分とは関係ないと聞き流していた。

 ところが十六で突然来た時、処理の仕方が分からず顔面蒼白で帰宅した。私はそれを父親にも兄にも話していなかった。家族といえども、見えない壁があった。それなのに、私はいつの間にか頭の中で架空の藤田先生を相手にその時の悲惨な記憶を話している自分を想像していた。私は誰かにはそのことを語って重荷を下ろしたかった。その相手に藤田先生がふさわしいかと言えば、相手からしたらはなはだ迷惑に違いない。私も本人を目の前にして、壁を越えられるかと言えば、自信はない。でも、藤田先生が話せそうな相手に一番近いと無意識に感じていたのだろう。

 そういえば、病棟内に同じ看護師が朝からずっと勤務している。一日の労働時間は法律で八時間と定められているし、残業をするにしても三六協定を結ばないといけない。それも無制限に残業させるわけではない。しかし、病棟の看護師は明らかに朝から消灯まで働いている。私が夜になって救急搬送されたとき対応してくださった先生方もそうだが、大学病院では医療従事者の残業が実質無制限になっているのではないかと思うと気の毒でならない。十何時間も働いた看護師は、三日以上の休日をもらえるのだろうか。それとも普通の労働者と同じように週休二日制なのだろうか。十何時間も働いて、家で家事をしたり趣味で気分転換をしたりする時間や気力が残っているのだろうか。

 それに引き換え、私は基本的に実働八時間で帰宅できるし、残業するといっても三十分程度で済んでいる。その点では看護師よりも健康的な環境にいるのかもしれない。


 看護師に付き添われてリハビリから戻ると、私はちょうど回診に来た先生方の集団と出くわした。

「由美さんが戻ってきました」

 藤田先生が笑顔で他の先生方に私が戻って来たことを告げた。

 今、藤田先生は私のことを下の名前で呼んでくれた。今まで木村さん呼ばわりだったので、私はなぜか先生との距離が縮まったと思い一人無形のガッツポーズを取っていた。

「由美さん? 」

 中年男性が藤田先生に聞き返す。

「もや疑いの患者さん」

 藤田先生の説明で先生はああ、と納得の声を漏らした。藤田先生以外にとって、私は単なる「もやもや病疑いの患者」というラベルでしか認識されていないようだ。苗字でもなく、ましてや下の名前でもない。病名で患者をラベリングしている。藤田先生だけが私を由美という名前で認識してくれていた。由美さん……「ちゃん」と呼ぶ少数の友人も含め、何人の他人が私のことを由美と呼んでくれているだろうか。

「リハビリお疲れ様でした」

 藤田先生が労いの言葉をかけてくれた。

「リハビリ室はジムみたいでした」

 エルゴという自転車こぎマシンが十台くらい並び、トレッドミルも一台置かれていて、ハンドエルゴも数台置かれている光景を見たら、素直に「ジムみたい」という感想を口にしていた。

「そうですね。確かに。では」

 藤田先生は手短に雑談を切り上げて他の患者さんの所に行ってしまった。

 ベッドに戻ると勝手にお手洗いにも行けないので、藤田先生たちが去ったタイミングで私は看護師にトイレに行きたいと申し出た。今のところ、下腹部に違和感はない。

「私、もう車椅子なくても歩けるので、自分でベッドから下りてトイレとかに行けないのでしょうか」

「そうですね……SCUにいる間は看護師を呼んでください」

 身体は自由に動けるようになったからこそ、何をするにも人を呼ばないといけない不便さが恨めしいと思った。

 トイレの個室でパンツを下ろす。よかった。生理はまだ来ていない。自転車こぎをしたあと水をたくさん飲んだからか、おトイレが妙に近かった。看護師が個室の外で控えている。用を足し、手を洗った後もまたナースコールを押さないといけない。いつになったらSCUを出て一般病棟に移れるのだろうか。もう麻痺はないのだから、近いうちにもう少し自由のある一般病棟に移動できるかもしれない。しかしそれも病棟の空き具合などが関係してくるだろう。藤田先生はもうじき移れるとおっしゃっていたが。もうじきっていつだろう。早いうちに移らないと、先に生理が来てトイレの度に看護師にナプキンを取ってもらう羽目になる。今まで見ていると、たまに男性看護師がナースコールに応じて来るときもあるが、もしナプキンを取り出すとなったら女性看護師を呼んでくれるだろうか。


 ベッドに戻ると、藤田先生が下の名前で呼んでくれたときの興奮が冷めていった。客観的に自分を見下ろす存在がいるかのように、私が今藤田先生に抱いている感情は、「盲目的な」好意ではないかという内心語が聞こえた。私は藤田先生の何を知っているというのか。生まれ年、生年月日、出身地、休日の過ごし方、趣味。私は何一つ知らないのだ。スマートフォンも使用の許可が出ていないから、たとえ病院のホームページに載っていたとしても見ることが出来ない。藤田先生はどのような方なのだろうか。おいくつなのだろうか。医者だということ、脳神経内科所属だということ以外に何も分からない。藤田先生の情報を引き出したくても、その引き金となる自分の情報開示をする機会さえない。藤田先生もまた、私が虚血発作を起こしたこと、もやもや病の疑いがあるということ、二十五歳であること以外は何も知らない。私を好きになる要素はどこにもないのだ。私だけが一方的に先生に好意を抱き、脳内で盲目的な好意が暴走しているに過ぎない。付近一メートル四方に何が落ちているかも分からない真っ暗な空間を電灯なしで突き進むくらい危険なことはない。非常灯すら灯っていないところで、どうやって身動きを取るというのか。

 学校の勉強で分からない所があれば、先生か、もしくは勉強のできるクラスメートに聞くという手段がある。しかし、医者への恋に周囲を巻き込むわけにはいかない。看護師だって法律で定められた業務以外をする義理はないし、看護師が仮に手伝ってくれたところで藤田先生にとって迷惑以外の何物でもないだろう。そもそも看護師が患者と医師の恋愛を応援するとはとても思えない。医師法という法律もある。分かってはいるが、藤田先生のことを考えれば考えるほど、答えは見つからないし、気分も落ちていくばかりだ。

 点滴の機械がけたたましい警報音を発した。私は驚いて上半身を起こした。

 看護師がすぐにやって来た。

「点滴終わりましたね。新しいのに付け替えますね……あれ、木村さん元気がない。どうかしました? 」

 やっと気づいてくれたと私は安堵した。

「実は……ちょっと悩み事があって。私はもうアラサーという年齢なのに、相手がいないんです。それに、コロナ禍で両親も兄も面会に来れないから余計に寂しいんです」

 本当はそれ以上に藤田先生のことを話したかったが、さすがにそこまで言語化してしまうのは憚られた。それでも、特定の相手のいないことへの焦りや、家族さえも面会に来れない寂しさは本当だった。もしも夫がいれば、コロナ禍でない限り最愛の人が傍にいてくれるはずなのに。恋人さえいれば、藤岡先生のことでここまで苦しむこともなかったはずなのに。この看護師が私の訴えを聞いてくれそうだと思うと、目頭が熱くなった。

「なるほどね」

 看護師は話を聞いている間も手を停めない。

「私は、こう見えて、この年でも独身なの。男性の存在なんて全くないの」

 嘘でしょう、と私は思った。中年というだけで結婚しているというイメージがあったし、第一同性として見て容姿もそれなりに整っている。

「出会い何て全くないの。二十代のころは思い切り悩んだ。他の女性たちが結婚していく中、なぜ自分だけ相手がいないのだろうって。でも、三十代後半にさしかかったらもう吹っ切れた。もう男性に頼って生きるのをやめよう。そう決意して家を建てた。そういう生き方もあるよ」

「……そうなんですね」

 私がごちゃごちゃ悩んでいるのは、まだ二十代の若造だからなのかもしれない。この看護師みたいに、時が過ぎれば男性関係で悩むことも無くなるのだろうか。

「それから、コロナ禍でご家族が面会に来れないのは寂しいよね。せめて気がまぎれるものを持ってきてもらうようご家族に連絡しようか」

「では、編み物の道具を持ってきてもらいたいです。五号、六号のかぎ針と、茶色のエコアンダリア三玉お願いします」

「分かった。かぎ針って先が曲がっているんだっけ? それなら先生から許可が出ると思う」

「そうです。先っぽがくるって曲がってます。道具と糸一式は私の部屋にある黄色い袋に入っているはずです」

「分かった。今電話するから」


 かぎ針と糸はその日の午後、母親経由で届けられた。私は早速糸を左手の人差し指に巻き付け、輪状に細編みを編んでいく。六目編んだら糸の端を軽く引っ張り、二重の輪っかのうち動く方を探って右手で引っ張る。輪っかが一重になったところで糸の端をぎゅっと引っ張って輪を縮める。一目めと最後の六目めを引き編みして一段目が完成。続いて立ち上がりの鎖一目を編み、一段目の一目あたり二目細編みを入れて合計十二目編む……帽子のトップは単純に円を編んでいく作業だから、雑念が入らなくて丁度いい。

 夕食の時間が近くなると、看護師がやって来て、

「おお、編み物ですか。いいですね。何を編んでるんですか? 」

 と聞いてくれた。

「帽子です。夏用の」

「ぴったりですね」

「ちょっと定規を借りてもいいですか? 」

 取り急ぎ、十五段まで編んだものの、自分の頭のサイズに合うか確かめる必要があった。

「いいですよ」

 看護師は制服のポケットから十五センチの定規を取り出した。直径十八センチ程度。私の頭の周りは約五十三センチだから、これなら余裕をもってかぶれるはずだ。

「ありがとうございます。丁度です。ここからサイドを編めますね」

 夕食後も就寝までたっぷり時間があったので、私はせっせとサイドを編んだ。トップと違い、目の数を段ごとに変える必要はないから、そこまで神経を遣う必要はない。

 夜の荷物チェックに来た看護師が、私の編みかけの帽子をちらりと見た。

「あ、その模様最近流行ってますよね」

 細編みに時々長編みの交叉を入れた帽子は、確かに手芸店の見本や服屋さんでも見かけたことがある。作業に没頭していた他の看護師も寄って来て、口々に「可愛い」と褒めてくれた。

 編みかけの帽子は、翌朝回診に来た藤田先生の目にも留まった。

「おお、早速編んでますね」

「はい。おかげさまで。帽子を編んでます」

 私は藤田先生が帽子のデザインのことや、いつから編み物を始めたのかとか、もう少し私に関わる質問をしてくれるだろうと期待した。

 私は職場の女性の先輩の影響で一年前に編み物を始めたんです。最初は編み図通りに編むだけでも糸が絡まったりして大変でしたが、今では必要な編み図記号から覚えて、自分で編み図を描いて編めるようになったんです。自分がデザイン出来るようになるなんて、夢にも思いませんでした……

 私は先生に聞かれてもいないのに、頭の中で答えをシュミレーションしていた。

「実はですね、脳神経内科の他の先生とも話し合ったのですが、今のところ、脚の付け根からチューブを入れる検査をしようということになってまして」

 噓でしょう。編み物や私に関する質問はこれ以上なしで検査の話……私は患者として扱われている現実に引き戻された。

「由美さんのご意向を伺いたいです。怖いからやりたくないですか? それとも病気を特定するためならやぶさかでないと思いますか? 」

「……良くなるためなら、検査受けます」

 脚の付け根からチューブ? 麻酔はするんでしょうね? ここは日本だから、麻酔なしで痛いことをするということはないだろう。自分がどんな病気にかかっているのか、正直よく分かっていない。二度と救急搬送されたくないという思いが強かった。

「分かりました。他の検査を続けてみて、どうしても必要かどうか最終的に判断します。では」

 寂しい。もっと私のことを知ってほしい。先生のことももっと知りたい……

 私はベッドの上でかぎ針を持つ気力もなく茫然と座っていた。


「どうしました? 先生からスマホの許可が出たので、退屈ならいじってもいいですよ」

 看護師がそう言ってスマホを手渡した。

 私はスマホが解禁になったら真っ先に調べたかった藤田先生の情報を検索した。病院のホームページを開けば脳神経内科の先生方の情報一覧が出て来た。

 藤田将。二〇一八年、青森大学病院医学部卒。青森県出身。大学院生。専門分野、神経医学全般。

 二〇一八年……今から二年前に医学部を卒業したばかり。浪人などせずストレートに卒業していれば、医学部は六年制だから卒業したときには二四歳。それから二年経っているということは今二十六歳なのだろうか。待って、私より一つ年上に過ぎない先生が主治医……

 私は茫然自失としてスマートフォンの画面を見ていた。

「看護師さん、藤田先生って二〇一八年医学部卒ですよ。もしかして、先生はまだ二十六歳、私より一つ年上なだけですか? 」

 点滴の点検に来た看護師に私は思わず質問をぶつけた。

「へえ、そんなんですね。落ち着いて見えるから、もう少し年が上かと思ってました」

 看護師も思わず作業の手を停めて口をあんぐりと開けた。

「まあ、医者は医学部を卒業してすぐ医者になる人ばかりではないので、もしかしたら藤田先生も、もう少し年上の可能性もありますけど……」

 看護師はそう言って作業を再開した。

 藤田先生についてネット上で公開された情報にはアクセス出来たものの、それ以上のことは分からなかった。年齢も本人に聞かないと確証がないし、同じ青森県出身でも、青森のどこ出身なのかまでは分からない。藤田先生から更なる情報を引き出すには、もう少し工夫が必要だ。

 男性はどんな女性を魅力的だと感じるのだろうか。藤田先生の職業は医師だから、医師は知的な女性を好むイメージがある。私も一応大卒だし、勉強もそれなりに出来た方だ。だから、もしかしたら先生の知的好奇心を刺激できるのではないか、と思った。

 医者ならまず英語が得意というイメージがある。英語を利用したジョークを考えれば喜ぶのではないか。しかも、医学に関するジョークなら、なおさら刺激になるのではないか。

 脳卒中のことを英語でストロークと言う。熱中症も「ストローク」という単語を用いてヒートストロークと言う。ということは……

「先生、今夏だからヒートストロ―クで運ばれるなら分かりますけど、まさか頭のストロークの部屋に運ばれるなんて……」

 翌日回診に来た先生に私は嘆いてみせた。先生はぎこちない笑みを浮かべ、

「まあ、ヒートストロークにも気を付けないといけないですけど……」

 と言って帰って行った。

 藤田先生の笑いはどこか無理していた。でも、ギャグは確実に通じていた。それだけでも私は嬉しかった。

 暇を持て余すと、他にもいいアイデアが浮かんでくる。

 ピリオドという単語は女性の生理も指すし、終わりにするという意味でのピリオドを打つ、のピリオドでもある。生理を終わらせたい、つまりピリオドにピリオドを打ちたいというのは私の偽らざる本音だった。ピリオドさえ除去出来れば、持ち歩く荷物も少し減るし、白っぽいボトムスも心配なく履くことが出来る。生理前のイライラともおさらばだ。いっそのことこの年でピリオドにピリオドを打ちたい。

 このギャグは誰だり通じるものではない。早く次の回診の時に藤田先生に訴えて反応を見たいと思った。藤田先生はしっかり受け止めてくれるだろうか。

 他にも、点滴のことを通称ドリップと言うが、同じドリップでもドリップコーヒーなら飲める。点滴関連なら、点滴の天敵は細い血管ではないか。私は血管が見えにくいとよく言われ、点滴や採血の針を何度も刺しなおしされることが多い。

 そういえば、脳卒中は冬のイメージが強いが、夏もまた患者が増える季節だと入院前のテレビ番組で言っていた。ストロークはヒートストロークが増える頃にまた増える。

 私は脳内で藤田先生に渾身のギャグを披露していた。


 入院してから一週間が経った。生理は思ったよりも先延ばし出来ている。でもこれがいつまで続くか分からない。毎朝起きるたびに私は怯えていた。

 その日の朝、藤田先生は何故か険しい表情で片手に書類を携えて回診に来た。

「おはようございます」

「……おはようございます」

 私は先生の表情や醸し出す雰囲気にただならぬものを感じた。

「検査のことなんですけど、結局脚の付け根からチューブを入れて造影剤を流して撮影する検査はするという結論になりました」

「……そうですか」

「同意書をお持ちしました。今からご説明するのでサインをお願いします」

 藤田先生は、同意書の文面をそのまま読み上げる。

「患者様、木村様の不利益は……」

「死亡例もありますが、これはもともと何等かの疾患があったかと思われます……」

「軽い脳梗塞みたいな症状……」

「治療ではないので、改善の見込みはありません……」

 脚の付け根からチューブを入れ、造影剤を注入した瞬間に脳の血管を撮影し、もやもや病かどうかを特定する大事な検査だということは分かった。完璧な人間はいないので、検査とはいえチューブを通すときに間違って血管を傷つけてしまうリスクがあることも理解できる。とはいえ、説明によると何万分の一という極めて低い確率だ。先生の腕を信じるのが正解であろう。それよりも、口調がよそよそしいこと、何よりも木村さん呼ばわりに戻っていることが気がかりだった。藤田先生は感情を抜きにしたビジネスに徹した態度で接している。今は同意書の説明が目的だからそのように接しているのか、それとも私の何らかの感情に気づいてしまい、倫理上、職業上、そのように接することに決めたのだろうか。そのような些細なことでも私は気持ちが揺れ動いてしまい、先生の説明がいまいち、頭に入って来ない。

「木村さんのサインをお願いします」

 ああ、また木村さん呼ばわりだ……私は言われるがままに名前を書いた。医師の欄には既に藤田将の名前が記入してあった。

「ありがとうございます」

 藤田先生は余計な会話を避けて私のベッドを離れた。

「由美さんの同意書、用意しました」

 詰所にいる看護師の一人に記入済みの同意書を手渡すと、藤田先生は病棟から立ち去った。

 これではギャグを披露するどころではない。私の人柄を知ってもらうのにほど遠い。

 先生には何としても知性的な面を見てもらいたい。治療に必要な会話だけでなく、もう少し、プラスアルファのやり取りをしたい。せっかくギャグを思いついたのに、心にしまっておくだけでは苦しい。ギャグは誰かとやり取りをしてこそ、その面白さが評価される。私はその日の回診が終わってすぐ次の回診を待ちわびてしまった。

 この気持ちを誰に相談すればいいのだろうか。スマートフォンが解禁されているから、友人にラインで打ち明けることは可能だ。しかし、恐らく私の欲しい回答は得られないだろう。

「医者は医者だから、患者に恋愛感情を持つことはないと思う」

「倫理上、職業上、患者に個人的な感情は持てないと思う」

「残念だけど、先生への想いは諦めた方がいい」

 ラインを送らなくても答えは分かり切っていた。だから敢えて友人に連絡を取ることはしなかった。


 夜中の十時半ころに目が覚めた。正味一時間半しか寝ていない。夜明けまで何時間もあるから頓服を飲もうと看護師を呼んだ。

 ナースコールに応じて女性看護師がカーテンの向こうからやって来た。

「どうしました? 」

「眠れないので頓服をお願いします」

「分かりました。準備するのでお待ちください」

 看護師は小声で言うとカーテンの外に消えていった。

 私は昼間眠くなってもいいから頓服を飲んで熟睡し、不安を掻き消そうと思った。薬と水を用意して戻って来るだろうと期待して待っていた。

 ところが五分も経たないうちに看護師が両手に何も持たずに戻って来た。

「すみません、あと三十分で一般病棟に移ることが決まるかもしれないので、一般病棟に移るまで待ってもらってもいいですか? 」

 看護師の説明によると、今から急患が入るため、私が一般病棟に移ることになったという。こんな夜中に運ばれるとは、何と可哀想に、と姿の見えない患者に想いをはせた。

「お部屋が決まりました。西B六〇二です。後十五分ほどで迎えの看護師が来ます」

 繋がれたモニターがびかびか光っていて一向に眠れる気配がない。これから部屋を移動となると、アドレナリンが全開になる。でもやっと一般病棟に移れる。来ないに越したことはないが、生理が来たとしても自分でナプキンを持ち、自分のタイミングでトイレに行ける。もう看護師を呼ぶ必要がない。一般病棟に移るということは、それだけ退院に近づいているということでもある。

 予告通り、十五分ほどで病棟の看護師が車椅子を引いて迎えに来た。

「今から車椅子で移動します」

 私はもう歩けるのだけど……でも抗う気力もなく、車椅子に乗りやすいようベッドの高さを下げられた。ベッドが下がると、周りの景色も下がったような錯覚に陥る。動いているのはベッドの方だと分かっているが、電車に乗っていて、丁度向こうのホームの列車が動き出すと自分の乗っている車両が動き出したと錯覚するのと正反対の感覚になる。車椅子に乗り込むと、荷物を腕に抱えたまま闇に包まれた病棟を駆け抜けた。

 その時、私は下腹部に違和感を覚えた。不味い。このタイミングで生理が来てしまったかもしれない。痛いし、ドロッとした嫌な感触がする。私は車椅子の中ですすり泣きし始めた。

「どうしました? 」

 看護師が事務的な口調で私に聞いた。女性看護師だ。とりあえず、察してもらおう。

「お腹が痛いです」

「お腹が痛い? 大丈夫ですか? 」

 大丈夫ではない。生理そのものは病気でないにせよ、今は入院して心細いせいか、今まで耐えてきたどんな痛みよりも強く感じる。私は黙って素早く首を振った。

「もう少しで部屋に着きますからね。寝る前にトイレ行きましょう」

 ダメだ。精神が崩壊しそうだ。今、藤田先生に傍にいてほしい。そうしたら痛みも和らぐかもしれない。普段は痛み止めなど飲まないが、これは痛み止めを処方してもらって鎮めた方がいいレベルかもしれない。藤田先生、どうか早くそばに来てください。私の心に溜まっていたギャグを一つでもいいから聞いてください……私は半べそをかいているうちに声が大きくなってしまった。

「大丈夫ですよ。大丈夫。お腹はどのように痛みますか? 」

「ズキズキ痛いです」

 私は下腹部を手で護った。

「なるほど……痛み止め出してもらいますか? 実は今日藤田先生が当直なんです」

「お願いします」

 もう夜中で患者は寝静まっているから、大声で泣いてはいけないことは理性で理解できる。でも、お腹の痛みも、崩壊した精神も、どうしようもなかった。

「そこまで痛いなら、先生に連絡しましょう」

 看護師は車椅子を押しながら手に持ったピッチで藤田先生と話し始めた。

「先生、夜分すみません、これから西B六〇二に移る木村由美さんなんですけど、お腹が痛いと言ってまして……成人女性が大声で泣くぐらい痛がっているということは、余程痛いのだと思います。今すぐ宿直室から来れますか? 」

「分かりました。お願いします」

「藤田先生、すぐいらっしゃるって」

 それを聞いて幾分か痛みが和らいだ気がした。


 「お腹が痛いって聞いたんですけど、大丈夫ですか? 

 私が部屋を移るや否や、藤田先生が慌ててやって来た。

「夜遅く、すみません……」

「いえいえ、たまたま当直だったので」

 藤田先生の顔には暗がりでも疲労の色が滲み出ているのが分かった。

「その……」

 いざ本人を前にすると、生理という単語が出てこない。三つも考えていたギャグも恥ずかしさやら、緊張やらで吹っ飛んでしまった。しかし、今の心境を伝える一つのギャグだけはハンマーのように胸を叩く心臓を突き破って口から飛び出した。

「ピリオド……ピリオドにピリオドを打ちたいです」

「あ、ああ……」

 明かりはなくても、藤田先生が一瞬気まずそうな笑いをしたのが分かった。

「分かりました。臨時で痛み止め出しておきますね」

 藤田先生がそのまま立ち去ろうとしたのを私は「待ってください」と制した。

「どうしました? 」

「さっきのギャグ、どう思いましたか? ピリオドは……本当ですけど……」

 少しでも傍にいて、痛いのを労わってほしいと私は思った。

「面白いですね。なかなか考えつかないと思いますよ」

 先生が誉め言葉を送ってくださっただけで、お腹の痛みがまた幾分か和らいだ気がした。

「ダブルミーニング」

 私はそれ以上言うのは恥ずかしかった。

「ダブルミーニング」

 藤田先生も繰り返した。

「まあ……さっきのギャグはほとんどの女性の本音だと思いますけどね……」

「そうですよ……ピリオド打てるなら打ちたいです」

「まあ……私は産婦人科専門でないので、そういったお薬は出せないですけど、あるかも分からないですけど、一般的な痛み止めは出しておきますね」

「ありがとうございます」

「すぐお薬を用意してもらうので、ゆったりお待ちください」

 藤田先生は軽く会釈をして出て行った。

 私は普通なら交際してもいない異性とは共有しない秘密を共有してしまった妙な安心感に包まれた。


 昨夜遅くに処方してもらった痛み止めで生理痛は大分軽減された。SCUに比べれば音の鳴る機械がない分数時間でも頭を休めることが出来た。

 部屋から出るときはまだ看護師を呼ばないといけない。今日一日歩くのに不安がないかを看護師が確認してから、藤田先生が病棟内なら一人で歩いていいという許可を出すそうだ。

 朝食を終えると、私は藤田先生の回診に備え、予め思いついたギャグを食事のメニュー表の裏に書き記して机に置いておいた。

「ストローク、治療が遅れると回復率グラフのストロークは右肩下がり」

「ストロークはヒートストロークが増える頃にまた増える」

「同じドリップでもドリップコーヒーは飲めるけど、点滴は飲めない」

「点滴の天敵は細い血管」

 私はスマートフォンで時刻を確認しつつ、立ったり座ったり、カーテンを捲って外の様子を伺った。看護師が他の患者さんの食べ終わったお膳を持って歩いている。隣の部屋から「○○さん、食後のお薬ですよ」という声がする。自主的にお膳を戻す患者さんも歩いている。ある患者さんは点滴のスタンドを押しながらお手洗いに入って行く。洗面所で歯を磨いている患者さんもいる。こんな早い時間に回診はないと分かっていながら、外を覗かずにはいられなかった。

「木村さん、食後のお薬です。お水はありますか」

 女性の声だ。ということは藤田先生ではない。カートを押した看護師がカーテンの内側に入って来た。

「ないです」

「くんできますね。お待ちください」

 看護師は素早く近くの洗面所で歯磨きコップに水をくんで戻って来た。

 お薬は小さなおちょこみたいな透明の容器に一個一個落とされる。容器を手に取り、錠剤を一気に口へ流し込む。続いて粉薬を口に含み、残りの水で流し込んだ。

 藤田先生は何時ごろ回診にいらっしゃるのでしょうか……看護師に聞きたいという衝動に駆られたが、迷っている間に看護師は退出してしまった。

 藤田先生とただ会話したいという、不純な動機で回診を待っていていいのだろうか、とふと思った。確かに、入院患者は何かしらの病気や怪我で不安を抱えているはずだ。そこに治療する能力のある医師が来てくれれば、安心材料にはなるだろう。だが、私の場合は、藤田先生と治療以外の会話が出来ない。それだけが不安だった。不純な動機もいいところだ。

 もし仮に、退院後、藤田先生と交際できる運びになったら、私は一体何をしたいのだろうか。どのような共通の体験が出来るだろうか。藤田先生と私が共通で楽しめる活動が果たしてあるのだろうか。そもそも、倫理上、職業上、退院後二度と通院しない患者ならば個人的な付き合いが出来るのだろうか。それだけはないだろう。医師法についてはよくわからないが、いつ、何時、また運ばれるか分からないし、退院後引き続き通院する可能性も零ではない。院外で会う想像をすること自体があり得ないのではないか。それなのに、なぜ一緒にしたい活動などを想像してしまうのか。想像力だけが暴走する脳みそを止める方法はないのだろうか。


「由美さん、おはようございます」

 カーテンの外から聞き慣れた男性の声がする。私はピンと背筋を伸ばした。

「おはようございます」

 挨拶を返しながら藤田先生の視線を机の上のメモに誘導する。藤田先生はさっとメモを手にとって感心したように見入った。

「確かに、点滴は飲めない。他のギャグも素晴らしいですね」

 全身に血が巡り始めた。ホッカイロを当てられたように暑い。

「ありがとうございます」

「言葉のセンスというか、素晴らしいと思います」

 藤田先生はメモをそっと机に置いた。

「ありがとうございます。私、ギャグとか得意なんですよ。また、思いついたらお見せしますね」

 マスクの下で、思わず口角が上がってしまった。

「ありがとうございます。ところで、痛みは大丈夫ですか」

 いつもの診療の会話に引き戻され、恍惚の魔法が解けた。

「はい。おかげさまで、痛みは和らぎました」

「良かったです。とりあえず、五日分処方しておきましたから」

「ありがとうございます……」

「では」

 藤田先生は外に出ると、サーっとカーテンを引いた。

 私は鼻呼吸では息が足りなくなり、口から息を吸ったり吐いたりした。

 大抵の場合、一日一回、短時間しか藤田先生に会えない。もし医者でなかったら、外で個人的に会いませんかとお誘い出来たのに。相手が医師であるばかりに、越えてはいけない壁がある。もし藤田先生と治療関係になかったら、思い切って連絡先も聞けたかもしれないのに。奥さんや彼女さんがいらっしゃるか、積極的に情報収集出来たかもしれないのに。

 もし藤田先生と治療関係になく、特定のお相手もいないのなら、脈ありかどうか確かめる術もあったかもしれない。しかし、現実には医者であり、私の病に対して治療する責任を負っている。もし仮に、奥さんや彼女さんがいると分かって、私のモチベーションが下がってしまったら、それこそ治療に差し障るだろう。もし仮に、藤田先生に特定のお相手がいらっしゃらないとしても、私など眼中になかったらどうだろう。それでもまたモチベーションが下がってしまう。だからこそ、藤田先生の情報は最低限しか与えられないのだ。それゆえに、私が変な夢を持ってしまうのだが。

 根拠がなくても夢や希望を持つことは、ある意味治療にとってプラスになる可能性もある。ある研究では、がん患者に希望を持たせた方が結果として治癒してしまった例もあるらしい。だが、私の場合、藤田先生が希望の全てなのだ。一人の医師に恋愛と言う意味で全ての希望を委ねてしまうことが、果たしていいことなのだろうか。きっとよくないだろう。でも人間としての本能に歯止めが効かない。

 

 その日の午後、院内で開催された脳卒中サロンで英語ではFASTという合言葉があることを知った。Fはフェイス、つまり顔。片方の顔が変に歪んでいないか確かめる。Aはアーム。片方の腕が上がらないなら要注意。Sはスピーチ。言葉が出にくいなら要注意。Tはタイム。症状が出た時刻を確かめる。これらの症状が出たら一刻も早く(FAST)病院へ。しかしサロンで講義をした教授は、日本語でぴったりな合言葉みたいなものがないのを残念がっていた。それならば、私が作ってしまおうと思った。

 脳卒中はもとより、たとえ一時的な虚血発作、つまり血管は詰まっていなくても血液が足りなくなって痺れなどの症状が一時的に出た場合、たとえ収まったとしても、病院を受診する必要があるそうだ。脳梗塞の予兆の場合もあるからだ。脳の血管は片方だけ詰まることがほとんどだから、麻痺が片方の腕や足に現れたら、それは脳の病気を疑った方がいい。ということは、片方の手足が痺れておかしいと思ったらすぐ病院を受診するべきであり、様子を見ている場合ではない。これを標語風に整えると……

「片方の 手足が痺れて おかしいな 様子を見ても治らない しびれを切らして病院へ これでは遅い! すぐ一一九! 」

 痺れるとしびれを切らす、をかけていて、語調も整い、なかなかの出来だ、と我ながら思った。一刻も早く藤田先生にお見せしたいと思った。しかし翌日の回診までまだ十時間以上ある。他にも何か藤田先生の気を引ける作品はないだろうか、と思案していた。

 今まで藤田先生にお見せしたギャグ集を見返す。ピリオドのダブルミーニングを活かした最初の作品。ピリオドという英語を借用することで、生理という単語の持つネガティブなイメージを覆い隠し、言いやすくなる。まるで、猿股という日本語がパンツという英語に置き換わったように。ピリオドという英単語が日本語として定着していないから距離を感じられるのではないか。そして生理をしゃれの題材にするなど、古事記以来の画期的発明だ。アラサーという年齢に差しかかり、恥じらいを捨てて藤田先生にお披露目した、記念すべき第一作だ。

「三十路にて 捨てた恥じらい 路の上 月の物さえ 洒落に仕立てる」

 三十路というには少し若いが、リズムだけでも短歌になっている。今はあまり使わない月の物という表現も取り入れていて、なかなかの出来だと私は自画自賛していた。

 翌朝、藤田先生が回診に来た時、私はまた机に置いたメモに藤田先生の視線を誘導した。

「お、この標語いいですね。教授が見たら喜ぶと思いますよ。それから、短歌もお洒落ですね」

 誉め言葉がリップサービスなのか、心からの誉め言葉なのか本心は分からない。でも藤田先生から褒められるだけで、入院生活に活力が生まれた。


 その日の夕方、看護師がカーテンの中に入って来た。

「これから受ける脳血管撮影の検査なんですけど、検査の後何時間も安静にしないといけないんですよ。お手洗いにも行けないんですけど、尿道カテーテルを入れますか? 瓶に用を足すことも出来るんですけど、女性の場合、構造上漏れてしまうので、シートを敷いてその上で瓶に用を足すことになるんですが……」

 尿道カテーテル? 尿道に管を入れるのは、何だか痛そうだ。それならば、尿意を我慢した方がまだましだ。たとえ漏れても、恥を忍んで瓶に用を足す方がまだいい。

「尿道カテーテルは嫌です」

 私はきっぱりと意思表示をした。

「分かりました。ではそのように先生にお伝えします」

「看護師さん、脚の付け根からチューブを入れる前に麻酔するんですよね? 麻酔の針自体が痛くないですか? 」

 私は麻酔と言えば針のイメージしかなかった。点滴ならば腕の静脈に刺すし、採血も今どき点滴の針のような細い針を刺すから、そこまで痛くはない。しかし、脚の付け根に太い針を刺すとなると、話は違う。麻酔を打つときに激痛が走るのではないか……

「痛くないですよ。麻酔テープを貼るだけですから」

 看護師の説明で、私は肩の力が抜けた。

「検査は前の手術が終わった後の午後三時十五分からになります」

 痛くないことは分かった。後はどれだけ尿意を我慢できるかが勝負だと私は思った。


 お昼までは今までと変わらない生活だった。検査まで後三時間はある。痛くはないのだから、落ち着いて検査を待ち構えよう。そう思っていたとき、看護師がカーテンの中に入って来た。

「木村さんすみません、予定では三時十五分からだったんですけど、手術が予定より早く終わったので、今から検査の準備をします」

 え、嘘でしょう。心の準備も出来ないまま、私は長期戦に備えてトイレで用を足した。

 トイレから戻ると、息をつく間もなく病衣を脱がされローブに着かえた。パンツも脱がされ、際どいふんどしのようなものを履かされた。脚の付け根の太い血管からカテーテルを入れるのと、イソジンで消毒するのとでお尻周りが汚れてしまうので、パンツも履けないと看護師が説明した。

 なんて屈辱だ。ヘアーもはみ出るではないか。下半身に何も身に着けていないよりはまだましだが、こんなビキニよりも細いパンツなど心もとない。

 そう思っていると、靴下も脱がされ、ベッドに横たわったところで点滴の針を刺された。看護師はローブの下を開けると、右脚の付け根に麻酔テープを貼ってくれた。テープが思ったよりも薄っぺらい。どこまで痛みを和らげてくれるのか、その効果が不安になった。

 点滴スタンドをころころと押しながら手術室に向かった。心臓が飛び出しそうだ。万が一麻酔テープの効果がなかったらどうするのか。体験したことはないが、これから死刑台に向かう囚人のような心地になった。

 手術室には、給食センターの調理師のような服装に身を包んだ先生方が待機していた。

 床よりも一メートル以上高い手術台に載せられると、私はますます生きた心地がしなかった。ローブを解かれ、胸に心電図の電極が手早く貼られる。右腕に血圧計が巻かれ、前を覆っていた際どいパンツまで解かれた。

 私は今裸なのだ。麻酔は痛いかもしれないし、このまま地震とか来たら放置されるのではないか。働いている医師や看護師の命が最優先だ。患者の巻き添えになり、命を落とすことがあってはならない。とはいえ、救助されるときにほぼ全裸で発見されるとは、この上ない屈辱だ。どうか、検査の前後は災害が起きないでほしい。でも、絶対起きないとは言い切れない。東日本大震災の二日前、岩手と宮城の沿岸に津波警報が出たにもかかわらず、津波が来なかったからといって油断したではないか。その結果、東日本大震災でも避難しないから犠牲になったではないか。

 規則正しく鳴ってリズムを刻む機械の音のキーがどんどん高くなる。血圧も百四十、百五十、そして百六十と今までに見たことのない高値を更新した。

 医師たちは淡々とモニターを見たり麻酔薬や造影剤の準備を進めている。

「うわあ、血圧が上がっている。麻酔と一緒に鎮静剤も注射」

「了解です」

 医師が薬を調合して戻ってくると、そのうちの一人が

「今から麻酔打ちますね」

 と言って麻酔テープをはがした。

「ちくっとしますよ」

 私の右わきに控えている医師がテープを剥がしたところに太い針を刺した。痛くない。ぐにっと引っ張られている感覚はあるが、痛みは全く感じなかった。全身の力抜け、心拍も血圧も落ち着いていった。

「今から管が入ります」

 針で空いた穴からチューブが入って行く。皮膚がやや引っ張られる感じはするが、太いチューブが入る割には痛くない。医師が巧みにチューブを操り脳の血管まで通していく。

 これで一安心と思っていたら、暫くして

「今から造影剤を入れますよ」

 と声をかけられた。

 うっ。気持ち悪い。頭の表面は血が上ったように熱くなるし、ぎゅっと締め付けられ片頭痛がする。でも不快感は一瞬で終わった。

 これで検査は終わりかと思ったが、医師は再びチューブを操作し、目的地を変えて何度も造影剤を噴射した。その度に違う部位が痛んだ。造影剤の噴射は一瞬でも、チューブを操っている時間の方が遥かに長かった。時計もないので、後何分このまま待つのかが読めなかった。

 段々頭が朦朧としてきた。もはや前を見られて恥ずかしいという当たり前の感覚も麻痺している。

 大丈夫。揺れていない。血管も傷ついていないようだ。横たわった姿勢では自分の画像を見ることは出来ないが、造影剤を入れるたびに声をかけられるから、忘れられていないという安心感はあった。チューブを操っていないその他の医師はモニターを凝視している。

「検査終わりました。お疲れ様でした」

 藤田先生が横から声をかけてくれた。そしてすぐに他の先生と会話を始めた。もごもごしていて何を言っているのかは聞き取れなかった。しかし、藤田先生が教授から受けたある指示だけははっきりと聞こえた。

「藤田先生、ターナー症候群との関連を調べてください」

「承知しました」

 嘘でしょう。私の検査は研究目的だったのだろうか……私は実験台だったのか。

 不安に思っていると、藤田先生は再び私のそばまで来た。

「ターナー症候群と診断されたのはいつですか? 」

「小学校四年生の時です」

「どこの病院で診断されましたか? 」

「青森県立病院です」

「ありがとうございます」

 私が裸であることを遠慮してか、藤田先生は一旦その場を立ち去った。

「今から病棟に戻りますよ」

 際どいパンツを元に戻し、ローブで裸体を覆って紐を絞めると、掛け声とともにベッドに移され、腑抜けた表情をした藤田先生にも付き添われながら病室に戻った。


 病室の自分の棚には「絶対安静、ベッド上安静」と書かれた紙が貼られた。それぞれ時刻も書いてあるが、時計も見られないので、後どのくらい仰向けでいないといけないのかが分からない。時間が経つにつれ、膀胱が張る。空腹でお腹が潰れそうだ。人の気配がしたと思ったら、お盆におにぎりをのせて看護師が現れた。

「夕食お持ちしました」

「あの……私起き上がれないのですが。時間まで動いてはいけないんです」

 だからそばに持ってきておにぎりを手渡してほしい。そうしてくれるだろう。私はそう思ったが、看護師は

「わかりました。そのまま置いておきますね」

 と言っていなくなった。

 看護師たちは忙しく他の患者の世話をしている。遠慮の気持ちからナースコールを押す勇気も出ない。

「どうしてこんなことに」

「なぜ私は放置されるの」

「叫びたい」

「ダメだ。他の患者さんに迷惑になる。落ち着いて」

「大丈夫。落ち着いて……」

 私はいつとなく独り言を漏らしていた。だんだん声が大きくなりそうになるのを、理性の力で必死に律した。

「大丈夫ですか? 」

 一時間ほどして通りすがりの看護師が声をかけてくれた。救われたと私は思った。おにぎりも食べていないことを伝えると、看護師はおにぎりを私の手に渡してくれた。小さなおにぎり二つだったが、飢えるお腹と心を満たすことが出来た。水と薬も飲ませてくれ、

「あと数時間の辛抱ですよ」

 と言って出て行った。

 右足に止血のための重りを置いていたのは取り除かれた。絶対安静は解除されたから、多少の寝返りは許される。しかし、ベッド上安静は解除されていないので、ベッドから出ることは出来ない。スマートフォンも手に取れないので、思考だけが暴走する。

 検査の終わりに藤田先生が教授と交わしていた会話が引っかかる。もやもや病とターナー症候群との関連を調べる? 私がターナー症候群だからこの検査を通じて調査したのか? 冗談じゃない! 私は研究のためだけにこの検査を受けることに同意したわけではない。研究対象としか扱わないとは何事か。私は所詮研究対象だったのか。藤田先生は私を研究のために検査を受けさせたのか! 

 最初は他の患者に迷惑をかけまいと声を抑えていたが、義憤が閾値を越えて溢れ出る。

「ギャー! 」

 私の悲鳴を聞きつけて看護師が三人組で駆け付けた。

「木村さん、大丈夫ですか? 落ち着いてください」

「何があったんですか? 」

 看護師も疲れ切っている。それは分かり切っているが、私はもう自分を制御できる域を超えていた。

「藤田先生は、私を実験のために検査したんですよね? 検査の後、ターナー症候群との関連を調べるよう言われてましたし」

 私はお門違いと分かっていながら看護師たちに責めたてるような口調で言ってしまった。

「違います。先生は、きちんと病名をはっきりさせて、治療方針を決めるために検査したんです」

「今なら先生病棟内にいるので、直接説明してもらいますか? 」

 検査とその前の手術でお疲れのところを申し訳ないと思いながらも、私は看護師にお願いした。


「先生が来ましたよ」

 藤田先生を連れて来た看護師は顔を出すとカーテンの外に出た。

 疲れ切った藤田先生がカーテンの中に入って来る。

「由美さん、検査お疲れ様でした。あのですね、検査の目的というのは、もやもや病かどうかをはっきりさせて、お薬を決めることだったんですよ。今日の検査でもやもやとした血管が大きくはないですけど認められたので、もやもや病だと判断しました。今までバイアスピリンとジロスタゾールという二種類のお薬を飲んでもらっていたと思うんですけど、もやもや病だと分かったので、もやもや病に効くと言われているジロスタゾールだけにして、量も通常の量で飲んでいただきます。決して研究目的ではないですよ。では」

 藤田先生がカーテンを開けると、看護師もこちらを見て頷いた。

 私は安静が解けるまでそっと目を閉じた。


 夜のうちに安静が解かれた。再び自由にベッドから出られるのが嬉しかった。

 いつになく早く起きられたので、藤田先生の気を引けるような何かをしたためようと机に向かった。

 心理学では自分が情報開示をすると相手も心を開いてくれるという。藤田先生相手に今まで医師にしか通じないような高度はギャグや短歌を披露してきたが、もっと私の核心に迫れるような情報を開示したいと思った。

 核心に迫るような情報……それは誕生日とか、出身地とか、そういう表面的な情報ではなく、もっと心の傷を抉るような情報の方がいいと私は思った。

 心を抉られるような記憶……それは知人男性に襲われそうになった時の記憶だ。

 入院する二年ほど前、私は交際相手を求めてマッチングアプリを始めた。仕事の関係で一人暮らしをしていて、頼れる友人もいない土地で寂しい思いをしていた。彼氏がいれば、定期的に人と会えるのに。職場の人とも深い付き合いは出来ていなかった。私もあくまでも仕事で関わる人だと割り切っていた。

 マッチングアプリを始めてすぐに、とある男性からメッセージが来た。

「由美ちゃん八戸住みなんだって? 俺も八戸住みだよ」

 プロフィール画像を見る限り見た目も生理的に受け付けないわけではないし、同じ八戸住みなら返信してもいいかなと思った。

「そうなんですね。日本全国対象のアプリなのに、八戸出身と出会えるなんて奇遇ですね」

「早速会わない? 」

「えっ、いきなりですか?」

「一人暮らしで寂しいだろ? 俺もだよ。彼女欲しいわ。それに、由美ちゃん綺麗だし」

 実物を見ていないくせに、よく綺麗だと言えるものだな、と思いつつ、昼間に安全な場所で会うのならいいかなと思ってしまった。それくらい、恋人に飢えていた。

「いいですよ」

「うちどの辺? 」

 住所は教えない方がいいだろう。でも近くの建物なら教えていいと思った。

「八戸公園の近くです」

「分かった。土曜日の昼、どう? 」

 こうして男性と待ち合わせをした私は、男性の容姿を見た瞬間なんだか違うと思った。アプリの画像と比べ、正直清潔感がない。ぶくぶく太っていて、はっきり言ってブ男だ。帰ろうと思ったが、いきなり帰るのは失礼だと思い、少しだけ相手をすることにした。

「どっか人通りのない場所に行こうか? 」

 出会ってすぐその一言だ。下心しかなさそうだ。逃げようか。でもとりあえず、人目のある場所がいいと伝えた。

 その後の会話はあまり覚えていない。無理やりライン交換させられ、次の予定も組まれてしまったことだけは覚えている。

 次に指定されたのは、夜の病院の駐車場だった。怖いから嫌だと言える雰囲気ではなく、懐中電灯を持って恐る恐る指定された駐車場に向かった。

「こっちだよ。車に乗って」

 街灯もない駐車場をうろついていた私に気づいた男が呼び止めた。車に乗る? どこか明るい場所に行くんでしょうね? 怖い。怖い。恐怖から私は正常な判断が出来ず、車に乗ってしまった。

 と、いきなり抱きつかれた。離してと言いたくても声が出ない。唇に生ぬるいどろっとした感触がする。ズボンにも手を突っ込まれている。助けて! 

 このとき私は、やめてと言えるのは、AVの撮影で余裕があるからだと気が付いた。演技だから、実際に襲われたわけではないから、台詞として言えるのだ。

 明かりはないし、顔の表情も分からないだろう。それでも顔を逸らしたり、凄んだりして拒否の意思表示をしてみた。奇跡的に男は私が同意していないのに気づいてくれ、

「キスもまともに出来ないなんて」

 などと毒づきながらも解放してくれた……

 その男とは、それっきり会っていない。恐怖のあまりその土地から離れ、実家に戻った。

 そうだ、その時の記憶を藤田先生に共有すればいいのだ。

 私は早速食事のメニューの裏に「私の遭遇した史上最悪な男性 一緒にディスりましょう」と書いたメモを作った。一言でこの男に襲われた経緯を付け加えた。

 

 いつも通り藤田先生が回診にやって来た。今回は他の先生も一緒に行動している。

「おはようございます」

 藤田先生はそう言うと、真っ先に机の上のメモを手に取った。

「うわっ! 」

 数秒も読まないうちに、藤田先生は声をあげ、メモを目から離して机に置いた。

 さすがにセクハラと思われたら不味いと思い、私は「すみません」の「す」が出かかった。

 しかし藤田先生は

「複雑な男性関係をお持ちですね……」

 と言って帰ってしまった。

 私はこの時悟った。藤田先生との間に、やはり越えてはいけない線があった。どれだけ距離を縮めようと、最も辛かった記憶を共有しようとしても、藤田先生が本能的に拒絶している以上、患者としても一定の距離は保たないといけない。寂しい。でもそれが現実だった。

 病棟内でギャグや短歌のやり取りをするのが、二人の関係の限界だった。私はそれを理性では分かっていた。退院すれば関係は切れてしまう。でも感情面ではどうしても受け入れたくなかった。私は通りすがりの患者としか見られていないし、藤田先生もまた、通りすがりの医者でしかない。もう会えないだろう。連絡を取ることも許されないだろう。私が病院を離れ、言葉を伝えられなくなってからでは、後悔してもしきれない。私は渾身の勇気を振り絞って、退院時にお手紙を渡した。

「ありがとうございます……でも、もうお会いしない方がよろしいかと……」

 その通りだ。院内でしか会えないのなら、次会うとしたらまた入院することを意味する。でも寂しい。本当は院外で元気な時に会いたい。叶わない願望ではあるが……

「そうですね。会うということは、入院を意味しますからね」

 私は寂しさを繕うように飛び切りの笑顔で肯定した。

「入院はしないでください……」

 藤田先生は最後にそう言い残して立ち去った。


図書館に本を返して空になったバッグを片手に夫が帰って来た。

私は慌てて床の上に散らかったノートを一か所にまとめた。藤田先生への手紙の下書きメモを挟んだ愛読書も夫の目に触れないようにさっと自分の鞄の中にしまい込んだ。

「お帰りなさい」

「引っ越しの準備をしてたのかな? にしても随分散らかしたな」

夫は苦笑いをして床を見た。

「……ごめんなさい。日記を書いたノートを整理していたところなの」

「そうか。今日は俺が料理をする番だな」

「ありがとう。必要な食材は冷蔵庫に揃ってるはず」

「ありがとうなんて、水臭いこと言わないで。結婚生活は、二人で創っていくものなんだから」

夫との結婚生活にこれといって不満があるわけではない。私の体調や、仕事の状況によって家事を分担してくれるし、マッチングアプリで出会った男と違って共通の知人を通じての出会いだから私を裏切らないという安心感がある。だからこそ、本気で養子縁組をして夫と共に育てることを望んでいる。結婚して一年は経っているし、毎日一緒にいられる保証があるからこそ、藤田先生に対して感じたときめきはない。それでも夫と離婚してまで藤田先生を追いかけようなどとは思わない。再燃してしまった藤田先生への想いは、心にしまい込んで墓場まで持って行こう。今の夫を大切にし、養子を迎えたら、三人一組で円満な生活を送ろうと私は決意した。


 



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大好きでした 遠山愛実 @teresa144

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