歩き続ける男

アケビ

歩き続ける男

小雨が降りしきる暗澹とした路地を傘も持たずに若い男が歩いていた。

歩いているとはいっても、その足はせわしなく動き眼前の通行人を次々と追い越していく。その最中、通行人の一人と肩がぶつかり

「すみません」と言ったのだが、みるみるうちに距離が開いていってしまうので

段々と声を大きくしなくてはならなかった。

このとき、男は非常におびえていたのだが、

それはぶつかった相手が怒って喧嘩に発展することを恐れていたわけでも、

これから一層強まるであろう雨を気にしていたわけでもなかった。

(この靴はいつになったら……どこに着いたら止まってくれるんだ)


男が朝食を買うためコンビニへ行こうとしたところ、玄関に自分の靴がないことに気づいた。代わりに、革靴が一足だけ、そこにあった。

兄が自分の靴と間違えて履いて行ったのだろうと考え、靴に足を突っ込んだ。

そもそも家に革靴を履く者はいなかったと気づくまでには

ここからしばらくかかったのだが、男はその足で自宅の敷地を超えた。

コンビニへ行くはずだったのだが男は目的地とは真逆の方へ歩みだした。これは男がコンビニの場所を忘れたのではなく靴が意思を持って進みだしたからである。

靴底が地面に吸い付くようで、足首から下が自分の体ではない感覚があった。

これに男は大変驚き進行方向とは逆の方に力をかけてみたのだが靴は全く動かないし転倒しかけたので慌てて靴に従い始めた。

できる範囲で靴に抗ってみたが歩みが止まることはなかった。

「助けてくれ」と叫んだりはしなかった。恥ずかしいし靴が勝手に動き出したなんて信じてくれる人は居ないだろうと思った。


何時間かが経ち喉が渇いたし、足が棒になっているといった感じがした。

序盤からかなりの危機感があったのだがいよいよ自分は死んでしまうのではないかと、男は思い始めていた。靴の動きは男の疲れを感じてか、だいぶ鈍いものになっていたが、それでも何とかついて行っている感じだった。

赤信号や車通りの多い場所では一時的に停止する。

足裏は靴の位置で固定されているが、

そのタイミングでしゃがんだりしてどうにか耐えていた。


全く知らない道を、何も見えない夜の闇の中で歩いていた。足音からして、

石畳だとか、アスファルトで舗装された道でないことは察しがついた。

靴がどこを目指しているのかは知らないが、

たぶん自分の知らないところだろうと思っていた。目的地もなく歩いている可能性は、なるべく考えないようにしていた。

何かしらの終わりがあった方が希望が持てる。


地平線から日の出が見えた。もうすぐ家を出て丸一日になるようだ。

男の視界はぼやけていたがそれが眠気からなのか、歩き続けた疲れからかはわからなかった。

ただ、喉の渇きを感じながら、男はその場に倒れ込んだ

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歩き続ける男 アケビ @saku35

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