マインドプラス

ユニ

第1話 サラリーマンの空中バトル

 眼下には、新宿副都心の光の海が広がっていた。

 地上二百メートル。

 二人の男が浮かんでいた。


「……残業手当、申請通るかなあ」


 ぼやいたのは、十十(つなし・とおる)だ。

 量販店で二着二万円で買った安物のグレーのスーツは着崩れ、シャツの裾はだらしなく飛び出している。


 対する男は、静寂そのものだった。

 阿吽(あがた・うん)。

 葬儀の帰りのような漆黒のブラックスーツを隙なく着こなし、顔には黒いマスク。

 彼は腕を組み、直立不動の姿勢で、音もなく夜空に浮遊していた。


「……うるさいですね」


 阿吽がマスク越しに、ボソリと呟いた。その声は、風切り音を無視して十の鼓膜に直接届いた。


「あなたの存在はノイズだ。その汚いスーツも、下品なネクタイも、呼吸音すらも」

「悪かったな。こちとら薄給の窓際公務員なんでね、オーダーメイドのスーツなんて持ってねえんだよ!」


 とおるが虚空を蹴った。

 ドンッ、と何もない大気が破裂する音が響く。

 常人ならG(重力加速度)で内臓が破裂する速度だが、とおるは平然と突っ込んだ。


「消えなさい」


 阿吽が動く。ポケットに手を入れたまま、ただ深く、息を吸い込んだ。

 その瞬間、阿吽の口元を中心にして、夜景が歪んだ。

 空間が抉れ、光すらも飲み込む暗闇が生まれる。


「引き算ばっかしてんじゃねえぞ、若造がぁ!!」


 とおるは止まらない。

 振りかぶった右の拳。その周囲に、陽炎のような光の亀裂が走る。

 形状は『+(プラス)』。

 彼自身の全体重、加速、そして「絶対に殴る」という殺意に近い意思。それら全てを、右拳の一点に無理やり『加算』する。


 ――衝突。


 とおるの拳と、阿吽あがた うんの見えない障壁が激突した。

 金属音とも爆発音ともつかない轟音が、新宿のビル街を揺らす。


「世の中にはな、足しちゃいけねぇもんがあるんだよ。……だけど引くばかりじゃ、答えはいつまで経ってもゼロになっちまうんだよ!」


 二つの意思(マインド)が臨界点を超え、夜空が白く弾けた。

 これが、世界の終わりと始まりを巡る喧嘩だった。


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2025年12月21日 09:00
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2025年12月22日 21:00

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