第4話

 キミは身分証を持っていないと云った。ボクはそれを信じた。しばらくして嘘だと判った。当初はもっともらしい言い分をしていたが、徐々に、その嘘は不安定な積み木のようにあっさりと崩れていった。埼玉県入間市出身というのも嘘なのだとなんとなく思った。かつて云った地元を案内できてうれしいという言葉もある種の本心でありながら、客観的には嘘であると判った。些細な違和感だったけれど、彼女の嘘にたびたび気付いてしまった。

 彼女は約束を求めた。嘘を吐かずお互い正直で言おうね、と云った。ボクは頷きながら、ああ、きっと、この子はヒトを信じられず、自らも嘘を吐かずにはいられない子なのだとそれだけで理解してしまった。

 家族構成も、コンセプトカフェで働いているということも、所沢の団地で一人暮らししているというのも、プロフィールのほとんどは嘘だった。ほんとうなのは年齢と誕生日、ボクが初めての彼氏だというくらいなもので、なんだかどうにも徹底的で、そのくせ一見無意味で、そしておそらくそれらの嘘は他人を騙すためのものではないのだとボクは思った。


 でも、所詮、うそやかくしごとなど、些細なことだ。

 彼女はボクへ、愛してると頻繁に云ってくる。でもきっと彼女は本当にはボクのことを愛していないのだと判る。わかってしまう。だけれどそれでもおなじことなのだ。ボクが彼女を愛してさえいればそれでよいのだ。

 彼女のほんとうは彼女の内面、その奥底にある深海に引きこもっているのだと思う。外界を怖がる人魚のように。その彼女自身であるうつくしい人魚はモニター越しに彼女自身をいつも見ている。人魚であり彼女自身でもあるそれは地上の彼女自身を自由に操作していて、人魚は自分が人魚なのか、あるいはヒトなのか判らず、いつだって困惑している。たまに海面にでてくるときもあるけれど、外の世界は人魚である彼女には刺激がつよすぎるのだろう、すぐにまた海の深いところへ逃げてしまう。

 キミはそういうニンゲンなのだと、ボクはすこしずつだけど理解していった。そしてそれらのうそやかくしごとを含めて、そんな彼女自身をまるごと愛おしいと想っている自分がいた。ボクはそのことが嬉しかった。ボクは誰も、何者も愛せないニンゲンだった。ボクは自身を工場なら廃棄されるような欠陥品だと思っていたものだから、キミを愛しているのだというこの確信は途方もない悦びで、奇跡のようで、べたにいうと運命だった。

 彼女は辛い現実にフタをして、それらがやがて腐っていってもっと醜悪になるのだと内心わかっていながらも、幸福な虚構の現実を纏っている。

 ボクはそう解釈して、なんだか泣きそうになってしまって、キミのあまりの愛おしさに戸惑い、このままではいつかキミは壊れてしまうよ、と心のうちに思って、しかし三白眼の美しい瞳に砕かれて、言葉を幾度も飲み込んで、いつかこの子はボクを鬱陶しく感じ疎ましく思うのだろうとわかっていてもなおただ、愛してるとキミに囁く。

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人魚はやがてヒトになるか 金沢出流 @KANZAWA-izuru

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