『俺達のグレートなキャンプ211 全力で丹念に珈琲を淹れよう』

海山純平

第211話 全力で丹念に珈琲淹れよう

俺達のグレートなキャンプ211 全力で丹念に珈琲を淹れよう


朝の光が湖面をキラキラと照らす中、石川はテントの前で謎のホワイトボードを立てかけていた。そこには「珈琲淹れるまでのスケジュール(予定時刻4時間)」と書かれ、細かく工程が書き込まれていた。

「さあ諸君!今日は午前9時から午後1時まで、4時間かけて珈琲を淹れる!」

石川の声が朝のキャンプ場に響き渡る。隣のテントで朝食を作っていた若いカップルが手を止め、「4時間...?」と呟いた。

千葉はテントから這い出してきて、寝癖だらけの髪のまま、ホワイトボードに駆け寄った。

「4時間!?やばい、グレートすぎません!?」

その純粋すぎる興奮に、富山は深いため息をついた。彼女はすでに起きていて、インスタントコーヒーを飲みながら諦めの境地に達したような表情で二人を眺めていた。

「ねえ石川、4時間って...普通10分で淹れられるものを4時間かけるって、それ無駄なだけじゃない?」

富山の冷静なツッコミに、石川はニヤリと笑った。

「富山よ!無駄こそがグレートなキャンプの真髄!効率を捨てた先に、真の感動がある!」

「意味わかんない」

「わかります!」

千葉が即座に同意した。富山は頭を抱えた。

「じゃあスケジュール発表!」

石川はホワイトボードを指し棒でビシビシ叩き始めた。

「9:00-9:30 水質チェックと浄水!」

「いきなり水から!?」

「9:30-10:00 薪選び!」

「薪選び!?」

「10:00-10:30 焚き火の着火と火力調整!」

「30分も!?」

「10:30-11:00 生豆の選別!」

「選別!?」

富山のツッコミが止まらない。

「11:00-11:40 手網焙煎!」

「まだ焙煎にたどり着いてない!」

「11:40-12:10 豆の冷却と豆粒カウント!」

「カウント!?」

「12:10-12:40 手挽き!」

「12:40-13:00 抽出と実飲!」

「実飲って何!普通に飲めばいいでしょ!?」

石川は満足そうに頷いた。

「完璧なスケジュールだ」

「全然完璧じゃない!無駄しかない!」

「無駄...それは美学だ」

石川は遠くを見つめ、詩人のような顔をした。千葉も同じように遠くを見つめた。

「美学...」

二人は何かを悟ったような表情で頷き合った。

「あなたたち、本当に大丈夫...?」

富山の心配は深まるばかりだった。

「さあ、9時ジャスト!水質チェック開始!」

石川は湖畔に走って行き、大きなバケツで水を汲んできた。

「まず目視チェック!」

じっと水を見つめる石川。30秒経過。

「...で?」

「透明だ」

「当たり前でしょ!」

「次にpH測定!」

pH測定器を取り出し、水に浸ける。

「6.8...やや酸性だな」

「珈琲と関係あるの?」

「ある!酸性の水は珈琲の酸味を引き立てる!でも今回は深煎りだから、少しアルカリ性にしたい!」

「どうやって?」

「重曹を入れる!」

石川は取り出した重曹を、耳かき一杯分、水に入れた。

「...それで変わるの?」

「変わる!」

再度測定。

「7.1!完璧だ!」

「0.3しか変わってない!」

「この0.3が重要なんだ!」

千葉は感動した表情で頷いた。

「細部へのこだわり...これがグレートなキャンプ...!」

「千葉くん、洗脳されてない...?」

だが千葉はすでに石川の世界に入り込んでいた。

「次に浄水!」

石川は謎の装置を取り出した。

「これは活性炭フィルター、そしてこれがセラミックフィルター!二段階濾過だ!」

「キャンプ場の水、そのままで十分きれいだと思うけど...」

「甘い!完璧を目指すなら、妥協は許されない!」

ゴボゴボゴボ...

水がゆっくりとフィルターを通っていく。

「これで30分かかる」

「遅い!」

「だからいいんだ」

石川は満足そうに腕を組んだ。

待っている間、石川は突然、

「そうだ!水の味見もしよう!」

「味見!?」

コップに元の水を注ぎ、ゴクリと飲んだ。

「うむ...湖の水だけあって、ミネラル感がある」

「当たり前でしょ!」

「次に濾過後の水!」

まだ途中だったが、少し出てきた水をすくって飲んだ。

「おお...クリアになった...!」

「変わんないでしょ!」

「いや、確実に違う!千葉、お前も飲んでみろ!」

千葉は真剣な顔で両方の水を飲み比べた。

「...確かに!濾過後の方が...え、何が違うんだ...?でも違う!」

「だろう!?」

二人は興奮して肩を組んだ。

富山は完全に置いてきぼりだった。

「あの...私には全く同じに思えるんだけど...」

「富山はまだ修行が足りない!」

「修行って何!?」

30分経過。9時30分。

「よし!水の準備完了!次は薪選びだ!」

石川は薪の山に向かった。

「おい見ろ、この薪!」

一本の薪を持ち上げる。

「これはナラの薪だ!火持ちがいいが、火力が強すぎる!」

ポイッと投げ捨てた。

「こっちはスギ!これは着火しやすいが、すぐ燃え尽きる!」

またポイッ。

「いや、全部使えばいいじゃん!」

富山のもっともなツッコミ。

「甘い!焙煎には理想の薪がある!それは...桜!」

「桜!?」

「桜の薪は火力が安定していて、かつ煙が少ない!さらに微かに甘い香りがする!これが珈琲の焙煎に最適なんだ!」

「そんなピンポイントな薪、あるわけ...」

「ある!」

石川は薪の山をゴソゴソと漁り始めた。

「あった!これだ!」

一本の薪を高々と掲げた。

「...それ、どう見てもただの薪だけど」

「いや、これは桜だ!木目を見ろ!この細かい模様!そして樹皮の横縞!間違いない!」

千葉も薪を覗き込んだ。

「本当だ!何か特別な感じがする!」

「しないでしょ!」

「とにかく、この桜の薪を8本選ぶ!」

「8本!?」

「焙煎の火力管理には8本が理想なんだ!」

石川は30分かけて、薪を選別し続けた。

「これは節があるからダメ!」

ポイ。

「これは湿気が多い!」

ポイ。

「これは完璧だ!1本目!」

千葉は横で数を数えていた。

「2本目!3本目!」

富山は完全にあきれて、自分のテントに戻ってスマホをいじり始めた。

「4本目...いや待て、これは微妙に曲がってる。5本目!」

「曲がってても燃えるでしょ!」

富山が遠くからツッコんだ。

30分後。10時。

「よし!完璧な8本が揃った!」

綺麗に並べられた8本の薪。正直、どれも同じに見える。

「次は着火だ!でも、ただ着火するだけじゃない!」

「まだ何かあるの...?」

「当然!着火の手順が重要なんだ!まず、着火剤は使わない!」

「え、じゃあどうするの?」

「フェザースティックを作る!」

石川はナイフを取り出し、薪を削り始めた。

「薪を薄く削って、羽根のようにする。これが最高の着火材だ!」

シャッシャッシャッ...

集中して削り続ける石川。

「これは...アートだ...」

千葉が感動の声を漏らした。

10分後、見事なフェザースティックが完成した。本当に羽根のようにふわふわと薄く削られている。

「おお...これは確かにすごい...」

富山も思わず感心した。

「だろう?次にこれを着火するんだが、マッチやライターは使わない!」

「は!?」

「ファイヤースターターを使う!」

石川は金属の棒とストライカーを取り出した。

「これで火花を散らして着火する!原始的だが、これがアウトドアの真髄!」

カチッ、カチッ、カチッ...

火花が散るが、なかなか着火しない。

カチッ、カチッ、カチッ...

「...あの、普通にマッチ使えば?」

「ダメだ!これは儀式なんだ!」

カチッ、カチッ、カチッ...

5分経過。

カチッ、カチッ、カチッ...

「石川さん、疲れてきましたよね...?」

「まだだ...まだ...!」

カチッ、カチッ、ボッ!

「着いた!」

フェザースティックに火がついた。

「やった!」

千葉も大喜び。

「着火だけで15分...」

富山の呆れた声。

「さあ、ここから火力を育てていく!徐々に太い薪を足して...」

石川は慎重に薪を組んでいった。

「この角度が重要...空気の流れを考えて...」

パチパチと火が育っていく。

「よし、いい感じだ!でもまだだ!火力が安定するまで待つ!」

「また待つの...?」

10時30分。

「完璧な火が出来上がった!」

確かに、炎は綺麗に安定していた。

「次は豆の選別だ!」

石川は生豆の袋を開けた。

「この中から、欠けた豆、虫食いの豆、変色した豆を取り除く!」

「全部?」

袋の中には数百粒の豆が入っていた。

「全部だ!」

石川はブルーシートを広げ、豆を全部広げた。

「さあ、一粒ずつチェックするぞ!」

「一粒ずつ!?」

三人で豆を見始めた。

「これは欠けてる!」

ポイ。

「これは虫食い!」

ポイ。

「これは...綺麗だ!」

良い豆の山に移動。

「...これ、気が遠くなるんだけど」

富山がぼやいた。

「だがこれが丹念ということだ!」

チマチマと豆を選別していく。

隣のサイトのカップルが散歩から帰ってきて、三人が地面で豆をいじっているのを見て、首を傾げた。

「あの人たち...何してるんだろう...」

「さあ...?」

10分経過。

「これは...微妙に小さい...でもまあいいか」

「おい石川!妥協するな!小さいのはダメなんだろ!?」

千葉が突然厳しくなった。

「お、おう...そうだな...」

ポイ。

20分経過。

「...まだ半分も終わってない...」

富山は完全に疲れていた。

「頑張れ富山!これを乗り越えた先に、至高の珈琲が待っている!」

「本当に...?」

30分後。11時。

「完了!完璧な豆だけが選ばれた!」

選別された豆は、元の量の8割ほどだった。

「2割も捨てたの!?」

「妥協しなかった結果だ!」

「さあ!遂に焙煎だ!」

石川は手網に豆を入れた。

「千葉、タイマー用意!」

「了解です!」

「富山、火加減の監視!」

「...はいはい」

「いくぞ!」

シャカシャカシャカシャカ...

石川が網を振り始めた。

「均一に!リズミカルに!」

シャカシャカシャカシャカ...

「石川さん、何分振るんでしたっけ?」

「深煎りだから20分だ!」

「20分!?」

シャカシャカシャカシャカ...

5分経過。

「う...腕が...」

「頑張ってください!」

シャカシャカシャカシャカ...

リズムが乱れてきた。

「交代しよう!」

「頼む...!」

千葉にバトンタッチ。

シャカシャカシャカシャカ...

「意外と...重い...!」

千葉も必死に振り続ける。

10分経過。

パチン!

「ファーストクラック!」

石川が叫んだ。

パチパチパチ!

豆が弾け始めた。

「いい香り...」

周囲のキャンパーがまた集まってきた。

「また何かしてる...」

「コーヒー?焙煎してるの?」

15分経過。

「富山、交代!」

「え、私も!?」

「当然だ!これは三人のプロジェクトだ!」

富山も渋々、網を受け取った。

シャカシャカシャカシャカ...

「...確かに、腕にくるわね...」

パチパチパチ!

「セカンドクラック!」

20分経過。

「よし!完璧だ!」

豆をザルに開けた。

「すごい...いい色...」

確かに、綺麗な焙煎色だった。

「さあ、冷却だ!」

三人で必死に扇ぐ。

5分後、豆が冷えた。

「さあ、ここからが今回の目玉!豆粒カウント!」

「は!?」

富山が叫んだ。

「一粒ずつ数える!そして平均的な豆の大きさを把握する!」

「なんで!?」

「データだ!次回に活かすためのデータ収集だ!」

「次回やる気満々なの!?」

石川は豆を並べ始めた。

「1、2、3、4、5...」

「本気で数えてる...」

千葉も参加した。

「僕も数えます!」

「千葉くんまで...」

富山は諦めて、カウントに参加した。

「...6、7、8...」

20分後。11時40分。

「合計324粒!」

「やっと終わった...」

富山は疲労困憊だった。

「次は休憩時間!豆を30分寝かせる!」

「やっと休憩...」

「でも暇じゃない!この間に豆について学ぶ!」

石川は分厚い本を取り出した。

「『珈琲の科学』だ!」

「勉強会!?」

「そうだ!1章から読むぞ!」

「読まされるの!?」

30分間、石川の珈琲講義が続いた。千葉は真剣にメモを取り、富山は半分寝ていた。

12時10分。

「さあ、挽く工程だ!」

手動ミルを取り出した。

「これを...全部手挽きで?」

「当然!」

ゴリゴリゴリゴリ...

「ああ...この音...」

石川は恍惚の表情。

ゴリゴリゴリゴリ...

10分経過。

「腕が...もうダメ...」

「交代!」

ゴリゴリゴリゴリ...

さらに10分。

「やっと...半分...」

ゴリゴリゴリゴリ...

30分後。12時40分。

「完了...!」

全員、腕がプルプル震えていた。

「最後の工程...抽出だ...」

石川はフラフラしながら、湯を沸かし始めた。

「温度...92度...」

温度計を見つめる目は虚ろだった。

「92度!」

ドリッパーに粉をセット。

「いくぞ...」

湯を注ぎ始めた。

その手は震えていたが、不思議と一定のリズムで注がれていった。

ポタポタポタ...

珈琲が落ちていく。

周囲のキャンパーは、4時間ずっと何かしていた三人を、興味深そうに見守っていた。

5分後。

「完成...」

サーバーに珈琲が入った。

三人は無言でカップに注いだ。

「では...4時間の成果を...」

一斉に口をつけた。

「...」

「...」

「...」

沈黙。

そして。

「う...うまい...!」

三人の声が重なった。

「これは...!」

「今まで飲んだ中で一番...!」

「4時間の意味があった...!」

三人は涙を流しながら、珈琲を飲み干した。

周囲のキャンパーも拍手した。

「お疲れ様でした!」

「すごかったです!」

年配の男性が声をかけてきた。

「あの...私たちにも飲ませていただけませんか?」

「もちろん!」

石川は笑顔で珈琲を配り始めた。

みんなが飲んで、驚きの声を上げた。

「美味しい!」

「これはすごい!」

「4時間の価値がある!」

千葉は感極まって泣いていた。

「僕たち...やり遂げたんですね...」

「ああ...」

富山も穏やかに笑っていた。

「まあ...確かに、美味しいわね」

三人はカップを合わせた。

「4時間のグレートなキャンプ、完了!」

「完了!」

その夜。

「次は6時間かけてカレーを作る!」

「6時間!?」

「スパイスを調合するところから!」

「もう勘弁して!?」

こうして、俺たちのグレートなキャンプ211は幕を閉じた。


後日談

数日後、石川は分厚い本を読みふけっていた。『藤岡弘、流 珈琲道』。

「見ろ千葉!藤岡弘、氏は一杯の珈琲に8時間かけるそうだ!俺たちはまだまだだった!次は8時間で...いや、10時間で...!」

石川の目は異様に輝いていた。

「10時間!?それはもはや修行...!でもグレート...!」

千葉も興奮し始めた瞬間。

バシィッ!

富山が本を叩き落とした。

「いい加減にしなさい!!!4時間でも十分おかしいのに、これ以上時間かけてどうするのよ!?もう付き合わないわよ!!」

富山の怒号が響き渡った。

石川と千葉は正座させられ、2時間説教を受けた。

結局、次回のキャンプは普通に珈琲を淹れることになった。

(本当に完)

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『俺達のグレートなキャンプ211 全力で丹念に珈琲を淹れよう』 海山純平 @umiyama117

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