18メートル離れたら即死!? 孤独な俺と落ちてきた小悪魔の絶対距離

ユニ

第1話 六畳一間の堕天

 二〇三五年、東京・中野。

 築四十年の木造アパート『明星荘』の二階。そこが俺、明星亜土(みょうじょう・あと)の世界の全てだ。

 両親はいない。遺されたのは、わずかな生活費とこのボロ部屋だけ。

 俺の夕食は、バイト先のスーパーで廃棄寸前にもらった弁当。壁が薄いから、隣の住人の生活音がBGMだ。


「……いただきます」


 誰もいない部屋で手を合わせる。味なんてしない。俺の毎日は、乾いた泥みたいに灰色だ。

 唯一の逃げ場所は、中古で買った型落ちのVRギア。

 今日も仮想空間に逃げ込もうとした、その時だった。


『警告。局地的な雷雲が接近中――』


 カッ!!!!


 鼓膜が破れそうな轟音と共に、部屋の中が真っ白に塗りつぶされた。

 強烈なフラッシュ。視界が完全に焼かれ、何も見えない。

 停電。そして、ベランダの窓ガラスが粉々に砕け散る音だけが響く。


「うわっ、マジかよ! 目……目が!」


 俺は慌ててギアを外し、チカチカする視界をこすりながら部屋の惨状を見て絶句した。

 雨風が吹き込む六畳一間の中心に、「それ」はいた。

 逆光に浮かぶシルエット。小柄な少女のように見える。けれど、俺は見てしまった。彼女の腰から伸びる、鞭のようにうねる細長い『尻尾』を。


「……見つけた」


 ふわりと風が吹く。鼻をつくのは、雷の焦げた匂いと、それに混じった不思議な甘い香り。まるで花の蜜のような匂いだ。

 だが、今の俺にそれを愛でる余裕はない。

 尻尾のある人間なんていない。こいつは人間じゃない。化け物だ。

 俺は腰を抜かし、裸足のまま玄関へ走った。殺される。

 鉄製のドアを蹴破るように開け、外の共用廊下へ飛び出す。雨の中を全力疾走だ。

 だが、隣の部屋の前を通り過ぎようとした、その瞬間。


「あ……?」


 不意に、世界のスイッチを切られたような感覚が襲った。

 痛みはない。けれど、急激に意識が遠のく。

 俺は錆びついた手すりに崩れ落ちた。力が入らない。指先の感覚がなくなり、俺という存在の輪郭が世界から溶けて消えていくようだ。


「……行くな、アト」


 背後から声がした。

 霞む視界で振り向くと、壊れたドアの前に、あの尻尾のある少女が立っていた。

 距離にして、およそ一八メートル。

 彼女が悲しげに手を伸ばすと、俺の体がズルズルと見えない力で引き寄せられる。アパートの廊下を引きずられ、距離が縮まるにつれ、嘘のように体に力が戻ってきた。


「な、なんだよこれ……」


 少女は俺の目の前まで来ると、その場にへたり込んだ。ボロボロの服。肌は雷に打たれたように焼け焦げている。


「……私は鋳吹(イブキ)。あなたを守るために、落ちてきた」

「守る? 意味わかんねえよ! 修理費払えよ!」

「契約は成立したの。私たちは『対』になった。一八メートル以上離れると、互いの存在が希釈されて……消滅する」


 彼女は俺の手を取った。その手は、冷え切った俺の生活には不釣り合いなほど、火傷しそうに熱かった。


「アト、あなたは『矛(ほこ)』。私は『盾』。……これから来る敵と戦うには、二人で一つじゃないとダメなの」


 雷鳴が轟くボロアパートで、俺は理解した。

 俺の孤独な一人の時間は、この雷と共に終わったのだと。

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