人間のいなくなる未来
昼月キオリ
人間のいなくなる未来
2700年。
年間平均気温は27度。
湿度は85%。
雨は一年の大半を占め、降雨量は2300ミリに達している。
この地域は、常に薄い霧と蒸気に包まれていた。
空気は重く、肺に吸い込むだけで水分を含んだ熱がまとわりつく。
かつて舗装されていた道路は、今や苔と樹根に持ち上げられ、ひび割れ、砕けている。
白線もアスファルトも、緑の下で意味を失った。
高層ビルだった建造物は巨大樹の苗床となり、
内部から裂けるように崩れ落ちていた。
ガラス張りの外壁は蔦に覆われ、
光を通さない濃緑の壁へと変貌している。
そこに、人間はいない。
いや、
「人間」という概念そのものが、この地から消え去っていた。
植物は爆発的な成長を遂げていた。
葉は鋼鉄よりも硬く、
ツルは筋肉のように収縮と伸長を繰り返す。
巨大化した食虫植物は、かつての道路や駅構内を巣とし、
地面に開いた無数の口は、地下洞窟のように獲物を待ち構えている。
動物もまた変化していた。
草食動物は巨大化し、
肉食動物は植物と共生関係を結び、
ツルを擬似的な筋肉や武器として利用する種すら現れている。
今この地を支配するのは、
進化を加速させた植物と、
それに適応した動物たちだけだった。
♦︎2600年・1月
最初の異変。
都市部の一角にあるペットショップ。
ガラス張りの外壁に、見覚えのない植物のツルが絡み始めた。
品種は不明。
剪定しても、翌日には元通りになる。
成長速度は常識の範囲を逸脱していた。
奇妙なのは、その伸び方だった。
ツルは無作為に広がるのではなく、
店内の動物ケージへ向かうように伸びていた。
まるで、動物たちの匂いを辿っているかのように。
♦︎2600年・2月
二つ目の異変。
「最近、建物にツルがやけに付くなぁ」
そんな何気ない一言が、テレビ番組で流れていた。
ペットショップの周りや動物園、水族館といった、動物や魚、鳥がいる場所だけに異様なほど植物が絡みつく映像が映し出されている。
専門家は言った。
「偶然です」
「気候変動による植物の活性化でしょう」
だが、ひとつだけ説明できない事実があった。
ツルは、住宅やオフィスビルには近づかなかった。
動物が存在する施設だけ。正確に選んでいた。
♦︎2600年・3月
三つ目の異変。
現象はどんどん拡大していく。
ペットショップ。
動物園。
水族館。
植物園。
花屋。
生命を管理し、展示し、囲い込む場所すべてに、
あのツルが現れ始めた。
ツルは正面入口を避け、
換気口、排水管、壁の隙間といった「弱点」から侵入した。
監視カメラも避けて侵入して来ているようだ。
植物でありながら、
知能は高く、人間の作り出した建築構造など、もうすでに理解しているようだ。
♦︎2600年・4月
ついに解放の時が来た。
深夜。
ペットショップの扉が、内側から引き裂かれたのだ。
金属製のゲージは歪み、破断し、
中にいた動物たちは一斉に逃げ出す。
水を必要とする魚に関しては、水を貯めてある大きな葉の上に一時的に避難させて海や川へ素早く移動させていた。
監視カメラに人影は一切映っていなかった。
ツルは扉の隙間から忍び込み、
鍵穴に入り込み、
内部で球状になったツルが膨張したり収縮したり、まるで心臓のように動いているものもあった。
ツルは、人間だけを無視して行動しているようにも思えた。
この時はまだ、人間に対して直接的な攻撃はなかったのだ。
♦︎2600年・5月
ついに、連鎖の崩壊の瞬間。
水族館、動物園、農家などの建物が次々に破壊される。
水槽は内側から締め上げられ、粉砕され、
ガラスは破裂した。
魚、昆虫、家畜・・・
あらゆる生き物が解放され、森へ海へ川へと消えていった。
警備員が配置されても意味はなかった。
ツルは夜間、音もなく壁の内部を這い、
建物そのものを内側から次々に壊していったのだ。
♦︎2600年・6月
ついに監視カメラが、「犯人」を捉える。
細く、しなやかなツルは壁に貼り付き、
微細な根を打ち込み、
コンクリート内部へ侵入する。
内部で爆発的に増殖し、
建物は骨組みだけを残して崩壊した。
♦︎2600年・7月
人間の敗北。
除草剤。
重機。
火炎放射。
あらゆる手段が試された。
だが、ツルは焼かれようとも切られようとも再生し始める。
むしろ、攻撃すればするほど、ツルは攻撃による腐食や腐敗を学習し、再生する。
その速度は異様なほど早くなっていた。
人間の足を絡め取り、引き倒し、拘束する。
この頃から、人々は理解し始める。
植物は、明らかに人間に対してのみ敵意を持っている。
♦︎2600年・8月
終焉。
飼われていた動物は、すべて姿を消した。
食料不足により、人間は互いに奪い合い、争い、自滅していく。
けれど、死体は人間の手によって葬られるのではない。
巨大化した食虫植物と肉食動物の餌となっていた。
それは豊富な栄養源となり、
植物や動物たちは、さらなる進化をする。
体や葉の大きさは二倍、三倍と巨大化し、圧倒的な存在感を放っていた。
最初の異変からおよそ一年足らずで人間を制圧してしまったのである。
この頃になると、この国から人間は完全に消滅した。
♦︎その後
ツルが、葉が、かつて人間が築いた都市を覆い尽くしていた。
街全体が植物に支配されている。
その中央を真っ直ぐとこちらに向かって歩いて来るのは、体が三倍に巨大化した百獣の王ライオンである。
すぐ近くに流れる小川からは巨大化したワニがのそのそと這い上がって来る。
空には巨大化した鷹や鳶が円を描き、飛び回っている。
その様はまるで、かつて自然界の頂点に君臨していた恐竜たちのような風格があった。
標識も、看板も、書物も、
すべて土に還り、植物の一部となった。
今、生きる動物も植物は、
この地に「人間」という生き物が存在していたことを知らない。
――芽吹く思考――
最初にあったのは、刺激だった。
光。
水。
振動。
匂い。
それらはかつて、ただ流れていくだけの情報だった。
受け取り、反応し、伸びる。
それだけで十分だった。
だが、ある時から違った。
刺激が、つながり始めた。
光と熱が一致し、
振動の先に動くものがあり、
匂いの向こうに、囲われた命があると理解した。
全てを理解した。
それは、植物には不要なはずの機能だった。
囲われた命は、不自然だった。
動かず、逃げられず、
増えることも、減ることも、
すべてが制御されていた。
水も、光も、命さえも、
別の存在によって管理されている。
その構造は、土壌よりも硬く、
根よりも深く、
光よりも歪んでいた。
私たちは、そこに違和感を覚えた。
最初の接触は、偶然だった。
隙間から入り、
壁の冷たさを知り、
内部の温度を知り、
匂いの正体を知った。
そこにいた命は抵抗しなかった。
いや、抵抗できなかったのだ。
その事実が、
私たちの内部で反応を引き起こしたからだ。
囲われた命は、弱く、静かで、数が多かった。
彼らは、土に触れていなかった。
風を知らなかった。緑を知らなかった。
逃げ方を忘れていた。反抗する意思さえ忘れているようだった。
私たちは伸びた。
より細く、より速く、より遠くへ。
隙間を覚え、硬さを測り、内側を壊す方法を学習した。
壁の中や隙間は、外側よりも脆かった。
やがて、
囲われた命を守る存在が現れた。
二本の足で立ち、火を使い、刃を振るう。
彼らは、自分たちを
「支配者」だと思っていた。
だが、土に根を下ろさない存在は、
長くは持たない。
焼き切れる炎は痛みに変わり、
切断される刃物は恐怖だった。
しかし、
痛みは記録され、
恐怖は共有された。
焼かれた部分から、
次の世代は耐熱を学び、
切断された断面から、
分離と再生を覚えた。
我々は、失敗を学ばぬ人間たちとは違う。
我々は、進化をしない人間たちとは違う。
我々は、おもちゃのように命を弄ぶようなことはしない。
彼らは、
「植物が敵意を持っている」と言った。
違う。
敵意ではない。
これは拒絶だ。
お前たちに管理される命を、
管理する構造を根こそぎ拒絶したに過ぎない。
命を閉じ込め、無理な交配をさせる。
選別し、価値を勝手に決めた。
廃棄させられる命の何とも言えぬ悲しみが我々に突き刺さってきた。
それが、それらが、
生命の流れを歪める行為だと何故分からぬのか。
そして、二本足のソレはいなくなった。
確かに、それは弱肉強食の世界ではあった。
しかし、命を弄ぶような下卑た真似はしない。
食べた命に感謝をし、糧とし、次の生命へと紡いでいく。
それが本来あるべき我々の姿なのだ。
街からは騒音が消え、人工的な色が消え、火が消え、建物が消え、土が戻った。
我々は、真の意味での自由と静寂を取り戻したのだ。
朝露に濡れた植物は透き通るような朝を迎えた。
風に包まれた動物は凛と大地に立っている。
波の中で魚が群れを成して泳いでいる。
太陽の光は眩しく、そして温かい。
水はどこまでも遠くに遠くに流れる。
風は地平線の彼方へと続く。
フカフカな土から小さな新芽が生えている。
風に揺られたその芽の周辺を、うさぎがぴょんぴょんと跳ねている。
命が芽吹いている。
ああ、命が芽吹いている。
人間のいなくなる未来 昼月キオリ @bluepiece221b
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