星喰らい診療所――暗がりからの訪問者
須田釉子
第1章:孤独の医師
第1話:診療所の夜
[涼三月 第三日目]
問診票の束を見返しながら、ガーヴェはため息を吐いた。表の看板に「星喰らい診療所」と書かれている通り、ガーヴェは星喰らい症候群専門の医者だ。先月の患者はたったの五人。それがここのところ、罹患者が急増の一途を辿っている。今月に入ってからはもう既に百人。これはいくらなんでも増えすぎだ。
過去の診察記録を辿っても、あまり有益な情報は見つからない。男女や年齢の偏りはなく、症状の差も人それぞれ。掴みどころのない奇病を前に、彼は頭を抱えていた。
「……湯が沸いた」
出涸らしの茶を飲みながら手元の照明の輝度を下げる。部屋全体が単色に色付き、満点の星の光に当てられた机や椅子の影がくっきりと浮かび上がった。夜の国の片隅、辺鄙な田舎の夜にぴったりの星見日和だった。窓を開けると、ゆるやかな涼風が流れ込んでくる。
ガーヴェは大きく息を吸って伸びをした。暑い季節に終わりの兆しが見えてきて、少しだけ息がしやすい。この診療所がある丘の上からは、真っ黒に染まった森と星を散りばめた空しか見えない。他の家々はほとんど見えず、あったとしてももう明かりは消えている。夜の風景と自分だけの秘め事のような時間は、多忙な医者にとっての数少ない癒やしの時間でもあった。
それでも、ガーヴェはまっとうな人間の生活を営んでいる。昼は起き、夜は寝る。だから、もう寝なくてはいけない。名残惜しそうに窓を閉じると、彼は照明を持ち上げた。つまみを回せば油が多く回って輝度が上がる。星はもう見えず、いつもの部屋がじんわりと浮かび上がった。
いつもの通り、体を拭って寝間着に着替えよう。そう思った時に限って、厄介事というのは起きるものだ。
「ごめんください、急患です!」
前触れもなく飛び込んできたのは、若い男の二人組だった。継ぎ接ぎだらけのみすぼらしい服に身を包み、露出した肌は日焼けしてひどく荒れている。薄汚れた格好だが、どちらが患者なのかは一目瞭然だ。あからさまに弱っている男がその場に倒れた。もう一人の男が医師の前にひざまずき、頭を下げた。
「先生、どうか助けてください」
患者はひどく苦しそうに腹部を押さえている。声を上げることすらできないようで、顔面は真っ白だ。ガーヴェはその場に這いつくばる男に駆け寄り、その頭を優しく撫でた。毛髪は冷や汗でじっとりと濡れている。医師は顔色を変えると、今月に入って百一人目の患者を部屋に上げた。
「どれ、見せてごらん」
二人がかりで患者を治療台に乗せると、部屋に地響きのような鈍い音が響いた。治療台の土台は壊れかけて軋んでいる。それでこんな音が出るのだ。男一人の体重程度で壊れることはないはずだが、連れの男は不安そうに手を添えている。
患者の身を包む布を剥ぐと、皮膚越しに薄っすらと光が透けて見えた。血管やら何やらの影がちらついているが、特に悪さをしているようには見えない。
「ああ、典型的な星喰らい症候群を起こしている」
熱く眩しい星。そんなものを生身の人間がかっ喰らったらどうなるのか、おおよその検討はつく。食道はヒリヒリと焦げ、しばらくの間は飲み食いに支障が出る。食べた星は中々消化されないまま、その光が死ぬまで腹の中に留めておくしかない。人によってはそのまま腹が破裂したり、星が別の部位に流動して悪さをすることがある。
だが、幸いにも、今回は面倒な症例ではないらしい。腹の中で幼い星が大人しくしてくれているようで、摘出作業は比較的容易に思えた。袖口の広い服をまくり、ガーヴェは手を膨れた腹に乗せた。
「それじゃあ、今から取るから。動かないで」
全身の意識を薄い光に集中させると、ガーヴェの手招きに応じるように星が震えだした。くるくると不規則に揺れる星は、その振動によって徐々に細かく分離されていく。この術を会得するのに十年はかかったと記憶している。並大抵の人間にはできない不思議な術は、彼の夢の残滓から発明されたものだ。
光の粒に当てられて、男が呻きその身をよじらせた。連れの男は患者の肩を抱きかかえ、彼を固定する。この苦痛がどれほどのものなのか、実際に罹患したことのないガーヴェにはわからない。だが、もう少しだ。
「よし。出るぞ」
ガーヴェの合図と同時に、光が肌を通り抜けて部屋に散漫した。無数の光の粒は薄緑色の光線を放ち、元の丸い球体に戻ろうと寄せ集まる。ガーヴェは少しだけ苦い顔をしたあと、集中力を切らさないように深く息を吸い込んだ。
木製の天井を朗々と照らすように、小指の爪ほどの大きさの星がぽっかりと宙に浮かんだ。こんなにもちっぽけな星が一人の男を延々と苦しめていたとは到底信じがたい。だが、ガーヴェは何度もこのような症例を目の当たりにしてきた。これは夢の中ではなく、現実に起きている異常事態だ。
「……間違えて飲み込むような代物じゃないんだけどな」
これまでの患者は星の危険性を知らない子どもばかりだった。綺麗だからとうっかり飲み込んでしまったのを、親が抱えてくるというのがお決まりだ。大人の患者というのはそういない。どうしてこうなったんだ、というガーヴェの独り言に呼応するように、患者が上の空でつぶやいた。気道が傷ついているのか、声がかすれている。
「どうしても星を食べてしまうんです。それがたとえ、生まれたての星でも」
その衝動は自制ができるものなのかと問えば、彼は難しいことだと言わんばかりに口を歪ませた。おそらくは強い渇きを覚えた喉が水を拒まないのと同じだ。復元された星は少し欠けていた。人の歯型のような傷痕は、きっとこの患者によって付けられたものだろう。
「ああ、先生。ありがとうございます。あなたは命の恩人です」
そうですか、と空返事をして、ガーヴェはまだ白い問診票に症状を書き込んでいった。そして処置にかかった手間と時間とを鑑みて、無慈悲に二人に宣告した。
「では、お代が五百ラニーぴったしになります」
「ご、五百ぅ?」
喜びに浸る二人の顔が徐々に暗くなっていく。当然だ。五百ラニーなんて彼らのひと月分の稼ぎに相当する額なのだから。勝手に金を請求されないとでも思い込んでいたのか、彼らの顔はどんどん赤くなる。
「そう。五百ラニー」
こちらも慈善事業じゃない。それに休診日の夜に急患だと言って来たのだから、むしろこの程度で済むことに感謝してほしいくらいだ。
「あんまりだ、この守銭奴め!」
助けてもらったというのにこの態度。悪態をつく二人を見下して、医者は大きく息を吐き出した。それが連れの方の逆鱗に触れたようで、彼は凄みのある目つきでガーヴェを睨みつけた。だが、こっちだって事情があってやっていることなのだ。先月までに膨らんだ二年半の借金の返済分を、稼げるうちに稼がなければならないのだから。
「いいから答えろ。払えるのか、払えないのか」
少しだけ声を低くして脅すと、二人は黙りこくって観念したように頭を下げた。貧乏人から金をむしり取れないのはわかっている。ただ、無料で済ませるほどガーヴェは善人ではない。ここで奇妙な代替案を思いついた医者は、目を光らせながら患者とその付き添いにこう持ちかけた。
「それなら治療費に値する情報でも貰おうか。何でもいい、話せ。それで許してやるから」
ガーヴェはなんとしてでも星喰らい症候群についての有益な情報を得たかった。それらを元にもっと多くの金を稼ぐことができるのなら、五百ラニーの損失なんて安いものだろう。もちろんその提案に何一つ不自由のない二人は乗らないはずがない。彼らはまくしたてるように事情を説明し始めた。
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星喰らい診療所――暗がりからの訪問者 須田釉子 @sudayuko
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