幸福な加工(BeFake)

プロンプト作家

幸福な加工(BeFake)

 深夜二時。 静まり返った六畳間のアパートに、不快な電子音が響き渡る。


『⚠ BeFake !! ⚠』


 スマホの画面が白く明滅し、通知が躍り出る。 流行のSNS『BeFake』だ。一日に一度、ランダムな時間に届く通知から二分以内に写真を投稿しなければならない。 かつて持て囃された「飾らない現実」を共有するSNSのブームとは対照的に、このアプリのコンセプトは真逆だった。


『最悪な現実を、最高の嘘に。』


 最新のAIが、撮影された写真の「不都合な真実」をすべて検知し、瞬時に「理想の偽物」へと書き換える。


 カナメは気だるげに身を起こした。枕元には、一週間前に別れた恋人との写真が、フレームごと叩き割られて転がっている。胃が焼けるような独り身の虚無感。 震える指でカメラを起動した。画面に映るのは、万年床に座り込み、目の下に隈を作った無様な男の姿だ。


「……ハハ、最悪だな」


 カナメは自撮りモードのままシャッターを切った。 二分間のカウントダウンがゼロになる直前、アプリのAIが高速で「現実」を「加工フェイク」していく。


 画面の中のカナメは、清潔感のあるシャツを着て、健康的な笑顔を浮かべる好青年へと変貌した。 背景の汚い部屋は、柔らかな陽光が差し込むモデルルームのようなリビングに書き換えられている。


『投稿完了! あなたのFakeが、誰かの希望になります。』


 タイムラインには、同じように加工された友人たちの「幸福」が並んでいる。  借金まみれの男は高級外車に乗った姿に。 孤独な老人は、存在しない孫たちに囲まれた姿に。 カナメはこのアプリを愛していた。画面の中にいる間だけは、自分がまともな人間であると思えるからだ。 ふと、画面の隅に赤い警告マークが出ているのに気づいた。


『⚠ 未処理の「現実」を検知しました。再加工しますか?』


 どうやらAIが、部屋の隅にある「何か」をうまく処理しきれなかったらしい。  カナメは首を傾げた。あそこには、何も置いていないはずだ。


 彼はカメラを再び起動した。 部屋の隅、クローゼットの扉の前にレンズを向ける。


 スマホの画面上では、AIの自動検知枠ボックスが激しく点滅していた。 ボックスの中に表示されるタグは、通常なら【ゴミ】【汚れ】【不要物】などだ。それらが【花瓶】や【観葉植物】に書き換えられる。


 だが、その場所に表示されたタグは、カナメの見たこともないものだった。


【生体(REAL:100%)】


 カナメは息を呑んだ。 肉眼で見れば、そこには何もない。 ただの薄暗い壁だ。  しかし、スマホの画面越しに見ると、そこには黒い、泥のような「影」が立っていた。 影は、ゆっくりと、こちらを向いているように見えた。


『加工を開始します。嘘の内容を選択してください。』


 アプリが選択肢を提示する。  


 1:ペット  

 2:家具  

 3:存在しないものとして消去(推奨)


 カナメは迷わず「3」をタップした。 一瞬の読み込みの後、画面の中の「影」は綺麗に消え去った。 何事もなかったかのような、平穏で美しい部屋。  


「……そうだ、これは『BeFake』。嘘をつくためのアプリだ」


 カナメは自分に言い聞かせるように呟き、スマホを置いた。 背後に冷たい空気を感じたが、振り返らない。 画面の中では、自分は幸せで、部屋には誰もいないのだから。


 その時、再び通知が鳴った。 今度はアプリの公式からではなく、知らないユーザーからのメッセージだった。


『あなたの投稿を見ました。でも、あなたの加工、失敗してますよ』


 心臓が跳ねた。 カナメは慌てて自分の最新の投稿をチェックした。 笑顔の自分。  綺麗なリビング。 どこもおかしくない。 だが、メッセージには一枚の画像が添付されていた。  


『「BeFake」のバグを利用して、加工される前の「現実」を透視するフィルターで見ると、こうなります』    


 カナメは、震える手でその画像を開いた。 そこに写っていたのは、暗い部屋で一人、スマホを構えて笑う自分――ではなかった。 画像の中のカナメは、首にどす黒い索条痕さくじょうこんを残し、舌を突き出し、天井からぶら下がって揺れていた。


 そのカナメの足元で、彼によく似た形の「黒い影」が、楽しそうにスマホを操作している。


 このアプリのルールは、たった一つ。


『最悪な現実を、最高の嘘に。』


 今、このスマホを握りしめている「僕」は、いったいどちら側なのだろう。

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