異星の葬儀

@gagi

異星の葬儀

 ふわりと開いた、ひとつの梅の蕾。


 寒々として剝き出しになった梢の上に佇む、ひとつの白いそれが雪ではないことに気付いた。


 未だ外気に冬の名残が潜む、肌寒い三月の日曜日のこと。


 正午前の高い日差しの中で私は、二階のベランダで洗濯物を干していて、ふと何気なく眼下の庭に視線を下ろして、それに気が付いた。


 私はこの白い梅の花を見るとあの時の、奇妙なを思い出す。


 彼を弔ったのはちょうど一年ほど前の、今日のように晴れた三月の日曜日のことだった。


 彼らとの出会いは、あの異星の葬儀からさらに半年ほど遡る。





 思えば私があの時に、最初に感じた違和感についてもっと慎重に対応していれば、あの悲劇は無かったのだろう。


 私と彼らが関わることも無かっただろう。


 あの秋晴れの日にも私は、洗濯した衣類をカゴに入れて二階へ上がった。


 そうして引き戸を開けてベランダに出たところで、私はそれに気が付いた。


 ベランダの塀の隅に縦に置かれた、白と紫のアイロンに。


 あの時の私はそれが、己の所有するアイロンであると思って疑いを持たなかった。


 白と紫のカラーリングと、持ち手の曲線の具合が私のアイロンと極めて酷似していたし。なによりここは私の家なのだから、私の家にあるアイロンは私のものだろうと考えた。


 どうしてアイロンがベランダにあるのか、という疑問はもちろん湧いた。私のアイロンがけは大抵、一階の居間で行われる。だからアイロンの収納場所は一階の居間だ。


 私はその疑問を「変だなぁ」の一言で片づけて、アイロンをあるべき場所に戻そうと持ち上げた。


 私はこの不可解な疑問についてもう少し深く考えるべきだったのだ。なにせ私はこの家に一人暮らしなのだから。


 私の記憶にない物の移動の原因というのは、なんらかの外部からもたらされる運動に寄る他ない。



 私はアイロンの持ち手を右手で掴んで持ち上げて、ベランダから室内に戻って階段を下りる。


 そのときに私は右手のスチームアイロンからとした振動を感じた。


 もちろんこれは私が揺らしていたわけじゃない。


 なんだろうと思って右の手元を見下ろしたその時だ。


 瑞々しい緑色の、照りのある身体。


 親指ほどの大きさのカエルが二匹。


 一匹はアイロンの側面に貼り付いて、もう一匹はスチームの為の給水口にあたる部分から正に這い出ようとする最中だった。


 私は突如その姿を見せた両生類にびっくりして、アイロンを持つ手を滑らせてしまった。


「「うわー!」」と二匹のカエルがを上げてアイロンから飛び跳ねて、階段の手すりに着地する。


 私が落としてしまったアイロンは重力に導かれるまま、強かに階段へと打ち付けられて、そのまま一段、一段、と階段の角へとぶつかっていく。


 二匹のカエルたちはぴょんぴょんと手すりを伝って、落ちてゆくアイロンを追いかけた。


 私も後を追うべきなのか、突っ立っているべきなのか、洗濯物を干しに戻るべきなのかが分からなくなって、結局カエルたちの後を追った。


 一階へ降りると階段を落ち続けたアイロンは、見るも無残な姿になっていた。


 底金に当たる部分が外れ、そこから細かな部品たちが散乱している。給水口の蓋は割れて、温度調節のダイヤルに当たる部分も取れてしまっていた。


「ああ、私たちの宇宙船が……」


 二匹のカエルの内の一匹がそう呟いた。とても流暢な発音で。


 その聞き取りやすい呟きに私は思わず「宇宙船?」と聞き返してしまった。


「そうです。あれは私たちの宇宙船。こんなにも壊れてしまって。どうすればいいのでしょう」


 そう言ってうなだれる二匹のカエル。


 これが私と『かえるくん』たちとの出会いだった。





 人というのは、いや少なくとも私は、己の許容範囲を逸脱した異常に直面すると返って、日常の常識的な振る舞いに拠り所を求めるようだ。


 私はカエルたちの宇宙船の残骸をかき集めて、それを手頃な紙箱の中へひとまず収めた。


 そして私は彼らを客間へと案内した。彼らの宇宙船を壊してしまったことへの謝罪と、彼らの事情を聞きとるために。


 私は椅子に座り、彼らは私がテーブルの上に敷いた水色のハンカチーフの上に行儀よく正座をした。



 最初に我々はお互いの名前を名乗りあった。私は「田中です」と己の苗字を伝えた。


 二匹のカエルのうち、一匹はずんぐりむっくりとした体形で、もう一匹はそれに対して痩せており背が少しだけ高かった。


 背の低い方のカエルは「かえるくん、です」と名乗り、背の高い方は「かえるさん、と申します」と名乗った。


 この『かえるくん』『かえるさん』というのはあくまでも、日本人である私の耳で聞き取って日本人である私の舌で発音したものだ。


 当人たちによれば『かえるくん』も『かえるさん』も、彼らの母星語の発音とは全く異なるらしい。



 お互いの名前を伝え終えて私は、真っ先に彼らへ頭を下げた。あなた達の宇宙船を壊してしまってごめんなさい、と。


 ちっぽけな緑のカエルたちを前に、頭を垂れる姿を滑稽だと思う自分がいなかったわけじゃない。


 しかし私は平静を装いながらも、人語を話すカエルという存在にはとても当惑していたし。彼らの流暢な発話は私たち日本人と同程度、あるいはそれ以上の知性を感じさせるものだった。


 私は眼前の小さきカエルたちに尊重を持って接することもまた、それがあるべき振る舞いであるように感じた。


「どうか顔を上げてください、田中。もとを正せば始まりは、私たちの過失なのです。あなたの所有する敷地内、建築物の中に断りもなく私たちの宇宙船を停めたのですから」


 頭を下げる私に対して、背が高い方の『かえるさん』が言った。



 彼らの事情を聞けば、彼らは地球から遠くなはれた、『がまたま』と彼らが呼称する天体から来たという。


 地球へ来た目的は、とある病気への特効薬となるを探すためらしい。


 その病気というのは数年前から、俄かに彼らの種族の間で症例が急増した。


 その症状というのは脳みそが蜂蜜のような粘性ある液体へと置き換わってしまい、それらが耳や目の隙間から滲み出て行ってしまう。


 脳みその大部分が液体となって流出してしまった個体はただ、「げええこ、うぐっく」と鳴き声を発して、ぴょんぴょんと飛び跳ねることしかできなくなってしまう。


 そのような恐ろしい病気だ。


 彼らは『がまたま』から数日前に地球へきたばかりだった。


 そしてこの日、移動中に宇宙船の反重力装置に不具合が生じたために、私の家のベランダへ不時着したとのことだった。


「田中、あなたにひとつ頼みたいことがあるのです。宇宙船を修理するまでの間、私たちに住居の一角を提供してくださいませんか? 決してご迷惑は掛けません。どうか、どうかお願いいたします」


 背の高い『かえるさん』がそう言うと、彼はまるで土下座をするみたいに深くこちらへ頭を下げた。それに続いて背の低い『かえるくん』も同じように頭を下げた。


 私は彼らの要求を拒絶すべき理由を持たなかった。


 むしろ私は彼らに対して、宇宙船を壊してしまったという負い目があるのだから、断れるわけがなかった。


 私は彼らに、二階の半ば物置となってしまってる空き部屋を提供することとした。


 こうして私と二人の宇宙人、『かえるくん』と『かえるさん』との共同生活が始まった。





 二人の宇宙人、『かえるくん』と『かえるさん』。彼らと私の共同生活というのは、隣人関係と形容するのが適当だったと思う。


 彼らとは兄弟姉妹のように親密に寝食を共にしたわけではないし。


 わんこや猫ちゃんと接するときのように、私が彼らへ何かしらのお世話をしてあげたわけでもない。


 彼らは基本的には自分たちの食事は自分たちで用意していたし。


 故郷から与えられた任務をこなすために自律的に、彼らは活動をしていた。


 彼らが私の家にいる間は殆ど、その起居する空間というのは私が提供した二階の空き部屋に限定されていた。


 居間や台所などの他の空間をうろついていたのは見たことが無い。



 彼らとの共同生活によって生じた私への影響を挙げるとするならば、それはせいぜい二つくらいしか思い当たらない。


 一つは彼らへ貸与した空き部屋の前を通り過ぎるとき。部屋から出てきた小さな緑の身体の彼らを、うっかり踏みつぶさぬよう足元を注視するようになったこと。


 そうやって足元を見て、たまに『かえるくん』が通りかかれば挨拶をする。ただそれだけ。


 二つめは時おり彼らの「うわー!」という叫び声が聞こえてくること。


 この声は彼らが何かしらの失敗を犯したときに聞こえてくる。


 割合としては圧倒的に、背が低い方の『かえるくん』が叫んでいることが多かった。



 二人の宇宙人はどうやら仕事を分担しているようだった。


 背が高い方の『かえるさん』が宇宙船の修理を担当し、背が低い方の『かえるくん』が病気の特効薬となる物質の調査を行う。


 その分業が故に『かえるさん』は二階の空き部屋にこもりがちで、彼らが滞在した半年のうちに私が『かえるさん』と交わした言葉というのは数えるほどだったと思う。


 対して背が低い方の『かえるくん』は、その姿を見かける機会が、彼の相方と比べて相対的に多かった。


 『かえるくん』とは二階の廊下であったり、階段の手摺であったり、庭の縁側ですれ違った。

 

 私が見かけるときの『かえるくん』は大抵その華奢な緑の腕に、どんぐりだの、爪楊枝だの、ティッシュだのを抱えていた。


 きっとあれらを空き部屋へと運び込んで、病気に効く物質の有無を解析していたのだろう。



 こうした『かえるくん』とのささやかな接触は私に、どこか抜けているというかドジというか、そのような印象を彼に対して抱かせた。


 『かえるくん』と廊下や手すりで出くわすと、彼二回に一回ほどはぬっと現れた私の姿に驚いて、「うわー!」と言いながらその逞しい両脚でぴょんと跳ねる。


 するとその飛び跳ねた反動で抱えていたどんぐりやらティッシュやらを放り投げてしまう。


 そうして『かえるくん』は廊下のあらぬ方向へ転がって行ったり、階段を落ちてゆくそれらをぴょんぴょんと飛び跳ねて追いかける。


 それらを無事に取り戻してこちらへ戻ってくると、「いやぁ、お恥ずかしいところを見られてしまいまいた」と言って照れて、薄い水かきのついた手で頭を掻いた。





 ここまでに記したように彼ら二人の宇宙人、『かえるくん』『かえるさん』と私の関係というのは、同じ建物の中で別々に起居する隣人同士のような間柄だった。


 私は彼らと親密な関わりを持たなかったから、彼らとの間に然したる思い出というほどの記憶はない。


 けれども一つだけ。出会いと別れを除けば一つだけ。冬の雪が降る前の、あの日のことだけは妙に印象に残っている。



 あの日の私は部屋着のまま縁側に出て、薄曇りの午後の冬空を眺めていた。


 どうして冷えた外気の中でわざわざ、両腕を抱いて体を震わせながら屋外にいたのか。それはもう覚えていない。


 初雪の予報があったからなのか、聞きなれない鳥のさえずりが聞こえたからなのか。忘れてしまった。


 とにかく私は縁側で薄曇りの冬空と、その下にある庭を見ていた。



 私の家の庭はあまり自慢のできる眺望ではない。


 それは平坦な長方形で、外周は葉を落としたツツジの生垣で囲われている。


 庭の面積のほとんどは起伏の無い枯芝の黄土色が占めていた。


 その庭の右手の隅に静かにひとつだけ、私の腰回りほどの太さの幹を有する梅の樹があって、その寒々とした裸の枝を薄曇りの空に伸ばしている。


 

 そのように曇り空と、庭と、 梅の幹を眺めていると「田中、少々お時間よろしいですか?」と足元から声が聞こえた。


 視線を下にやると私の左足の傍に、瑞々しい緑色の身体を縮こませてぷるぷると震える『かえるくん』がいた。


 私は体を屈めて彼のぎょろっとした黒目と視線を合わせて、「どうしましたか、かえるくん」と聞いた。


「助力を願いたいことがあるのです。私は解析のサンプルとして、右手にそびえる巨大な樹木のひとかけを、ほんの少しばかり頂戴したい。常であれば私のこの強脚でぴょんぴょんと木登りをして自力で採取するところなのですが……。今日は冷え込みすぎて体が思うように動かないのです。なにせ私は変温動物ですから」


 『なにせ私は変温動物ですから』。そう言ってうなだれる『かえるくん』がどこか可愛らしくて、緩みそうになる口元を私は抑えた。


 本人は真剣に言っているのだから、これを笑ってはいけない。


 私は「手伝いましょう」と答えて、私の手のひらに『かえるくん』を乗せた。


 私の手のひらの上にいた方が彼の身体は温まるだろうし。梅の樹の近くまで行って、どの部位を取ってほしいのかを彼に直接聞いた方が良いと考えたからだ。


 『かえるくん』は私の手のひらの上で行儀よく正座をして、「ありがとうございます」と頭を下げた。



「しかしこの地球という星はとても、力強くて逞しい。生命の美しい星です」


 縁側を降りてサンダルを履く私の手のひらの中で、『かえるくん』が言った。


「逞しい、ですか?」


「ええ。この星の植物たちというのは己の力で大地の奥深くまで根を伸ばして、雨風が来てもそう簡単には飛ばされません。そしてあの大きな樹木のように天を突くほどの巨躯を支えています」


 聞けば『かえるくん』たちの故郷の星は彼らによる環境汚染が甚大であり、彼らの種族以外の動植物については、栽培室であったり養殖工場でなければ目にする機会が無いという。


「ですから生命たちがのびのびと己の生を謳歌しているこの光景は、私にとってでした。そして、これらは私の瞳にとても美しいものとして映ります」


 そう言って『かえるくん』は薄曇りの空へと伸びる、梅の樹を見上げた。


 私は「春になれば枝の一面に白い花が咲いて、もっともっと美しくなります」と彼に伝えた。


 『かえるくん』は「そこまで滞在できるかわかりませんが、それはぜひとも見てみたい光景ですね」と答えた。



 梅の樹の傍まで来ると『かえるくん』は、梅の梢の中でも最もか細いやつの、その小さな先端を指し示した。


 私がそれを優しく折って、『かえるくん』に渡してあげたその時。


 大きな羽ばたきの音を立てて、一羽のカラスが梅の枝にとまった。


 『かえるくん』はその羽ばたきの音に「うわー!」と驚いて、私の手のひらからぴょんと飛び跳ねた。


 彼の瑞々しい身体が柔らかな枯芝の上に落ちた。


 『かえるくん』は起き上がって、手元に梅の枝があるのを確かめた。


 そしてそれから、「いやぁ、お恥ずかしい」と言って照れるように水かきのついた手で頭を掻いた。


 私はその仕草が可笑しくて、可愛らしくて、思わず笑ってしまった。


 そんなとある冬の日のことが、何故か印象に残っている。





 ちょうど一年ほど前の、晴れた三月の日曜日。


 彼ら二人の宇宙人と私との、奇妙な共同生活は終りを迎えた。


 その終りには予告であったり予兆であったりという、事前の情報が私には与えられていない唐突なものだった。



 それは穏やかな午後のことだった。


 私は取り込んだ洗濯物のアイロンがけをしようとしていた。


 アイロンをコンセントに繋いで、底金を温めていたその時。


「田中、すこしだけお時間よろしいですか?」と、背後から流暢な声が聞こえた。


 私はその声色だけでその声の主が『かえるさん』であることに気が付けた。


 しかし、その声には妙な違和感を覚えた。

 

 それは声の聞こえてくる位置だ。


 私は声の方へと振り向いてすぐに、己が感じた違和感の原因を了解した。


 彼らがいたのは居間のカーペットの上ではなく、さらにその上。


 彼らの壊れていたはずの宇宙船が空中に浮遊していて、『かえるさん』はアイロンの給水口にあたる部分から身を乗り出していた。


「直ったのですか!」と私が言うと『かえるさん』が、「ええ、そうです。田中、おかげさまで!」と言った。



 私のスチームアイロンと酷似した、白と紫のカラーリングの宇宙船は体制をにすると、ゆっくりとカーペットの上に着地した。


 瑞々しい緑の身体の二人は宇宙船から下りてくると、私の傍へやって来て行儀よく正座をした。


 つられて私も姿勢を正した。


「私共のような得体の知れない宇宙人を居候させてくださって、田中の寛大なお心にはいくら感謝しても足りません」


 そう言って彼らは深々と頭を下げた。私も「いえいえ、そんなそんな」と言って頭を下げ返す。


 もとを正せは私が彼らの宇宙船を破壊してしまったことが悪いのだ。それなのに慇懃と謝辞を述べられて、私は小さな体の二人に対して恐縮してしまった。



 こうしていよいよ別れを迎えるというその時に、悲劇は起こった。


「「田中、本当に本当に、ありがとうございました!」」


 彼らは最後にそう言って頭を下げて、そして顔を上げて立ち上がった。


 そうしてぴょんぴょんと跳ねて私の傍から離れる。


 『かえるさん』は宇宙船の方に向かって。


 そして『かえるくん』は宇宙船と酷似した、熱々のスチームアイロンの方へ。


「あっ」


 そちらは宇宙船ではないですよ。と、私が声を発する前に。


 『かえるくん』はぴょんと跳ねて、熱せられたスチームアイロンの底金に手足を付いてしまった。


「あつい!」と、『かえるくん』が叫んで背中からカーペットに倒れる。


 『かえるくん』が触れたことによってぐらついたスチームアイロンが、あろうことか『かえるくん』の方へと倒れてしまった。


「うわー!」という『かえるくん』の叫び声。


 アイロンの底金が彼を押し潰す。『じゅうううう』と瑞々しい彼の緑の皮膚が焼かれ弾ける音が響いて、彼の悲鳴はかき消されてしまった。


 アイロンと『かえるくん』の接触部からは水蒸気がもくもくと沸き上がって、生臭いような、焼肉のような臭気がリビングに満ちる。


 私は慌てて彼の上からアイロンを持ち上げた。


 彼の皮膚はアイロンの底にくっついて、一緒に持ち上がってしまう。


 私はぐにっとした感触の彼の背中をつまんで、ぐいと引っ張った。


 バリっと彼の皮膚と腕が破ける音がして、何とかアイロンから引き剥がす。


 ぬるっと指の先が滑って、私は勢い余って彼をそのまま放り投げてしまった。


 カーペットの上に『かえるくん』の身体が落ちる。


「かえるくん!」と『かえるさん』が叫んで駆け寄る。


 皮膚が焼けただれ破けた『かえるくん』の身体を、『かえるさん』は彼の名前を叫びながら揺すり続けた。


 私はアイロンの底にこびりついた彼の皮膚の、そこから漂う生臭さと焦げの臭いを感じながら、呆然とその光景を見ていた。



 残念なことに、『かえるくん』はこの一件で絶命してしまった。


 彼が既に事切れて、成す術の無いことを悟った『かえるさん』はその場に悄然として立ち上がった。


 そしてこう言った。


「田中、最後にもう一つだけ、お願いがあります」


 『かえるくん』の葬儀を手伝ってくださいませんか? と。


 こうして私はあの奇妙な『異星の葬儀』を経験することになる。





 『かえるさん』たちの故郷では同胞が無くなった時、のだという。


 『かえるくん』の亡骸の処理は、私の台所のまな板の上で行われた。


 『かえるさん』の手さばきというのは非常に手馴れているように私には見えた。


 彼は宇宙船の中から、彼の身長と同じくらいの大きさの刃物を一本用意した。


 そうして手始めに遺体の上半身と下半身を切断した。


 切り離した上半身を彼は、三角コーナーの生ごみネットの中に放りこんでしまった。


 葬儀の際に接触するのは脚部だけらしい。三角コーナーを覗き込むと、『かえるくん』のぎょろっとした眼と目が合った。


 下半身をさらに右と左で切り離し、瑞々しい緑色の皮膚を剥ぐ。


 薄いもも色の筋繊維に塩と胡椒をまぶして、それをコンロの火で軽く炙った。


 これで調は完了なのだと彼は言った。





 私は調理された『かえるくん』を小皿に盛りつけて、客間のテーブルへと運んだ。


 そうして私は『かえるさん』と向かい合って座った。私は椅子に。彼は私がテーブルに敷いた水色のハンカチーフの上に。


 異星の葬儀はお経であったり、何か弔いの言葉であったり、そう言ったものが一切なしで始められた。


 『かえるさん』は「いただきます」と言って手を合わせると、自前のカトラリーで丁寧に『かえるくん』の死体を切り取って、ひとくち、ひとくち、上品に口へと運んだ。


 私は『かえるくん』の亡骸をどのように食せばよいのか、まるで分らなかった。


 私は葬儀で死者を食べるという経験も、日常生活でカエルを食べる経験も持ち合わせていない。これは私にとってであった。


 仕方が無いから私は香辛料の香りが漂うそれに、手羽中を食する要領で齧りついた。


 鶏肉のような魚肉のような、くさみの無い淡白な肉質。


 私は意外にも眼前の肉を美味であると感じてしまった。


 そしてこの美味な肉が、数時間前まで私と会話をしていた『かえるくん』なのだと考えるととても奇妙な心持がした。


 眼前の肉片は私の身体に対してあまりにも小さかった。


 私はそれを二口で平らげてしまい、皿の上には細い骨だけが残った。


 最後のひとくちを食べた時、奥歯に『かえるくん』の筋繊維が挟まってしまって、それだけが少し不快だった。



 私が亡骸を平らげた後も、『かえるさん』は目の前でちまちまと食事を続けていた。


 客間はしんとして静かで、彼のカチャカチャとしたナイフとフォークの音だけが響いている。


 私は異星の葬儀が初めてだった。作法として黙々と死者を食べるべきなのか、何か会話をするべきなのかまるで分らなかった。


 ただあの時の私は、客間に横たわる沈黙にどうしても耐え切れなかった。


「おいしいですね」と私は言った。

 

 すると『かえるさん』は手元の動きを止めて私の方を見た。そして言った。


「それは良かったです。私は食べなれて、飽きてしまっていますから。どうしてもおいしいとは思えない」


 田中、あなたが一緒に食べてくれて良かった。そう言葉を続けた。





 異星の葬儀を終えると『かえるさん』はけろりとして何事もなかったかのように振舞った。


「田中、ありがとうございました!」と言って、アイロンに酷似した宇宙船で飛び立っていってしまった。


 葬儀の後に残った骨は、三角コーナーに捨てられた。生ごみとして。



 私は『かえるさん』が飛び去ってしまった後でまず最初に、歯を磨いた。


 奥歯に挟まった『かえるくん』の筋繊維がどうしても気になったからだ。


 ピンク色の歯ブラシに、ピンク色の歯磨き粉を乗せて、シャコシャコと磨いた。


 水で口を濯いで、歯磨きの泡を排水溝に流したとき。


 その泡の中に『かえるくん』の筋繊維がちらりと見えた。


 ごぽごぽと音を立ててて、彼の筋繊維は泡と共に下水へ流れて行った。


 私はそのとき、排水溝を見ながら考えた。


 『かえるくん』の肉はへ向かったのだろうかと。


 彼の肉は私の胃の中にあるべきなのだろうか。


 或いは下水管の中にあるべきなのだろうか。



 歯を磨いて次に私は、台所へと向かった。に使った、まな板と小皿を洗うために。


 シンクで洗い物をしていると、どうしても三角コーナーの内容物に視線が向かってしまった。


 三角コーナーの中に捨てられた細い骨と、焼け爛れた皮膚と、ぎょろりとした黒目。


 これらのはどこなのだろうかと、私は再び考えた。


 これらは生ごみのひとつとして、ごみ処理場へと向かうべきなのだろうか。


 果たしてそれがあるべき場所なのだろうかと。



 あるべき場所は、どこだ?





 まな板と小皿を洗い終えて私は、三角コーナーを持って庭へと出た。


 未だ外気に冬の名残が潜む、肌寒い三月の庭だ。


 私は縁側の下に置いたままになったシャベルを手に取った。


 そうして梅の樹の下まで行って、根元の枯芝を掘り起こした。


 枯芝とその下の土は雪解け水をたっぷりと含んでぬかるみ、容易に掘り進めることが出来た。


 手がすっぽりと入るほどの深さまで穴を掘り、そこへ『かえるくん』の身体の部分、部分をそっと横たえた。


 土葬。


 これは『かえるくん』の立場からすれば、に当たる。


 『かえるくん』の身体を全て横たえて土を被せようとするとき、私には逡巡があった。


 私は良かれと思って、彼をこうして弔おうとしている。


 しかし、彼は身体の一部を異なる文化によって埋葬されることをどう思うだろうか。

  

 もしかしたら、嫌がるかもしれない。


 このような考えが、土を被せようとする手をためらわせた。


 

 そのとき、私は彼の黒い瞳と目が合ったような気がした。


 否、彼のその瞳が私をすり抜けて、その奥にある物を見ているような気がした。


 私は彼の視線の先、頭上へと顔を上げた。


 そこにはひとつ。ふわりと開いた、ひとつの梅の蕾。


 彼の瞳は、咲いた梅の花を見ていたんだ。



 そして私は彼をこの場所へ埋葬する決心を固めた。


 この場所から見上げる満開の梅の花を、きっと『かえるくん』は喜んでくれると信じて。





 だから私はこの白い梅の花を見るとあの時の、『かえるくん』と弔った異星の葬儀を思い出す。


 そして今年も梅の花が満開に咲いて、彼に未知の光景を見せてあげられるようにと願うのだ。


 


 

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