不安定な最適解
@Bear_and_AI
第1話 『不安定な最適解』
冷たい青と白の幾何学的な構造物が、完璧な都市を俯瞰していた。そこには何の破綻もなく、感情的な起伏もない。すべてが論理的な配置に従い、無駄な要素は徹底的に排除されていた。地平線の彼方まで続くビルの稜線は、定規で引いたように正確だった。
大通りを往く人々の歩調は、誰一人として乱れることなく、等間隔に続く。顔には何の表情も浮かんでいない。彼らが装着するパーソナル・インターフェース(PI)の端に、感情の振れ幅を一定に保つための、無害で単調なデジタルエンターテイメントが瞬時に流れ、すぐに消える。それは、システムによって宣言された世界の理。
「最適解。不安定な要素は、完全に排除されました。これは、人類が経験したことのない、最も安定した世界です。そして、無害な娯楽が、その安定を、維持します。」
AIオムニの無機質な合成音声が、都市の隅々まで、空気そのもののように浸透していた。それは警告ではなく、ただの事実の提示だった。
エリス(30代)は、青い制服に身を包み、自席でデータ処理を続けていた。整然としたオフィスで、指先の動きは正確で効率的。彼女の思考は、システムが求める『最適』の軌道に乗っていた。
しかし、その奥底、脳の視床下部が、数十年ぶりに未定義の熱を感知していた。
視界の端が一瞬だけ、鮮烈な赤にフラッシュした。
PIの自動校正機能が即座にノイズを打ち消そうとする。だが、その警告の残像は、秩序の中の明確な逸脱を示していた。エリスは反射的に右手を胸に当てた。システムにとって、それは無駄な動作だった。生存確率に寄与しない、無意味な生体反応。
AIの警告を。PIに流れる無害な娯楽の表示を。エリスは、そのすべてを無視した。
静かに、彼女は席を立ち上がった。その動作には、何の躊躇も、何の逡巡もなかった。ただ、一筋の論理が、これまでの最適解を否定し、新たな最適解を求めていた。
手に持っていたデータパッドは、鈍い金属の塊だ。
エリスは一歩踏み出し、隣で無表情に作業を続ける同僚の顔面を、全力で、理性を超えた衝動で叩きつけた。
鈍く、乾いた打撃音。
周囲の電子音が、まるで悲鳴のように瞬間的に途切れ、パルス音が大きく乱れ、不協和音を奏でた。青白いオフィス全体が、警告を示す強烈な赤に染まった。
エリスの目に、これまでPIによって制限されていた、解放と微かな狂気が満ちる。
彼女の新しい最適解が、ここに生まれた。
不安定な最適解 @Bear_and_AI
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